尋常五年のマサジ
そのようなことを話しているうちに本屋まで来た。間口一間の、店先に縁台を並べた屋台と区別がつかぬような店である。月遅れの雑誌や古本も取り扱っておる。
裸電球を吊るし、縁台の上にこの時間帯向けの本を並べている親方の隣で、繕い跡のある鳥打帽をかぶった、痩せた頬の子供が声を上げた。目がきょろりと大きく、抜け目なさそうな様子。洗濯をくり返し白っぽくなった紺色のジャンパーを引っかけている。
「なんだべ、珍しいこと」
親方も思わず声を上げた。
「久しくご挨拶に立ち寄りもしませんで」
急にかしこまる秀真くん。
「どうしていたの、辻くんは時々このあたりをうろついているけれども、秀真くん。忙しくしていたの」
「そりゃあ忙しいべ。車掌だもの。親方のこの店にいた顔で、一番出世したんでねの」
横から生意気な口がはさまれる。
この子供、尋常五年のマサジという者。
「無駄口叩かねえで、お前も売ること考えろ。『宮本武蔵』ばり見てたべ」
「おあいにく。もう上がりの時間過ぎだでば。
んだって、化け猫退治のところ見つけたんだ、目が離せねえっちゃ。いま、新聞さ載ってる方には化け猫出て来るべか」
マサジの話からうかがえた。職務中に武蔵の読本をちらちらのぞいていたらしい。新聞に載っているほうというのは、夏あたりより連載が始まった吉川英治のほうだろう。あちらは秀真くんも愛読しているが今のところ狐狸妖怪の影はなく多少趣がちがうようだ。
「《『オヤツ、さてはツ』と小刀の柄を右手に握りキツと身を構へると、火は既に消されて、明白もみへぬ暗のうちに、凄凉じくもキラリと光つたのは鏡《かゝみ》のようなもの立ち並んで二個》」
秀真くんの特技がまた始まった。
「《早くもそれと推した武蔵は手に持つ柄を抜くまもなく、その中間目がけて鋭どく突つこむと敏くもヒラリと飛んだ怪物は、何時しか後に廻つていよ/\異様の光りを添へてをる》」
続きはお買い上げの上。
そうつなげて、何度も喝采を浴びたものだ。
「ひゃあ、さすがだなや。おれ読んでたの、ちょうどそれだ」
マサジが思わず手を叩く。
「そうか、立川文庫だったか」
うかがえることはもうひとつある。秀真くんもかつてはこの店の店頭にいて、苦学をしていたらしい。苦学はしたが、ここにいたおかげで様々な本を知った。
しかしその話は先の辻氏の一件とも関わるところ。別の折にしよう。
「では親方、今日も一日お世話さんでがした」
両手を差し出す。
「おう。暗いから気を付けろ」
そこに親方、本日の手間賃を渡し、マサジはそれを内ポケットにしまう。
「んでまづ」
「おう、」
親方そして、ひとつなにか思い出す。




