第9話‐①
~遡る事数十時間前~
「……っ」
何かにびっくりしてぱちっと目が覚めた。
少し息が上がっている。何か悪い夢でも見たのだろうか。
よく覚えていない頭を少しずつ動かしながら重い身体を起こした。
部屋の中を見渡すと、窓から見える外は薄っすらと明るくなっていた。
(良かった…寝過ごしたんじゃないかと焦ったけどまだ朝にはなっていないね)
葵はベッドから降りてバルコニーに出た。
昨夜の出来事が嘘のように、薄っすらと明るくなった空を見つめた。
今日でここともさよならだ。
意外と居心地の良かった場所。
そんな場所が異世界という未知の世界で出来るとは思いもしなかった。あの時からずっと一人なのだと思っていたあたしの人生で少しの間にしろ思い出を作ってくれたクレイツおじさんには感謝してもしきれない。
最後の最後まで迷ってたが、結局クレイツおじさんに何も告げることなく出て行くことを決めた。
そんなあたしをクレイツおじさんはきっと怒るだろう。
一応、置手紙を残す事にはしたがそれだけではきっと納得してくれないはずだ。
ただ、それを分かっても尚、葵はこの決定を覆す事はない。いや、出来ないと言った方が正しいだろうか。
置手紙にはそれとなく旅び出るとでも書いとこうか。
納得はしてくれないだろうが、ここを出た後の彼らが納得をしようがしまいが葵には関係ない。
「……」
本当に非常識な最低な人間だなと顔を歪めた。
森にいたあたしを拾ってくれてそれ以来面倒を見てもらった大恩人に何も言わず出て行くだなんて…いや、これはもはや逃げと言えばしっくりくるかもしれない。
逃げることを、どんなに非常だと分かっていても覆す事が出来ない事に、葵は乾いた笑いを零した後、バルコニーを後にした。
部屋に戻ると、いつの間に置いたのかいつも着ている葵の服がテーブルの上に置いてあった。
昨夜戻った時は気付かなかったがその時には既に置いてあったのだろうか。
手に取ってみると少し湿っていた。
どうして湿っているのかと考えたらすぐに気が付いた。
昨夜、二度目の発作をした時、手に付いた血を洗い流そうと豪快に水をぶちまけた。きっとその時にぶちまけた水が既に置いてあった葵の服を濡らしたのだろう。
すっきりした葵の表情は先程よりかは少しだけ緩んでいた。
ちょうどいいのでこれを着て行こうかと考える。少し湿ってはいるが肌に触れればすぐに乾くだろう。
もし、これを見つけてなかったら、一旦クレイツおじさんの別邸に戻って着替えようかと思っていたので丁度良かった。
そういう事で、葵はその服に着替えることにした。
そして、ふと気付いた。
昨夜、アイルに無理やり着せられたアイルのローブを着ている事に。今の今まですっかり忘れていたなと恥ずかしくなりながら、一回り大きいサイズのローブを脱いでいく。
そして、カーディガンも脱いでいくとずっと抵抗のあったネグリジュが露わになった。
最後の最後まで慣れなかったなと思いながらそれも脱いでいき、いつもの服に着替えてふぅと息を付いた。
アイルのローブはすぐ分かるように机の上に畳んで置いておくことにした。
そして、葵はぐるっと一周、部屋の中を見渡した。
「…少しの間でしたが、お世話になりました」
葵は明るくなっていく部屋に向かってそう言いながら頭を下げた。
魔力切れでここに連れて来られたのはびっくりしたが、ベッドはふかふかでとても落ち着く内装に十分すぎるほどゆっくりできた。
少し…絨毯を燃やしてしまったのは申し訳ないけれど、温かい部屋だったなと部屋を見つめる。
ダリーさんに淹れてもらった紅茶も美味しかったし、この世界のクッキーも初めて食べたけれど、とても美味しかった。
(あ…クッキーと言えば…)
葵は脱ぎ捨てられたカーディガンのポケットを漁り、アリシア様から頂いたクッキーを出した。
綺麗にラッピングされたクッキーを貰った時、とても嬉しかったのを覚えている。とてもとても嬉しくて感動して涙が出そうなほどに。
どうして今まで忘れていたのかと、思い出して本当に良かったと、込み上げてくる何かをグッと堪えて、大事に着ているポケットに仕舞った。
(道中にでもお腹がすいたら食べよう…)
そう心に決め、あとする事は…と、テーブルの上、棚などを人通り眺める。
「ふむ…ないな」
後は、書置きを残して去りたいのだが、紙という紙が見当たらない。
この世界での紙の価値は結構高く、貴族間では出回ってはいるものの、庶民にはあまり出回っていないのだとクレイツおじさんに聞いた事があった。なので、辺境伯領の邸となれば流石に紙はあるだろうと思ってこうして探している訳なのだが…
(うーん…テーブルになければ棚の引き出しの中か?)
そう思い至り、壁際に置いてある棚の引き出しを手あたり次第開けてみることにした。
「ここにも…ない……ここにも、ここにも……あっ」
上から順に引き出しを開けていると、一番最後の引き出しの中に新書判サイズくらいのメモ帳と羽根ペンがぽつんと入っていた。
今まで開けてきた棚の中には何も入っていなかったのに、最後の最後にこんな分かりやすく、しかも一番下の引き出しにしか入っていなかったのは、誰かの趣味か?と考える。
(……貴族のすることはよく分からないなぁ)
少し失礼な事を考えながら、その紙と羽根ペンを手に取ってソファーに腰を下ろした。
日本で使っていた紙より劣るが書ければ何でもいい。少し、ごわごわする紙に向かって羽根ペンの先を近付けた。
「…えっと……」
が、いざ書こうとなると何を書けばいいのか分からず詰まってしまう。
チラッと外を見ると、先程よりも明るくなった空が葵の視界に入った。
ここで悩んでいたらいずれ誰かがこの部屋を訪れるかもしれない。
そう思い、素早く簡潔に分かりやすい言葉を書きたいのだが…焦る気持ちを落ち着かせながら脳内で先程適当に考えた「旅に出ます…」と書けばいいかな?と考えていた時、紙に羽根ペンの先を付けた瞬間にピタッと羽根ペンを持つ手が止まった。
「………………」
やらかした。一番大事な事を忘れていた。
「…あたし……この国の文字書けないんだった………」
その事実に葵はガクッと肩を落とし項垂れた。




