第十一話 後悔
響詩にひとしきり、僕が医者を志すようになった理由を説明し終えて、僕は俯いた。
「ごめん。面白くもない話を長々と」
「大丈夫」
「でも、これで少しはわかってくれたかな。僕が医者を志す理由を」
父と約束をした以上、僕は医者を目指さなければならない。
他のことに興味関心を抱いて、現を抜かしている時間も惜しい。
父に喜んでもらうためには、小説家なんて……どうでもよかった。
「すごいね、ハル君は」
響詩は僕を称えてくれた。
「……お父さんのために医者を志す。その心意気は立派だと思う」
ただ、どうやら手放しに称えてくれているわけではなさそうだと、含みのある彼女の口振りから察した。
「でも、これで理解した。どうして未来の君が、医者になった後、あんなに寂しそうな顔をしていたのか」
……未来の僕が医者になった後、一体、どれ程寂しい顔をしていたのだろうか。
無論、未来の自分を知らない僕にはわかりようもないが……彼女の口振りから察するに、相当酷かったらしい。
「君が医者になりたいと志したのは、あくまで目標でしかなかったんだ。だから、実際に医者になった後は空虚となった」
「……」
「だから、あんなに寂しそうな顔をしていたんだね」
「ごめん。別に悪い話ではないと思う」
僕は反論した。
「だって……この世の中でやりたい仕事をしている人なんて、ほんの一部だよ。大体の人が皆、やりたくもない仕事を一生懸命やっているもんだよ」
「だから、やりたくもない仕事をすることが正しいの?」
「……正しい、正しくないを問いたいわけじゃない」
ただ少なくとも、世界には未来の僕と同じように、やりたくもない仕事をしている人で溢れている。僕が言いたいことはそれだけだ。
「……そうかもしれないね」
響詩は寂しそうに呟いた。
「でも、あたしは嫌だよ」
しかし、次の瞬間には真剣な眼差しを僕に向けていた。
「あたしは絶対に嫌」
「……まあ、君は既に、やりたいことを仕事にしているわけだしね」
「そうじゃない」
「……え?」
「あたしのことじゃない」
響詩が僕を指さした。
「あたしは……君がやりたいことを仕事に出来ないだなんて嫌。許せない」
「……なんで」
……声には出さなかったが、心の奥底で思った。
どうして君に指図されなきゃいけないんだ、と。
僕達の出会いは三日前。
関係だって、友達とギリギリ名乗れるかどうかという程度。
……そんな君に、どうして僕の未来を指図されないといけないんだ。
「好きだから」
……!
「他に理由なんていらないでしょ」
「……そんなこと」
「君と一緒だよ」
「……」
「君が……お父さんに笑っていてほしいと思った気持ちと同じだよ」
響詩は、ゆっくりと僕に近寄った。
「あたしも、君に笑っていてほしいの」
そして、僕を優しく抱きしめた。
……笑っていてほしい。
確かにそれは……僕が幼少期、父に抱いた感情と同じものだ。
一時でも父を嫌った過去の贖罪のため。
母を喪い、悲しみに暮れる父を喜ばせるため。
僕は、医者になることを志した。
……そんな僕の決意を袖にするような提案をする響詩に腹を立てることは、ある種の必然だった。
僕に小説家になれ、と迫ってくる響詩に……どうして君にそんなことを言われないといけないのかと思った。
……腑に落ちた。
彼女が今の僕と同じ感情を抱いているというのなら……。
どれだけ難しいことでも。
どれだけ嫌なことでも。
……どれだけ、相手に嫌われようとも。
相手に言葉を聞いてほしいと思うだろうさ。
「……裏切りたくないんだ」
僕は今の自らの心情を全て吐露する決心をした。
「医者になると宣言した手前、今更その宣言を引っ提げて、父さんを悲しませたくないんだ」
そうしないと響詩は自分の意思を曲げてくれないから。
「……もう、憔悴する父さんの姿を見たくないんだ」
強情になっている、今の僕のように。
「だから、僕は医者になるよ。将来、無事に医者になれた後、目標を失って抜け殻になったって構わない」
……自らの心情を吐露した後、しばらく羞恥が襲ってきた。
ただ、しばらく項垂れる内に気持ちは落ち着いてきた。
そして、今度は後悔の念が襲ってきた。
出会って三日の人間に、まさかここまで今の自分を気持ちを吐露することになるだなんて。
響詩は、僕の心情を聞いて、どんな反応を見せるだろう……?
嘲笑するように笑い飛ばすだろうか。
泣いて悲しんでくれるだろうか。
……それとも。
「……ハル君」
響詩は……。
「君は大人だね」
……優しく微笑んでいた。
「……誰かのために自分を犠牲にするって発想は中々出来るものじゃないよ。君はもっと自分を誇るべきだよ」
「……」
「あたし、嬉しかった。君があたしに、今の自分の気持ちを話してくれて」
「……はは。情けなかっただろ」
「そんなことないよ。今の君と同じような悩み事、普通、誰しもがするもんだし」
「……そんなこと」
「ある」
「何を根拠に」
「だってあたし、人生二周目だよ?」
響詩は僕の胸に顔を埋めたまま、苦笑した。
「これまで色んな人の相談を受けてきた。だから間違いないよ」
「……そっか」
「うん。でも君みたいにお父さんを第一優先に考えるみたいな発想な人は少なかった。だから、もっと誇っていいよ」
「……誇らないけどね」
「君らしいね」
微笑む響詩を見て、僕は未来の僕達は、一体どれだけ親密な関係だったのかと少し気になった。
「その上で一つアドバイスだけど……ハル君、このままなあなあで生きるのは良くないよ」
「……そんな、なあなあで生きているつもりは」
「でも、小説家になりたいって気持ち、どんどん大きくなっているんでしょ?」
「……ど、どうしてそれを」
「見てればわかるから」
響詩は続けた。
「……正直ね、わかるよ。ぶつかることが怖いことも、怖いことからなるべく逃げたい気持ちも」
……それも人生二周目だからだろうか。
「ぶつかって駄目なら、諦められるの。でも、ぶつからないとね? あの時、ぶつかっておけばよかったって後悔するんだ」
「……後悔」
「あたし、君にだけは後悔をしてほしくないの」
それは……過去の僕の寂しそうな顔を知っているから。
「だから。……だからさ」
「……?」
「お父さんに、小説家になりたい気持ち、ぶつけてみよう?」
「……え」
「そうすれば、どんな結果であれ、君は満足すると思うの」