第九話 約束
翌朝、僕はいつもの時間に目を覚ました。
いつの間に眠っていたのだろう……?
父との夕食後、僕は勉強をするという名目で自室に戻り、勉強をする気にもなれず、ベッドの上でぐうたらしていたところまでは覚えているのだが……?
「とりあえず、シャワー浴びるか」
昨晩、入りそびれたお風呂に入るべく、僕はベッドから体を起こした。
シャワーを浴びて、自室に戻って制服に着替えて、リビングに行くと、父はもう出勤した後のようだった。
『ハルへ。寝る時は部屋の電気を消すこと』
机には、メモ書きと朝食が置かれていた。
……罪悪感を胸に抱きつつ、僕は急いで朝食を食べた。お風呂に入ったせいで、時間が少し押していた。
「ごめん。遅くなった」
家を出ると、いつも通り、花蓮が家の前で待っていた。
「大丈夫」
「……ごめん」
「だから、大丈夫だって」
花蓮はうんざりしたように言った。
「……行くよ」
「うん」
僕達は最寄り駅へ向けて、歩き出した。
いつもなら、軽口の一つや二つ話しながら一緒に歩くのに、会話はない。
「ねえ、ハル」
「何?」
「……なんか声、ガラガラじゃない?」
どうやら一晩明けても、カラオケでの熱唱の影響が残っているようだ。
「もしかして風邪? またお腹出して寝たの?」
「……あーと」
「そっか。だから今日、少し家を出てくるのが遅かったのか」
花蓮は納得げだが、僕の声が枯れている理由は風邪が原因ではない。
素直に話すべきか否か。
「昨日ちょっと……カラオケに行ったんだ」
……悩んだ結果、嘘をつきたくなくて、僕は素直に白状することにした。
「……響さんと行ったんだ」
「え?」
「響さんと行ったんでしょ?」
どうしてわかった……と、僕は目を丸くした。
「……鼻の下伸ばしちゃってさ」
「別に僕は、鼻の下なんて伸ばしちゃいないよ」
「じゃあ、なんで昨日、学校を休んだはずの響さんとカラオケに行ってんのよ」
花蓮の口調がどんどん荒くなっていく。
彼女がここまで語気を荒げる理由に心当たりはない。
それに、どうしてこんな責められるような言い方をされなければならないのか、と不満も募った。
「別に、僕の勝手だろ」
僕が花蓮に反抗的な言葉を吐いた原因は、それらが要因だった。
「……そうだね。あんたのことだもんね。あんたの好きにすればいいさ」
「そうさせてもらうよ」
それ以降、僕達の間に会話はなくなった。
完全な喧嘩である。
……そういえば、こうして花蓮と喧嘩をすることも、随分と久しい気もする。
学校に到着すると、響詩の机を囲むように、クラスメイト達が集っている。
クラスメイトの肉壁のせいで、本人の姿は見えないが……肉壁が出来ている時点で、彼女が登校していることは間違いないと思われた。
昨晩、一緒にカラオケに行って、多少打ち解けたからか……仕事で休むことなく、彼女が登校してきてくれたことに喜ぶ気持ちがあることに気が付いた。
……僕は首を横に振って、自分の席に腰を下ろした。
入学式から三日目ということもあり、今日も通常授業が行われなかった。
生徒会による新入生全体への説明や、学年集会などをしていく内に、一日が過ぎ去っていった。
「花蓮、帰ろう」
「悪いけどあたし、野球部の見学行ってくるから」
放課後、花蓮と一緒に帰宅しようとするも、素っ気ない態度を取られてしまった。
そういえば今朝、彼女と喧嘩していたことを……僕はすっかり忘れていた。
花蓮は昨日作ったらしい女友達と一緒に、野球部へと向かって行った。
僕は花蓮に置いて行かれたことにしばらく放心していたが、気を取り直して帰宅しようと思い直した。
途端、視界が真っ暗になった。
「だーれだ」
背後から声がした。響詩の声だ。
「馬鹿なことやめてくれない? 帰りたいんだけど」
「だーれだ」
「響詩」
「ぶぶー」
「合ってるでしょ?」
「わかってないね、ハル君。この場では、正解を言うことは、不正解なの」
「勝負に負けて試合に勝ったみたいな謎理論」
僕は未だ真っ暗な視界の中、ため息を吐いた。
「じゃあ、なんていうのが正解だったの」
「うーん。……とりあえず狼狽えるところからスタートだよね」
「君にも迷いが見られるんだけど……」
「で、狼狽えた後は、戸惑う。え? 視界暗い! 真っ暗だ! いきなり夜になった!? みたいな反応が欲しかった」
「……それで?」
「そこで初めて、あたしが『だーれだ』と言う」
「君も不正解踏んでるじゃないか」
「……それでハル君が、『き、君は……まさか!?』みたいな驚きの声をあげて、あたしの手を掴むの」
……ツッコミ疲れて思い出した。
この人、見た目は十五歳だけど、中身は三十路なんだよな。十五年タイムスリップしてきたらしいし。
「それでご対面して、二人で頬を染めてだね。……この話いる?」
「いらない」
「だよね」
響詩も正気に戻ったらしい。
「じゃあ、帰ろうか」
「……今日はまっすぐ家に帰るけど」
「いいよ。あたしも、実はこの後、仕事があるから」
「そうなんだ」
「うん。だから、駅までは一緒に……ね?」
「……変装はしてよね」
「勿論!」
響詩は鞄から昨日の眼鏡を取り出して装着した。
冷静に考えると、眼鏡だけだと全然変装出来てないよな。
僕達は学校を後にした。
「……昨日はありがとう」
帰路、僕は彼女にお礼を言った。
「中々刺激的で、とても楽しかったよ」
「お礼なんていいよ。あたしも楽しかったし」
「……お金は必ず返すから」
「あんまり気にしないで」
響詩が僕の隣で微笑んだ。
「それより、どう?」
「……」
「小説家になる決心はついた?」
響詩が声を発するのとほぼ同じタイミングで、僕達の学校の生徒グループが、僕達の隣を笑いながら駆け抜けていった。
響詩に気付くかもしれない。
一瞬、彼らに意識を取られて……響詩の言葉を聞き逃しかけた。
しばらくして、彼女の言葉を理解して、僕は俯いた。
そして同時に、彼女が昨日僕を連れ回した理由も理解した。
どうやら昨日のデートは、僕を小説家にさせるための後押しのために行われたものだったようだ。
僕は黙った。
昨日わざわざデートしてくれた彼女には悪いが……小説家になる決心がついたことなんて、ただの一度もなかったのだから。
でも、明確に気付いていることもある。
……小説家になりたい。
小説家を志したい。
医者ではなく……小説家を。
そんな気持ちが、日に日に肥大していっていることに。
誤魔化しが効かなくなっていることに。
でも、きっかけは響詩に小説家になるように勧められたからではない。
それよりも前から、僕はずっと……。
「わざわざごめん。でも、やっぱり僕は医者を目指すよ」
僕は自分の気持ちを嘘をついた。
「小説家は安定した仕事じゃないから?」
響詩に尋ねられた。
「それとも……確実になれる仕事ではないから?」
僕が、小説家を志さない理由。
「まあ、アイドル業に近くて、博打を打つような仕事だとは思うけど……」
……けど。
「違う。そうじゃない」
僕は言った。
「そんな……出来ない理由探しだけ熱心にしたわけじゃないんだ」
安定した仕事ではないから。
誰もがなれる仕事というわけではないから。
博打を打うような仕事で失敗した時のリスクが大きいから。
確かに一度は頭によぎったことではあるが……それは夢を諦める理由にはならない。
実際に確かめたわけでもなく、それらを理由に小説家になることを諦めたというのなら……それはもう夢とは呼べない。
「なら、なんで?」
「……」
「なんで君は、なりたいはずの小説家を諦めて、医者になることを志すの?」
……僕が医者を志す理由。
嫌いだった医者になりたいと思った理由。
嫌いだった父と同じ職業を目指す理由。
……それは。
「それは、約束したからだ」
「……亡くなられたお母さんと?」
「……違う」
……僕は首を横に振った。
「父さんと」
「……」
「僕は父さんに約束したんだ。父さんと同じ、医者になるって……」
日間ジャンル別六位ありがとうございます!
久しぶりの投稿で凄い辛いけど励みになります!
何故辛いかって、ストックがあるとすぐ投稿するからなんだけどな!
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