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忘却聖女  作者: 守野伊音
二章
23/120

23聖







 何だ、これ。

 私は、とっくに空になったコップを無意味に煽った。


 なかなか険悪な雰囲気で始まったお茶会であったが、意外にも和気藹々と進んでいる。お茶とお菓子が美味しかった功績が大きい。王都であっても滅多にお目にかかれない物珍しいお菓子が並び始めると、険悪さはどこ吹く風。みなお菓子に夢中だ。彼女達は朝食を食べているはずだが、それはそれ、これはこれ。甘い物は別働隊。

 流石に三人組はベルナディアを囲むことを忘れてはいないが、それ以外の面子は気軽に移動し、あちこちのお菓子を取りに行っている。誰も椅子を使っていない。お茶会は立食形式に移行した。



 それは別にいい。色んな人と話しやすいし、願ってもない形だ。問題は、私の真横で私を凝視している銀髪の少女である。

 眼孔は鋭いが全体的に整った顔つきをしている少女に、息がかかるほど間近で観察される気持ちを考えてほしい。どういう感情を抱けばいいのかすら分からないという悲しい結果に陥るのである。


「あのぉ……何かご用でしょうか」

「いえ、別に」


 別にの距離では絶対ない。おかげで、お腹が空いているのにお菓子を三回しか取りにいけていない。これでもかと乗せて帰ってくること三回。どこに移動しても隣に彼女がいる。


「あの、お名前は?」

「アーシン・グクッキー」


 ……アイシングクッキーみたいな名前だな。いや、名前は当人ではどうしようもない問題だ。それを茶化してはいけない。


「アーシンさんとお呼びしても構いませんか?」

「いい、わ」

「ありがとうございます。私は」

「マリヴェル」


 名乗る前に知られていた。確かに正門前で高らかに名乗った覚えはあるが、彼女は他薦枠の人間なので、あの場にはいなかったはずだ。


「あん、なた、目立つ、もの」


 喋るのが苦手な人なのかも知れない。時々つっかえては言い直す様子を見て、ゆっくり話すよう務める。


「あの、もしかしてなんですけど、アーシンさん私に何か話したいことがありますか?」

「別に……」


 私より少し年下と思われるアーシンの格好は、遠目では飾り気のない簡素なものに見える。だがこの距離だと、彼女の身体に合わせて丁寧に作られている様が覗えた。首元は丁寧にレースで覆われ、緩やかに巻かれた大きな帯を止める飾りは質のいい宝石だ。羽織っている上着は大きくゆったりしているが、上質な布が使われている。色は茶で、年頃の少女が着るには少々控えめだが近づけば仕立ての良さが見て取れた。

 私? 神殿が用意してくれたシャツとスカートとカーディガンですよ。

 神殿が用意した服を着る。ほら、聖女っぽい! しかし何故か、凄い肥料の臭いする。

 倉庫整理を任せられているブルーア四級神官(二十六歳、彼女熱烈募集中)が、とりあえず後で置く場所を考えようと纏める一角に置かれていた服と推測している。その適当さのせいで、同棲を始めた彼女に振られては泣きながら神殿の寮へ戻ってくるのだと、いい加減誰か言ってあげたらいいと思う。

 ちなみにこの臭いがする肥料は、フランカ(二十七歳、ブルーアの元彼女)が趣味の自家菜園(神官個人庭)用に取り寄せている肥料だから、ブルーアは一時預かり場所に回さないでいい加減覚えたほうがいいと思う。そして振られる度に私の部屋でやけ酒飲んでは神官長につまみ出されるの、神官長に迷惑だから改善要求したい。



 肥料の臭いに怯まないアーシンは、私より若干目線が低い。幼さの残る顔立ちを見下ろしていると、アーシンは少し考えた。


「やっぱりある、ます」

「何でしょうか」


 ようやっと用件に入ってくれそうでほっとする。後一歩下がってくれたらもっと嬉しい。鼻息が首筋にかかってくすぐったいのだ。


「あん、なたが、神殿から叩き出されたときの話を聞きたい、のよ」

「もしかしてさっきからあんたと言いかけていますか? あんたで構いませんよ」

「……助かる」


 どうにも喋りづらそうにしているのでもしかしてと思ったが、正解だったようである。彼女は他薦枠なので、推薦してくれた人の顔を立てなければならないのだろう。他薦は他薦で大変だ。私だって、ちゃんと説明された上で神官長の推薦だと知っていれば、もう少し真面目に取り組んだのに。たぶん。


「神殿から叩き出された時の話、ですか」


 どうやら他薦枠の面子にも、私の噂は広まっているようだ。どう答えたものかと悩んであけた一拍で、あちこちから声が上がった。


「お、その話かい? あたしも聞きたかったんだ」


 ポリアナがまるでビールのようにゼリーを飲み干して歩いてきた。その食べ方いいな。私も今度やってみよう。


「あの、私も聞きたいです。えっと、アノン・ウガール十七歳です。自薦です!」

「わたしも気になってたんだ。交ぜてもらっていいかな。イーナ・ポーラン、四十八歳のおばちゃんだよ。わたしも自薦」

「私もお願いします。フランカ・タルティーニ、二十、他薦です」

「あたしもです! 自薦イルーラ・ブラト、十五歳です!」


 自己紹介を兼ねながら、我も我もと人が集まってくる。気になっていたが、みんな聞くに聞けなかったのだろう。私だって、貴族でも一生に一度入れるかどうかといわれる神殿内部に侵入した人間に興味が沸く。

 しかし申し訳ないことに、何も面白い話はない。だって私は寝て起きただけなのである。そして、年齢と自薦他薦と名前を一気に教えてもらっても覚えられない。


「話と言っても、目が覚めたら聖女の服を着て神殿にいたので、何も分からないのです」

「何も覚えてないってこと?」


 アーシンが小首を傾げる。さらりと流れていく髪が霧雨のようだ。


「はい。だからこそ、私は私が当代聖女だと思うのです。だって私はスラムにいたのです。それなのに王城と同じほど警備厚い神殿内部、そんな尊き場所に、聖女の服を着て立っているだなんて出来るはずもないことです」


 何一つとして嘘ではない。ちょっと間が十年ほど空いていて、語っていない範囲が多いだけだ。しかし嘘ではない。真実だけを告げても嘘は作れるので、詐欺には重々気をつけてほしい。


「それは確かに……じゃあさ、あんたは神力がないって本当?」

「割り札に指紋を刻めますので全くではないのではと思い直したところですが、ないに等しいですね。何せ、測定で全く反応が出ませんので」


 ちょっとくらいあってもいいのだが、今の今まで0だと信じていたくらいにはない。ある兆しすらない。ココが何となく思いつきで作った、どれだけ神力が少ない人間でもその神力に反応して静電気を発生させる神具が無反応だったくらいである。

 ……ココは何故そんな神具を作ったのだろう。神官達は基本的に神力が強い人間ばかりなので、どう考えても執行対象者は私である。聖女の私室に設置してくれた神官呼び出し鐘は大変重宝したし有り難かったのだが、そっちの発明は何一つとして有り難くなかった。


「それはとても不思議な話ですね……。私だったら、びっくりして泣いちゃう……」


 アノンと名乗った少女が、まるでその場にいたのが自分だったかのように泣き出しそうな顔になった。ぺそりと下がった眉とは逆に、ポリアナは眉をひょいっと上げる。


「それだけ聞きゃ、確かにあんたが聖女様だ。でもさ、叩き出されてんだよね?」

「そうなんですよぉ! 突然現れた私に驚くのは分かりますけど、どうせ聖女選定の儀を執り行うんだからそのまま神殿にいさせてくれたらいいと思いません!?」

「思わないねぇ」


 ですよね。私もそう思う。神殿侵入罪と聖女侮辱罪でよくて投獄、悪くて極刑じゃないのが不思議なくらいだ。

 そしてずっと疑問なんだけど、聖女の服と交換したあの襤褸切れもとい服、どの部門が所持していたのだ。神殿生活が長い私でもあんな襤褸切れ見たことがない。叩き出されるのを見越した敵が用意してきたのだろうか。嫌がらせに手が込みすぎてない? 敵は暇だったのだろうか。可哀想に。楽しい趣味が見つかるといいね! 私の趣味? 生きること!


「まあ、まあまあまあ。不思議な話。とっても不思議。そんな絵本のようなことが、本当にあるのね。素敵、素敵だわ」


 ふわりと近寄ってきたのはベルナディアだった。綿毛のように軽いもたっぷりとした髪は、彼女が動く度にふわふわ動く。人形のように愛らしいご令嬢だ。


「ねえ、もっと聞かせて。私、聞きたいわ。その後、おまえはどうしたの?」

「ベルナディア様!」

「もう、ドロータはまるで乳母のよう。あまり叱らないで」


 白く細い指が、ドロータと呼ばれた橙色の髪をした娘の唇を塞ぐ。そうして風に舞う花びらのように私を見た。


「ねえ、おまえ。そう、おまえにわたくし聞きたいの。おまえのお話、聞きたいわ」


 ドロータはそれ以上制止しなかった。ただ射殺さんばかりに私を睨んでいる。これ、私の罪じゃなくないですか?


「その後と言っても、そんなに面白い話はないのですが、スラムにいたのに気がついたら神殿に立っていたので、神殿を叩き出されたらスラムに戻るしかありません。そうしたら聖女選定の儀が始まると風の噂を聞いたのです。状況を考えると私が当代聖女だと思いまして! だから参加するつもりだったのですが、私の惨状があまりにあまりだったようで、親切な紳士が助けてくださり、身なりを整えることができました。あ、第一の試練を超えた後は割り札を利用し、豪勢な宿に泊まりました! いやぁ、聖女万歳ですね!」


 部屋の中が静まりかえってしまった。できるだけ嘘を省き、真実も省いた上真実のみで構成し、それなりに真っ当な形に整えたのに何故だ!

 聖女万歳は初めて言ったけど、聖女を前に万歳はよくあったのだ。嘘じゃない。神官達は皆、聖女を前にし両手を上げ、盛大に頭を抱えていた。本当によくあったのだ。嘘じゃないもん!

 壁際で並んでいる神官達が、記憶もないはずなのにあの時の皆と同じ顔をしているように見える。取り繕われたしれっとした顔が並んでいるのに、不思議だなぁ。

 この世の不思議をしみじみ味わっていると、視界の端に何かが飛んできた。


「うおっ!」


 慌ててよけた私の上を通過した何かは、アノンの顔面に直撃した。彼女の顔に張りついたそれは、どうやらサンドイッチのようだ。クリーム物でなくてよかったが、サンドイッチだって一歩間違えば空中分解し顔にべちゃりといく危険性を孕んでいる。

 一体全体どんな不幸があって、サンドイッチがアノンの顔に張りつく事故が起きたのだ。アーシンはいつの間にか遠く離れている。危険察知能力が高い。

 中途半端によけた体勢のままサンドイッチが飛んできた方向を見れば、私と同じ年ほどの薄桃の髪をした少女が、床を踏み抜かん勢いでこっちに歩いてくるところだった。

 あの、ここは比較的新しい建物だからいいけど、私達が泊まっている建物は歴史あるという呼ばれ方をする、ようはとても古い建物なので時々修繕がいるんです。だからその勢いで踏み抜かないで頂けると幸いです。南端の階段は修繕が入る予定だったけどこの騒動でまだ入っていないはずなので、ほんとよろしくお願いします。


「あなたは……」

「はい?」


 目の前でずしんと止まった少女は俯いていて、その表情はよく見えない、のは周りにいる面子だけだ。私は中途半端にしゃがんでいるおかげで、至近距離で見てしまった。

 魔王かな?

 そう思ってしまうほど、少女の顔には憤怒が貼りついていた。桃色の髪がよく似合う愛らしい顔を憤怒で染め上げた少女の腕が、私の胸倉を掴み上げた。あっという間に首が絞まり、足が浮く。凄まじい力である。羨ましい。


「黙って聞いていれば、あなたは聖女を何だとお考えか!」


 鬼のような形相で詰め寄られた私は、言葉に詰まった。息ができないのだ。もしもしと腕を叩くも気づいてもらえない。

 当代聖女、聖女候補につるし上げられて死亡。悲しいニュースだ。


「ちょっとあんた、落ち着きなよ。ほら、そのままだとそいつ死んじゃうよ」


 ポリアナがゆっくりと割って入る。できれば急いで頂けると助かります。目の前真っ赤になってきた。促された少女は、はっとなり腕の力を緩めてくれた。おかげで空気が肺に入る。完全に離された身体はよろめき三歩下がる。座ったほうが回復も早いと、さっさと座り込む。


「えーと、聖女を何だと思っている、ですか?」


 間を開けたのは答えに瀕したからではない。呼吸が整わなかっただけだ。他の聖女候補達は、突然起こった乱闘騒ぎにあっという間に離れていった。最初から近くにいた数人だけが私と少女の周りに残っている。神官達は、相変わらず感情が見えない表情を貼りつけたまま壁際に立っていた。

 私が何かを言う前に、少女が己が問いに答えを落とす。


「聖女とは、神の声を聞き、民を導き、国を豊かにする。平和を愛し、平等を尊び、世を整える女ですわ。そんなことも知らず、あなたは当代聖女を名乗るのですか!」


 怒りで顔をどす黒く染め上げる少女は、他薦枠だったか自薦枠だったか。格好を見る分には貴族だが、さてどうだろう。

 そんなことを考えながら、片膝を立てる。立てた膝に肘を置き、手の甲で頭を支えた。首を絞められた後は、普段は意識していない頭の重さが急に来るのだ。だがそれはどうやら、少々傲慢な態度に見えるらしい。

 少女の怒りは深くなる一方だ。だからと言って、私の答えは変わらない。


「アデウス国において聖女とは、神に選ばれた女です。それ以外の何者でもありません。人間としてどれだけ価値がなかろうと、ただ命あるだけの肉の器であろうと、神が選べば、それが聖女です」

「愚かなっ!」

「私がどれだけ愚かであろうと、それが事実です」


 そうでなければ、当代聖女が私であるはずがないのだ。


 私はあの日、神を見た。

 神はあの日、私を選んだ。


 私と神は、それだけだ。聖女とはただそれだけに過ぎない。神が定めた記号の名が私にあるだけだ。ある以上、これは私の称号だ。



「当代聖女が私で残念ですね」

「あなたは、あなたはどれだけ聖女を愚弄すれば!」


 憤怒に染まった少女の声は、あちこちから起こった澄んだ音に遮られた。薄硝子が砕け散るような音が、場が乱れた部屋の中に響き渡る。これだけの薄硝子が時を同じくして砕け散る音など、そうそう聞けるものではない。

 私だって、随分久しぶりに聞いた。自分が何をしているかも知らずいた部屋の中、私は響くこの音を聞いたのだ。美しい音だと思った。だから神官長に教えたくて視線を巡らせた思いを、覚えている。


「わぁ……」


 誰かが感嘆の声を上げた。彼女達が見つめる物と同じ存在を、私も自分の手に乗せる。種と呼ばれた石がひび割れ、正午を待たず砕けたのだ。砕けた破片は飛び散らず、未だ形があったはずの場所を漂っている。しかし、やがて光となって解け始めた。音もなく、冬にひととき零れる木漏れ日よりも儚い光は、ほろほろと解け、消えた。後には、親指の爪ほどの小さな種が残るのみだ。

 種といっても、これも宝石に近い見目をしている。どこからどう見ても透明度の高い宝石なのに、芽吹き花が咲くのだから不思議なものだ。この種から、生涯ただ一度の花が芽吹く。

 生涯ただ一度、その一度を咲かせた当代聖女が持つこの種は、一体何を咲かせるのだろう。それとも何も咲かせないのか。

 種の行く末は私自身の末路を示すような気がして、あまりに馬鹿げた考えに思わず笑ってしまう。そんな私を、種に見惚れる聖女候補の中、憤怒を浮かべた少女だけが見ていた。

 その少女に私が返せる表情は、やはり笑みしかないのだ。


 そして種どうしよう。






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