Episode -01 拝命。
今回から新しく零所為Epsilonシリーズを作成していきます。
実際はある程度の話までは以前に公開した Loadedに沿ったような形となります。
いろいろつらい描写や厳しい描写があると思いますので、内容によってはブラウザバックを推奨します。
…「ねぇ..お母さん。」
まだ若く、背も小さい女の子がそっとつぶやく。
背中にフライパンを重ねて体を守ろうとする姿に対比して、無垢を色で示すかのような顔色だ。
「いつになったら..こんな生活を..」
服装はまさに可憐なワンピースであったが、どうも埃をかぶり..若干灰色に染まっているようだった。
「わからないよ。」
彼女が母と呼称する女性は、下手をすると彼女よりもやせ細っていた。
そして、二人がいる空間は様々な物が散らばっておりもはや物置の形相そのもの。
常に身を守るため、移動をしなくて済むためにいろんな物資をかき集めている。
あまりに暗く、そして躯を隠すように。
「..。」
少女が口から言語をつむごうとした瞬間に
—-ウォーン...
呻き声のような轟音が暗がりの世界に遍いた。
鳴らす人もろくにいないので、誰かが命を賭して鳴らしたみたいだ。
「今日も..!?」
彼女の母親はすぐさま彼女の声を遮って、そして少女とリュックを抱きしめ走り出した。
ドッタタタタッ。
抱えられる私に、階段の重力が微笑んでいるかのよう。
母親の腕の中で主張する骨の影が、私の瞳を隠す。
お母さんは..またこうやって抱え込んでる..私だってもう普通に動けるのに..。
そう少女は、母親の灰濡れの肌と汚れた服に挟まれながら目を覆わされる。
「みえないよっ..。」
すっかり朽ちてしまった壁を覗き込みながらも、一歩一歩を進めていく。
鳴り響く音の一部に、轟音がだんだんと含まれていく。
やがてその轟音は何か恐ろしい音へと変わり、尾も引かないままにただひたむきに彼女たちを
蝕もうと言わんばかりに。
「みえなくていいの!」
そんな声を少女に浴びせつつ。
さらに階段を下る。
どうも土のようなにおいを示しているような。
さらに深く、階段を下っていく。
「はぁ..っはぁ..っ!」
「ここなら..大丈夫..。」
母は少女を下ろした。
その場所はかなり下に掘り下げられた、いわば”防空壕”と呼ばれるような場所。
ただ、若干壁を固く作っておりよほどのものじゃなければ耐えられる形だ。
一方で、包丁や鍋といったものも落ちている。
そうやって武器を常に隠し持たないと危ないために。
『..本当はお父さんもお母さんも料理道具を武器として使いたくないって言ってましたね。いい道具なのに本来の用途と違う使い方をするのは心が痛むって。』
「おかあさん..ありがとう。」
「大丈夫よ。」
『ここは..お父さんが、最大限まで頑張って掘ってくれた。』
そして防空壕の端っこでうずくまる。
二人をがんじがらめにしたような場所で、ただひたすらに向き合って、ただひたすらに端っこにこもる。
もはや何にも音が鳴らない。
ただひたすらに空虚な音と土の世界、ただの無音が反響するのがただただ怖く。その対象にある地上がいったいどうなってるのかは彼女たちは知らない。
母は無言で、リュックからライターを取り出し、蝋燭に火をつける。
ほんのり部屋にあかりが満ちる。
「ごめんなさい..重かったと思います..。」
少女は何故かつぶやく。
「飽希ちゃんには生きてほしかったから..。耐えなきゃだめだから..二人で、明日も生きようね。」
そういう母親の体は少女よりもはるかに痩せている。
「..そうじゃなくてお母さんはずっとなんも食べてない..。私の分はわざわざ残してくれるのに..私はお母さんがおなか一杯食べてるのが見たいよ。」
ほんのりと涙ぐんだよう。
「いいの。あなたが生きてくれればそれで。」
そういう母親は必死にごまかそうと別の話をする。
「..そうだった。明日はカボチャが育って食べられる日だね。一杯取れると思うから明日は少しだけ贅沢ね?」
作り笑いのように半ば疲れで泣きそうな姿のなかでも、必死に体の骨を隠して笑う。
「そうでしたねっ」
『そうやってごまかすお母さんの姿を見てると少し悲しくなります...早くこの戦いが終われば..たらふくたべられるのに..。』
「そうだ、ラジオつけましょう。」
「わかりましたっ」
そうやって防空壕に備え付けられたラジオに手を伸ばして、その先にある情報を得ようとカチっと押す。
テレビやらインターネットの通信網は焼き切れた末に、碌に使えるものはもうそれしかないから。
「..ザー。 ...本日は..されました...。対象地域は..。
本松市..です...素早い..を..。」
「また..数日以内に..安..な遠隔地....避難を..。不審な..記録が...。」
ノイズ交じりに真実が無音にこだまする。
「本松..ここだ..。」
「どうしよう..。」
「避難..所と..して..。 子..のみ..解放..され...。送迎...宮....一丁目。 明日..。」
沈黙が広がる。
抗いようのない運命に、これからの危険。
『私にとっては吉報..お母さんと離れるのは悲しいけど..。でもすぐ帰ってこれると思うし..』
「..まさか行こうと思ってるの?」
お見通しだよと、手をこそっと重ねる。
「うん。」
沈黙がただ湿気として飽和する。そとの熱気をごまかすように。
ひたすら無音が続いていく。
破ったのは少女の主張だった。
「..私は行きます。それで、あなたが少しでもご飯を、のどに通せるなら。もっといっぱい食べられるなら。限られた資源を有効活用できるなら..。それがうれしいですから..。」
作り笑いだけで作られるコミュニケーション。
「..だめ。」
「安全っていうけど..ちょっと不安だよ。」
「避難所..確かに集団生活で安全だと思うけど..でもいやなうわさを聞いたことがあるの。」
「別の地域の子供が消えたって。」
「..確かに..聞きました..けどっ..。」
「どうして私を止めるんですか...このままじゃお母さんは..だめですっ。」
彼女の強情さが余計なほどに細く伝わっていく。
「..本当に..危ないから..。お父さんも言ってたでしょ..。危ないから、変な場所にはいかないほうがいいって..とどまったほうがいいって。」
少女は何にも言わない。
『..お母さんをたくさん悩ませて..私に最近はずっとご飯をあげてる..。』
意を決したように、少女はまた口を開く。
「大丈夫ですよ..。私は..中学生になったのですから。年齢的には..。 まだ入学式もやってないけど..でも一人で..」
「一人で..一人で、なんとか避難所でも頑張って生きていきます。きっとそう長くないから..大丈夫だから..っ。終わったら、また一緒に会いましょう..。少しの辛抱だと思うから..。」
「..あきちゃん。」
母はそれっきり何も言わない。
ただ無音が続いていく。誰として声に挙げることはなかった。
泣いていたわけでもなく、ただ苦しかったわけでもない。
ただ、時間がみんな惜しかった。
無音の地上で何が起きているのか、誰もわからない。この夜に、この暗がりに伏すしかなかった。
しばらくもすれば、ただ各々がすることをしていた。
気が付くと、防空壕に二人寄りかかりながら寝ていた。
蝋燭はとうに尽きて燃え滓だけが残っていた。
そして、ほんの少しばかり少女のワンピースの袖がぬれていた。
「..おはよう。」
珍しく母親はまだすやぁと寝ていた。ぎゅっと抱きしめるかのように。
「..あ、先をこされちゃった..。」
「おはよう。」
「準備は..できてるの?」
母がそういうと、少女は少しばかりリュックを覗く。
教科書や思い出の品が詰まっていた。
「できてますよ..。」
「そっか、寂しいね。」
「じゃあ、最後にカボチャを一緒に食べよう」
二人は手を繋いで、一段一段と階段を踏みしめて光へ向かう。
母と少女の背丈の差は半分ほど。年齢を考えると少女はやけに小さい。
「… ひどいこと。」
「…なんでなのですか..どうして全部…」
階段の先には世界を嘲笑うような朝日が空に浮かんでいた。
到底暗いなんていう雰囲氣ではないが、ただただ光が眩しい。
その青と赤がどうもその全てが地上の惨状を嘲笑うほどの、当てつけのように。
見渡した場所には、かぼちゃなんてものはなくて、あたりには瓦礫にコンクリ、形が崩れたアスファルトやらが散乱している。
昨日の一瞬で世界がリセットされたような、悪趣味なリセットを受けたような世界。
ただ何か嫌な匂いが心を刺し殺すように鳴いていた。
彼女たちが数時間前にいた場所はとうに瓦礫の山になって、最早何もかもが灰色に染まっていた。
二人は泣きながら、畑に目を向ける。
本来であれば図らずもおっきいカボチャが出来上がるはずが、それは最早燃えかすになってしまっていた。
「..うっ。」
母親は必死にカボチャを持ち上げようとするが、かすって落ちてしまった。
どさっ
最早どんな音かはわからないが、砕けた灰色がそこにあった。
母親は、ついに耐えられなくなって泣いてしまった。
「あきちゃん..ごめんね」
『この状態じゃ..お母さんも私もだめになっちゃう..。』
「ごめんなさい..。でも、許して。 生きるためには..。仕方がないからっ。」
少女は母親の瞳も顔も服も何も見ずに、ただひたすらに走り出した。
『..お母さんの姿を見てしまったら、もう戻ってしまうから..。そうだと.. 二人ともだめになっちゃう。 泣かないよ、泣かないから。』
少女は地面も何も見ずに、”場所”へと疾走する。
「…本当に..、数日前の街と全く違う。」
こんな残虐なことが、起きるなんて想像につかない。
そして少女は鼻すら噤んだ。
瓦礫から感じる焦げ鉄の匂いが、どうも“人間“を思い返してしまうから。
具体化してしまうから。
時折灰色の何かが視界に紛れ込んでくるが、進んでいく。
時折まだ誰かの声がするが必死に進んでいく。
目を向けてしまえば、きっともう進めなくなるから..。
「お母さんは..追ってこないと思うけども..。」
少し不安そうに、やっぱりもう少し話すべきだったと瞳を曇らせる。
歩いているとまた今度は、何かブーンという音がする。
ドローンだ。
『あれはまずい..ですっ..。見つかったら変なことになりますから..。』
はやる足を必死に押さえ込んで物陰へと隠れこむ。
何かをばら撒いているようにも、何かを探しているようにも見えた。
…時折壁の向こうに人影がかすんだり。そのどれもがただ苦しそうだった。苦しいだけじゃない、悲しそうだった。
そんな絶望の景色を瞳から遠ざけながらまた駆けていく。
「あっ..軍人さん」
「このバスに乗ってくれ。早くしないと発車しちまうよ。お嬢さん。」
「はいっ」
身分証を軽く見せて、バスに遁走するかの如く乗り込んだ。
『..また会えるはずだからっ。』
彼女は頭を抱えつつ、バスの座席に座る。
必死に正当化しているのだ。
バスはほんのり古びていたが、それでもあの空襲を受けたモノとは思えないほどに綺麗だ。
その新しさがなおも母親との別れの歪さを示しているようにも。
窓の先にはただ荒れた世界と瓦礫と青くなっていく空が見てとれた。
彼女の薄汚れたワンピースがそれに応えるように光を帯びる。
ああ、完全な朝だ。
最早時計もないがそれだけはわかると、少女は寂しさに目を背けた。
そんな瞬間にもどんどんと子供が乗っていく。
まるで、笛吹き男みたいなバスだ。
最後に周囲の確認を行った後に
「発車しまーす」
その違和感は、運転手の声と共に歩み出した。
がたんっ…ガタッ!
「うっ」
荒れきったがれきの上を軽快なステップが踏むようにエンジンが鳴る。
がれきをどんどんと越えて、ときにぐわんと体が上下に飛びそうなくらい。
そこで少女は窓に目を向ける
そこにはいくらかの子供が追いかけるかのように走ってるように見えた。
少女とその母が一時的に棄却したそれは、誰かにとっての希望だったのだ。
「...えっ..ちょっと..とめ..っ」
少女はこらえきれなくなって言葉を放つ。
しかしエンジン音はいまだ止まらない。それどころかさらに軽快さを増していく。
『降りるわけにもいかない..から..。』
少女は悲しげな顔をバスの前方の座席にうずめた。
こんな運命があってたまるかと、何か悲しくなった。
するとまた何かうめき声のような声が響き渡る。
『ま..またですかっ。』
前とは違う何かが、背筋に伝わっていく。
後ろに椅子があるのに、後ろに何かがあると思ったのに。
「トンネルに入ります。暗いのでお気をつけてください。」
運転手は少しだけ震えたような声で、おびえるように伝える。
そして彼女が顔を車内に戻す寸前に、トンネルに入る瞬間に、
不穏な音は脅威へと化けた。
『..!』
「伏せろ!」
『..まって...』
そうやって全員が避難訓練のように頭を必死に覆い隠す。
瞬間の色は誰にもわからない。
光芒が数多空を伝う。そして、それらは荒れに荒れた地表を穿つ。
一瞬にして光の束が赤く染まる。いや、赤よりもひどいもの。
その光が苛烈すぎて、後光でさえ目を奪ってしまう。
『..!』
「お母さんっっ..!!」
彼女は状況反射的に、沁みついたような感情を漏らす。
その声は、瞬間より遅い爆風に何もかも奪われてしまった。
奪われかけのような耳に、コツコツと石が当たる音がする。
石がまるでたった数秒前に奪われた命があなたを呪いつぶすように。
それに奪われ、バスがどんどんとガンガンとぶつかるように。
『..お母さん..お母さん..ああああああああ!!!』
悲鳴のように気が狂いそうになるように、脳内で曇った声が鳴る。
その爆風に吸い寄せられて、まるで消えてしまったんじゃないかっていうほどの声が。
『違う..違います..きっと生き延びてる..。』
いまだ不安定なバスの揺れに、一つまた声が聞こえるような。
「速度を上げます。お気を付けください。」
バス運転手の声だった。
その声は、さらに弱弱しいように感じた。
その言葉と一緒に遠のいた音が、モーターの無機的なソレの反芻に染まって、またどんどんと耳が聞こえるようになってきた。
その瞬間と同時に、車内は光に包まれた。
あれはたったの数十秒ほど。
その数十秒に記憶を思い返すことですら、重くてしかたがない。
それを知らんぷりするように、あたりには美しい自然が広がっていた。
『湖が..きれい..。』
だれとて、それに触れることはない。
だれも、触れたいと思わないから。
「次は..__ 呼ばれた人のみ降りてください。」
少しすると、いわば少年自然の家とかそういう感じの建物が見えた。
美しい自然が満ちたような、普段であれば楽しい場所なのに..。
「えー..。」
「町屋いつか,舟立よつぎ...」
そこで呼ばれた数人の中に私の名前はなかった。
みんな、何も言わずにただ降りて行った。
「お疲れ様だ。」
軍人さんはただそれだけを言って、また次の行先へと向かっていく。
その時間に気を取られていたらまた母親の安否がまた少女の脳内に散らばる。
『...お母さんは、大丈夫..。元気に私を待ってるはず..待ってる。待ってるから。生きてるからっ..!』
『..後ろに目を向けちゃダメ。前にお母さんはいるから..。』
その瞬間に気を取られていて、だんだんと周りの子供が減っていく。
気が付けば空は黄昏の油分を垂らしたような姿になっており、子供ももう5人ほどしかいない。
「次は...残ったすべての皆さんはお降りください。」
「到着、最後までご苦労だった。」
軍人さんがそういうと、扉を開けて外の空気がぶわっと車内に入ってくる。
『違う世界に来たみたい..。空気がきれい..昔みたいで。』
先にすすむはちょっとした少年やさらに一回り幼い女の子。
『 私もそろそろ出よう..。あっ、前に誰かが。』
前にいるのは妹に体を握られて、お兄ちゃんって言われてる青年。
「あっ...お先にどうぞ..」
足音が少しばかり車体に響く。それと同じように、一回一回誰かが乗るたびに少し揺れる。
気が付けば少女は最後に降り立つことになった。
「よっと」
そこには黄昏時を言語にするような、美しい世界が待っていた。
そして、たくさんの施設職員と、それに対応するようなちょっとばかりコンクリートっぽくも芸術的な感じの建物が。
少女の長髪に風がびゅぅと吹く。
すると少女は心の木枯らしのような風にまた何かを思い出す。
『..いまは歓迎されてるから..お母さんは生きてる。大丈夫。これで二人は一緒に生きられるから..。』
『でも、一つ願うならお母さんと一緒にこの風を浴びたい。冷たいけど、でも..。』
少女は少しばかり涙を垂らす。
そして、それを手で黙らせようと目を拭う。
出れば出るほどただひたむきに拭う。
『進まなきゃ.。』
少女は感情を抑え込んで、いよいよ職員の目の前に向かった。
そして、悲しみを口にする口で一語一語を紡ぐ。
「はじめまして、麗庶飽希っていいます。 これからお世話になります。よろしくお願いします..っ。」
そして、最後に作り笑いをした。
心配してほしくなかったから。
ご閲読ありがとうございました!