釣書はいらない
「旦那様。休憩のお時間で御座います。」
「ああ、分かった。」
俺の専属侍女が音もたてずに部屋に侵入してきた。
日常では茶飯事だが、心臓に悪いから止めて欲しい……。
貴族の、領主としての政務(書類仕事)の手を止め、侍女の顔を見上げる。
真っ赤な深紅の髪を揺らし、琥珀の宝石のような綺麗な瞳が俺を見抜く。
「政務の方は順調のようですね。私にお手伝い出来る事が有れば、何なりとご命令ください。」
「いらん。これは俺の仕事だ。」
「差し出がましい事を申してしまい、誠に申し訳ありません。」
「構わん。大体、エリーがしてしまえば物の数時間で終えてしまう内容だ。」
「過分な評価痛み入ります。さ、紅茶の用意が出来ております。どうぞこちらへ。」
溜め息をもらしつつ、案内のままに椅子へと腰を下ろす。
政務に使う椅子よりも感触の良い椅子で、エリーの手作りの椅子だ。
何の素材だったか忘れたが、肌触りが良くて眠気さえ誘う座り心地だ。
「摘み立ての茶葉を料理長が直ぐに煎ってくださった新鮮な物に御座います。お味はよろしいと太鼓判を押されていました。」
「ほぉ。……うん、美味い。すっきりした味わいだが、奥深いな。」
「お気に召していただき、よう御座いました。こちらのお茶菓子もお召し上がりください。焼き立てで御座います。」
「あぁ。……はぁ、満たされる。料理長には礼を言っておいてくれ。今日も美味いと。」
「畏まりました。お伝えします。」
物音を一切立てず、紅茶のソーサーや焼き菓子の乗った陶器を机に置いている。
しかも、それが宙が飛んでいる様を見れば、普通の人間ならば驚くだろう。
彼女、俺がエリーと呼んだ侍女は常軌を逸した有能さを持っている。
そしてその正体は人間ではなく、遥か太古に作られた自動人形だ。
俺は幼少の頃に彼女を見つけてしまい、以降こうして俺の世話をしてくれている。
「旦那様。休憩中の御歓談のお話として「いらない。」……、聞いてくださると嬉しいのですが。」
「いらない、どうせ見合い話だろ?」
「その通りで御座います。差し出がましいようですが、使用人一同、旦那様の将来を危惧しております。」
「何故だ!?エリーがいるだろう!?」
「旦那様、私は人形です。旦那様は伯爵家を守るためにも、ご子息を設けなければなりません。そして、この国の貴族としての義務で御座います。」
「嫌だ!!何故、俺が結婚しなければならないんだ!?」
「申し訳ありません。先程申し上げましたが、義務に御座います。」
「嫌だ!!絶対、嫌だ!!」
「旦那様……。余り我儘を仰らないで下さい。御年二十歳となります。この時代の男性では適齢期で御座いますよ?」
「何故だ!?エリー、俺が嫌いなのか?」
「とんでも御座いません。私は旦那様を愛し敬い、お慕いしております。」
「ならば良いではないか。俺もエリーを愛しているんだ。」
「旦那様。こちらに3点の釣書が御座います。どれも良縁と思われますよ?」
「無視するな、止めろ!!そんな現実を突きつけるな!!」
俺は釣書を乱雑に受け取り、部屋の隅へと投げ捨てる。
が、壁にぶつかる寸前でそれらは空中で制止する。
釣書が一つ一つ俺の前で制止し、全て開かれる。
「まず旦那様から左に描かれている釣書ですが……、旦那様、どうかご覧になって下さい。」
「嫌だ。」
「では、ご説明いたします。「エリー!!」……如何致しましたか?」
「横に座れ。ここ。」
ボスボスと自分の右隣の部分を叩く。相変わらず肌触りが良い。
「旦那様。私のような侍女が席を共にするなど有り得ません。こちらの釣書のどなたか、もしくは未来のご婦人の為にご利用下さい。」
「良いから!!早く!!」
もう少し乱暴に叩いてみる。早くしないと埃が舞うぞ!?
舞う程の埃なんて付いてないんだけど……。
「旦那様、お止め下さい。埃が舞ってしまいます。まだ本日は手が届いていないのです。」
「ならばもっと叩いてやる!!」
手が届いてないとか言ってるけど、俺がここに入る前にきっちり掃除してるのは知ってるんだぞ。
全く、出来過ぎた侍女だ。もう少し欠点を見せろ。
「承知いたしましたから、お止め下さい。」
「良し、言ったな。ほら、座れ。」
何だかエリーが悲しそうな表情で俺を見るけど、気にしない。意固地なお前が悪いんだ。
俺の横へと静かに立ち椅子の上へと座る。良い尻だ。いつ見ても良い。
……俺から少し離れているのが気になる。
「もっと傍に寄れよ。」
「申し訳ありません。これが精一杯の行為に御座います。」
「良いから!!寄れ!!」
「……ご命令、でしょうか?」
「ああ、命令でも何でも良い。俺がそうして欲しいんだ。」
「ご命令であるならば……、畏まりました。」
エリーがそう零して傍に近づいてくれる。嬉しい、嬉しい。
って、ほんの少ししか寄ってないんだが?
「エリー?」
「……精一杯に御座います。」
ぐぬぅ、この侍女は理屈を捻じ曲げてくるな。
なんでだ!?俺の真横に来るくらい、別にいいじゃないか。
「では、旦那様。私は旦那様のご命令に従いました。ですので、説明へと戻らさせて戴きます。」
「え?いらない。」
「まず左側の御令嬢ですが「え?無視?」、ノース子爵家の次女に御座います。齢16でお淑やかであると一筆添えられています。」
「は?お淑やか?何言ってるんだ、そいつはバリバリの貴族主義者だぞ?民の事を何一つ思っていない奴だ。却下。」
これは本当の話だ。
俺には友人(男)がたくさんいる。
そいつらが散々愚痴ってくるから、大体の令嬢の情報が頼んでもいないのに入ってくる。
「では、中側の御令嬢ですが、ハード男爵家の長女で齢は19。貴族としての気高さを持ち、民を想う心は純真そのものだと添えられております。」
「は?そいつ、ヤバい奴だぞ!?沸点が極端に低くて鞭を常備してる、って言ってたぞ。嫌に決まってるだろ。しかも21だぞ?盛るなよ。」
「右側の……旦那様、私を見ずに釣書を見てください。」
「何故?」
「旦那様の好みの容姿の方がいらっしゃるかもしれません。色書きされているのですから。」
「いらん。女は見た目以上に性格だ。性格が良くなければいけない。」
「……では、続きを。マートン伯爵家の三女で齢14。あどけなさは残るものの尽くすタイプだと添えられております。」
「そいつが一番ヤバイ。絶対嫌だ。」
「……理由をお訊ねしてもよろしいですか?」
「ああ。中央じゃ有名な話だ。そいつはな、好みが厄介なんだよ。面食いってやつだ。」
「旦那様の容姿は整っておりますよ?十分かと。」
「違うんだよ。俺みたいな奴よりも小綺麗?っていうかな。好みとは合わないんだ。この前来たリヤッカ。覚えてるか?」
「勿論、記憶に御座います。」
「あいつは俺よりも麗人の顔してるだろ?あいつでも駄目だったんだよ。流行にも敏感な奴だからそうそう弾かれないと思うんだが、取りつく島もなかったらしい。」
「では、全てお断りする形でもよろしいのですか?」
「ああ。むしろ俺が直筆で書いてやる。代筆なんぞいらん。」
「左様でございますか。旦那様のご意向に従います。出来れば……。」
面倒な小言は要らないから、エリーの唇を人差し指で止めてやる。
「いいか。俺は結婚なんかしない。例え親父が中央でいくら見合い相手を捜そうとも、結婚しない。分かったな?」
「…………。」
首を左右に振りやがった。こいつ……。
最近異様に釣書を送ってくる親父に辟易しながら、領地の運営をしていくのが面倒になってきた。
何で結婚しなきゃいけねぇんだよ。養子貰って育てりゃいいじゃねぇか!!畜生!!