4聖
アデウス国は、大きく二つに分けられている。言うまでもなく、王城と神殿だ。
建国七百年。国を統べる王族と、民を導く聖女。それらによって成り立ってきた国であるが、実は神殿が登場したのは建国から二百年ほど経ってからである。
今では国教として当たり前に存在しているが、建国当初アデウス国の神は定まっていなかった。当時はこの辺り一帯に散らばっていた多数の集落が合流してできた国だったからだ。
アデウス国国教は、一人の聖女登場から始まる。
簡単に言えば、神の声をなんだかんだと聞いた聖女の指示によりなんやかんやあって国が助かったのだ。国を滅亡から救った聖女と神を讃え、神殿が作られた。そうして、当時はそれぞれが掲げていたはずの神は一つに集約され、一教となった。
今では、アデウス国にとって聖女就任といえば新たな王が決まるほどの大騒ぎとなる。
だが、これはないのではないだろうか。
漣の如く蠢く人の頭を見ながら、私は静かに目蓋を閉じた。
「……うぉあ」
さあ、反撃開始だと意気込んで出てきた私は、現在虚ろな目で大行列の中にいた。
王都の片隅には、とても広い平野がある。右手には深い森が続き、スラムとは違い住み着いている人間もいなければゴミ山もない。最低限手入が入った広場だ。
そもそもスラムのゴミ山は、そこに住み着く物が掻き集めてきた物も多いのだ。スラムはここと反対側に位置する。あちらも昔は森などがあったそうだが、何代か前の聖女がスラムをなくそうと尽力した際、いろいろあって燃えたらしい。そうしてスラムは今も王都に根付き、森は復活する前にスラムにいる物が食い尽くしてしまうのでなかなか復活しない。
元々、豊富な水が溢れているはずのアデウスにおいて何故か水の恩恵を受けづらい土地だったので、余計にだろう。
森があるこちら側は、平時である今はもっぱら祭りなどの行事に使われている。何かと使用される頻度が多いので、野原のはずなのに地面は踏み固められ、背の高い草はあまり生えていない。草自体あまりなく、剥き出しの土が見えていた。
その地に、老若なんにょ……老若女がひしめき合っていた。先代聖女が身罷って十一年。記憶を失った人々にとっては、十一年間も聖女が不在なのだ。それは焦るだろう。老いも若きもとりあえず女は出なければと使命感も溢れ出すというものだ。
昔は十年どころか二十年近く聖女が現れなかった場合もあったらしいが、ここ二、三百年は五年以内に聖女が見つかっている。十年以上聖女が現れないなんて、誰もが本の中でしか知らない世界だ。さらに、先代聖女は十八歳から九十五歳まで八十年近く聖女で在り続け、歴代最長の在位を誇っていた。
アデウスで今を生きるほとんどの人間が、聖女不在の時代を知らない。人は知らないものを異様に恐れる。そういう生き物なのだから、少しでも見知った状況へ戻そうと尽力するだろう。だからこの混雑は理解できる、が。
「それにしたって多過ぎでしょう……」
行列に並び、早三時間。まだ受付すら終わっていない大惨事。しかも、何故だか途中から一歩も動かなくなった。疲れ果てた人々は地面に座り込み始める。
私は早々に地べたを選び、どっかり腰を下ろしたままだ。ズボンでよかった。スカートの裾に悪戦苦闘している人々を見る度、しみじみそう思う。スカートは座ろうとすると邪魔この上ない。尻の下にぴゃっと敷き込もうが、纏めて抱えようが、地面につけば汚れる。汚れる範囲を狭める努力をしつつ、下着が見えない創意工夫をこなす手間を考えれば、ズボンでどっかり座ったほうがどれだけ楽か。
しかし、よく考えれば汚れは何者も差別せず平等を与える。ならばむしろ尊いのでは?
私は唐突に真理へと至った。真理に到達した理由は暇だったから。これに尽きる。
神様、第十三代聖女はまた一つ賢くなりました。私に暇を与えてくださってありがとうございます。ただ、何もやらなくていいのは楽だけど、何もやることがないのは楽とは違うと知って頂けましたら幸いです。
ぽひゅーと息が漏れる。ため息すらやる気がない。出鼻をくじかれ肩すかしを食らった勢いと気合いが、行き所を失っていじけてしまっている。簡単にいえば、私は現在、急にできてしまった暇な時間を盛大に持て余していた。仕事しか生き甲斐のなかった人間が定年退職後に浮かべる気持ちは、こういう虚無なのかもしれない。
「やることが、ない」
大地を埋め尽くす女達。それらを囲む、神官、神兵、王宮の兵士、女達の連れ。さらにそれらを囲む屋台に出店。この場にあるのはひたすら混沌であった。
あっちではお茶が売られ、そっちでは串焼きが売られ、こっちでは包み焼きが売られ、そこでは王都名物ただ王都という文字の焼き印が入った王都饅頭が売られ、ここでは貰って困る三大土産の一つ王都という文字が入った旗が売られ、あそこでは絶対店で売れ残ってたんだろうそれと突っ込みたくなる置き場に困る特に便利でも可愛くもない置物が売られ。
それらをきゅっと上げられた口角と、殺気ともとれる光を宿した瞳で作り出した笑顔を惜しげもなく発揮する店員達が売りさばく。正しく、この場は混沌と狂気が満ちていた。
まあ、当代聖女はさっきそこを通りがかった店員から串焼きを買い、噛み千切れず苦労しているのでそんなものだろう。ちなみにこの串焼き、名産紫毛アデウス牛の肉と唄われていたが、絶対違うと分かる固さである。顎が疲労骨折しそう。
国中の人間が集まり、注目される行事。そんなもの、商売人からすればただの宴である。金だ金だ、金が動くぞ。この機を逃してなるものか。ここが稼ぎ時。かもを逃すな。この際、置き場に困ってた商品全部売ってやる。商売人達は殺気立っていた。
中には純粋に十三代聖女が見つかったらいいな、そのお手伝いができたらいいなと思っている人もいるのだろうが、いかんせん周りの殺気が強すぎた。この混沌は国中に広がっているため、あっちもこっちも祭り状態である。街道沿いなど、どこの王族が凱旋するのだと聞きたくなる浮かれっぷり。これ、聖女が見つかるまで毎回行われるので、結構な経済効果があったりする。
「あ、いたいた。お嬢さーん」
噛みきれない肉を永久にむしゃむしゃしつつ、ぼへーっと周囲を眺めていると、串焼きが入った箱を首からぶら下げた男が小走りで戻ってきた。明らかに名産紫毛アデウス牛じゃない串焼きを売りつけられた代わりに、その店員を使って列が止まってしまった理由を聞いてきて貰ったのだ。
「どうやら、人数が多すぎて受付済みの人が待機する場所がいっぱいになったみたいですよ。だから、一旦受け付けを止めてるみたいっす」
「あー……想定以上の人数が来ているのでしょうね」
選定の儀が一番混むのは、先代聖女が死んで初めて開かれる第一回目だ。
今回もそれなりの混雑が予想されていたが、十一年間聖女が不在という危機に触発された人々により恐ろしい数の女性陣が詰めかけてしまったのだろう。
しかし、おかしなものでその十一年間を疑問に思っている少数がいるとエーレが言っていた。先代聖女が死んで十一年間、一度も選定の儀が開かれないわけがない。だが、それをおかしいと思う人間が少数しかいないらしい。
異常だ。国中が私を忘れるよりずっとおかしな話である。
八年間聖女を務めた私を忘れても、十三代続いてきた聖女の、引いては神殿の、そしてアデウス国の仕組みを忘れられるものだろうか。根幹を忘れさせるなど可能なのだろうか。
「お嬢さん?」
首から提げた箱の位置を調整しながら不思議そうにかけられた声に、はっとなる。
「……えーと、じゃあしばらく進まないのですね」
「あ、食べ終わった串もらいますよ。それと、もう受付が終わった人から順に選定を始めているようなので、少しずつは進むらしいです。ところで綺麗なお嬢さん、もう一本いかがですか?」
「いま右頬に詰まってる噛みきれない肉を見たご感想を伺っても宜しいですか?」
「いやぁ、はっはっはっ。健闘を祈ります」
いくら胡散臭い爽やかな笑顔で誤魔化そうが、最後だけ真顔になろうが、その肉は断じて名産紫毛アデウス牛ではない。
虚偽の看板を堂々と掲げ去っていった男を見送り、右頬に寄せていた肉咀嚼作業に戻る。エーレに渡された財布の中身が潤沢すぎて、小腹を満たすことを躊躇しなくていいのは有り難い。だが金貨をみっしり詰めるのはどうかと思う。足りなくなる心配をしているのもどうかと思う。狂喜乱舞しソファーの上に仁王立ちし、拳を天に突き上げいそいそ懐にしまったが、どうかとは思っている。エーレの金銭感覚は天下一級品のぽんこつだ。
この事態が解決したら返すつもりだが、果たして彼は貸した金額を覚えているのだろうか。借用書を用意しておくべきだった。……なぜ借りた側がそわそわしなければならないのだろう。
ずっしり重い懐を無意識に撫でてしまいそうになるもぐっと堪え、そしらぬふりで肉を噛む。大金を持っていますなんてこんな人混みで晒すのは危険だ。
そして、私がせこせこ貯めていた資産はどうなったのだろう。正直、手に余る額があった。それらの大半は神官長が管理してくれていた。その中からお小遣いとして渡して貰っていた分だけを手元に持っていた。その分だって貯めた。聖女の部屋には何故かあちこち隠し場所があったので、その中の一つに貯めていたのである。隠し場所は前の聖女達もあれこれ使っていたみたいで、本来は綺麗に片付けられているはずの前任聖女の私物が出てきて面白かった。
それはともかく私のお金!
「うぉあああああああ……」
頭を抱えて呻く。肉は邪魔なので塊のまま飲みこんだ。突如呻いた私を周囲の人々は奇妙なものを見る目で見て、は、こなかった。大行列に疲れ果てた人々が、あちこちで呻いているからである。なので、私は安心して呻いた。
私の部屋が放置されていたことを考えれば無事かもしれないが、あの部屋は歴代聖女が使ってきた部屋だ。聖女選定の儀が始まってなお放置されるはずがない。私物は処分されたか、よくて回収されているだろう。
神官長に預けていたお金はどうなったのだろう。神官長は身に覚えのない大金が手元にあったからといって、こっそり使うような人じゃない。ならばどこかに届け出すのだろうか。出所の分からない大金を所持していたと神官長の立場が不利になったらどうしよう。
神官長は、聖女の代替わりと同時に新しい人が就任する。
だから、私の神官長は私の神官長なのである。
王城は勿論、神殿も一枚岩ではない。派閥や、神官長の座を狙っての抗争もある。当代聖女が気に入らないと暗殺だってあり得る。神により選ばれた聖女は解任できない。だから殺すしかないのだ。
どうも神様その辺り適当のようで、聖女が聖女の任につけていないと厄災を振りまくのに、聖女が殺されても特に何もしない。重点置く場所間違ってると思うのだ。
何にせよ、私が忘れられている間に神官長が私の神官長じゃなくなっていたら猛烈に嫌だ。その原因になるのはもっと許せない。
顔を上げ、ばんっと頬を叩く。流石に驚いたらしい周囲が引いたが気にしない。体調も戻ったし、明日の生活に困る状態でもなくなった。ならば、脳みそ全部使って考えろ。考えて考えて考えて。脳みそ焼き切っても考えろ。
意味は、あるはずだ。
前代未聞の事態が起きたこの時代。聖女が私であったことに、意味があるはずなのだ。神の意思がかかった選定とはそういうものだ。そうでなければ、莫大な手間をかけて神を通した選定などする必要がない。神がいちいち人間の営みに介入する理由がない。
『怒りを静めなさい。その怒りに形を与える工程は、君を案じている人々へかける言葉より大切なものかね?』
懐かしい声が蘇る。神官長を侮辱した男へ憎悪に似た怒りを覚えた私を諭した、神官長の声だ。どうしても押さえられない怒りを復讐心への薪にしていた私を、神官長は叱りはしなかった。気力と体力の使い方を、ただ教えてくれた。それらには限りがあるのだと、だからこそ使い方を誤るなと、教えてくれた。
両手を絡め合った拳に額をつけ、細く長い息を吐く。
正直にいうと、神官長の言葉を懐かしんでも、声を懐かしく思いたくなかった。声を懐かしむほど遠く離された現状は、意識を向ければ向けるほど滾々と憎悪が湧くほど許し難い。
だがいま私がすべきは、選定の儀を越え続けることだ。憤りも、やるせなさも、怒りも、憎悪も、嘆きも、屈辱も、何一つとして意味がない。それらを丁寧に言語化し、煮詰め、更に燃えたぎらせる薪にして。そんなことに費やす余裕はないのだ。煮詰めた感情に言葉を尽くす暇があるなら、もっと考えることはあるはずだ。
まずは、切羽詰まっている事態の打破から始めるべきだ。
私はゆっくりと顔を上げた。すると、前に座っていた女の子と目が合った。振り向けば、後ろに座っている女性とも合った。視線を巡らせば、同じように周囲を確認している人々がいた。私達ははんなりと笑い合い、列を守り合う協定を結んだ。
三時間並ぶと、いい加減トイレ行きたいよね。