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異世界冗談系

婚約者より優先される病弱な従妹が100%になったら

作者: 仁司方
掲載日:2026/06/22

婚約者よりも病弱な従妹を優先するアホ男のネタが、どうしてこんなことになったのか……。

超展開注意!



『トゥーノがまた熱を出した』


 書き置きひとつで、今日もディハルトはイオタとの顔合わせを袖にした。申しわけなさげに下を向く辺境伯家の従者たちへ、イオタは鷹揚に気遣いの無用を告げる。


「かまいません。ディハルトさまとわたしに必要なものは、真実の愛ではない。ハルブラート辺境伯家に、わたしの病気知らずの血を一滴混ぜることができれば、それでいいのですから」

「イオタ嬢のおっしゃりよう、まさに貴族婦女の鑑、ご立派でございます」


 ハルブラート家の執事マッケインは感服して声をつまらせ、


「はあ……うちの若に、イオタさまの爪の垢を煎じて飲ませたいものですね」


 と家政婦長モニカはため息をついた。


 最古参の使用人であるマッケインとモニカは、現当主リオナルの考えをよく承知している。


 貴族にとってもっとも重要な責務は、家督の継続、それすなわち血筋の継承だ。政略結婚で勢力を拡大していくのもけっこうだが、代々の系譜を乗っ取られたり、近親婚つづきで子宝に見放されるようなことになったら意味がない。


 ゆえにリオナルは、息子の代での勢力伸長はひと休みにして、一族の()を強化することを選んだ。

 辺境伯家強靭化計画に当たって白羽の矢が立ったのが、生まれてこのかた風邪のひとつもひいたことがないという、花丸健康優良児のイオタであった。貴族とは名ばかり、そのへんの騎士家より貧乏な男爵の娘だったが、それでも爵位持ちの息女、無爵の家から嫁を取るよりは、面倒もすくない。年齢も18歳どうし、釣り合いがよかった。


 まさかの大貴族からの縁談の申し入れに両親は泣いてよろこび、イオタも家族の生活を楽にしてあげられるならと、深いことは考えずに承知した。


 ……その結果が、これである。


 次期辺境伯ディハルトは、これまで一度もイオタと直接顔を合わせたことがない。婚約の儀すら、すっぽかしたきりになっている。


 ディハルトが熱心に通っているのは、従妹で幼なじみだという、子爵令嬢トゥーノのところ。


 トゥーノは「はかなげでけぶるような」当代一の美少女として、広く噂になっている。ただし、その「はかなげ」さは比喩ではなく、生まれつき病弱な彼女は自宅の寝室からほとんど出てこない。デビュタント年齢である16歳にはなっているが、一度も社交の場に姿を現したことがなかった。


 ディハルトがトゥーノにぞっこんだということは周知の事実であったが、もちろん、将来の子孫繁栄を第一に考える辺境伯リオナルは、当代一の美しさといっても脆さを抱えた血を、一族に加えるつもりなどなかった。


 イオタにはリオナルの長期的な戦略思想が理解できるし、ディハルトの恋心もわかっているつもりだ。好いている相手はいるのに、牧場の馬のように番う相手を決められるというのは、ディハルトにとって面白くないだろうことは疑いない。


 だから、男の子と女の子をふたりずつくらい産めれば、あとはディハルトがトゥーノと愛し合ってもかまうまいと思っている。

 ……さすがに、公然たる浮気の許可というのは、本人に直接伝えるべきことであろうから、だれかに話したりはしていないが。


 しかしディハルトは、かたくなにイオタと会おうとしないのである。


 名目上の主催不在のまま、何度目かの婚約者どうしの茶会が終わり、イオタは辺境伯邸を辞することにした。


「つぎこそは、坊にも出席させますので。……どうか、当家を見捨てないでいただきたく存じます、イオタ嬢」

「とんでもない。トゥーノさまをご正妻に、わたしは側妻という話でもおかしくないところを、正妻としてお迎えくださると、辺境伯閣下よりありがたくも確約をいただいているのです。わが男爵家にとって、これ以上望むことはありません」

「はあ……ほんとうに、あの(バカ)にはもったいない。イオタさま、ご結婚後に絶対に不自由はおかけしませんから、どうぞ、お気を楽にして当家へお輿入れくださいね」


 恐縮するマッケインとモニカに見送られ、イオタは辺境伯邸の正門を出た。


 ……そこへ、若い男性の声がかかる。


「今日も元気そうだね、イオタ嬢」

「ルーシャスさま、ごきげんよう」


 辺境伯リオナルの弟ルーシャスは、兄とかなり歳が離れている。「実家は継げないし、なにか手柄を立てて封爵してもらわないとなあ」などと言いながら、実家の食客をしてブラブラしていた。

 豪奢な金髪と碧い目の美丈夫で、社交界では様々な階層の貴婦人と噂が絶えないが、「最低でも伯爵にはならないとカッコがつかないよね」と、28歳の現在になっても婚約者を定めず、婚活もしていない。


「さっき裏口からディハルトが礼服のまま抜け出していくのが見えたけど、あいつまたイオタ嬢との顔合わせすっぽかしたのか」

「しかたありません。ディハルトさまからすれば、わたしは望まずして押しつけられた婚約者ですから」


 軽く肩をすくめてそういうイオタへ、ルーシャスは心持ち声をひそめて問いかける。


「ガラス細工の美少女を愛でるばかりの男と結婚して、イオタ嬢は本当にしあわせになれるのかい?」

「わたしはべつに、ディハルトさまから真の愛を得ることにはこだわっていません。辺境伯閣下はすばらしいかたですし、マッケインやモニカもわたしにとてもよくしてくれます。このハルブラート家へ嫁ぐことは、いまのわたしにとって最善の選択だと心から信じていますから。夫婦の愛ひとつが欠けているていど、そこまで大きな問題にはならないでしょう」

「……その割り切り、見習いたいな。ディハルトにはできすぎの嫁だよ、あなたは」

「ルーシャスさままでモニカと同じことおっしゃるんですね」


 くすりと笑ったイオタだったが、ルーシャスのほうは存外真面目な顔だ。


「屋敷中のだれもが、最近は兄までこんなこと言いだしてるよ。『ディハルトを勘当して継承権を剥奪すべきだろうか……あれにイオタ嬢はもったいない』って」

「辺境伯閣下とディハルトさまは、きちんとお話し合いをなさっているのですか?」

「もちろん。ディハルトがトゥーノ嬢のところへ上がり込むたんびにお説教してるよ。後がないって気づいてないのは、ディハルト自身だけさ」

「わたしは……ハルブラート家の発展に必要なだけの子を授かることさえできれば、ディハルトさまがトゥーノさまとの愛を選んでもかまわないと思っています。おふたりの仲は長いのでしょう? 割り込んで、ディハルトさまを奪い取ろうという考えはありません」


 これまでだれにも話していなかった浮気公認の考えを、ついにイオタは口にした。ルーシャスは器用にも左の眉だけを吊り上げる。


「その話、ディハルトにはしてないだろうね?」

「するつもりでいるのですが、ディハルトさまは会ってくださらないので」

「……なるほど。兄にはおれから伝えておく。イオタ嬢、いまの話は他言無用だよ」

「辺境伯閣下から縁談の申し入れをいただいたときから、ずっと考えていたことだったんです。いま、ルーシャスさまにはじめてお話ししました」

「それなら結構。つぎにあなたが当家へお越しになるまでには、はっきりけじめをつけられるようにしておく」


 貴族どうしの婚約期間というのは、国内外各勢力への周知期間でもある。そのあいだは月に一度顔合わせをするていどで、当人たちが好き勝手に逢引したりはできないものだ。


 ディハルトはもしかすると廃嫡されるかもしれない……気の毒なような、トゥーノとの愛を貫けるだろうから、自分との意に沿わぬ結婚よりはディハルト自身にとっても良いことのような、イオタは複雑な思いを抱えながら、辺境伯差し回しの馬車で男爵家へと帰った。


 ……しかし、現辺境伯リオナルは六人の子に恵まれてはいるものの、ディハルト以外は全員娘だ。五人の娘のうち、最年少のアルマ以外はもう嫁いでいる。ディハルトを廃嫡して、イオタはだれと結婚することになるのだろうか?

 辺境伯夫人ヴィルジニアは四年ほど前に亡くなっているが……ぶっちゃけると、直接会ったのことのないディハルトより、当主リオナルのほうにイオタとしては親近感を抱いているのはたしかだったが。


    +++++


 事件は、つぎの月にイオタが辺境伯邸を訪問する予定日の前に起こった。


 ハルブラート辺境伯領をふくむ、王国西部の防護結界がほころびて、モンスターが流入してきたのだ。


 大怪嘯(スタンピード)など100年ぶり、この世界にモンスターが存在しているだなんてことを、ほとんどの人々はおとぎ話としか認識していない。


 たちまち大混乱になった。


 逃げ惑う人々を、緑毛鬼(トロール)が、地獄の猟犬(ヘルハウンド)が、奈落の大蛇(アビスナーガ)が追い立てる。家々はつぎつぎ炎に包まれ、田畑の緑は瘴気でたちまち枯れ腐っていった。


 有事に備えてこの地に所領を与えられていた騎士たちとその郎党は、いちおう訓練どおりに集結し、整列したものの、どうすればいいのかわからず混乱していた。


 ……そこへ。


「武具はある! 装備を整え、民を守るのだ!」


 王国旗を掲げながら騎士たちへ声を張ったのは、貧乏男爵、イオタの父であった。平和に()れた騎士たちが剣や鎧を納屋で錆びるに任せていたのに対し、男爵はきちんと使用人総出で一個連隊分の武器防具を磨かせ、油を注して維持していたのだ。ゆえに貧乏だったのである。


「男爵……!」

「兵士用の剣と槍と盾に鎧、立派な騎士の具足一式ではござらんがな」

「いえ、恥を忍んでお借りいたす」

「総員急げ、全速装着!」

「住民の避難まで時間を稼げばいい。横隊展開、防御態勢!」


 見た目こそ徴集兵の隊列だったが、中身は誇り高き騎士の末裔たち、はじめて見る魔物どもにも臆することなく立ち向かい、剣槍の壁を築いて住民たちの避難を支援することができた。


 ……とはいえ、防いでばかりでなく、魔物どもを退治しないと、問題の解決にはならない。


 人馬の壁で押し寄せる魔物どもを足止めするのが精一杯だった男爵と騎士たちのもとへ、ハルブラート辺境伯の屋敷のほうから、100騎ほどの騎馬隊が駆けつけてきた。


 辺境伯リオナルは避難民の受け入れと防御陣構築のために後方で指揮を執っており、前線まで馳せ参じてきたのは、辺境伯の弟ルーシャスと次期辺境伯ディハルトに率いられた部隊であった。


「男爵のおかげで、住民全員の退避を完了させることができました。すばらしい采配だ。こたびの働き、かならずや兄リオナルより国王陛下へ言上つかまつり、しかるべき褒章がくだされるでしょう」

「なんの、これがお務めですからな」

「ほころびた防護結界は現在修復中とのこと。いま目につく魔物どもを倒せば、あらたな侵入はないはず」


 合流したルーシャスは防衛部隊の中から騎馬を抽出し、200ほどに戦力を増強した。男爵にはこのまま戦線を維持してもらって、機動性のある打撃部隊でモンスターを掃討していく作戦だ。


「それでは、ゆくぞものど……イオタ嬢!?」


 再編された騎馬隊へ号令をかけようとしたところで、ルーシャスはあんぐりと口を開けることになった。

 騎士の中に、男爵の娘イオタがなに食わぬ顔で混ざっていたのだ。


「わたしは丈夫さだけが取り柄ですから」

「いや……さすがにそういうわけには」

「ご案じめさるな。娘はこれで馬の扱いがわしより巧い」


 男爵は愛娘へ全幅の信頼をおいている眼でそう言い、どうやら止めても無駄らしいと、ルーシャスも腹をくくった。


 いっぽう、ディハルトもおどろいていたが、その理由は、女性が戦列に加わっていたからではない。


「あなたが……イオタ嬢……?」

「はい。ディハルトさまですね、お初にお目にかかります。いちおう、あなたの婚約者ということになっているイオタです」


 金属甲冑は女性には重たすぎるからだろう、兜を被らず、驃騎兵用の革の胴巻きを身に着けているイオタは、目の醒めるような美少女であった。癖のない銀髪を一本に束ね、精彩ある蒼い眼を輝かせているその(かお)は、男装の麗人というには可憐すぎる。


 風邪ひとつひいたためしのない、頑丈さだけが取り柄の女……という風聞を信じていたディハルトは、これまで顔合わせを避けつづけていた婚約者がたぐいまれな秀麗さであることに衝撃を受けていたが、もちろんいまはそれどころではない。


「全隊前進、右翼から巻いていけ!」


 ルーシャスの指揮一下、騎馬隊は魔物どもへ討ちかかり、緑毛鬼(トロール)の首を斬り落として口の中に熟成しすぎのワイン酢(トロールは火で灼き尽くすか酸に浸さない限り再生する)を流し込み、地獄の猟犬(ヘルハウンド)が吐く毒煙を避けて遠くから矢を射こんで斃し、奈落の大蛇(アビスナーガ)に槍を投げつけまくってできそこないのハリネズミに変える。


 一対一ではとうてい倒すことのできないモンスターたちだが、とくに連携意識を持っているわけではない。ルーシャスの的確な指揮で多対一の状況に持ち込んだ混成騎馬隊によって、つぎつぎと討ち果たされていった。


「……これなら、どうにかなりそうか」


 と、ルーシャスがひと息ついたところで。


 丘の向こうに、すさまじく巨大な魔物の影がよぎった。


「な……なんだいまの?」

「……でっかい腕?」

「20メートルくらいなかったか……?」


 騎士たちはお互いに語を投げかけ合い、なにかの見間違いではなかったのかと、仲間に自分の発言の否定を求める。


 その希望もむなしく、規格外の怪物が姿を現した。


 まず見えたのは、巨大な複数の頭。つづいて、それ以上の数の腕。


百手魔人(ヘカトンケイル)……!!」


 実体化した災厄の正体を知っていたのは、イオタだった。


 名前が知れても知れなくても、普通の人間の力でどうにかなる相手でないことはルーシャスにもわかる。


「……後退だ。男爵の部隊にも退却の伝令を出せ。兄のところへ行って、戦術魔道士(ウォーメイジ)の派遣を要請する緊急思念感応(テレリンク)を王都へ発信するよう伝えろ。時間がかかるようなら、避難民をさらに後方へ退避させるんだ」

『はッ!』


 三騎ひと組の伝令隊が、男爵が守る後方戦線と、辺境伯リオナルが総指揮を執っている本営へ向けそれぞれ走る。ルーシャスは退却する男爵の歩兵部隊を支援するとともに避難民が詰めかけている辺境伯邸方面へ魔物どもが殺到してこないよう、騎馬隊をふたつにわけて、残敵を迎撃しつつの後退を命じた。


「雑魚の数はもうすくない。かならず数的有利を維持しながら戦え。殲滅には拘るな、多少討ち漏らしても、本営はすでに防衛陣を敷いている」

『了解』


 問題は、あのデカブツが一直線に本営方向へ侵攻していった場合だが……百手魔人(ヘカトンケイル)を視程の限界に収めながら、ルーシャスは冷静な顔の下に焦燥を押し隠していた。最悪の場合は、騎馬隊全員の犠牲を払ってでも足止めしなければならない。


 騎馬隊はじょじょに退がりながらも魔物を発見しては追討にかかり、緑毛鬼(トロール)の、地獄の猟犬(ヘルハウンド)の、奈落の大蛇(アビスナーガ)の断末魔が断続的に響いたが、百手魔人(ヘカトンケイル)の様子に変化はない。モンスターどものボスとして、統率しているわけではなさそうだ。


 のんびりと一歩ずつ、しかし巨体であるため人間の小走りより速いスピードで、辺境伯邸があるほうへと進んでいく。


「このペースだと、半日ほどで本営までたどり着いてしまいますな」


 辺境伯弟の近侍として、当主リオナルの命を受け騎馬隊に加わっているマッケインが、魔人の歩みを遠望してそう言った。


「王都の連中にまともな判断力があれば、三時間で戦術魔道士(ウォーメイジ)中隊が転移してくるはずだ。そのために高い金銭(カネ)を払って瞬間転移陣(シフトアウトサークル)を維持しているのだからな」

「王都の術士たちは総出で防護結界の補修にあたっているでしょう。転送魔法陣への魔力注入にどのていどかかるか」

「辺境に魔法戦力の保有を認めない、中央の方針がどうかしてるんだ。……この大怪嘯(スタンピード)をしのいだら、中央に乗り込んで改革をしなければ」


 ルーシャスは辺境防衛を軽視する中央政府の方針を批判したが、事後策について気を回すのは、まだ時期尚早だったようだ。


 百手魔人(ヘカトンケイル)がにわかに足の運びを早め、速歩(トロット)から駈歩(キャンター)ほどのスピードになった。まっすぐに辺境伯の屋敷へ向かっていく方位ではないが……。


「……トゥーノ!」


 叫んだのは、ルーシャスの本隊から分派され、散らばっている魔物を掃討する別働隊を指揮していたディハルトだった。百手魔人は、トゥーノがいる子爵の邸宅があるほうへと進んでいく。病弱な子爵令嬢は、はたして避難しているだろうか。


 顔にありありと不安と焦りを浮かべたディハルトへ、イオタが声をかける。


「行ってください、ディハルトさま。トゥーノさまがまだお屋敷にいらっしゃるなら、避難させて」

「イオタ嬢……すまない」


 感謝の視線を投げかけ、ディハルトは子爵邸目指して馬脚をあおった。イオタは、百手魔人(ヘカトンケイル)の注意を引くため、単騎で前に出る。


 巨躯の魔人は近寄ってくる騎馬のことなど目に入っていないようだったが、イオタが馬上から射かけた矢が50の頭のひとつに突き刺さると、さすがに怒りの声を発した。


『ぐぉぉぉぉぉおおおーーーー!!!』


 多数の口から一斉にあがった咆哮が、大音声で田野を揺るがす。イオタは子爵邸から離れる方向へ怪物を誘導しようと、馬を走らせた。

 百手魔人は足を止めたが、イオタを追いかけようとはしない。巨体をかがめると、百本の腕のひとつが岩をつかみ上げた。


 投石機(カタパルト)以上の速度で、大岩が宙を飛ぶ。イオタは手綱を振って馬を御し、岩を躱したが、百手魔人は住民が避難して無人になっている村落の石垣へと近寄っていった。人間ならふたりがかりで抱えなければならない積石も、魔人にとってはちょうどいいサイズの石つぶてだ。


 百手魔人(ヘカトンケイル)がつぎつぎと石を投げはじめた。イオタは巧みな馬さばきで最初の数弾を避けたが、50の頭と100の腕を持つ魔人は石を投じたさきから弾道修正をかけて、イオタの回避コースを潰していく。

 ほんの0.1秒ほどの間隔で投げられた4発の石弾が、イオタの馬が切り返せる方位をすべてふさぐ軌道で飛んでいった。5発目が、正確にイオタの現在位置を狙って迫る。どう動いても、動かなくても直撃は免れえない。馬を盾にすれば一発だけは防げるが……。


 イオタは乗騎をかばって、馬の首を抱きかかえた。その、無謀だが優しい少女の行動に、運命の女神(モイライ)は正しく報いる。


 ……3秒たっても痛みや衝撃がもたらされないのでイオタが顔を上げたとき、百手魔人の投じた数多の石弾はすべて空中で砕かれ、粉塵に変わっていた。


 そればかりか。


『ぐぎゃああぁぁああ〜〜〜!!?』


 頭のひとつを撃砕されて、百手魔人(ヘカトンケイル)が苦鳴にのたうつ。さらに魔人の頭がふたつ、みっつ、熟れすぎたトマトのように弾け、頭部を庇うために動いた百本の腕もつぎつぎと肘を、上膊を、下膊を砕かれ、空中に青紫の血を噴き上げながら大地に骨と肉片を撒き散らした。


 神話の怪物を激痛と苦悶のふちに追い込んだのは——


 ディハルトが駆けつけて行ったほう、子爵邸の庭先に、筋骨隆々たる巨体がうっそりと立っていた。頭はひとつ、手足は二本ずつで、おおむね人間のシルエットだったが、常人の体躯ではない。


 巨人が、ピン、と親指を弾くと、数瞬後に百手魔人の頭がまたひとつ、あるいは腕がまた一本砕け散った。指の力だけで飛ばされた空気の弾丸が、怪物の肉体を抉り取っているのだ。イオタを襲った岩石を全部粉砕したのも、この指弾だろう。


 どう見てもモンスター……しかし、巨人は人類側の味方らしい。


 子爵邸の門扉のわきで、ディハルトが地べたに座り込んでいるのがイオタの目に留まった。トゥーノを救出しようとしたところで、巨人と鉢合わせして腰が抜けたようだ。


 とすると。もしかして……。


「トゥーノさま?」


 イオタがつぶやいたのと同時に、巨人が動いた。すさまじい脚力で瞬く間に数百メートルの距離を詰め、百手魔人(ヘカトンケイル)の眼前に立つ。

 身長20メートルほどもある百手魔人に比べると、巨人はおどろくほど小さく見えた。3メートルくらいだろうか? しかし、その出力(パワー)が段違いであることはだれの目にも明白であった。もちろん、当の百手魔人にとっても。


『はわわわわ……うわわぁぁああああーーー!!』


 10ほどに減った頭から漏らす自暴自棄の絶叫とともに、百手魔人が残っていた20本ほどの腕で巨人へ殴りかかる。


 筋肉巨人は左腕のひと振りで20の拳すべてを粉砕すると、地面を蹴って百手魔人の胸の高さまで跳んだ。


 右の正拳突き一閃。


 百手魔人(ヘカトンケイル)の心臓が破裂し、ちょっとした地震を引き起こしながら20メートルの巨体が大地へ倒れた。


    +++++


「……はい、わたくしは獄冥界デモニック・アビサル・プレーンを統べる神のひと柱、オルクスの血を()いています。遠き祖先の形質が強く現れたため、地上の清浄な空気が身体に合わず、ずっと床に臥せっていたのです」


 100%中の100%スーパーバルクアップモードから20%ほど(通常モード)にチカラを押さえ込んだ姿になって、トゥーノは辺境伯リオナルたちを前にみずからの出自の秘密を明かした。

 いまにも消えてしまいそうな、はかなげな雰囲気はもうどこにもない。バキバキムキムキミチミチでも、美人は美人であったが。


「防護結界が破れて瘴気が流れ込んできたことで、身体の調子が良くなったというわけか」


 リオナルがそう言うと、トゥーノはうなずく。


「ええ、おかげさまで。魔神の血が活性化しましたから、今後はいちいち瘴気を吸い込まなくても平気です。防護結界をわざわざ緩めたりしていただく必要はございませんわ」

「それなら、王都の連中にうるさいことは言わせん。わが辺境伯領の住民として、子爵令嬢として、あなたが有するすべての権利を私が保証する」

「ありがとうございます、閣下」


 魔物の血を曳く娘を迷わず住民として受け入れる度量をしめした辺境伯に、トゥーノは感動の涙を光らせながら頭を下げた。


「トゥーノさま、すばらしい肉体美です。……そうだ、ディハルトさま、わたしとの婚約を解消しましょう! ハルブラート家の花嫁には、トゥーノさまこそがふさわしいじゃありませんか!!」


 いきなりそんなことを言いはじめたのは、イオタだった。豹変した幼なじみのガチムチボディに、ディハルトが引きつった顔でいることには気づいていない。


「ああ、いいんじゃないか。無理やり決められた婚約者より、初恋の仲の幼なじみどうしのほうが」


 と、ルーシャスも賛成意見を表明し、


「ふむ……トゥーノ嬢の健康問題も解決したわけだしな」


 そういって、リオナルも納得の表情を浮かべた。


「え……いや、自分は、このままイオタ嬢と結婚することに異存ありませんが」


 折れそうなたおやかさから健康的すぎるフルマッチョになってしまった幼なじみより、正統派の美少女だった婚約者に心が移っていたディハルトは、いまさら都合のいいことをほざき出した。


 トゥーノのほうは、ディハルトの性根とは関係なく、イオタの立場をおもんぱかって気づかわしげな声をあげる。


「そんな。いまさら、わたくしがディハルトさまと結婚だなんて。もちろん、わたくしはディハルトさまのことをお慕いしておりますが……イオタさまはどうなさるのですか?」


 それに対して、心配無用と答えたのはルーシャスだった。


「イオタ嬢は、おれが責任持ってしあわせにする。百手魔人(ヘカトンケイル)相手に犠牲が出なかったのはトゥーノ嬢のおかげだけど、大怪嘯(スタンピード)をあざやかに鎮圧したおれの手腕もなかなかだったろう? イオタ嬢を娶るのに恥ずかしくない爵位はもらえるはずだ」

「ルーシャスさまが……それでしたら、イオタさまがふしあわせになるようなことはございませんわね。もし、辺境伯閣下がお許しくださるなら……わたくしは、ディハルトさまと一緒になりたい」


 見た目はバキムチだが心は乙女、もじもじとそういったトゥーノへ、リオナルは満面の笑みでうなずいた。


「そうか、ではうちのドラ息子はトゥーノ嬢にお願いしよう。イオタ嬢、わが愚弟が連れ合いとなることに、ご不満はないだろうか?」

「ルーシャスさまとわたしが結婚……? いいのでしょうか、ルーシャスさまには国中の大貴族のお嬢さまがたが恋い焦がれているでしょうに」


 社交界でのルーシャスの遍歴を噂で聞いていたイオタは遠慮がちだったが、当の色男ははっきりとイオタの眼を見つめながら口を開く。


「おれはずっと、イオタ嬢が欲しかった。甥の婚約者を略奪ってわけにはいかないから、なにか機会がないかと待ちつづけていたが……思わぬ形で問題が解決したし、おれ自身も部屋住みの身から卒業できる」


 そこまで言って、ルーシャスは椅子から一度立つと、イオタの前にひざまずき、左手を胸に、右手を差し出して告白する。


「イオタ嬢、どうか、このおれと結婚してください」

「うれしいです、ルーシャスさま。……あ、まだキスはだめですよ。正式にディハルトさまとの婚約を解消して、あらためてルーシャスさまと婚約するのがさきです」


 ルーシャスの手を握ったイオタは、顔を寄せてきた美丈夫を躱して、ものごとの順序を守るよう諭した。


「しっかりしてるな、イオタ嬢は。そこが好きになったんだけど」


 と、ルーシャスは完全に惚気た口調でそう言うと、イオタを優しくも力強く抱き寄せる。


 100年ぶりの大怪嘯(スタンピード)を切り抜けた辺境伯の屋敷は、ふた組のあらたなカップルの誕生を祝うしあわせな空気に包まれた。


「え……あの……ちょっと……?」


 ひとり戸惑う、ディハルトをよそに。


    ・・・・・


 中央の増援抜き、独力で大怪嘯(スタンピード)を鎮圧したハルブラート辺境伯リオナルは王都で大いに顕彰され、見事な指揮で領民を守りきった辺境伯弟ルーシャスには、新伯爵としてハルブラート領に隣接する土地が与えられることになった。また、長くつづいた平和のあいだも辺境防衛の義務を忘れず、武器防具の維持を怠っていなかったイオタの父は、子爵への陞爵(しょうしゃく)と年間御用金加増によってその労が報われた。


 新伯爵ルーシャスとイオタの婚約はすぐに公表され、すくなくない数の中央貴族婦人が卒倒したらしいが、ルーシャスはもう中央に仕事以外の用件でとどまる気をなくしており、ふたりの仲に割って入るような女性が現れる懸念はなかった。


 次期辺境伯のあらたな婚約者となったトゥーノは、とてもしあわせそうだった。ディハルトはしばらくのあいだ顔を引きつらせていたが、トゥーノのしとやかな性格が変わったわけではないので、じょじょに慣れていったらしい。

 正式に結婚したディハルトとトゥーノの夫妻は、それはそれは頑健な、六人の子宝に恵まれることになる。


 ルーシャスとイオタもしあわせな家庭を築き、ふたりの息子とふたりの娘を授かった。家族と領民を守るため、ルーシャスは中央政府と粘り強く交渉し、大怪嘯(スタンピード)対策の魔法戦力保有を認めさせた。

 血筋のゆえか、トゥーノの娘のひとりが非常に強力な戦術魔道士(ウォーメイジ)として名を上げることになる。


 辺土にあるハルブラート辺境伯領は、以降もしばしば大怪嘯に見舞われたが、大きな被害を受けることはなく、王国の西の防衛線としてその務めを守り、末永く栄えたと伝えられている。



    めでたし、めでたし


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― 新着の感想 ―
100%って何が?って思ってたら、斬新な超展開w シンジツノアイで結ばれて良かったね。 ガチムキになっても美人なトゥーノが、どうやっても世紀末覇王に出てくる劇画タッチの美女しか想像できないですww…
そうはならんやろ(真顔 ハッピーエンドよかった! よかった!
トゥーノに体が凄く柔らかい姉がいるに違いない(断言
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