第5話‐②
ーコンコンコン
「っ…」
するとまた部屋の扉がノックされた。
そういやノックの音で起きたんだと思いながら、日中にあった出来事が頭に蘇った。
その時は部屋に入って来てほしくなくて返事をしなかったけど、それはそれで肯定と捉える人もいるらしいからもう無言のままでは居られない。
「…どちら様でしょうか」
なので、葵は取り合えず誰が訪ねてきたのか聞いてみることにした。
「わたくし、ここカルディオン家で執事長を務めております、ダリー・クエンソンと申します」
「っ…!」
その名前を聞いて何故だか安心した。
ここに一度訪れた時に知り合っていた執事さんだった。
ダリーさんなら大歓迎と思い返事をする。
「どうぞ」
「失礼いたします」
そう言葉が聞こえると、部屋の扉が開かれた。
「……。」
にも関わらず、うんともすんとも言わないダリーさん。
(…?)
扉を開けたのに気配がそこで止まっているみたいだ。ダリーさんの表情を確かめたいのに、この部屋は電気が付いていないので、廊下の明かりの逆光のためよく見えない。
「…申し訳ございません、お部屋の明かりをお付けしてもよろしいでしょうか」
「…どうぞ」
その声とほぼ同時くらいに、部屋の明かりが付いた。
(うわっ…眩しい)
急に明るくなったため、まだ目が慣れず半開きになる。そりゃそうだ、暗闇の中に居て急に明るくなったら目がやられるに決まっている。
(電気付けとけばよかったかな)
と思うがもう遅い。葵は自分が良ければ別に暗くてもいいのだ。ただ予想外だったのが、こうやって部屋に訪問者がいたことくらいだろうか。
徐々に目が慣れてきた。目が完全に開けられるようになった頃には、彼の顔もちゃんと認識できるようになっていた。
中に入ってきたその人、ダリー・クエンソンには前に一度だけ会ったことがあった。
「お休み中のところ申し訳ございません、いくつかお話したいことがございましたもので」
茶色の髪に白髪交じりの毛が目立つ、オールバックをしているダリーさん。笑うとより細い目が際立つが、その印象はとても優しそうだ。
漫画で見るような黒と白のタキシード服を身にまとい、白い手袋をはめているダリーさんは、とてもダンディーでよく似合うと思う。
年齢は六十代くらいだろうか、それにしても若く見えるのは、その男前な顔つきとタキシードの上からでも分かる鍛えているであろう体のごつさ。程よい筋肉でも付いているんだろうなとしみじみ思う。
「いえ、どうぞ」
葵はソファーに移動して、昼間三人が座っていたソファーに座るよう促す。
「とんでもございません、わたくしはこちらに。紅茶などはいかがでしょうか」
困った顔をしたかと思うと、まだ閉め切っていない扉の向こうから何かが顔を出した。
「…?それは何ですか?」
「こちらはティートロリーと言い、紅茶やお食事を運ぶための物です。簡単に言えばワゴンでしょうか」
扉を閉めたダリーさんは、そのワゴンをソファーに一番近い壁際に移動させて、紅茶を入れ出す。
ダリーさんは表情がとても柔らかく、一緒に居て和むくらいだ。
葵は静かにソファーに座った。目の前のテーブルには溶け切っているあの水が入ったコップが置いてあった。
(片すの忘れてた…いっか後で)
「カモミールティーはいかがでしょう」
そう言うダリーさんの手には紅茶の入ったティーカップが握られていた。
カチャと音を立てながら葵の目の前に置かれた紅茶は、実は葵の好物だったりする。
「良い匂い…」
飲まずとも伝わる美味しそうな香り。いつもはミルクとお砂糖を必ず入れるが、これは淹れなくてもとても美味しそうだ。
「掛物をせずに眠られたのでしょうか、風邪を引かれてしまいます故、お話の前にどうぞ」
「えっ…」
なんで分かったんだと、ばっ!とダリーさんの方を振り返った。
「…頬にお布団の跡が付いています」
「嘘っ!?」
その言葉に葵は両方の頬をムニムニする。
やっぱりあたし寝ちゃってたんだと納得しながら、疑問が浮かび上がった。
「何で掛布団かけてないって分かったんですか?」
言ってないのに当てたのは普通にすごい。けど、なんか逆に怖い。
ダリーさんはにこりと微笑んで言った。
「ベッドの足元の方だけお布団が沈んでいます。ちゃんとお布団をかけて休んで下さいね」
「はい…」
図星なのと正論だから何も言えない。
(ていうか、それだけで分かるとか凄いんだけど…探偵?)
そんなダリーさんはにこにこと微笑んでいた。そのためかいつもより目が細い。
まぁそんなところも可愛いので良しとする。
「さあ、冷める前にお飲み下さい」
無言の圧でもあるのだろうか。飲むまで逃がさないぞと顔が言っている。
「いただきます…」
ティーカップを手に取り、香りを嗅ぐ。
すると、良い香りが漂ってきた。
(甘くて優しい…良い香り)
香りを嗅いで、湯気が立ち上る紅茶をゆっくり喉に流し込む。
「っ……」
目が見開いていく。ごくんと喉を鳴らしてティーカップを受け皿に置いた。
「お気に召しませんでしたか?」
一口でテーブルに置いたので不安に思ったのか、困った顔でそう言ってきた。
「逆です…美味しすぎて驚いてしまっただけです」
こんな美味しい紅茶を飲んだのは初めてだ。いつも飲んでいた紅茶も普通に美味しかったが、それとはわけが違う。
それは淹れ方なのか、温度の問題なのか、はたまたお水の問題なのか分からないが、比べ物にならないくらい美味しい。
(異世界の紅茶…恐るべし)
葵はもう一度ティーカップを手に取り、今度は一気に飲み干した。
「はぁ…美味しい」
身体が温まるのを感じる。この優しい感じあたしは好きだな。
それに思った通り、砂糖とミルクがなくても全然飲める。紅茶の味が何にも邪魔されず、これはこれでとてもいいかもしれない。
「それはようございました、おかわりなさいますか?」
にこっと微笑むダリーさんは天才かなとかなり本気で思う。
「ぜひ!」
起きてから一番の笑顔だ。
頬が緩み、自然と笑顔がこぼれる。
「葵様は紅茶がお好きなのですね」
その笑顔を見てか、おかわりを注いでくれているダリーさんにそう言われた。
「はい…よく飲んでいましたので」
日本ではよくアールグレイを好んで飲んでいた。あのベルガモットの爽やかで良い香りがするのがたまらなく好きで、毎日飲んでいたくらい。
そのせいでカモミールティーなんて飲んだことが無かったから、どんな味がするのか知らなったけど、こんなに美味しいならもっと早く飲んでいれば良かった。
「お好きな紅茶はあるのでしょうか?」
紅茶を注ぎ終わり、右横にスタンバイしているダリーさんにそう聞かれた。
「アールグレイが好きです」
「では、今度アールグレイの紅茶を準備しておきますね」
にこっと微笑みながらも、姿勢を一ミリも崩さないダリーさんは本当に天才だ。
「ありがとうございます」
自分でも頬が緩んでいるのが分かる。
久しぶりにこんなに落ち着いて紅茶を飲むことが出来た。
(それに……自分の好きなものには目がないんだよな…)
そう思いながらも紅茶をすする。
温かい温度の紅茶が身体に染み渡る。
「ふぅ…」
確かになにも掛けずに寝ていたせいか、身体が冷えたのかもしれない。
紅茶がより体に染みる。
「では落ち着いてきたところで恐縮なのですが、お話をいくつかよろしいでしょうか」
言いづらそうな顔で言ってきたダリーさん。
「えぇ…それは全然いいのですがその前に…さすがに話すときくらいはダリーさんも座って下さい…自分だけ座っているのはなんだか気が引けます」
例え執事だろうが何だろうが、あたしからしたらお互い同じ目線で話したい。そう思うのはわがままなのだろうか。
でもこういう国では厳しいだろう。だから余計にこういう時位は平等でお話がしたい。
あたしは困った顔をしているダリーさんを見つめながらそう思っていた。
「…分かりました。今だけですよ…」
「はい」
渋々了承したダリーさんがあたしの前のソファーに腰を下ろした。
その姿勢ときたらもう完璧としか言いようがない。猫背を知らないその背中、どうやって作られているのか知りたいくらいだ。
「ダリーさんは紅茶飲まれないのですか?」
せっかく座ったのだから一緒に飲みたいのだけれど。
「わたくしのことはお構いなく」
もうこれ以上何を言っても無駄のようだ。こういう時程文化の違いを感じないことはない。
こっちではこれがダメなのかと思う事があると、あたしは異世界人なのだと思い知らされる。どんなにこっちの人間として生きようと、こういう文化のズレがそうさせてくれない。
だからそうだ、一定の距離を保たなければ。あたしは異世界人でどんなに壊したい壁があろうとも壊すことなどできないのだから。
「…そうですね、無理言ってすみません。どうぞお話下さい」
さっきとは打って変わって、無表情になる葵。
自分はこうだったと態度を改める。あたしに居場所などないのだから。
そしてこれ以上は踏み込んではならない、それは葵自身のためでもあり、周りの人のためでもある。
そんな葵の姿を見てダリーさんの表情が一瞬曇ったが、また先程のダリーさんに戻った。
「…お話させていただきます」
だが、その言葉を合図に先ほどの雰囲気はどこへやら。和んでいた空気が一瞬にして重くなった。
決してダリーさんは距離を置くために、先ほどの発言をしたのではない。
それがダリーさんにとっては当たり前のことなのだ。お客様の前であろうと常に立っているのが鉄則。まして一緒に紅茶を飲むなどもっての外。だが、それは葵にとって全く分からない事情なのだろう。
とても悲しそうな、困った顔のダリーさんが口を開いた。
「…まず最初にお礼を申し上げなければなりません」
「お礼?」
葵は何の事かと首を傾げる。
ダリーさんにお礼を言われるような事でもしただろうか。
全然思い当たる節が無く、眉間にしわが寄る。
そんなあたしを見つめながら、ダリーさんは真剣な表情になって話し出した。
「旦那様のお父上である、クレイツ様を助けて下さり心の底から感謝申し上げます」
そう言うとダリーさんは、急に立ち上がって深々と頭を下げてきた。
九十度くらいとも思われるお辞儀の角度。昔散々、学校や実家でお辞儀の角度について仕込まれたなと、人がお辞儀をしている前でどうでもいい事を考える。
(あたし、こういった畏まったの苦手なんだよ…)
ナディルにも頭を下げられた時は本当に参ったくらいだ。
そもそもそんな頭を下げられるようなことは何一つしていないのに。




