第七話 表現者
響詩に受付を任せて、僕はソファに腰かけて、店内をゆっくりと見回した。
最近の流行曲を大音量で流す店内には、ドリンクバーやソフトクリーム機が置かれていた。各部屋の扉にはすりガラスがあるが、室内にライトが灯っていないため、中の様子はうかがえそうもない。
時折、ジュースでも補充に行く人がいるのか、防音扉が開いた拍子に歌声がカウンターまで届いた。
「お待たせ、ハル君」
「あ、うん」
「三〇三号室みたい」
「あ、うん」
響詩に続いて、僕は店内を歩いた。
入り組んだ店内を散策して、三〇三号室を見つけた。
扉を開けると、やはりこの部屋もライトは灯っておらず、真っ暗闇の中にプロジェクターから投影される宣伝動画が連続で流されていた。
「あたし、この宣伝動画に出たことあるんだよ」
「へー、凄いね」
「……なんか反応薄くない?」
……反応が薄く見えるか。
それもそのはずだ。
冷静になって考えてみて気付いたのだ。
僕、カラオケに異性と入店した経験、これまで一度もなかった。
基本的に、僕の異性との交遊関係は花蓮が全てを担っている。そして、その花蓮もカラオケがあまり好きではないとくれば、この結果にも納得だ。
そんなわけで、僕は今、カラオケ店に異性と二人きりという状況にソワソワしていた。
「……ル君。ハル君っ!」
「わっ……何?」
「何、じゃないよ! 突然ボーっとして、どうしたの?」
……緊張のあまり、どうやら僕はしばらく放心状態になっていたようだ。
「な、なんでもないよ」
「本当? なんか怪しい」
「大丈夫大丈夫。本当だから」
「……とりあえず、飲み物取りに行く?」
「そ、そうだね」
受付でもらったグラスを持って、僕達は部屋を出た。
「んー。何飲もうかな」
受付そばのドリンクバー前で、響詩は迷っているようだった。
「僕はコーヒー」
「……うーん」
「そんなに悩む?」
「悩むよ、悩む。いやはや難儀な問題だね」
「……飲みたいものが複数あるなら、全部飲めばいいじゃん」
そのためのドリンクバーだろうに。
「ちっちっちっ。わかってないね、ハル君は」
うざ。
「最初の飲み物なんだから、ちゃんと考えないと」
「はあ」
「……コーラか、メロンソーダか、はたまたお茶か」
「何にするの?」
「メロンソーダでコンビニとかでは中々売ってないし、ドリンクバー限定みたいなとこあって、飲むとお得感を感じるよね」
「じゃあ、メロンソーダ?」
「うん。ここはコーラかな」
「コーラかい」
なんというか、つかみどころのない人だな。とても話しづらい。
響詩がコーラを注ぐ終わると、僕達は部屋に戻った。
「それじゃあとりあえず、あたし、歌おうかなー!」
響詩は機械を操作した。
ピピピと電子音をしばらく鳴らした後、宣伝動画を流していた画面が暗転した。
『水色の慟哭 アフタヌーン』
夏ごろの公園の動画をバックに、画面に曲名と歌手名が表示され、まもなく前奏も流れ始めた。
……ん?
「もしかしてこれ、君のアイドルグループの曲じゃあ」
「そう。あたしのカラオケ鉄板ソング」
……カラオケで自分のグループの曲を歌ってるの?
「この歌さ」
「え?」
「今日、君にどうしても聞いてほしかったんだ」
「……なんで?」
響詩は、答えをくれず、はにかんだ後、曲を歌い始めた。
歌詞を聞く限り、この歌は失恋ソングだった。
夏、長年の恋人と悲劇の別れを遂げたヒロインが、恋人との思い出を思い出しつつ、過去を懐かしみ、後悔し、喜び……慟哭を上げる、そんな曲。
ポップな曲調の割に、歌詞は随分とジットリしているな。
それが、この曲を聞いて真っ先に僕が抱いた感想だった。
……ただ、鉄板曲というだけあって……響詩はとても上手にこの曲を歌っているように見えた。
いや、違う。
上手、というだけではない。
時に微笑み。
時に眉をひそめ。
時に……苦悶の表情を浮かべて。
まるで……。
まるで、本当に恋人と別れを遂げたような……。
深い悲しみ、絶望を味わったような。
それでも、立ち直ろうと心を震わせるような……。
……心がざわついた気がした。
久しい感覚だ。
この感覚は……そう。
あのファンタジー小説と出会った時と、同じ気持ちだ。
僕の心は今、響詩の歌に奪われていた。
「……どうだった? ハル君」
歌が終わると、響詩が尋ねてきた。
「この曲ね。タイムスリップしてきた後、すぐに書いた曲なの」
「……え?」
「歌手の名義はあたしのグループ。で、作詞はあたしなんだ。この曲」
……そうだったんだ。
「君を想って書いたんだよ?」
「……」
「あたし達、恋人だったわけじゃないけどね? でも、真っ先に君にこの曲を聞いてほしかったの。あたしの生歌で」
……どうして。
どうして……そんなことを思ったのだろう?
「感想、聞かせてくれない?」
……今の響詩の顔は、笑顔ではなかった。
初めて見る真剣な眼差しだった。
感想は、上手く言葉に出来なかった。
どう言えば、この気持ちが伝わるのか。
どう伝えれば、この感情を表現出来るのだろうか。
「まあ、聞かなくてもわかるけどね」
響詩は真剣な眼差しを解いて、微笑んだ。
「今の君の顔をあたしは知っている」
「……」
「他でもないあたしが、その顔をよくしていたから」
響詩は照れ臭そうに俯いた。
「ハル君。君はあたしにそっくりだ」
「……え?」
「あたし、最初は本当は歌手になりたかったの」
「そうなの?」
「うん。子供の頃、親がサブスク登録したことを機に、よく音楽を聴くようになったの。そしてあたしは、好きなアーティストに巡り合ったの」
「……そのグループの名前は?」
「言ってもわからないと思う。インディーズだったから」
響詩は過去を懐かしむように宙を仰いだ。
「……のめりこんだよ、そのグループの曲に。壮大な歌詞や、バラード気味の曲調に。作詞者の人生観に。全てに惹かれて、感動を覚えて、心を奪われて。そうして、思った……」
一体、何を……?
「あたしも、誰かの心を奪ってみたいって」
……背中に蕁麻疹が走った。
でも、不快ではなかった。
……同じだったから。
響詩の価値観と、僕の価値観が……同じだったから。
「今の君は、あの時のあたしと同じ顔をしている」
「……」
「ハル君。君はやっぱり、小説家になりなよ」
……。
「君は、表現者になるべき人間だよ」