第10話‐②
「はっ…」
何かの気配を感じて葵は目を開けた。
あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。木々の隙間から空を見上げるとてっぺんに太陽が確認できた。
どうやら十分と言わず結構な時間寝ていたらしく、お昼は確実に過ぎている。
意外と寝てしまったなと後悔しながら葵は立ち上がった。
すると、先程よりも身体が軽く重いとは感じなくなっていた。
ただ、魔力の回復には全然足りないのか軽いだるさを感じるようで、さっきよりはマシだと思いながらも、先程感じた気配に集中する。
「………」
目を閉じ、三百六十度全ての方向に意識を集中させる。
葉と葉が擦れる音、鳥の羽ばたく音、虫の鳴き声、小鳥たちのさえずりなど森特有の色々な音が集中する葵の耳に届いてくる。
その中で、葵から見て後方、二つの気配を感じ取った。
それだけならいいのだが、その気配に嫌な気配も感じ取ってしまった。
「………」
目を開けた葵は何とも言えない表情になり眉間に皺が寄った。
気配だけなのでよく分からないが、二つの気配のうちどちらかの気配が明らかに弱い。一つの気配は強いのに、もう片方の気配が弱いのを考えると、どうやらその二つの生き物は闘っているのかもしれない。
葵はこれ以上ここにいると関わってしまうと思い、その場からいなくなろうと足を一歩踏み出した…その時ー
『グルルルルルルルルル』
「っ……」
後方から獣か何かの呻き声が聞こえてきた。
葵は一瞬躊躇ったが自分の性格は自分が一番よく分かっていた。この声を聞いてしまってはもう見て見ぬふりなどできないと。
威嚇するような呻き声ということは相手はまだ生きている。ただ、気配が弱いのでいつ死んでもおかしくはない。
葵は気配を消しつつ、静かに後ろに向きを変えた。
枝や草の踏む音を極力消しながら声のした方に近付いて行く。
そして、近付いて行くほどにその場の雰囲気ががらりと変わった。
一気に気温が下がり、日は陰り、紫黒色の瘴気が辺り一帯を包み込み、夜の様などんよりと濁ったその空気に葵は心当たりがあった。
クレイツと湖でアンデッドに出くわした時と雰囲気がとても似ていたのだ。ただ、洞窟に居るはずのアンデッドがなぜこんな森の中にいるのかという疑問もあり、この目で見るまでは確信が持てなかった。
だが、その不確定な考えもすぐに確信へと変わる。
濁った空気の中、木の陰から二つの影が見えた。
目を凝らしてよく見ると、ゴールデンレトリバーくらいの大きさのアンデッドがそこに佇んでいた。
禍々しい瘴気を漂わせながら所々肉が剥がれ落ち、骨すらもここから見える。それくらい大きい身体を持ったアンデッドが佇んでいた。
予感が当たってしまった。
いつもいつも当たってほしくない予感ばかりが当たるのはもはや葵の特技なのではないだろうか。
そして、ただでさえここにいるアンデッドに驚いているのに、もう一つの小さい影にも驚きを隠せないでいた。
大きいアンデッドの前に、怪我をしているであろう三つの色の模様を持つある生き物が横たわっていた。
その毛には痛々しい血痕が至る所に付着しており、考えなくてもその生き物の血なのだと分かる。
そんな、今にも死んでしまいそうな生き物にアンデッドは狙いを定めていた。
このままではあの小さい生き物が狙われてしまう。ここからだとその生き物が何なのかよく分からないが、子猫か子犬くらいの大きさに見えるので多分近付いても問題ないだろう。
葵は狙いを定めているアンデッドより先に動かなければ小さい生き物は確実に殺されるだろうと女の勘が働いた瞬間ー
ーザッッ
素早く木の陰から出た葵は小さい生き物に近付いて行った。
『ガルルルルルルルッ!!!」
それに気付いたアンデッドが葵を見るなり走ってくる。
それを視界に入れながらも葵は小さい生き物に近付き手を伸ばした。
「っ……来るな!!」
後ろに気配を感じた葵は瞬時に声を上げた。
その声に怯んだのかアンデッドの気配が一瞬止まった瞬間、葵は伸ばしていた手で小さい生き物を抱き上げた。
ふぅと安堵したのも束の間、後ろを振り返った葵目掛けて飛び掛かってくるアンデッドが視界に入った。
瞬時にアンデッドに向かって炎の魔法を放った。
『キャン!!』
今までのアンデッドより少し可愛く鳴いたアンデッドはその衝撃で後ろに突き飛ばされた。木に当たった衝撃で地面に倒れこんだアンデッドはピクリとも動かない。少しくらいは時間が取れそうだ。
この程度でアンデッドが死ぬ事はない。そもそもアンデッドを殲滅させるには葵の力が必要だ。それも特別な魔法が。今はそれを放ったわけではないしすぐに目が覚めてしまうと思うが、葵にとってその少しの時間が必要だった。
葵は自身の腕の中に抱えている小さい生き物に目を向けた。
そう。この怪我をしている小さい生き物に治癒魔法をかける時間が欲しいのだ。
『シャァァァ……』
とても威嚇をしている。
「……三毛猫?」
威嚇をしているその子を見ると、黒、茶、白色の三つの模様を持った三毛猫だった。猫か犬だったらいいなと思っていた葵は威嚇をされようが自然と頬が緩んだ。
だが、毛の至る所に血が付いていて、身体が震えているのを目にした時にはそんな表情も引き締まっていた。
葵は痛々しいその姿を悲しい表情で見つめながら仔猫に掌を当てた。
『っ……シャァァアアアア!!』
「っ……痛っ」
掌を仔猫に向かってかざした瞬間、その行動にびっくりした仔猫が葵の掌を容赦なくガブッと噛んできた。
それと同時に鋭い痛みが葵を襲い、葵の表情が苦痛に歪む。
仔猫だろうと歯の出揃っている状態で思いきり噛まれたら誰だって痛いだろう。
表情を歪めながらも、仔猫を安心させようと優しい声で仔猫をあやす。
「…大丈夫……大丈夫、大丈夫だよ……大丈夫だから…」
『シャァァァアアアア!!!』
葵は噛まれている掌を無理に引き剥がすことなく、抱えている方の手をなんとか動かして仔猫の身体を軽くトントンする。
威嚇をしている仔猫を何とか落ち着かせようと宥めようと、葵は一生懸命になる。
(……こんな怪我、怪我のうちにはいらない)
仔猫の方が痛いのだ。痛くて苦しい思いをしているのだ。
自分よりとても大きい相手に襲われてとても辛いに違いない。
こんな緊張状態で手を伸ばされたら誰だって反撃したくなるのは当然の事。
葵は震えながらも威嚇をしている仔猫を、噛まれ続けている事など気にせず優しく抱き締めた。
「…大丈夫、大丈夫だよ。痛かったよね、苦しかったよね…でももう大丈夫。あたし魔法が使えるんだ、だからその怪我治させてくれる?そしたらどこに行ってもいいから……傷だけ治させてほしいの…」
『シャァァァァァァ』
「お願い……傷付いている君をこのまま放っておくことがあたしにはできない」
『シャァァァ…』
葵は震える仔猫に伝わるように優しくゆっくりとした口調で話しかけた。
少しでも安心するように、少しでもこの思いが伝わるように葵は優しく仔猫を抱き締め続けた。
『シャァァァ……シャァァ……』
数分すると、腕の中に居る仔猫の威嚇の声が次第に途切れていく。
『……シャァァ……ミュゥ…』
そしてついに、威嚇から甘える声に変わっていった。
それを聞いて葵は恐る恐る仔猫を見た。
すると、先ほどまで噛んでいた葵の掌を必死に舐め始めた。葵の掌にはくっきり残った噛み跡と少しの血液。掌から垂れる血と噛み跡を一緒に舐めていた。
「ふふっありがとう」
どうやら葵の思いは伝わったようだ。
震えも威嚇ももうない。それどころか、自分で噛んだと理解しているのか必死に噛み跡を舐め続けている。
その必死さに葵の表情は緩み、今のうちに治療をしようと治癒魔法を発動した。
すると、たちまち黄緑色の光が仔猫を包み込み、仔猫の傷が塞がっていく。それを確認しながら葵は同時進行で少しでも仔猫の体力が戻るようにと自分の魔力を流し込んだ。
ただでさえ、魔力量が少ないのに躊躇うことなく自身の魔力をだ。
それをクレイツおじさんに見られた暁にはきっと説教と拳骨が待っているなとクスッと笑った。
(……これならもう…いつでも逃げられるよね)
数秒間、黄緑色の光は仔猫を包み込み続け、これくらいかなと葵が納得してようやく黄緑色の光は消えていき、光に包まれていた仔猫が露わになった。
先程まで血で濡れていた毛は綺麗さっぱり本来の色に戻り、痛々しかった傷も見事に消えていた。
少し、今の現象に驚いた仔猫が目をぱちくりしているが、それ以外におかしなところはもうどこにも見当たらなかった。
葵はほっと息を付き、こちらを見つめてくる仔猫に言った。
「…もう大丈夫だよ」
黒、茶、白色の三毛猫特有の毛の色が先ほどよりもはっきりと分かる。
葵は噛まれた方の腕と抱える腕を交換し、怪我をしていない手でその毛並みを優しく撫でた。
「っ……」
葵の目が見開かれていった。
葵は猫好きである。というか、もふもふしているものは大抵好きで、それが猫でも犬でもはたまたウサギでもなんでも大歓迎である。
「も、もふ…もふ…」
ぽつりと呟きながらも撫でる手は止まらない。頬が緩みっぱなしだ。
滑らかな手触りにもふもふ感じる柔らかい毛の感触。仔猫も撫でられて気持ちいいのか可愛い声を上げている。
『ミュウ!』
「あははは!くすぐったいよ」
『ミュウ!ミュウ!』
「可愛いなぁもう」
もふもふしていたら、気持ちよくなったのかそれとも元気になったのか、葵の肩に上ってきて頬を舐めてきた。それに感激しながら、頬が濡れてきたので仔猫を再度腕の中に戻した。
仔猫を見ると、腕の中で可愛い尻尾をゆらゆら揺らしながら葵を見つめていた。
こんなに動物とじゃれ合ったのはいつぶりだろうか。
こんな風に動物と関わることなど自分から控えていた身としてはとても新鮮だった。
普段の葵なら動物とさえ関わることをしないが今回は不可抗力だと己に言い聞かせながら、先程自分の魔力を仔猫に流した場面を思い返していた。




