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本能寺の変

本能寺の変 エピローグ ~荒深小五郎と細川ガラシャ~

掲載日:2026/07/28

 1600年6月 美濃東部の村にて 若い村人夫婦の会話


「あの荒深さんって、普通の人とは雰囲気が違うよね。すごいお年寄りだけど、風格があって知的な感じで。いつもブツブツと何かつぶやいてて、ちょっと気持ち悪いところもあるけど」


「ああそうか。お前はこの村に来たばかりだから、荒深さんのことはよく知らないんだったな。あの人は昔、名のある武将だったらしい。この村は荒深さんの生まれ故郷で、俺が赤ん坊だった頃に帰ってきたらしい。詳しいことまでは誰にも話さないけどな。今では老いて、かなり独り言が多くなったけど、物知りだし偉い武将だったのに優しくて、村の人たちから尊敬されてるんだよ。字を教わったやつもいるし、川の橋と堤防を作ったときは、どうやったら頑丈になるか教えてくれたんだ。剣術も凄腕なんだってよ。それは誰にも教えてくれないけどな」


「へえ、やっぱり立派な人だったんだね。こんな田舎の生まれで、名のある武将になったなんてすごいね。どこの誰にお仕えしてたのかね」


「それは誰も知らねえ。どこで何をしてて、なんで急に帰って来たのか、あの人は話したくないようなんだ。村の人たちも、詮索しないことにしてる。時々、手紙と一緒に金や食い物や書物が 送られて来るけど、その送り主が、東のほうに住んでるってことくらいしか知らないんだ」


「東のほうってだけじゃ、何も分かんないね」


「良いんだよ。荒深さんは年のせいで、ちょっとだけアレだけど、村人の誇りなんだ。あんな立派な人がこの村の出身だなんて、すごいことだよ」



 1600年6月 美濃東部の村にて 荒深小五郎 (明智光秀)


 私はもう七十歳を超えた。目はほとんど見えないし、耳も遠い。足も悪くしてしまい、歩くのも苦痛だ。しかし「あの男」に仕えていたときは、この年まで自分が生きていられるとは思ってもいなかった。あのとき死ななかったのは、家康殿がいてくれたからだ。


 あの猿はやはり愚かなことをして、国を疲弊させ自分の運命も狂わせた。数年前、病で死んだようだが、晩年は不幸だったに違いない。


 猿とは対象的に、家康殿は着実に生きておられる。関東に転封されたのは、むしろ好都合だったはずだ。大陸への出兵をうまく避けながら、地盤を固めることができただろう。私の息子は、家康殿にしっかり忠勤しているようだ。築城と治水を学ばせておいたが、江戸の町の整備に役立っているらしい。兵法や武術などではなく、建設的な知恵を世のために活かして生きてくれている。


 細川藤孝の息子に嫁いだ娘がどうしているのかは、もう分からない。息子の手紙にも、そのことについては一度も書かれていたことがない。藤孝を恨んだことはない。細川家で、娘も元気にしていてほしい。


 今 思えば、津田信澄は哀れな運命だった。私と縁を持ってしまったせいで、汚名を着て死んでいくことになった。信澄に嫁いだ娘も生きてはいないだろう。


 もう一人、誰かいたな。筒…ナントカだ。あいつのことだけは、ちょっと恨んでいる。まあ、もう名前も思い出せないし、どうでも良いがな。


 私の七十年を超える人生で、幸福にできた人間はいるのだろうか。私の生き方は間違っていたのか。それとも、能力が足りなかったのか。こんなことを止めどなく考えてしまうようになったのは、私の生命も終わりかけているからなのだろうな。



 1600年7月 伏見城にて 徳川家康


 俺は若い頃から、この国をまた一つにして戦をなくしたいと思っていた。こうやって言葉にすると、優等生気取りみたいで嫌なんだけど、本心なんだから仕方がない。


 でも現実は甘くはなかった。生きるだけで精一杯だった時期のほうが、遙かに長い。俺より強くて頭が良くて、家柄も良いやつなんて、いくらでもいた。いつか、そういうやつに負けて死ぬか、膝を屈することになると思っていた。


 ところが、俺より強いやつらは、みんな俺より先に死んでいった。今川義元、北条氏康、武田信玄、上杉謙信…そして織田信長、豊臣秀吉、前田利家。 みんな死んで、俺より強いやつは、探しても見つからなくなった。もう俺の邪魔をしようとするのは、修羅場をくぐったこともない若僧どもだけだ。


 もうはっきり分かる。この国の戦を終わらせるのは俺だ。ここまで来られたのは、当然 俺一人の力じゃない。俺が死なずに済んだの は、家臣に恵まれたからだ。(酒井)忠次や(石川)数正は、先に行っちゃったけど、まだまだ頼もしいやつらがたくさんいる。家臣ではないけど、あの人のことも忘れたことはない。


 あの時の約束を果たすのは、もうすぐだ。



 1600年8月 美濃東部の村にて 明智光秀


 ついに家康殿が天下に王手をかけた。この時代の本当の厳しさを知らない若僧たちは、家康殿の掌で踊らされているだけだ。はっきり分かる。もうすぐ大きな戦が起こる。それでこの戦乱は収束に向かう。


 家康殿は、あの約束を覚えているはずだ。だが、私の命は尽きかけている。待っているだけでは見ることができないものが、この世にはあるのだ。自ら赴こう。戦場はおそらく、この美濃だろう。



 1600年8月 佐和山城にて 石田三成


 こちらの軍に、徳川家康への内通者がいるようだ。軍が内側から崩壊しては、まともな戦にならないが、もう挙兵をやめることはできない。おそらく毛利輝元や宇喜多秀家にも、本気で勝ちにいく気はないだろう。


 ならばせめて、前田家と近い細川忠興(藤孝の長男で、光秀の娘婿)をこちらに取り込めば、家康とも互角に戦えると思ったのだ。だから強引なのは承知だったが、忠興の妻(光秀の娘)の身柄を先に押さえようとした。順序は逆でも、とにかく忠興に会って説得すれば、分かってもらえると思っていた。


 しかし忠興の妻は、命を捨ててまで同行を拒否したという。夫を、意のままに生きさせるために…。私はやはり人の心というものを理解できない、愚か者のようだ。人を惹きつけるどころか、いつも疎まれてしまう。


 私は家康に敗れて死ぬだろうが、地獄で詫びなければならない相手が、また増えてしまった。



 1600年8月 美濃東部の村 村人の男


 荒深さん、昨日のあの大雨の中どこに行こうとしていたんだ。この川が増水して、橋が流されることがあるって、荒深さんが一番よく分かってたはずだろう。なのにどうして、橋を渡ろうとしたんだ。そもそもあの人は、足を悪くしていた。行けるところも限られているんだがな。


 しかし、土手で見つかったときの荒深さんの死に顔は、村人の誰もが見たことがないくらい…嬉しそうだった。



 天に昇る道の途上 荒深小五郎 (明智光秀)


 今の私の足で、家康殿の元へなど辿り着けるはずがない。そんなことも分からぬほど耄碌していたようだ。こんな死に方をするとは、我ながら馬鹿だな。しかし、おかげで娘と再会できた。


 なんと、同じ日に死んだようだ。詳しい話は、これからゆっくり聞かせてもらおう。


 ところで……お前の名前は、本当にガラシャなのか?ガラシャ…。


 俺、そんな名前、本当に付けた?



*********************************



 翌日


 細川ガラシャ(明智 珠) 天へ

 明智光秀 地の獄へ




YouTube版はこちら

https://youtu.be/mtV8x07yGIo

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珠さまと再会できてよかった・・・
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