女工の出世ということは
もともとビール工場の女工の口が決まり、やさしい姿に力と丈夫な体が自慢、いつか毎月十円は仕送りできるようになってやる、と張り切って村を出て行ったのだ。
それが三カ月も経たぬうち、思い切って応募した秘書募集に幸運にも採用され工場を辞めたと報せがあった。タイプ学校に通い、順調に仕事もおぼえ、それからは仕送りの額も増え、十円に届くかと思われる時もあったと。順風満帆でけっこうな話だった。
「地震と海嘯の時に、家の後始末の手伝いさ帰って来た時が顔見た最後だ」
ということは、もう会わずに二年も過ぎようとしているときなのだ。
マサジが全国のあちらこちらで人足仕事をしている叔父さんが、その時たまたま仙台にいたのを幸いに預けられることになったのも、姉上は会社の寮にいるので当面同居は難しいという、そのためだったはずなのだ。
が、仙台に移って早速その会社の所在地をマサジが訪ねてみると、あったのは牛乳屋である。タイピストはいなさそうだった。話を聞いてまわるとどうもその会社、最初からどこにもなかったらしい。
まったく、どこにも。
そのときのマサジ。
同情した牛乳屋がくれた牛乳の味もよくわからなかった。多少それで身は養われたのだろうが。それにしても、自分をとりまく大人たちは、どうしてこう事あるごとに牛乳を飲ませたがるものなのか。
「仕送りは来るのや。毎月十円。短い手紙がついてくるんだけっとも、その文字も確かに姉ちゃんのだ。
家だけでねえ、俺と叔父つぁんのところにも来るのや。だけっとも姉ちゃんの住所はなくて、申し開きの言葉もねえ。
いや、俺には見せられねえんだ。きっとそうなんだ。父ちゃんも母ちゃんも、叔父つぁんも、本当は知ってるんでねえかと思うのや」
ご両親も叔父さんも、以来姉上の話をぴったりとしなくなった。
マサジはそれが不満なのである。子供だからと申して、隠されている話があると感じる。彼は姉上の話はもう何度もしているのだが、その度に今宵のように必ずこう申す。
「貰うものだけ取って、今の身の上はどうでもいいなんて、なんぼなんでも不人情だべした。姉ちゃん、言いたくねえような仕事かも知れねえけっとも、何もしねえでもらうことばり考えてるみてえなのは嫌んだ。俺は、そうではねえと言いてえのや」
先週、親方のところでの仕事帰り、公会堂前で電車を降りてくるのを見かけたのだという。夕日が消えかかる時間だった。
「姉ちゃんでねえかと思ってよ」
声はかけずに、後をつけた。
「コネコの裏口さ入っていったのや」
髪飾りに鈴がついていたという。
とはいえ、姉上に似ている、というだけで、この時はまだ、なにも確かめられてはおらなかった。
出し抜けに掛け合ってみても、カフェーという場所柄、妹に似ている、母に似ている、酔客の常套句で、何度も聞かされて飽きているだろう、と、尋常五年生は考えた。けれどマサジの言葉は酔客のそれなどからは遠いもの。どうするか。




