第二話 蒙古斑
僕は頭の中で、響詩の言葉を反芻させた。
しかし、いくら反芻させても、彼女の言っている言葉の意味は理解出来そうもない。
だって、彼女の言葉をそのまま受け取るなら、彼女は未来からやってきたことになるじゃないか。
そんな超常現象、そう簡単に信じられるはずがない。
「とりあえず、場所変えない?」
響詩に色々と言ってやりたいことはあったが、文句を話す場所として、本屋は適した場所ではない。
「うん。いいよ」
「どこに行こうか?」
「とりあえず、ゆっくり出来る場所とかいいかも」
ゆっくり出来る場所……?
「今、変なこと考えたでしょ」
「考えてねえよ」
「むふふ。嘘なんてつかなくていいのに」
「……何を根拠に言ってるんだ、この女は」
「わかるんだよー」
「なんで」
「だって、未来から来たし」
……は?
「あ、今の未来人ジョークね」
「高度なジョークすぎて理解が追い付かないんだけど……未来ではそれが流行ってるの?」
「うん。あたしの中でだけ」
つまり流行ってないってことじゃないか。
呆れたため息を吐いた後、僕は彼女を連れて本屋を出た。
本当は彼女を連れて本屋を出たくなかったんだが、あのままお店に放置すると、お店の迷惑になると思って出来なかった。
彼女は本屋を出ることを提案した時、ゆっくり出来る場所に行きたいとリクエストをしてきたが、僕は彼女を駅のそばにある公園に案内した。
平日の昼間の公園は閑散としていた。
「うわー、ブランコがある! なっつかしー!」
公園に到着するや否や、響詩はブランコの方に走り出した。
「たかだかブランコにはしゃいで……」
呆れる僕のことなんて気にもせず、響詩はブランコを漕ぎ出した。
前後に揺れるブランコを見ている内に、僕は揺れているものがブランコだけではないことに気付いた。
ブランコを漕ぐため、足を振る度……響詩の短めのスカートがヒラヒラと揺れていたのだ。
「……そ、そんなにブランコが懐かしいのかい?」
響詩から目を逸らしながら、僕は声を震わせて尋ねた。なんとか彼女のブランコへの興味を削がねば。
「懐かしいよ。タイムスリップして以降、ブランコになんて乗ってなかったし!」
「まだタイムスリップとか言ってる……」
「まだもなにも、あたし、本当にタイムスリップしてきたんだよ?」
そういえば、そんな奇天烈な話をされたから、彼女をこの公園に案内してきたのだった。
「もしかして、まだ信じてくれてないの?」
ひたすらブランコを漕ぎながら、響詩が尋ねてきた。
「本屋からここに来るまでの一連の会話で、タイムスリップの話を信じられる要素があったかい?」
「あはは。一切なかったね!」
……わかってるじゃないか。
「えー、じゃあどうしたらあたしがタイムスリップしたって信じてくれるの?」
「……ちょっと冷静に考えてほしいんだけどさ」
「何をー?」
「初対面の人からいきなり、あたしタイムスリップしてきたんですって言われて、信じられると思う?」
「まあ、あたしも逆の立場なら、は? なんだこいつ人をおちょくるのもいい加減にしろって思う。でも、残念ながら全部本当の話なんだよねー!」
ブランコから、キーコーキーコーとやかましい音が鳴り響く。
……ここまで彼女と話している限り、彼女自身、如何に今の自分が荒唐無稽な話をしているかの自覚はあるらしい。
ただ、だったらせめてブランコからは降りてほしい。
彼女がどれくらい真剣に話しているか図りかねるし、何より目のやり場に困る。
今も煩悩に打ち勝ち、目を瞑っているのがやっとだった。
「ねー、ハル君?」
「いきなり下の名前……」
「前はずっとそう呼んでたんだよー?」
「……いつまでタイムスリップしてきたって設定で行く気だ」
「……うーん」
物憂げな顔をした後、響詩はブランコを漕ぐことを止めた。
「青井ハル君」
「……急に何?」
「誕生日は五月十一日。血液型はAB型。好きな食べ物は牛タン。嫌いな食べ物はハマグリ」
僕は目を丸くした。
響詩が唐突に言い出した内容は、初対面の相手が知るはずもない僕のプロフィールだった。
「特技は勉強。お父さんの職業は外科医」
どうして、そんなことまで……?
「どう、ハル君」
まさか……。
「少しは信じてくれる気になった?」
「まさか、花蓮から聞いたのか?」
「ちっがーう! 未来の君から聞いたの!」
響詩は怒った。
しかし、怒りたいのはどちらかと言えば僕の方だ。
花蓮の奴、勝手に人の個人情報を教えやがって……。
……ここまで来ても、僕はまだ、響詩の言い分通り、彼女が未来からタイムスリップしてきたという話を信じることが出来なかった。
彼女が僕に対してただならぬ感情を抱いていることはなんとなくわかるが……本屋にいた僕を見つけることも。僕のプロフィールを知っていることも、未来からタイムスリップしてこなくても、頑張れば知ることが出来る程度の情報だ。
タイムスリップなんて非科学的な話を信じてほしいのなら、それこそそう……。
もっとディープな証拠を提示してもらわないと、とてもじゃないが認めることは出来ない。
怒りはしたものの……響詩も、その点は理解しているはずだ。
「……わかったよ」
「ようやく諦めてくれた?」
「……蒙古斑」
……ん?
「未来のハル君、言ってたよ」
「……何を」
「お尻の蒙古斑が消えないのが恥ずかしいんだって」
……蒙古斑とは、新生児のお尻に出る青いあざのことだ。
普通であれば十歳になる頃には消えるのだが……おおよそ三パーセントの人は、大人になっても青あざが消えずに残っているそうだ。
「ねえ、ハル君。君のお尻の蒙古斑、ちゃんと消えてる?」
……青あざが消えずに残っているそうだ、だなんて他人事な言い方をしたが、彼女の指摘通り、僕のお尻にはまだ青あざが残っていた。
「ハル君?」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………消えてるし」
「君は嘘をつく時、いっつも時計回りに目が泳ぐよねぇ」
「な、なんでそんなこと君が知っているのさ」
さっきまでとは状況が一変、僕は声を荒げて尋ねた。
僕のお尻の蒙古斑事情が彼女に筒抜けであることに、気が動転してしまった。
さすがに僕の蒙古斑事情なんて、花蓮だって知る由もないはず。
そして……僕と響詩は、今日が初対面という間柄。
当然、彼女に蒙古斑のことをカミングアウトした記憶もない。そもそも、初対面の相手にそんなカミングアウトをしたら、ただの変質者じゃないか。
……一応まだ、響詩が当てずっぽうで蒙古斑を言い当てた可能性もあるけれど、いくらなんでもさすがに……二ッチなトピックすぎるだろう。
となると……。
彼女は知っていたんだ。
僕の蒙古斑事情を。
一体、どこで……誰に聞いた……?
……考えられることは。
未来で、僕から直接……!
まさか彼女、本当に……?
「君、もしかして本当にタイムスリップを……?」
「ようやく信じてくれたか」
響詩は安心したように胸を撫でおろした。