第3話‐①
次の日の朝、あたしは物音を立てないように、ゆっくりと静かに屋敷を出ていた。
秋の風が葵の肌をすり抜ける。
上はシンプルな青いワイシャツの上に、フードの付いた紺色のローブを着ている。下は動きやすい黒色のズボンに膝くらいまである茶色のブーツを履いている。
昨日の夜、屋敷に戻ってからクレイツおじさんと少し話をした。
クレイツおじさんと一緒に行くこと、無茶はしないこと、殲滅できないと分かったときはすぐに切り上げること…などなど。
その時は分かったと返事をしたが、あたしは今一人でアンデッドに会いに行こうとしている。
(だって…あたしのわがままで行くのに、クレイツおじさんを危険な目に合わせるわけにはいかない…もし殲滅できなかったら、その時はその時だ。あたしが死んでも誰も悲しまない…)
日は出ているとはいえ、もうすぐ冬になるので幾分か薄暗い。
森の中となると尚更暗さが増す。
「…気付かれる前に早く行かないと……」
「誰に気付かれたらいけないんだ?」
その急な声にビクッと身体が跳ねるのが分かる。
バッと後ろを向くと、般若顔のクレイツおじさんが仁王立ちをして立っていた。
「えーと…おはよう?」
バクバク暴れだした心臓を落ち着かせながら、ぎこちないあいさつを取り合えず言っておく。
ーゴチンッ
「痛っ…!!」
お決まりの拳骨が葵の頭に落ちてきた。
確か昨日もこんなことあったなと思いながら、叩かれたところを優しくさする。
「まさかとは思ったが…まさか本当に一人で行こうとするとはな」
ある程度、あたしの行動を読んでいたのかそんな事を言う。
そう言えば、クレイツおじさんはあたしの行動や考えていることを何故か当てる天才だった。油断したのは言うまでもない。
「……。」
あたしは何も言わず、ただ頭をさすり続ける。
少しむくれた顔をする葵はバツが悪そうだ。
「だから…そんな顔をしても無駄だと言っただろう」
それも昨日言われた気がすると頭の中で思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。
「あたしはただ…」
クレイツおじさんから視線を逸らし俯く葵。
いつぶりだろう、こんな目上の男性から怒られたのは…。
いつだっただろう、その存在が隣にいるのは…。
葵がしょぼんとしていると急にグシャグシャグシャッと無造作に頭をなでられた。その感覚はとても不器用ででも…どこか懐かしい感じがした。
クレイツおじさんを見ていると本当に祖父の事を思い出す。おじいちゃんも不器用な手で頭を撫でてくれていたのだ。
「…髪、崩れるんだけど」
後ろに一つ縛りをしているあたし、簡単に言えばポニーテールだ。それなのに頭をグシャグシャされたら髪が乱れるではないか。
「分かってる、俺を心配してくれているんだろう?」
柔らかい笑顔を向けながらそう言うクレイツおじさんは、全部お見通しだという顔をしている。
(分かってるなら怒るなよ…)
あたしは余計にむすっとなる。
自分が悪いのにそういう顔もどうかと思うが素直になれないのが葵である。
「でもな、それと同じくらい俺も心配なんだよ」
「…?何が?」
あたしは訳が分からないという顔をしながら首を傾げる。
クレイツおじさんはそんなあたしの顔を見て少し困った顔になったが、すぐにいつもの顔に戻る。
「…何って、葵のことが心配なんだよ…俺は葵の保護者なのを忘れるな?」
「心配……」
(あたしを心配してるの?)
クレイツおじさんはとても穏やかな表情をしていた。だが、その瞳の奥には揺れる影があるのが見て分かった。だが、葵にはそれがよく分からない。心配されることもましてや心配する感覚も、どうして心配するのか、されるのかが葵には分からなかった。
祖父であるおじいちゃんもよく心配してくれていたらしいがその時もその感覚が分からなかったのだから、今も分からないのは当たり前だ。
「葵はもう少し自分を大切にしなさい」
「……。」
クレイツおじさんの言っていることが、やはりあたしにはいまいち理解できなかった。なので、あたしは何も答えることができない。
「よし、行こうか」
だが、クレイツおじさんは気にすることなくそう言って、先程の不安そうな瞳はもうしていなかった。
「うん…」
あたしはその問いかけに頷き、後を付いて行った。
どのくらい経ったのだろうか。
感覚的には三十分以上は歩いていると思う。それに昨日よりも奥に進んでいる。
昨日アンデットに遭遇した場所には何もなく、序盤で既に通り抜けていた。
自然が好きなあたしは恐怖より好奇心の方が勝ってはいるが、緊張感がないわけでもない。なにせ、クレイツおじさんが居るのだ。絶対に怪我をさせる訳にはいかない。
それに森に入ってから一つ気になることがある。
朝なので風が爽やかでとても過ごしやすい気温なのは分かるし、街中と違って森のなかだし静かなのは分からなくもないが、流石に静かすぎるのだ。
「森の中にしては…静かすぎないか?」
「ほんとそれ」
クレイツおじさんも気になっていたのかそう聞いてきた。
昨日は木々のざわめきだったり、鳥たちの鳴き声が聞こえていたのだが、今はそんな音すら聞こえない…正しく静寂。
朝でこそ、小鳥の鳴き声が聞こえてもおかしくないのに。
それに…
「魔獣が一匹も出てこないのもおかしい」
「ほんとそれ」
奥に行けば行くほどそれを感じる。
森には、魔獣に生まれてから、人里に下りてくるタイプと森の中でひっそりと暮らすタイプの二種類が存在する。人里に下りてくる魔獣が一定数いるように、森の中でひっそりと暮らす魔獣も一定数居る訳で、こうも会わないのはどうもおかしい…らしい。
「おい…ちゃんと考えているのか?」
右隣を歩くクレイツおじさんに、不審な目で見られながらそう言われた。
何を失礼な事を…とは思いながらも先ほどから自分が同じ言葉しか言っていないのに気付いた。
「考えてはいるけど……あたしは頭で考えるより、行動に移すタイプだから考えてもそれが合っているのかよく分からないし、魔獣とかはクレイツおじさんの方が詳しいでしょう?」
ごもっともらしい事を言うがただの逃げである。
考えるのが面倒臭い時は、相手に全て任せるのが葵の性格だ。
「はぁ…葵って俺の弟子によく似ているなぁ」
ため息を付きながらそう呟くクレイツおじさんは頭をぽりぽりと掻いている。
「弟子?」
クレイツおじさんが元宮廷魔導師団団長だったって事は知っているけど、弟子がいたなんて初耳だ。
「ああ、今は俺に代わり宮廷魔導師団団長を務めている」
「あぁ…なるほど」
確かに、元団長ともなれば、弟子の一人や二人居てもおかしくない。
クレイツおじさんの弟子となるととても男前なのだろうと、勝手なことを考える。
「そいつは結構変わり者で、生粋の魔法一筋で自分の興味ある事以外はとんで無頓着でなぁ…一度でも魔法の実験に没頭すると食事をとらないのも当たり前。俺が食事はちゃんと食えって言っても、食事を摂っている時間がもったいないとかいって、実験が一段落するまで手を付けない。顔は無駄に良いのに勿体ないよなぁ…あ、それとそいつも考えるより行動に移すタイプだな」
生き生きと話すクレイツおじさんを見ていると、その弟子の事なんだかんだ言って好きなんだなというところに落ち着いた。
しかしまぁ…聞く限りだと確かに変わり者のようだ。魔法一筋っていうかただの魔法馬鹿なのではないだろうか。
って言うか、それはそうと聞き捨てならない言葉が聞こえたんだが。
「ねぇ……その言い方、あたしもその人と同じ変わり者だって聞こえるんだけど?」
考えるより行動に移すタイプは同じかもだけど、それ以外は絶対に似ていない。絶対に。
癪だと思いながらあたしはクレイツおじさんを睨むと、「あはははは」とから笑いをしてごまかしていた。
それを見てもういいやと思い、歩く速度を一定に保ちながら、森の奥を目指していく。
と、その時ー
「…何だ?」
クレイツおじさんの声が低くなったのが分かった。
さっきまで晴れていた空が急に暗くなり、瘴気らしきモノが辺りに漂い始めた。
(近い…)
葵の感がここで働く。
ここまで通ってきた道のりで、魔獣や魔物、アンデッドにも遭遇していないし、その原因ともいえる瘴気でさえ見ていなかった。ここで瘴気が漂い始めたって事はそういう事なのだ。




