47聖
一息ついたところで、王子は改めて、向かい合う私達をまじまじと眺めた。何か引っかかるのだろうか。私の身支度はエーレ産なので大丈夫だとして、私が仕上げたマリヴェル産によるエーレに不備が出ていないか心配になってきた。
王子に習い、エーレをまじまじと見る。うむ、問題なく愛らしくも美しい美少女だ。特に不備は見つけられないように思うが、自分で仕上げた事柄に関する不備は、一旦離れるか他者の目を介したほうが見つけやすいものだ。
どうしたものかなと向けている視界の中で、エーレが半眼になっている。何か言い分があるのだろうが、何を言いたいのかは言ってくれないと分からない。王子を見たら、王子も私を見ていた。てっきりエーレを見ているのだと思っていたが、どうやら私を見ていたらしい。
「そなた……相当だとは思っておったが、着飾ると相当を超えるな。エーレ、これが当代聖女では神殿はさぞかし苦労しただろう」
「ご慧眼にございます」
恭しく神より聖女より浅く下げられた頭に、王子はひょいっと肩を竦める。
「完全に崩せとは言わんが、若干気安くせぬか? 常にその態度では肩も凝ろう」
「身に余る光栄にございますが、あまりに畏れ多きこと。どうぞご容赦を」
両者驚きのない流れるような返答に、この遣り取りが初めてではない事実を知った。無表情が、うわ絶対嫌だと言っている。エーレは存外分かりやすい。これでも付き合いだけは長いのだ。そして、長いのは王子も同じだ。
「そなた、正直よなぁ。余が構わんと言っておるのだ。そら、余にもその聖女と同じ扱いをせよ」
「王子王子、頭かち割られますよ」
「そなたらの遊び物騒だな?」
私はエーレの頭をかち割ったことは一度もないので、その認識は誤りである。
怒りの頂点をぶち抜いたことは数知れずだが、私達はそれなりに穏便に過ごしてきたはずだ。
王子は足を組み、ついでに腕も組んで背もたれに深く凭れた。
「エーレ、選べ。平時の聖女と同等に扱うか、若干気安くするか。好きに選んでよいぞ?」
好きに選べと言いつつ、どちらであっても王子の望みは達成され、エーレの望みは潰えている。そもそも王子が言い出した時点でエーレは諦めたほうがいい。これが神殿に関わることならば絶対に首を縦に振らない選択もあるが、王子の手を借りている現状の中、王子からの要求は個人的な些細なもの。これはちょっと断れない。
この後、もしも私達がサロスン家で見つかった場合も考慮し、馬車を分けて移動する予定だ。侵入者は、存在しない貴族の伝手で会場に現れた存在しない田舎貴族の姉妹。その二人と王子の関係を知られるわけにはいかないからだ。しかしその馬車の手配も、サロスン家潜入に必要な招待状も王子の差配である。
エーレは早々に諦めた。深い溜息がその証左だ。
格好と化粧によって可動領域が狭まり、やけに悩ましく見える溜息には突っ込まないでおこうと決める。王子も静かな笑みで流してくれた。王子は王子なりにエーレと気兼ねなく過ごせるきっかけを作りたいだけで、無闇に追い詰めたいわけではないのだ。
「……では、人目のない場所でしたら」
「よし! 見よ、当代聖女。これで余にも友人らしき何かが出来たぞ」
「おめでとうございます」
そのお相手、死んだ目してますけど。
私はこれから、戦利品という名の王子がやらかした結果を嬉々として見せられるようになるであろうエーレを憂い、黙祷した。しかし、溜息とも口笛とも簡単ともつかぬ奇妙な呼吸音に、閉じていた目蓋を開く。
音の発生源は王子のようだ。王子は珍しく、呆れと感嘆を混ぜ込んだ瞳で私を見ていた。
「しかしそなた、相当よな」
「さっきも言っておりましたが、何がです?」
手袋越しの指が、手首の動きだけで私を向く。
「美醜で評価するならば、そなた相当な美形よな」
「はぁ」
「普段でも相当な顔だが、そうやって着飾れば神々しささえ感じるわ」
「それはどうも。そして、私の隣にいる相当なエーレを改めて見てください」
「それとは系統が違おう」
呆れたような王子の言葉を、エーレが継ぐ。脅迫を経た友人らしき何かの関係を築いた途端、私を通り越してあっさり分かり合い始めるのはどういうことなのだ。
「はっきり言うが、マリヴェル」
「はぁ」
「お前、顔だけならば大陸一だ」
「えぇー……」
千年に一度の美女と名高かった今は亡きお母様の顔面をまるっと受け継いだエーレに言われても、どういう反応を返せばいいのかいまいち分からない。そして、顔だけとは褒められているのか貶されているのか。
「一定層好まれるらしいのは自覚ありますが、町を歩いていても大して声をかけられませんし、利用価値の問題から求婚者は雪崩れ込んだそうですが、交際を申し込まれたこともそれほどありませんよ」
「それはお前が、子ども達と遊ぶ際、がに股になった状態で上半身を激しく動かしながら高速移動しているような女だからだ」
「即席怪獣バケモノダーです。子ども達はいま流行りの人形劇、無気力戦隊ドーデモイインジャーに夢中なので、それぞれの色に分かれて全員で襲ってきます。だからそれなりに高速移動しつつ、上半身で攻撃をいなさないとあっという間に捕まってボッコボコにされます」
子どもは加減を知らない。十代半ば辺りからは全部丸めて大人扱いで、すべての大人とは圧倒的な力の差があるものだと思っているのだ。
つまり、情け容赦もなければ加減に手抜きも一切ない。いつだって彼らは全力で、実力以上を夢見て襲いかかってくる。
だからエーレが巻き込まれたら、恐らくよちよち軍団相手でも大敗するだろう。怪獣ごっこしている年齢はそれよりもっと上だ。エーレはきっと瞬殺される。それか、幼子達の心を軒並み初恋泥棒するだろう。
何せ、零歳から十五歳の子ども達がいる養護施設を、神官達を連れ聖女として正式に訪問した際、零歳から五十七歳までを男女問わず虜にした男だ。
とりあえず、職員は求婚の列に並ばないで頂きたい。
彼は神殿の秘蔵っ子です、子どもはともかく大人はご遠慮くださいと必死に宥めている間に、三歳児集団に娶られかけていたエーレから顔を褒められた。何の嬉しいことがあろうか。
私? エーレの顔に届かない子ども達の土台にされていた。褒められた顔面? 子ども達の小さな足の指で鼻を抉られて死にそうでした。ところで、私の顔がなんだって?
あちこちで傾国を巻き起こした美貌の持ち主は、どうでもいい顔で私を見ている。若干見下されている気配を感じるが、気のせいだと思いたい。
「お前は見目だけは世界一いい。言動が酷すぎて誰からも気にされていないだけだ」
「褒められてます? 貶されてます?」
「罵っている」
「成程」
気のせいではなかった。
「だから、お前に交際の申し込みがあった場合は、人生を棒に振っても構わない決意のもと申請されている場合がほとんどだ」
「申請制なの初めて聞いたんですが」
全く想像もつかないが、一応私に色恋沙汰が発生した場合の流れを聞いたばかりだ。それなのに、エーレ自身から語られた内容とすでに乖離しているように思える。
疑問をそのまま顔に出せば、見下した目が凍り付きそうな零度を纏わせた。
「別に申請制ではないのに勝手に申請されてくる。俺に」
「なんかすみませんでした」
どうやら余計な仕事を増やしてしまったらしい。
生きているだけなのに。
何もしていないのに、私が息をするだけでエーレの仕事が増えていく。
「でも、どうしてエーレに? そもそも申請制ではないにしても、出すと決めたなら神殿が妥当では?」
「神殿に出せば却下されると見て、王城勤務の神官に回されてくる」
「王城勤務の神官って雑用係兼ねてましたっけ」
「お前の後始末をつけている様は、雑用係だと判断されるらしいな」
「誠に申し訳ございませんでした」
どんどん余計な仕事を増やしているらしい。
何かをしていても、とりあえずエーレの仕事が増えていく。流れるように増えていく。
エーレはまるで海のような人だ。優秀すぎて、すべての厄介事が最終的にはエーレの元に流れ着く。勝手に申請先にされているこの件に関してなど、源流から海に至るまでエーレの担当だ。森羅万象エーレの仕事。悲しい。
「……エーレ、どうしてそんなに優秀に育っちゃったんですか?」
「お前はどうして見目だけは異様にいいんだ」
「褒められてます?」
「罵倒している」
「成程。ちなみに私は哀れんでいます」
「成程」
穏やかな笑みで拳が握られた。慌てて頭を押さえる。手間暇かけて結われた髪は、一人じゃどうしようもない。
「結ったばかりなので勘弁してください!」
「安心しろ。結ったのは俺だ。ゆえに、結い直せる」
「エーレが動く馬車の中で両手を上げて体勢を維持できるわけないじゃないですか!」
「一理ある。だが、お前が支えれば問題ない」
「いやぁ、脳天かち割り拳くらう手助けする趣味はないというか」
「義務だ」
「聖女の義務過酷すぎません?」
なんとか聖女の義務を回避できないものかと王子を見たら、無音で腹筋を割っていた。明日の筋肉痛を増やすため、そんなに負荷を追加しなくてもいいと思うのだ。




