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忘却聖女  作者: 守野伊音
一章
8/120

8聖








 目が覚めたら二日後だった。ぐっすり爽快大遅刻!


「うぉわぁ!?」


 ぼんやり開いた寝ぼけ眼がカレンダーを捉えた瞬間、思わず跳ね起きた。


「頭いったぁ! いや顔!?」


 なんか顔が痛い。しかし、そんなことより選定の儀! 第二の試練はいつからだ!?

 慌ててベッドから飛び起きる。ここから神殿までどれくらいかかるのか。そもそもここはどこだ!? なんか知らない服着てる! いやこれ寝間着だ! なんか知らない寝間着! お金! エーレから借りた服とお金どこいった!?


 とりあえずベッドから飛び下りたが、次にしなければならない行動が多すぎて決められない。裸足で無意味に床を踏みながら、その場で回ってしまう。無駄に足を動かして見た部屋の中は、とてもすっきりしている。ベッド、簡単な机と椅子。机の上にカレンダーと時計。壁際にぬぅんと立つ細長い棚。カーテン閉まった窓。以上、終了!

 昨日、いや二日前泊まった部屋より狭いが、綺麗で清潔だ。なんというか、まともだ。


 すとんと肩から力を抜く。

 遅刻は、まあ適当な言い訳を考えよう。落ち着けば、胸元で何かが揺れているのに気が付いた。小さな鍵だ。そういえば机に引き出しがあった。

 やっと足踏み以外でまともに足を動かし、机へと向かう。一番下の引き出しに鍵穴があった。しゃがみこみ、首から外した鍵を差し込む。抵抗なく入った鍵に再度安堵の息を息を吐く。ゆっくり右に回した鍵が、がっと止まった。

 逆だった。

 しばしの沈黙を経てそっと左に回す。鍵は回りきり、かちゃんと音を立てた。

 滑りのいい引き出しは軋むことなく、少しの力でその中身を見せてくれた。伸ばした指でちょいちょいとつつき、中身を確認する。


「……保護機関の施設ってことで、大丈夫、かな?」


 引き出しの中で大人しく鎮座している財布の中身は、一切減っていなかった。

 隣には割り札が並べられている。そのまま置くのは憚られたのか、こっちはハンカチを敷いた箱の中に入れられていた。

 引き出しの中身を懐にしまい直す。さて、こうなると服は棚の中だろうか。振り向こうとした背で、がちゃりと取っ手が回る音がした。しかし、音はすれど誰も入ってこない。


 扉は小さく開いていた。その隙間から小さな頭が二つ見えている。茶と金が低い位置でひょこひょこ揺れ、次の瞬間勢いよく扉が開いた。

 ばたばたと駆け込んできたのは、汚れても破れてもいない洗濯された服を着た少女と子どもだった。少女は私に背を向け、ベッドを向いている。両足に力を籠め、床を踏み抜かんばかりに踏ん張っていた。子どもは、そんな少女の横できょとんと首を傾げている。


「はいこんにちは」


 棚の前から呼び掛ければ、少女が勢いよく振り向いた。一拍遅れて、子どもも続く。


「おきた!」

「た!」


 二人とも顔色がいい。お風呂にも入れてもらったのだろう。少女が跳ねる度に茶の髪が、子どもが少女の周りを回る度に金の髪がさらさら揺れる。少女は、子どもを纏わり付かせたまま私の前に駆け寄った。


「あの、あのさ」

「うん」

「あたし、あたしね、なまえもらった。それで、あんた、おきたらよんでこいっていわれてて、このこもね、なまえ、もらって。あんた、おきたらごはんだって、あのひとたちが。あんた、いっぱいねるから、みんなびっくりして、それで、それでね、あたしいままでがきってよばれてて。こいつ、ちびってよばれてて、でも、なまえもらった。それで、ごはんおいしくて、おふろがかわじゃなくて、それで、ねえ、それでね、かみ……しょるい? かくとき、あたしたちのなまえ、かいてもらった。まだあたし、かけないけど、おぼえるから。それで、それでね」


 しゃがんで目線を合わせながら、一所懸命教えてくれる言葉に頷く。少女が胸いっぱいに空気を吸い込んだ瞬間を見計らい、言葉を滑り込ませる。


「お名前、私にも教えてくれますか?」


 問えば、少女は嬉しそうに笑った。かと思えば、恥ずかしそうに言葉を飲みこんでしまう。微笑ましく可愛い。照れ隠しとして、握っていた泥団子を自分の顔面にぶちつけた私とは大違いだ。


「あのね……マリにした」

「べう。べう」

「そっかぁ、可愛いお名前もらいましたね。よかったですねぇ」

「マリがいいって、あたしいった」

「そうなんですね。素敵なお名前ね」

「べう! べう!」


 マリは恥ずかしそうにはにかんだ。ところで隣の幼子さん、大変不思議な鳴き声をしていますね。何の鳴き真似だろう。牛かな?

 べうべう鳴きながら、両足でどちどち床を踏む子どもが伝えたい内容が分からないので、とりあえず頭を撫でておく。


「こいつ、ヴェルっていってるんだよ」

「そっかぁ……ん?」


 なんだか、大変に聞き覚えのある音ではなかろうか。


「マリ?」

「うん!」

「ヴェル」

「べうー!」


 胸を張って答えてくれたマリに、両手を上げて答えてくれたヴェル。

 二人合わせてマリヴェル。


「……………………」


 やめておいたほうがいいよ!?



 割り札には名前が書かれてあるので、機関の人も目にしたはずだ。だから、あのとき子ども達が理解できていなかったかもしれない名前を改めて知っていてもおかしくはない。おかしくはないのだが、やめておいたほうがいいと思うよ!?

 物凄く心配になってきた。だが本人達が誇らしげなので何も言えない。

 後で機関の人に、子ども達が名前を変えたいといったらすぐに変えさせてあげてくれと言っておこう。名前を変える手続きは煩雑だが、必要となったらその手間を惜しまないでほしい。

 子ども達の未来が懸かってるんです!







 保護機関は、連日大忙しだ。

 飛び交う書類、飛び出していく職員、飛び込んでくる保護対象の自称親。舞い散るインク、滅びる徹夜職員、滑り込んでくる警邏隊、お縄にかかる自称親。


 修羅場溢れる光景であるが、ここでは日常茶飯事である。最初から警邏隊と組んだ計画を立てていてよかった。

 子どもは商品になる。安く使える労働力になる。タダで使える駒となる。子どもを贄にする物も、子どもを自らの益に使う物も、育てはしないのに使いたいからと必死に取り返そうとするのだ。親であれ自称親であれ、子どもを金に換える手段に見ている物は、そこら中に転がっている。

 だから、保護機関施設内には警邏隊の詰め所を必ずつけた。警邏隊だけで手に負えなくなったら騎士が出てくる。

 毎日サボり場所で鉢合わせする第一王子と頭を抱えながら案を練ったので、比較的障害なく提携できた。場合によっては聖女も出るよ! 


 それに伴い警邏隊も随分増員したが、増員した警邏隊から保護機関へ転職した人がいたらしい。……また足りなくなってないかな。



 常に修羅場溢れる職場を吹き抜け二階から眺め下ろしつつ、観葉植物の影で新聞を読む。風呂と食事と、洗濯してくれていたエーレの服を着直した私は、話がしたいという職員の要望を聞いてここで待っていた。第二の試練は明日からだそうだ。ぎりぎり間に合ったらしい。急いで神殿に駆け込む必要がなくなってよかった。

 職員はまだ来ない。今日の修羅場を見ていれば理由は分かりきっているのでそれ自体は問題ないのだが、膝にマリが乗り、背もたれと私の間をヴェルが山登りしているので微動だにできないのが目下の悩みである。


「これ、これなんてよむんだ?」

「聖女選定の儀、本日の通過者二十三名と書いています」

「ふーん」


 全く興味なさそうだ。彼女は通過が叶わなかった組になるのだが、全く気にならないらしい。当人曰く、タダで行けて、ご飯が食べられると聞いて参加したのだそうだ。どこから来たのかは、本人もよく分かっていないので不明だった。遠方から馬車に忍び込んでここまで来たという。一応希望の参加者には迎えの馬車が出るようになっているのだが、知る機会もなかったのだろう。

 幼子だけでよく無事だったと胸を撫で下ろすしかない。


「これは?」

「四日終了現在、八十六名が通過、とのことです……一日目が七人だったそうなので、それに比べると随分数が増えています。二日目から神官の数を大幅に増やし、一日で行える数を大幅に増やしたそうです」

「へー」


 うむ、やはり興味がないようだ。でも問うてくるのであれば答えましょう。

 かつて、私がそうしてもらったように。


「ねえ、こっちは?」

「アデウス王立研究所が、また新たな神具開発に成功したようです。神具に新具、だそうです。この記事を書いた記者さんは、言葉遊びがお好きなのでしょう」


 それか親父ギャグ。


「しんぐってなに」

「神力は分かりますか?」

「うん。それがいっぱいあったら、かねになって、くうにこまらないやつ」

「大正解。物知りですね。詳しくはこれから学んでいきましょう」

「でもしんぐはしらない。はじめてきいた」

「日常ではあまり使いませんからね。まだ日用品として使用できる物は少ないですし。神力は個々人により得意とする力が違いますが、神具は自分が扱えない力でも使えるようになる道具です。神具を作るのが得意な神力、というのもあるのです」


 マリは少し困った顔をした。


「むずかしい」

「ですよね。私も言っていて頭がこんがらがってきました」

「もお! しっかりして!」

「はい!」


 その間ヴェルはというと、頂点への挑戦に興味がありすぎた。私の髪を引っ掴み、背中を蹴りながら、見事登頂成功である。首が死にそうだが、頭の上から満足げな鼻息が降ってくるので賛辞を送る意味を篭めて拍手した。上半身を動かさないよう拍手するのはあちこちの筋肉を使う。首? 首なら私の上で滅んだよ。

 左のおでこに小さな掌がべちべち張りつく。恐らく登頂喜びの舞いである。


「あっ! だめだぞ、ヴェル! こいつ、かおすりおろしたんだから!」


 そう聞くと痛そうだなぁと思いつつ、新聞を捲る。

 現在、私の顔半分は包帯やらガーゼやらに覆われている。顔で身体を支えていたところで意識を失い、マリの言う通り自分の体重で顔をすりおろしたのだ。

 壁がざらざらしていたのが敗因だった。わりと凄惨な現場になったはずなので、子ども二人の精神と建物の所有者に悪いことしたなと思う。



 しかし、怪我した瞬間もそうだがその後も二日目覚めなかったとなると、相当疲弊していたようだ。たった二人癒やしたくらいでそんなに寝込むだろうか。単に疲れていたのかもしれないが、その前の晩だって夕方まで寝こけたのに。

 考えていると、ぺちっと温かな温度が掌に降った。視線を向ければ、マリが自分の手を私に重ねていた。


「なあ、おれさ」


 マリの喋り方の大半は、彼女の音を塞いだ父親の喋り方から学んだのだろう。

 今まで見てきた子ども達もそうだった。他に知らなければそれだけになる。別に喋り方なんて好きにすればいいのだが、好きにするというのは選んだ結果だ。それしか知らないからそれだけを使い続けるのは、選んだとは言わない。


「おれ、ヴェルひろってよかった……でもさ、ヴェルはおれでよかったのかな。おれ、ヴェルがねつだしても、なにもしてやれなかったから」


 子ども達を保護した場合、近くに保護者がいなければ行方不明の届け出と照合する。マリもヴェルも該当する届けは出ていなかった。ヴェルはマリが三ヶ月前に拾った子どもだという。

 俯き、ぽつぽつ話すマリの声を聞き逃さないよう耳を澄ます。ヴェルは未だ頭頂部に登頂中だ。楽しそうで何よりである。


「私は昔、ゴミ山で拾った小さな子を死なせてしまいました。私には守れませんでした。助けを求める方法も、知らなかった」


 大きな瞳が私を見上げた。それに微笑みを返せるくらいには、大人になった。

 両手を上げてヴェルを頭から下ろす。抗議の声を上げてじたばたと暴れる身体を落とさないよう気をつけながら膝に下ろす。マリがヴェルのために片膝開けてくれたから、すんなり下ろすことができた。


「あなたは、あなたとヴェルの存在を私に教えてくれました。素晴らしい功績です。ありがとう、マリ。私にあなた達を見つけさせてくれて、本当にありがとうございます」


 マリの額に唇を落とすと、大きな瞳がぱちくりと動く。何度も何度も瞬きをしながら、小さな手が恐る恐る自分の額に触れた。







「マリ、ヴェル」


 静かな、けれど滲むようにしっかり受け止められる声が子ども達を呼んだ。子ども達は、ぱっと視線を向ける。

 そこに立っていたのは、七十を過ぎた男だった。去年膝を悪くして杖をつくようになったが、それでも矍鑠とした様子は変わらない。


「そろそろ夕食ですよ。食堂に行って、お手伝いする時間ではないかな?」


 マリは、あっと声を上げた。私の膝からぴょんっと飛びおりる。ヴェルも真似して下りようとするが、こちらは少し時間がかかった。何せ膝からでも下山である。よいせよいせと下山していくヴェルを片手で支えている私を、マリはそわそわしながら見ていた。


「あの、あのさ、まだいる? いなくならない?」

「いいえ、もう行きます」


 正直に答えれば、マリの顔は夜になった。暗くなった顔に、小さく笑う。


「嘘のほうがよかったですか?」

「……ううん。だまされるの、きらい」


 暗い顔のまま、それでも私を真っ直ぐに見上げてくれた瞳は星のようだった。


「ちゃんとおしえてくれて、ありがとう」


 子どもが掬い取られる国であればいいと願った。それが前提とされた道理であってほしいと祈った。祈るだけじゃ駄目だから聖女でよかったと思った。


「また、あいにきてくれる?」

「……うーん」

「だめ?」


 悲しげに眉を下げるマリに、右の口角を上げて答える。


「聖女は忙しいんですよ?」

「まだいっこうかっただけじゃん!」


 もーと叩いてくる手を受け止めながら、声を上げて笑う。マリの真似をして叩いてくるヴェルは拳だった。あ、いたっ。骨に直接当たる! しかも涎すごい! お腹空いたの!? いっぱい食べてきて!

 笑いながら、二人の頭に手を置いた。


「マリ、ヴェル。どうか色々なことをしてください。学んで、遊んで、食べて、眠って、大きくなって。どうか、夢を見てください。夢の見方を知ってください。そして、夢の見方を忘れたとき、思い出す物語を見つけてください。思い出でもいい。本でもいい。景色でも、誰かの言葉でもいいんです。何でもいい。けれど忘れないで。夢の見方を、覚えていて。それはいつか、あなたを打ちのめす苦しみから進むための意思を与えてくれます」


 二人一緒に抱きしめる。ヴェルは反射のように私に手を伸ばす。マリはしばしの躊躇の後、恐る恐る背へと手を回してくれた。


「会いに来られるよう頑張りますね」

「かお、すりおろしちゃだめだかんね」

「私も好きですりおろしたわけじゃ……」

「へんじ!」

「はーい! 努力しまぁす!」


 よろしいと重々しく頷いたマリは、その真似をしたものの頭が重くてただのお辞儀になったヴェルの手を引き走り去っていく。一度振り向き、元気よく振ってくれた手に振り返す。












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