みな大変だった
「今でも専属弁士がいる小屋もあるけれど、ハイカラ好みなお隣は早々にトーキーを入れたものだからね。 そうだなあ、今の楽団に入ったのが、ここの火事の年だった」
「なんだべ、お互いたいへんだったなや」
さすがにマサジがあきれた様子。
「そうだよ。とはいえ僕らの失職なんかいつものことで、君とは比べものにならんけれど、まあ、今はこうして一緒に楽しく晩飯が食えるんだ、よかったじゃないか。
あとで何が幸いとなるかわからんからね。生きていればいいんだ。
こちらの大将だって、陸軍に入ってからだというよ、こんなにうまい西洋料理を覚えたのは。どこでなにが役に立つかはわからんし、生きて戻られたからこそ、こうして今、立派に店を構えているんだぜ」
マサジの村は同じ年の三月、地震と大海嘯で、読者諸君も新聞や雑誌などでご存知の通り、大変な被害を受けた。
こちらの親類を頼り移って来たのも、村の立て直しが進まず、家の経済も立ち行かなくなってのことで、なるほどこちらでやるかたない心が爆発し、小英雄となったのも無理はない、というのが周囲の同情混じりの理解だった。
ただそれは、マサジは自分から特別なにか身の上について申したわけでもないので、好人物ではあるのだがマサジの来し方を強弁しがちな欠点を持つ綴り方の先生などを代表に、勝手な批評だとも言える。
「チキンライスでございますよ」
松永さんがかしこまった。




