火の戦士
北領と南領の国境となるラニアクス山は、幾つもの洞窟を有している。灰色の岩肌にぽっかりと口を開けている大小の入口は、見る範囲や角度によって、人間の顔に見えないことも無い。時折、点滅する雷の閃光によって、幾つもの顔が岩肌に不気味に浮かび上がっては消える。山の中腹あたりの一際大きい洞窟で、若い火霊たちが、雨を避けて暖をとっていた。
「水霊さえいなければ、我々は火の力を思う存分発揮できる。そうでなくても戦闘の多い南領だ。仕事はいくらでもある。」
「ホスタ様は火霊のくせに水を遣うが、キリエ様は水の方はさっぱりだと聞いている。俺たちのような火術にしか通じていない者は南領の方が暮らしやすいかもしれないな。」
「確かに、火術を利用して何かを成そうとすると水霊に邪魔されることが多い。」
「集落同士の小競り合いでも、火霊は重宝されるかもしれない。」
「となると、これからは、水霊よりも火霊の方が有望なのかね。」
戦士たちは、北領と南領の境界近く、ラニアクス山中の洞窟で酒を飲みながら、どちらの領地で暮らすのが良いか、と議論をしていた。ラナ星がこの山を境に、北領と南領となり、南領は別の王の統治となることが先日発表されたばかりだ。
当初は正当な王位継承者であるホスタが制する北領の人気が高かったが、火術に長けている戦士の間では、火の力を優位に使えるのはむしろキリエが統治する南領ではないか、という意見が出始めていた。
話は、火術と水術のどちらを学ぶのがより有利で役立つだろう、という将来性にまで及び、戦士としては、中途半端に水術を学ぶよりは火術を極めて南領に定住するのが得策だろう、という結論になった。
「デモフォルト、お前はどうする?」
議論の輪から外れて一人、デモフォルトは岩壁に寄りかかり、炎と戯れていた。両の掌で幾つもの炎が形や大きさを変えている。ある炎は小指程の大きさの人形になり、ある炎は雲のように宙に浮き、炎の変化に従って、地面に伸びる人の影も大きく、小さく、揺らめく。デモフォルトは、顔だけ仲間の方に向けて、
「決まっている。有能な王の方の領地に住むさ。」
と言うと、面白くなさそうに炎を仲間の方に投げた。炎が天井を覆いつくす程に広がり、仲間たちが一斉に声を上げる。が、次の瞬間には、それは元の掌に戻って小さな灯になり、少しずつ自身を縮小して遂に消えた。炎が消えると、月明かりだけになったせいか、デモフォルトの青白い顔が引き立って見える。黒髪は闇に溶け込んでいた。
仲間たちはデモフォルトの炎に懲りたのか、その後はひそひそと小声の議論になり、二度と、彼に話題を振ることはなかった。
デモフォルトに家族はない。物心ついた頃から戦士として育てられた。「戦士」とは火術を遣って敵と戦う者のことであり、武器を使って戦う「兵士」とは区別されている。戦う敵は決まっていない。盗賊や、自分の集落を狙う者が相手であればわかりやすいが、南領となる地域では、突然、攻撃されて止む無く戦うことも多く、その場合、敵はさだかでない。治安の悪い南の地では、民を守るために、各集落が戦士を育成してきた。
デモフォフォルトの村では、彼の火術の右に出る者は無い。その技術で、子供の頃から、熾烈な戦場で勝ち抜き、時には逃亡し、隠れ、今日まで生きてきた。親はいたはずであるが記憶に無い。最初の記憶に現れる大人は、戦士を訓練する教官である。同じ頃のもう一つの記憶。切磋琢磨した親友の顔。名前は何と言ったか覚えていない。火術に長けているだけでなく水術も使える少年だった。水術についてよく教えを受けたが、デモフォルトは水一滴も自由に出来ず、水術は諦めた。調練の際に彼と組むたびに火術のレベルが上がるのが面白くて、二人で砂漠に出かけて個人演習をし、演習のたびに互角に戦い、どちらかが倒れるまで、それは終わらなかった。夜は、食事を共にし、体を並べて眠った。
ある日、いつも演習を行う砂漠で正体のわからない火霊と戦闘中、敵の兵団が応援に駆けつけ銃撃戦になり、デモフォルトは反撃を繰り返しながら何とか兵舎まで逃げ帰ったが、友は帰ってこなかった。よくあることだ。
南の地では強くなければ死ぬ。判断を間違えれば死ぬ。戦いたいわけではないが、仕掛けられて戦わなければやはり死ぬ。何人もの戦士や兵士の命を奪ったが、後ろめたさは無かった。死ぬ者が弱者というだけのことだ。殺らねば殺られる。そして、いつかは、自分も戦いの最中で死ぬのだろう、と、漠然と思っている。
過酷な戦いに明け暮れる南の地にいるのは、自分のルーツが、あるいは、顔も知らぬ親が、この地のどこかに存在する気がするからである。しかし、最早、三十に差し掛かろうというのに、それが見つかる気配はなく、見つける気力もなく、戦いに明け暮れる毎日に、デモフォルトは疲れていた。
政治が変わるというのなら、これを機会に北へ流れても良いと思う。北で静かに穏やかに暮らすのも悪くないかもしれない。あるいは、新しい王を迎えて南の地が平和になるのならそれも良い。が、そうした暮らしは、想像の及ばない次元の違う世界のことのようにも感じる。戦闘の日々に疲弊しながらも、自分は戦いがなければ生きていけないような気もする。
次の日の朝、山の麓の街へ買い出しに出かけると、市場から少しはずれた噴水広場に人集りがあることに気が付いた。デモフォルトは素通りしようとしたが、火術特有の気と、香草に似た香りを感じて足を止めた。
「他に私に勝負を挑むものはないか。この街はこの程度か。」
人が幾重にも取り巻いている後ろから首を伸ばして覗いてみると、広場の中央で厳つい顔の男が豪快に笑っていた。長期間、旅をしてきたのか、浅黒い顔は髭で覆われており、革製の長靴は泥と傷みが目立つ。肩幅が広く、胸も厚い。腰に下げている剣には凝った装飾が施されており、一目で高貴な身分であることがわかる。先ほどの香草の香りはこの男が発したのか。ということは、この男も火霊なのか。
朝から火遊びに付き合う気分にはなれず、その場を立ち去ろうとすると、
「お前、何処の出だ?」
と男が声を上げた。俺に向かって訊いているのか?
躊躇していると、
「お前だ。そこの黒い皮のベストを着た、お前のことだ。こっちへ来い。」
と、再び男が言った。やはりデモフォルトに話しかけているようだ。
渋々、人垣をかき分けて輪の中に入ると、そこには強い熱風が吹いていた。中央に立つ男が再び尋ねる。どこの出身なのだ、と。人の視線がデモフォルト一身に集まっている。
「山の近くの村の生まれだが、今は何れにも所属していない。」
「お前の”気”はなかなか強い。」
男が笑うと、熱風がさらに強くなり、それは、今やデモフォルトに吸い寄せられるように方向を定めて吹いていた。ここを去っても風が追って来るだろう。何が始まるかわからないが、男の相手をしないといけない雰囲気だ。
デモフォルトは懸命に足を踏ん張って、ようやく右の掌を相手に向けると大きく息を吐いた。掌から発した炎が一直線に男の体に向かって走る。咄嗟に男が脇へ飛び退いたので、炎は男の後方へ走り去った。
次の瞬間、デモフォルトの足元に小さな炎が植物の芽のように次々と地中から顔を出し
ていることに気付いた。危険を感じて宙に浮く。水術にせよ、火術にせよ、浮くことや飛ぶことは基本である。地面の炎は、浮かび上がっているデモフォルトを捕まえようとするように、上へ上へとうねりながら伸びてくる。
そのうちの一本を素手で捕まえ、思い切り体を捻ると、他の炎がその一本に絡め取られ、地面に落ち、滑るように男へ向かって行った。
男は腰をおろして地面を撫でるように左手を動かす。進んでいた炎の一群は、次の指示を待つかのように、その場で静止し、男が左手を上げると、積み木が積み上げられていくように上へ上へと高さを増した。やがてそれは巨大な人形になり、デモフォルトの前に立ちはだかる。宙に浮いているデモフォルトよりも遥かに丈があった。人形よりも高い位置に飛ぶことも出来るが、体力の消耗を恐れて、同じような人形を自ら作り出して防御線を張ることにした。デモフォルトが広げた両腕の中に、赤子ほどの人形が姿を現し、やがて、巨大な人形となって、もう一体の人形と対峙した。
―人形術も出来るとは―。さすがのキリエも驚きを隠せなかった。火を思い通りに動かすためには、まず、その方向を導くのが火術の基本だが、方向の正確さと動きの速さで火術のレベルが決まる。それらの精度と速度は訓練次第だ。しかし、変化を続ける炎を集めて形状化し、全体を一つの炎として統制しながら操るのは困難を極める。努力だけではなく才能が必要な類の術である。
キリエは、間髪をいれずに、新たに指から細く赤い光を繰り出して次々と宙に放った。赤い光がひゅんひゅんと風のような音をたてて飛んでいくのを、青年は人形を盾にして受け止めている。受け止めたものを吸収して人形が少しずつ巨大化するのを、青年は大きく両手を広げて球状にまとめあげ、それを叩きつけるかのように投下した。巨大な火の球が渦を巻きながら墜落してくる。片手を振り上げて火の球を受け止めて気を込めると、それは回転しながら膨張して、更に巨大な火の球となり、辺りを真っ赤に照らし出した。火の球は残った人形を巻き込んで更に膨張しながら、青年の方へゆっくりと向きを変えて、回転を止めた。
青年の白い顔から血の気を失われて青ざめていくのがわかる。火の球はゆっくりと進みだし、やがてそれは速度を上げて突進していった。さあ、どうする。
恐怖で身動きをとれないように見えた青年は、球が持つ気を吸いこんで速度を緩めることを試みた。追い詰められた中では最良の決断であろう。球の形が崩れ始めた。崩れた場所から小さな炎が幾つも飛び散り、球は分解され、やがて空中に消えた。強烈な火の気を吸い込んで、青年の肺は焼付くように熱いはずだ。しきりに咽ている。
キリエが球の消えた辺りに手をかざすと、今度は火柱がマグマのように噴き上がった。青年は、咽ながら倒れるように横に避けたが、火が腕をかすめたのか、袖の一部が焼け焦げて右の肩が剥き出しになった。
デモフォルトは危うく気を失うところだった。先ほど肩をかすめた火。かなりの高温である。術が長ければ長けるほど、火霊の位が高ければ高いほど繰り出される炎と気の波動は高くなり、高速、高温になる。
相手は俺より格が上なのか。デモフォルトは右肩を押さえながら呆然としていた。いつかは戦いながら死ぬことになるとは思っていた。が、今、それが避けられない現実として目の前に展開されると、恐怖で身がすくんだ。
火柱の最上部がこちらへ向きを変えて落下してくるのを避けて、体が傾くのを感じながら、デモフォルトは渾身の力を込めて両手で押し出すように、新たな火炎を男に向かって落下させた。
巨大な火の玉が男の体を包む。終わったか。
が、男は炎を纏ったままデモフォルトのすぐ近くまで上昇してきた。生きている。火術を使った戦闘では、相手の火炎を諸に受けた場合はかなりの致命傷になるはずである。それにも関わらず、彼は倒れるどころかよろけもせずに、炎を身に纏ったままデモフォルトの位置まで昇ってきた。もしも、これが逆の立場だったら、今頃、デモフォルトは灰になっていただろう。
今度こそデモフォルトは確信した。相手は自分よりも高度な術を身につけている。しかも、その差は僅かではなく、歴然としたものだ。
― やられる ―
「なかなか速い。しかもお前の火は純度が高い。霊山で修行したか。誰に学んだ?」
火の中から男の声がする。
「確かに霊山で暮らしているが、術は我流だ。」
答えた後、咳きこんだ。止まらない。力尽きて落下していくデモフォルトの体を男の腕が支えた。男の纏っていた炎は消えていた。
「お前はなかなかの腕だ。私の元で働くと良い。これは命令だ。」
「あんたは何者だ?」
男は強い意志を持った眼差しで彼を見つめて名乗った。
「私は南領の王、キリエ。」
驚愕のあまり瞬きも出来ず、デモフォルトは男の顔を見つめる。王の命令を断る理由は何も無い。
激しい戦闘を恐れて遠くから様子をうかがっていた民衆が、一人二人と戻って王の周りに輪を作り、どこからともなく拍手が始まり、やがてそれは歓声を加えて、次第に大きなうねりとなって広場を覆っていった。