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第6話‐③




森の中と同じように、喉を何かが込み上げてくる。そして、それと同時に頭の中にある感情が思い出されていく。

口に手を当て、必死に落ち着かせようとするが遂に抑えきれなくなり、もう無理だとそう思った瞬間、椅子から立ち上がり後ろを向いた。


「ぐっ……ゴホッゴホッゴホッ……ガハッ!!!」

「っ……!?葵!?」

「ゴホッゴホッ!!はぁはぁ……ゴホッゴホッゴホッ!!」


振り返った瞬間、激しい咳が葵を襲った。

手で口を抑え続けながらも、必死にその咳を止めようと試みるが一向に止まない。


「ゴホッゴホッゴホッ……!!ぐっ……!」


それに、頭が割れるような激しい痛み。ただでさえ、この感情を思い出すだけで辛いのに、この痛みもとなると、今すぐにでも倒れてしまいそうだ。

葵はその場にうずくまり、それになんとか耐えようとする。


(…クレイツおじさんがいる中で倒れるなんて出来ない……)


本当はクレイツおじさんにこんな姿見られたくなかった。

あたしがその引き金を引いたばかりに……。


葵が咳と頭の痛さに苦しんでいる中、クレイツおじさんは何が起きたのかよく分かっていないのか、後ろの方から焦りの声が聞こえてくる。


「あ……葵!?大丈夫か!?」

「ゴホッゴホッゴホッ……はぁはぁ……はぁはぁ……だい、じょう……ゴボッ!!!」


クレイツおじさんの言葉に返事をしようとした時、最後嫌な咳が聞こえた。


「はぁはぁ……はぁはぁ……」


その嫌な咳を合図に、段々と咳が収まってきた。肩を上下に動かしながら気持ちを落ち着かせる。

気付くと、頭の痛さも、あの思い出したくもない頭を飛び交っていた感情も、いつの間にか消えていた。


それに安堵しながらも、手の違和感に眉間に皺を寄せた。ゆっくりと口から手を離すと掌には鮮明な真っ赤な血がべっとりと付いていた。

女性の標準的な手の大きさより、少し大きい葵の掌に満遍なく真っ赤な血が覆っていた。


(また……)


血の付いた掌を見つめながら、唇を噛み締める。

異世界に来てから二度目の発作だった。こんな連発するなんて想像できるだろうか。

己の軽率さに今更後悔してももう遅い。葵のこの先の行動を運命づけてしまった。


「……あっ葵!?大丈夫か!?」

「っ……」


その言葉にはっと我に返り、血の付いている掌を見られないように掌を握りしめる。

絶対に見つかる訳にはいかない。これ以上迷惑はかけられない。

口元にも血が付いているかもと思い、念の為口元を袖で軽く拭うと、何事も無かったかのように立ち上がり後ろを振り返った。


「大丈夫か葵!!」


すると、ちょうどベッドから降りてくるところだったのか、慌て過ぎてちょっとよろめいていた。

葵は、血の付いた握り締めている手を後ろに隠しながら、今の出来事をどう言い訳しようか、頭をフル回転させていた。


「葵!!」


クレイツおじさんは葵の倒した椅子を飛び越えて、葵の傍に素早く近寄った。

その俊敏さは本当に60歳越えとはとても思えない。


「葵!今のは咳なのか!?大丈夫か葵!?」

「……だ、大丈夫だから落ち着こう?」


クレイツおじさんの迫力に少し引き気味になりながらも、落ち着いた口調でそう言う。


「……落ち着いてるさ!でも……さっきの咳は何か嫌な感じが……」

「っ……だ、大丈夫だよクレイツおじさん。少しむせたみたい」


流石の鋭さだ。

少しの違和感も見逃さないみたい。

葵は冷や汗を垂らしながらも笑顔は崩さない。


「むせた?本当か?」

「うん、本当にむせただけだよ……たまにあるんだ〜」


むせたという言い訳がどうにも納得出来ないのか、疑いの目を向けてくる。

なので、葵はいつもの調子で軽くあしらう。


「びっくりさせちゃってごめんね、もう大丈夫だから」

「…………本当に?」


葵より、頭一個分身長の高いクレイツおじさんは、葵に目線を合わせて真剣な表情で聞いてきた。


「……本当に」


葵も、真剣な表情でぽつりと呟いた。

嘘を付いているという後ろめたさもあるが、こればっかりは仕方がない。迷惑をかける訳には絶対にいかない。クレイツおじさんの辛そうな顔はもう見たくない。


不自然に見えないように、両手を後ろで組みながら、ニコニコしながらクレイツおじさんを見つめる。


「……はぁ…なら良いんだが」

「うん!お騒がせしました」

「…………敬語はやめろ」

「はーい」


やっと信じてくれたのか、クレイツおじさんの表情が少し和らいだ。

それを見た葵は、ほっと胸を撫で下ろした。


(良かった……信じてくれた)


結構、苦しい言い訳だったのだが、クレイツおじさんは葵には甘いらしい。葵の言葉は信じて疑わないようだ。そんな事、葵自身は知る由もないけれど。


クレイツおじさんは安心したのか、ベッドにトコトコと戻って行く。

それを見た葵は、良いタイミングだと思い口を開いた。


「……クレイツおじさん、そろそろあたし行くね」

「もう行くのか?夕飯一緒に食べようかと思ったんだが」

「それはとても楽しそうだね……でも、まだ本調子じゃないのに長居はできないよ」


少ししょんぼりしているクレイツおじさんには悪いけど、実は早く部屋を出たい。

先程から、隠している血の付いた手が気持ち悪いのだ。早くこのべっとりとした血を水で洗い流したいし、もうゆっくりしたい。


クレイツおじさんの体調を気にしての先程の発言は嘘ではないけれど、この気持ちも嘘ではないので、半分半分と言ったところだろうか。

とりあえず、間をとったらお互いにとって良いことだと思う。


「そうか……また明日来てくれるか?」

「…………ゆっくり休むんだよ」

「……。」


クレイツおじさんのその言葉に葵は頷く事ができなかった。

何も無ければ喜んで頷いていただろうが、そうもいかなくなった手前、約束できるかも分からない事に簡単には頷けない。

そんな、複雑そうな葵を見て、クレイツおじさんは黙ったままだ。


クレイツおじさんは変なところで、葵の異変に気付く癖がある。

早くこの部屋を出なければ、どんな変な事を言われるか分かったもんじゃない。

とりあえず今は早くこの部屋から出ていきたくて一方的に話を終わらせた。


「それじゃあね、クレイツおじさん」


葵は、倒れている椅子を血の付いていないもう片方の手で元に戻しニコリと微笑んだ。

クレイツおじさんは、何か言いたそうな顔をしていたがそれを飲み込んだのか口を開いた。


「……あぁ、お休み葵」

「お休みなさい、クレイツおじさん」


そう最後に言葉を交わし、部屋を後にした。



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