第3話‐③
『ウォォォォォオオオオン!!』
「「っ……!!」」
安心しきっていたその時、背後から聞いたことのある遠吠えが聞こえてきた。遠吠えと言うより獣の叫び声だ。
葵はゆっくりと視線をそれに向ける。
「……。」
そこには先ほど、クレイツおじさんを攻撃したイノシシのアンデッドがいた。
静かにそこに佇んでいる。
(昨日の獣の叫び声……もしかしてこのイノシシアンデッドの声だったの?もしかしてボス?)
確かによく見るからにそこら辺のアンデッドより、なんか偉そう。禍々しい瘴気を漂わせているのには違いないが、迫力が全然違った。
(こんなの…)
葵はクレイツおじさんを抱き起したまま固まる。
ただでさえ、普通のアンデッドでも敵わないのに…こんな大物…。
葵達とそのアンデッドの距離はざっと三メートルくらいだろうか、ゆっくりとこちらに近づいてくる。その度に腐っている肉が地面に落ちる。
「……。」
バタボタと落ちた肉片ならも禍々しい瘴気が纏っている。
どうしたらこの状況を打破できるのか…あたしは考えるのが苦手だから、完璧な答えは導き出せないけどこれだけは分かる。
(クレイツおじさんを守らないと…)
今はそんな気持ちの方が大きかった。傷は完治したにしろ、もうクレイツおじさんに闘うだけの気力は残されていないだろう。ていうか、元々はあたしがここに行くと決めたのだ。怪我をさせないと意気込んでいながら怪我をさせてしまった…あたしは何が何でもクレイツおじさんを守る。
「っ……この世界に来てまで、何かを守りたいと思うなんて…」
葵に抱えられているクレイツおじさんは辛そうにしながら目を閉じている。
それを見て目を細め、ぎゅっと唇を噛む。溢れてきた涙を零さないように上を向いた。
(あたしはもう…こんな感情なんて知りたくない…)
そう思った瞬間、頭の中に思い出したくのない感情と、喉を何かが込み上げてきた。
「っ…!!ごほっ!!ごほごほっかはっ!!!」
瞬時にクレイツおじさんを地面に横たえ後ろを向いた。
それとほぼ同時にせき込む葵の口からは真っ赤な血が地面に飛び散った。
「……はぁはぁ…………」
肩を上下に揺らしながら手を見ると真っ赤な血が手にべっとりと付いている。
久しぶりの発作に、目を細めながら無言で手に付いた血を手拭いで拭いとった。
ついでに口に付いた血も拭いとるが、割れるように頭が痛い。
「う”……」
頭を抑えながら、頭に流れ込んでくるそれに飲み込まれないように必死に抵抗をする。
「……やめてやめて!あたしはもう……こんな感情思い出したくないの……!」
そう叫ぶ葵は何かに必死に抗っているようにさえ見える。
横たわっているクレイツおじさんを視界に入れると目頭が熱くなり視界に映っているアンデッドが涙で歪んでいく。
アンデッド達がいる中で視界を遮られるのは致命的だ。それなのに葵はそんな事気にしてはいられなかった。
(…クレイツおじさんを見ていると、嫌でもおじいちゃんを思い出すから……この感情はもうあたしには必要ないもの。もう…いらないもの…)
そう思いながらゆっくりと目を閉じた。目の前にアンデッドがいるのに、なんかもうどうなってもいいやと心の中で思うくらいあたしはきっと切羽詰まっていたんだと思う。
目を閉じた拍子に零れ落ちた雫が地面に当たった。
ーパァァァァァアアアアアアアア
その瞬間、地面が光りだしたと思ったら、自分から青白い綺麗な光が解き放たれた。
目の前が光り輝く青白い光に占領され、眩しさのあまり目を瞑る。
(あ…なんか、やばい…)
何かが放たれたと同時に、さっきよりも身体が重くなり力が抜けていくのが分かる。
次に目を開けた時に映った光景は、透き通るような青色をした綺麗な結晶が、きらきらと空から舞っている光景だった。
「……。」
光輝いているその結晶らしきものは、ここら一帯を舞っていた。
それはまるで、宝石が空から降っているみたいだ。
「…なんか放った…?」
一瞬の出来事だったので何が起こったのか、いまいちよく分かっていない。ただ、何かを放ったことくらいは分かる。
それに、どっと魔力と体力が持っていかれたみたいで、治癒の魔法を使った時よりも遥かにごっそりと持っていかれた感覚がする。
(ついでに頭もくらくらする…)
血も吐いている為、そろそろ身体が限界だ。
くらくらする頭を押さえながら、辺りを見渡す。
「…あれ?」
何かに気付き声をあげた。
あたしたちが腰を下ろしている後ろには、湖と丸い球体があり、目の前には二メートルほどのイノシシのアンデッドがいた…はず。
(消えた……?)
さっきまで湖はドロドロで、丸い球体が出現しており、そこからアンデッドが生まれていた。目の前にはとても敵うはずのない大きいイノシシのアンデッドがゆっくりとこちらに歩いてきていた…のに…今目の前に映る湖は、あたしがよく知っている湖に戻っていた。
綺麗な水が空の色を反射して、きらきらと輝いて見える。さっきまで瘴気に満ちていたここら一帯も、澄んだ気持ちのいい空気に戻っていた。
丸い球体も姿を消し、小鳥の鳴き声や木々の揺らめく音が聞こえている…まるでさっきの出来事が嘘だったかのように、穏やかな雰囲気に包まれていた。
あたしはそんな光景を見て唾を飲み込んだ。
(よく分かんないけど…終わったんだよね?)
あたしは自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
さっきのあの光…考えなくても、あの光が原因でアンデッドや丸い球体が消えたのだと流石のあたしでも分かる。
「まさか…」
その声にあたしは抱えているクレイツおじさんの方に視線を移す。
うっすらと目を開けていた。
「クレイツおじさん…」
先ほどの状況をクレイツおじさんも見ていたのか、あたしを見て何とも言えない表情をしていた。
困ったような不安の表情をしている。
「やはり…葵は…」
「うん…クレイツおじさんの言った通りだったね」
複雑な表情をするクレイツおじさんに、あたしはにこりと微笑みながらきっぱりと告げた。
先ほどの出来事を見てたならそう思うほかない。アンデッドと丸い球体を殲滅した事実から目を逸らすことはできないのである。
どうやってあの魔法を発動したのかは分からないけど、今は取り合えず屋敷に戻ることに専念したい。
「よし…じゃあ屋敷に……」
そう思い、クレイツおじさんを自分の肩に掴まらせようとした時だった。
先ほど、あの大きいイノシシのアンデッドが居た場所から、何か気配を感じた。
あたしは瞬時に後ろを振り返る。
「……ん?」
目に飛び込んできたのは、空中に浮かぶ青白い丸い塊。あの禍々しい丸い球体よりは遥かに小さく、まるで人魂みたいな姿をしていた。
「何だ?」
あたしはクレイツおじさんを地面に横たわらせて、重たい腰を上げそれに近付いていく。
「葵っ…」
その声に後ろを向くと、クレイツおじさんが身体を少し起こし、目で行くなと訴えていた。
「大丈夫」
口角を少し上げ、クレイツおじさんを安心させようとする。
クレイツおじさんは困った顔をしていたが、身体が辛いのかすぐに地面に横たわった。
目線を前に戻し、青白い丸い塊を目指す。発光しているのか少し眩しい。
あたしは目を細めながら、それの前で足を止めた。
「……。」
あたしは何を思ったのか、それに手を伸ばし触れてみた。
ーツンッ
「っ…温かい……」
まるで生きているみたいに、温かくて、心地よくて、優しい感じがそれから伝わってきた。あの禍々しい球体とは似ても似つかないくらいに、見入ってしまう。
『…あり…と……』
「っ…えっ?」
見入っていたら突然、どこからともなく消え入りそうな小さな声が聞こえてきた。
あたしは、その声の主を探そうと辺りをきょろきょろ見渡す。
だが、それらしき人物はどこにも見当たらない。
あたしは三百六十度見渡した後、浮かんでいる青白い塊に視線が戻った。
(…もしかして……)
周りを見渡しても居ないという事は…
「…今の声、もしかしてあなた?」
あたしは目の前の塊に向かって話しかける。
はたから見たら相当頭のおかしい奴だがここは異世界だ、もう何も驚かない。
それにあたしのいた日本でも、幽霊や妖怪、あやかしと言ったこの世のものではない類が存在していた。それを考えると、この世界にもそう言った類の一つや二つ、存在しててもおかしくはないだろう。
むしろ、魔獣や魔物の存在の方があたしにとっては未知で恐ろしい。
『…洞窟……まだ…』
「…洞窟?」
あたしの質問の答えなのかは謎だが、肯定ととらえておこう。
それに、洞窟と聞いて思い当たる節がある。
「…洞窟に何かあるの?」
『おねが……たす…』
ーパァァァアアアアアン!!
「わっ…!?」
洞窟のことを聞いていたら、目の前の塊が急に眩しい光を放って消えていった。
「…。」
ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
もうさっきの青白い塊は姿を消していた。
「えーと…」
混乱する頭の中をフル回転させながら整理する。
仮に今さっきの塊を魂と仮定しよう。その魂が話していたあの言葉の意味を繋ぎ合わせると…
(洞窟、まだ…お願い、助けて)
所々、途切れてはいたが十分理解ができた。
要約すると、「洞窟にはまだいるから助けて、お願い」と言ったところだろうか。
さて、その「まだいるから」という言葉の意味はきっと、今もなお自分と同じ状況にいるアンデッドの事だろう。
どうしてあたしがここまでわかるのか、それはイノシシのアンデッドが居た場所にあの魂が浮かんでいたからだ。
何回も言うがアンデッドとは、屍に魂が宿ることにより動き出す生物。
もし、あの魂が何らかの理由でイノシシの屍に囚われていて、魂本人の意思とは別に行動を制限されていたとしたら、いつでも襲える状況にあったにもかかわらず、襲ってこなかったのはそういう事だろう。
つまり、魂本人の意思と、行動する意思は別物。人間のいろんな感情で生まれた瘴気によって、行動だけ操られていたのだろう。それが確かなら、湖にいたアンデッドの行動にも納得がいく。
あたし一人に対して、大人数で襲えば決着なんてすぐつくのに、そうしなかった。あたしもあの時疑問を持っていた。
それをしなかったのは、魂本人の意思が行動と一致していなかったことによる、魂本人のちょっとした抵抗だったのだろう。
そのお陰で、あたしもクレイツおじさんも助かったのだから、お礼を言うのはこっちの方だ。
ちなみに、一番最初に出くわしたアンデッドは、一斉に襲い掛かってきていた。という事はそう言う事なんだろう。
心優しい魂もあれば、そうでない魂も存在するという事だ。
「…。」
(助けて…か…)
どうやってあの魔法を発動したのか分からないが、アンデッド達や球体を消す事に成功したからには、そう言われたら無視することはできない。
それに、あの魂は苦しんでいた。行動する意思に抵抗していたのが何よりの証拠。そんな魂が他にもあるのなら見過ごすなんてことは出来ない。
どうやら…あたしのさっき放った魔法は、ただその屍と一緒に魂を消滅させるわけではなく、解放ができるみたいだから。
あたしが放った魔法で、その屍から解放された魂はとても温かく、心地よかった。勿論屍は消滅したが、魂だけがそこにいたのはきっと解放されたからだろう。
誰かに必要とされることがこんなに嬉しいことだなんて知らなかった。
それが、あたしがこの世界に来た理由なら、あたしはそれを何が何でも殲滅しなければいけない。
それが、あたしがこの世界に居るたった一つの意義なのだとしたら尚更だ……でも…でも、洞窟に行くなんてクレイツおじさんに言ったらきっとまた付いて行くと言うだろう。それは絶対にあたしが嫌だ。もうこんな思いなんてしたくない。そうならないようにする為には……
「葵」
色々考え込んでいると、クレイツおじさんに名前を呼ばれ身体がビクッと反応する。
恐る恐る後ろを振り返ろうとした瞬間…
「っ…!?」
急に身体の力が抜けたかと思ったら視界が傾いた。
(あ、れ…?)
身体がいう事を聞かず、地面が近付いていく。
きっともう限界を超えたらしい。
「葵!!」
近くで、クレイツおじさんの焦った声が聞こえる。
先程まであたしが焦っていたのにこれじゃあ立場が逆ではないか。
ードサッ
思い切り地面にぶつかった。
「……?」
と、思ったが。
「…大丈夫ですか?」
あたしの頭上から、聞きなれない声が聞こえてきた。
どうやら、地面にぶつかったと思ったら、誰かに支えられていたみたいだ。
「…だいじょう…ぶ…」
これが大丈夫に見えるか?と言いたいところだが、受け止めてもらった手前何も言えない。
だが、何かしら言ってやらないと気が済まないのでとりあえず視界が霞む中、どうにかしてその人の顔を拝んでやろうと、無理やり重い瞼を開ける。
「………。」
「……くそイケメンじゃねぇか…」
「…………………………。」
そんな言葉が口から洩れていた。
なんとか開いたあたしの目には、濃紺の髪と瞳が見えていた。
「……。」
あたしを見下ろすその人は無言のままあたしを見つめている。左右の耳にはふさふさの銀色をしたタッセルピアスがゆらゆらと揺れていた。
(あ、もう無理…)
そう思ったら、無理やりこじ開けていた目がゆっくりと閉じていく。
身体の力が完全に抜けていくのが分かる。
「アイル…?」
後ろから、確かめるような口ぶりのクレイツおじさんの声が聞こえた。
ープツン
ここで、あたしの意識は途切れた。




