第7話‐⑦
「ちょっ…何してるんですか!?離してください!」
「……良い子はもう寝る時間ですよ」
「は?いやそれさっきも言った……じゃなくて!あたしの質問に何も答えず挙句の果てにはナディル様を置いて何を勝手な事をして………っ!?」
ードンッ
「っ……!!?」
「…何か言いましたか?」
「……っ」
アイルに引っ張られながら、説教じみたことを言っていたら気付いた時にはこの様な体勢になっていた。
これこそ不可抗力と言いたい葵だが、目の前に迫るアイルを見て何も言えない。
というか、心臓の音がうるさい。
背中には冷たい壁、目の前にはザ・イケメンなアイル・ヴェルディス。
壁とイケメンに挟まれた葵のこの状況は、現代語で言うならまさに壁ドン。アイルに壁ドンをされている形になっていた。
「っ…ちょっ…何をっ…」
顔が近すぎて上手く言葉が出てこない。
そして、とても近いアイルの顔を背けることしかできないでいた。
何とか目線を合わせないように地面中心に目がものすごく泳いでいる。
一方アイルは壁に腕を付け、葵より背の高いのを生かし、上から葵を見下ろしていた。
その距離ざっと十二センチくらい。
以外にもアイルは背が高く葵とは15cmくらい高さが違う。
その事実に今まで下を向いていた葵は頭を上に向けた。身長でアイルに負けるとはなんとも言えない敗北感。
そしてその身長のせいで、お月様がアイルによって遮られどんな表情をしているのかいまいちよく分からない事に対しても何故か敗北感を感じていた。
「……ですか」
「……え?」
「……"俺"の事は名前で呼んでくれないのですか?」
「……。」
その言葉に葵は固まった。
目の前にいる、葵の目に映るアイルは今までのアイル・ヴェルディスと全然雰囲気が違ったからだ。
今目の前にいるアイルは本当にアイルなのか?一人称もわたしではなく俺になっている。
そう思ったら、段々と葵の頬が熱くなってきた。
自分でも分かるくらい一気に頬に温度が集中している。
葵は咄嗟に頬を両手で隠した。
(…な、なんでこんなに熱くなる訳!?意味わかんないんだけど!)
頬に集まる熱はすぐにわかったが、その理由はまだ葵には分からないらしい。
そしてドクンドクンと速くなっている鼓動の意味も今はまだ知らない。
「答えて下さい葵さん、どうして俺の名前は呼んでくれないのですか?」
「っ……」
頬に集まる熱に意識がいっていたので、目の前にいるアイルにそう言われて現実に引き戻された。
そう言えば、アイルにそんな質問をされていたのだと今になって思い出した。
引いていく頬の熱を感じながら、葵は深呼吸をして口を開いた。
「…特に理由はありません。言う必要が今まで無かったので呼んでいないだけです」
本当はアイルの名前を言葉にしたら何だか負けた気がして言っていないだけ。
まぁ今のところ、アイルの名前を言わなくても通じるのでそれで言っていなかったと言うのも確かにあるのだが、一番はやっぱり負けた気がして嫌なだけ。それが一番の理由だ。そんな事を本人に言えるわけが無いが。
だからここはとりあえず誤魔化しておく。
無表情の顔を貫きながら距離の近いアイルをじっと見つめる。
「……違いますね、ただ単にプライドが許さないのか、俺の名前を呼んだから負けた気がして言わないだけなのかそんな所でしょう?」
「っ……」
図星を突かれた葵は何とか気付かれぬように動揺した顔は見せないよう頑張る。
心の中はとても暴れているが、ここで少しでも動揺を見せてしまえば肯定しているのと一緒になる。
ここは我慢だ我慢。アイルに隙を見せては行けない。
と言うか、分かっているならなぜ聞いてくるんだ。そこまで自分で答えが出ているのなら聞く必要ないのでは無いだろうか。
「……そう思うならそう思って頂いて構いません」
「……。」
アイルを見つめながら、冷静に返事をする。
(…これが素なの?いつものわたしと呼ぶアイルは作られたアイルで、この目の前にいるアイルが本当のアイル?)
原作を知っているがこんなアイルは見たことがなかった。
原作でもこの世界に来てからも。
どれが本当のアイルか分からないが、今はとりあえず目の前のことに集中しよう。
壁ドンをされているのを頭の隅に置きながらも葵はアイルを睨みつけた。そんな葵にアイルはふっと一瞬微笑んだ。
「…名前で呼んでくださいよ」
「………何故ですか?」
「呼んでくれないとずっとこのままですよ?」
「………卑怯者」
どうしてそんなに呼んで欲しいのか知らないが、このままじゃ埒が明かないと葵はため息をついた。
アイルの事だから本当にあたしが名前を呼ばないといつまで経ってもこのままなのだろう。
アイルは真剣な眼差しで葵を見つめている。
何故かドキドキする心臓を落ち着かせながら、葵は観念したかのように渋々と口を開いた。
「……………お願いなのでどいてください……アイル…様」
「様は要らないです」
「………どいてください、アイル」
少しイラッとしながらもアイルの要望に応え呼び捨てでアイルの名を呼んだ。
葵の顔はとてつもなく引きつっていたが、そんなのお構い無しに、葵が名を呼ぶとアイルの表情は一瞬にして緩んだ。
ニコニコととても喜んでいるのが嫌でも分かる。
「…これからはその様に呼んでくださいね」
「………腹黒天然男め…」
「ん?何か言いました?」
ボソッと呟く葵に絶対聞こえているはずなのにニコリと微笑みながら聞いてくる辺り本当に腹黒天然男だ。
葵はもう嫌気が差し、強行突破する事にした。
「…もういいですか?あたしは部屋に戻ります」
油断しているアイルを無理やり押し退けて、やっと壁ドンから解放された。
噴水の所にナディルを置いてきたという罪悪感はあるが今はそんなの構ってられない。
とりあえず今はこの腹黒天然男から逃げなければ。
押し退けられたアイルは一瞬目をぱちくりさせた後、「やりますねぇ」と呟いた。
それを聞こえないふりをしながら、葵は本邸の扉に手を掛けた。
(壁ドンをされてた所が出入口の扉で良かった…ここを入れば…とりあえずは……)
ホッと胸を撫で下ろす葵に後ろから手が伸びていたのを当の本人は知らない。
ーバタンッ
「っ…!!?」
「送りますよ」
「……結構です」
少し開きかけていた扉を、アイルは後ろから強引に閉めた。
そのお陰で心臓がバックンバックンしており、苛立ちが込み上げてくる。
無惨にも閉められた扉を葵は睨みつける。
(こいつ…いつまであたしの邪魔するんだよ)




