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忘却聖女  作者: 守野伊音
三章
50/120

50聖






 人目につかないよう、私とエーレは馬車を乗り換えた。大型の馬車に乗り、通行が制限されていない王都内で人目につかないよう乗り換えられるのかと問われると、やりようによるとしか答えようがない。

 例えば、私達が扉を開ける直前、偶然大きな荷物を持った面子が扉の左右を通りすがり、偶然近くで大きな音を立てる事故が起こり、偶然止まった馬車の前にもう一台別の馬車が扉を開けて止まっているなどだ。ついでに、ついに降り出した雨で大きな傘が開かれていたならどうなるか。

 つまりは完璧であった。




 さっきより格段に狭くなった馬車の中で、ぐるりと肩だけを回す。下流貴族らしく小ぶりな馬車内、なおかつ衣装が乱れることを考慮すれば腕ごと回すだなんてできるはずもない。肩甲骨辺りからぐりぐり回し、よしっと気合いを入れる。

 目的地は、もう、すぐそこだった。


 夜会会場への入場は、下流貴族から行われる。下流貴族の入場で、上流貴族を待たせるわけにはいかないからだ。何より、上流貴族に下流貴族を出迎えさせるのは問題となる。

 しかし、屋敷に到着したのは王子が先だろう。王子や上流貴族達は、会場内へは下流貴族を待たせて入場するが、それまでは屋敷内の応接室などで寛ぐのである。王子は、その時間を利用してウガルの居所を探っておくと言っていた。



 広い玄関前で馬車を降りる。ここなら傘は必要ない。家の外にまで大きく張り出した屋根が、人々を雨や日差しから守るからだ。張り出したといっても、その為に作られた屋根だ。寝床でさえ雨風が凌げない存在もいれば、家の外にまで屋根を持つ人間もいる。屋根は嗜好品であり贅沢品の類いだと認識する存在もいるが、屋根の存在を一生認識しない人間も双方に存在する。世の中、ちぐはぐな平等に溢れているものである。


 いつもの半分ほどの速度で視線を上げていく。まるで、教育を受けた貴族の娘のように。

 ドレスの皺が維持されるほどやんわりと身体の向きを変え、隣に降り立った人を見上げる。ゆっくりと微笑み、同じように声音も滑らかに。


「それでは参りましょうか、アデリーナお姉様」

「ええ、アレンカさん。参りましょうか」


 隣に立つ「お姉様」は、柔らかでいながら妖艶さを兼ねた美しい笑みを、瞳だけで作り上げた。







 サロスン家邸宅は美しい屋敷だ。鋭利さのないまろやかな豪奢が屋敷全体を覆い、一つ一つが完成されていながら誰とも削り合わない調和の取れた美が漂う。

 流石、国内で片手に入る伯爵家であり、現王妃のご実家だ。

 この美しさは、脈々と紡がれてきた家でなければ出せない、古い歴史が作っていた。金銀財宝とは方向性が違う、歴史という分野でも価値がつく美しさだ。

 そんな場所に、さてさてウガルはいますかねと心の中で腕まくりしながら入ってきた私達を、使用人達は恭しく出迎え、会場へと通していく。歴史が紡いだ美しさも、必要があれば簡単に焼いてしまえる客とは呼べぬ存在とは知らず、畏まった顔で開いた扉の向こうへ迎え入れる使用人の人々を横目に、会場へと足を踏み入れた。


 広い会場内には、まばらとも多いとも言えない人数が収められている。控え室を使う権利のない人間達。選り分けられた順番を守り、上位と定まった人間達を迎え入れるために迎え入れられた人間達。

 炎に近い橙色の光で彩られた廊下とは違い、会場内はまるで陽光のように白い光で覆われていた。神力により作り出された光は、同じく神力により流れる風で揺れはしない。ぴったりと貼り付けられたような光が溢れている。様々なにおいが混ざり合い、こもりがちになる空気は、柔らかな香りをまとった風が流していく。光も風も、屋内独特の閉塞感を感じさせない。

 高い天井に、へたな広場よりも広い部屋。それらは設備に限らず、環境においても不足はなく、光も風も隅々まで行き届いている。

 会場内には、客人の休憩場所とは別に、四隅に誂えられた小部屋があった。そこに、会場内をぐるりと見渡した術者が入っていく。総勢八名。この広さとはいえ、通常四人、余裕を持たせても五人で編成される場合が多いというのに、流石の人数だ。


 カーテンの向こうへ二人ずつ消えていった面子をさっと撫でたエーレの視線は、僅かに頬を赤らめた使用人から受け取った飲み物へと落とされる。きっちり訓練された使用人から感情を表に出させるとは。まったく、罪な美貌である。


 会場内には、軽食と飲み物が既に用意されていた。それらは本格的に貴族達の入場が始まると同時に総入れ替えとなる。入場の順番にさえこれだけこだわる貴族社会だ。下流貴族の食べ残しなど、上流貴族に出せるはずがない。

 しかし、すぐに総入れ替えされる飲み物や軽食といえど、そこはサロスン家。庶民では誕生日祝いであっても手が出せない、贅が尽くされた料理となっている。飲み物もそうだ。エーレが渡された、流氷のような色をした果実水に使用されている果物は、北部の決まった地域、それもほんの僅かの間にしか採取されない稀少な果物から作られている。

 エーレに見惚れる彼の手元から勝手に拝借した私の手元にも、同じ果実水があった。高そうな、確実に高いであろうグラスを傾け、エーレを映す。

 微笑み、美しい色を讃えた果実水へと向けられたはずの視線は、私を捉えている。果実水越しに合わせた視線の先で、エーレはひっそりと唇を開く。


「サロスン家お抱えの術者が変わっている」


 端から見れば、美しい飲み物に見惚れている姉妹に見えていることだろう。


「おっと。期間は?」

「四ヶ月前見た顔ぶれと三人違う」

「あの規模のお抱え術者を短期間で三人も入れ替えたんですか? 補填するには相当な労力を要したでしょうに」


 これだけの会場を快適に維持できるほどの実力を持つ術者ならば、既にどこかに属しているはずだ。神殿には溢れているが、それ以外で探すとなると骨が折れるだろう。それらを引っ張ってきたか、それとも借り入れたのか。どちらにせよ、短期間で三人も入れ替えるなど尋常ではない事態だ。それも、これだけ大規模な夜会で。

 サロスン家の面子がかかった夜会だ。失敗は決して許されない。大貴族だからこそ、この程度どうということもないという体裁を保つことに意義がある。そこで失敗などすれば、どうなるか。火を見るより明らかだ。貴族の噂は、音をも越える。


「神力を失ったと見ますか?」

「サロスンに仕えていた術者が神殿を訪れた形跡はない」

「へぇー」


 神力を失う一連の事件に関係が無いとすれば、術者による、または雇用主による一身上の都合か。サロスンほどの家ともなれば、術者は余程のことがなければ引退まで仕えたがるものだが、はてさて、どう見るべきやら。

 グラスを傾け、流氷のような果実水を口に含む。夏とも冬ともつかぬ香りと同じ味がする。


「美味しい」

「お前、それ好きだな」

「そうですか?」

「あれば真っ先に飲むだろう」

「かもしれません。へぇー……」


 確かに、言われてみればそうかもしれない。流石神官。よく見ている。だから脱走しようと足先を窓に向けるだけでバレるのか。

 ちなみに、どうしても脱走させたくない状況では、バルコニーがないはずの窓外に、既に神官がいたりする。神兵でないところに、彼らの本気を見た。そして、神官五十七人包囲網から脱走したところに私の本気を見てほしい。



 最初に入場が決まっている下流貴族はほぼ入りきったのか、人の動きが一定となった。正面扉から出入りする人間は途絶え、会場内を意味もなくうろついていた面子がそろりそろりと足を止め始める。

 皆、それぞれ最初の定位置を探していた。上流貴族にとっては毎度のお楽しみであり、活動の場だが、下流貴族ともなるとそうはいかない。ほとんどがこれっきりとなる人々だ。何事もなくこの場をやり過ごしたいと縮こまる者、一生に一度の機会に縁を掴みたいと気合いを入れる者、一度きりの機会を存分に楽しみたいときょろきょろと会場を見渡し、頬を赤くしている者。様々だ。

 早々に入り口が一番見える壁際を確保していた私とエーレは、視線をグラスから人の出入りが止まった正面扉へと変えた。


「一身上の都合か、隠蔽、どっちだと思います?」

「王妃の実家だ。王家の威信は守るだろう」


 要は神力喪失の隠蔽だと言っているらしい。確かに、家から三人もの神力喪失者を出し、さらに神殿を頼れば、王妃の立ち位置に関わる。何せ、王の面目丸つぶれだ。王妃は神殿に与したと言われてしまうだろう。

 神力に関する専門が神殿とはいえ、現在の情勢では王城が神殿に頼るという構図はあまり宜しくない。神殿と王城は別物だ。そうでなければ意味がない。

 私と王子が仲良く悪友をやっている間、互いに縁談が殺到した理由の一つでもある。私と王子の縁談を固めようというものはほとんどいなかった。私と王子を含めてだ。

 しかし私と王子が二人揃って遊びほうけるので、どうやら本気で婚約するのでは心配されていたらしい。それはそれは凄まじい気迫で縁談が申し込まれてきたものだ。

 王子側に。

 聖女側は、当代聖女が当代聖女なので、王子に比べれば控えめであった。そして、互いに縁談回避のため手を組んだので、一緒に過ごす時間は増えた。王子の側近は泣いた。聖女の側近は切れた。


「探れますかね」

「手はあるが、角は立つ」

「でしょうね。王子に願い出るのが無難ですね」


 王子も言っていたが、リシュタークとサロスンが対立すると国が揺らぐので最終手段にしておきたい。神殿がサロスンを探るのもまた然り。こういうときは無名が役立つが、無名ではサロスンほどの大物は探れない。人の世はしがらみが多いものである。


「喪失対象者は王都に集中していますか?」

「王都への人口集中は、いつの時代も課題だ」


 どうやら聖印に引っかかったらしい。エーレを見上げ、にこりと笑う。『お姉様』は、柔らかな微笑みを返してくれた。

 神殿が把握している神力喪失者数は、王都で発生したものが圧倒的に多いのだろう。だが発生が王都に集中しているのか、地方と王都の人口比の問題なのか。現段階では判断がつかないようだ。

 前例がないのは痛い。こんなこと何度もあって堪るかとは思うが、先陣を切るとどうしたって傷がつく。神殿に傷がつくのは避けたい。現状、後手にばかり回っている自覚があるので尚更だ。

 何せ、ここまで来てまだ何も確定できる情報を得られていない。相手の出方次第という、後手になることが最初から確定している現状が精一杯だ。


 こんなものは確定しないでいいのに、そういうものばかりが積み重なるのが人生というものだと、過去の偉人が言っていたらしい。ヴァレトリが教えてくれた。しかし、偉人の名は忘れてしまった。実際に言葉にした人の名はまったく覚えていない。ただ、言葉を教えてくれた人の名を覚えている。

 交わした言葉を、天気を、風の匂いを、温度を、音を、声を、笑みを、夢を。

 あの日々が紡いだ幸福だけを、覚えているのだ。


 もう一度傾けたグラスを一息で空にしかけ、途中で傾きを調整した。一息で飲み干し、気分転換を図りたいところだが、ここでは相応しい行動とは言えないだろう。


「ひとまずは王子が入場してくるまで、こっちはこっちで情報収集しましょうかね」

「ああ」


 手持ち無沙汰に見えるよう、グラスを揺らす。細やかな細工が施された薄いグラスの中で、流氷色した液体が大きく揺れる。量が少ないからだ。量が多ければもっと控えめに揺れる。満たされればされるほど揺れが小さくなるのは、酒も人も同じだ。足りなければ足りないほど些細な衝撃で酷く揺れ、乱される。満たされていた場所に空いた空白は、計り知れないほどの虚を生み出す。

 器を弾き割らんばかりに私を満たした熱の喪失は、笑い出したいほどの空虚をこの胸に生んだ。

 それはともかく、何だか首筋の裏が妙に気になるのは何故だろう。ちくちくするような、ちりちりするような、そわそわするような、妙な感じがする。

 エーレに声をかけようと唇を開きかけたところで、控えめでいて弾んだ声が届いた。





「あの、よろしければお話ししませんか?」


 控えめに声をかけてきたのは、父親と二人で訪れたと見られる若い娘だった。先程からちらちらと私達を見ていた。そわそわ揺らしている身体の向きを、何度もこちらに向けては元に戻す動作を繰り返していた。

 こういう場に父親と現れる娘は少なくない。もしくは母親。家長としての権限を持つ存在と共に、若い娘は現れる。もしも上流貴族の男に見初められれば、家は安泰となるからだ。

 勿論純粋に、滅多にない機会を子どもに楽しませてやろうとつれてくる親もいるだろう。目の前にいる父娘は、どうやらそちらのようだ。人のよさそうな父親は、緊張した面持ちを浮かべているものの、何もかもを物珍しげに見る娘の様子を微笑ましそうに見守っている。


「ええ、喜んで」


 私とエーレは、十代前半と思わしき少女と目を合わせ、赤く染まった頬を見ながらにこりと微笑んだ。

 








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― 新着の感想 ―
[気になる点] 五十七人包囲網から脱走、だと……? [一言] 娘ちゃん、緊張して顔を赤らめてるのか、それとも……。と深読みしてしまいました。 あと女装したエーレとお淑やかなマリベルのコンビが好き。
[一言] 今日は私の誕生日です。 大好きな作品の更新が読めて 私にとっては嬉しい誕プレです。 勝手にありがとうです。 マリヴェルが王太子と幸せになるといいなと 思っています。
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