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忘却聖女  作者: 守野伊音
一章
12/120

12聖






 問題は極限まで減らされたとはいえそれでも大勢の参加者がいる中で、握手を求めて近づけるかだ。

 奇声を上げながら奇っ怪な動きをして走れば全員避けてくれるだろうか。……兵士が飛んできて終わる気がする。皆の記憶が戻ったら、私の何かが終わる気もする。今更何も変わらない気もする。


「やっぱり先代聖女派だと思います?」


 偉大なる先代聖女エイネ・ロイアー。

 歴代一の人気と最長任期を誇る聖女。一八歳で就任し圧倒的な求心力でもって、若さによる不安定さを見せず、長年任を勤め上げた。老臣顔負けの知識で数々の政策を打ち立て、性別・地位など生まれによる不平等をなくそうと働きかけた。勤勉で、賢く、優しい心を持つ美しい人だったそうだ。 


 人気大爆発した後、後任となった聖女はこの私。

 うむ。暗殺されて然るべきである。私だって、神官長による推薦でなければ暗殺推奨派だっただろう。



 先代聖女に心酔し、それ以外の聖女を許せぬ先代聖女派。

 神官長の地位を脅かそうとするのも彼らである。それにしたって、先代聖女に仕えた神官長に任を継続させ、先代聖女を基盤とした聖女を選ぶべしと声高々に叫ぶのだから困りものだ。

 本来なら真っ先に彼らを疑うべきなのだが、私もエーレもいまいち釈然としない思いを抱いている。

 何故なら彼らは、当代聖女を普通に殺しに来るのだ。

 こんな回りくどいことをする理由がない。何せ「当代聖女を認めない。ゆえに殺します」と、あちこちに張り紙をして回っていたくらい隠れないし隠さない。

 そんな人々なので、もし彼らに記憶があれば何をおいてもスラムにいる私を殺しにきていただろう。それなのに、誰も殺しにこない。

 尋常じゃない状態だ。絶対に記憶を失っている。



 そんなこんなで、神殿が一枚岩じゃない理由の大半はそこに集約されている。先代聖女派の中でも穏健派と過激派に分かれているので、一枚岩どころかバキバキ岩である。砂利よりはまとまっている程度だ。

 神殿からすべての先代聖女派を排除できていればいいのだが、穏健派は擬態が得意なのでそれなりの数が神殿内に残っているだろう。ついでに聖女暗殺犯を捕らえても先代聖女派の過激派が勝手にやったと言われれば、穏健派まで潰しきれるほどの証拠が出てこない限り手が出せない面倒な事情もある。

 エーレも難しい顔で考え込む。


「……それにしては大人しいんだがな。過激派の動向は抑えてあるが、唯一動きとしてあったのは、フェニラ・マレインの娘が他薦枠で残ったくらいだ」

「フェニラ・マレイン……」


 私は神妙な顔で頷いた。誰でしたっけ。

 エーレは静かに浮かべた諦念により、それを受けた。いでよ、私の百科事典。あと人名録。


「お前が、散々投げつけられた論う言葉に対し、すべて満面の笑みで『仰るとおりですね!』と返し場を微妙な雰囲気にさせた上に立場をなくさせた、フェニラ・マレインだ」

「その方散々ですね。新年の祝い席でしたっけ?」

「お前の聖女就任八周年祭だ! 新年のほうは初耳だぞ。どいつだ」


 それとも年末の宴だったかと言わなくてよかった。爽やかな笑顔で誤魔化したら、顔が胡散臭いと吐かされた。所長を真似るとどうにも胡散臭くなる。

 その後、身体的特徴を確かめた結果、毎度私が微妙な雰囲気を提供してしまう相手は同一人物、フェニラ・マレインその人と判明した。何だか申し訳なくなった。


「程度の低い嫌味であろうが聖女に対して非礼を行った相手はきちんと報告しろと、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言われていたはずだが?」

「神官長への嫌味は覚えてるんですけどねぇ。それにあながち的外れでもないこと言うんですよ。阿呆の間抜けの腰抜けの、人生楽に生きることしか考えてない自堕落人間って!」


 的確な評価である。自慢じゃないが、人生楽しく生きることしか頭にないのだ。


「自堕落人間は落とし穴を掘って爪を割らず、割れた爪を隠そうと義手を作らず、義手の材料を取りに神殿を抜け出し足の爪を割って帰ってこない。それを部外者である政務官から聞かされる神官の心情を慮ったことは?」

「ところでいい知らせって何ですか?」


 話を変えよう。

 そろそろ嬉しくなる情報が欲しくなる頃合いだ。しょっぱい物ばかり食べていたら甘い物が食べたくなる。露骨な話題変えに何故か素直に付き合ってくれたエーレは、静かに、だがしっかりと頷いた。


「お前の名が読めなくなり、聖女の力が揺らいだ」

「私とあなたって、いい知らせの定義がこんなに違いましたっけ!?」


 それさっきまで話し合ってた内容ですね。日増しに悪化する私が存在した証。それは断じていい知らせではなく、腹立たしいしやめんかこの野郎の知らせである。


「敵の力が増している」

「そうですよ。そのどの辺りにいい知らせ要素が」

「お前が神殿を叩き出されてから一ヶ月弱、善くも悪くも変化がなかったはずの現状がこの数日で大きく動いている。それも、神殿と王城から」

「……神殿と王城から?」


 エーレは頷く。


「神殿の石版、本や書類では読めなかったお前の名が、俺の家にある新聞では読めた。意識しなければ読めないから、お前を忘れた人間には難しい上に、明日も読める保証はないが」


 その言葉が示す意味に気付いて、はたと動きを止める。


「エーレ、この数日、神殿及び王城で滞在し始めたのは」

「聖女候補他薦組のみにございます、当代聖女」


 少し疲れて、ずるずる座り込む。ざらざらした壁に引っかかり生地が傷んだろうが今はどうでもよかった。借り物であり、借主が目の前にいるというのに、なんとも酷い聖女である。






「動機は、私が聖女なのが気にくわなかったから、で、決定してもいいでしょうかね」

「……さあな。まだ何も確証はないが、闇雲に手を伸ばすよりひとまずであっても対象を絞りたい。その結果、可能性としてはそれが一番高いとは思う」


 こんな聖女だ。私を気に入らない人間は多くいた。私より聖女に相応しい人間はそれこそ山のようで。代替わりを望む人々の気持ちはよく分かる。私だって、私のような聖女は嫌だ。


「それとも、法案を通したからでしょうか」

「先代聖女が大分煙たがられたからな。政の場に出てこなかったお前が活動を始めたことで警戒された可能性はある」

「女性と平民の地位向上は図られてきたのに子どもをすくい上げる法はなく、王城ではお金のかかる法の言い出しっぺは攻撃対象となるので誰も手を上げませんし。贄なら聖女が適任でしょう。所属はあくまで神殿ですし。それに、あの後はまたさぼるつもりだったのに」

「さぼるな」

「えぇー」


 私が聖女である事実が気にくわないのか、聖女である私が気にくわないのか。

 当代聖女の代替わりは聖女の死を以てしか行われない。聖女殺害に神の裁きは下らず、人の裁きあるのみだ。そして人は人の罪を暴かねば見つけられない。

 膝の上にすりおろさなかったほうの頬をつける。どっと疲れたせいか、頭が重い。仕立てのよいズボンは高級なシーツのように柔らかな感触で心地よく、目蓋を閉じる。


「気に入らないなら殺しにくればよかったのに」

「それは神官が許さん」

「別に私だって許してませんよ。でも、そのほうが手っ取り早いじゃないですか。どうしてわざわざ手間のかかる方法を選んだのでしょう」


 こんな神をも恐れぬ凄まじい力で国の記憶を歪めるくらいなら、どうしてその力で私を殺さなかったのだ。大規模に力をばらまくよりよほど簡単だったはずなのに。


「真っ向から殺しにきてくれたら、私は逃げも隠れもするのに」

「ゴミ箱に隠れ、そのまま焼却場に運ばれる事態だけは避けてくれ」

「三度目の正直って言葉があるんですよねぇ」


 隠れている最中に居眠りしないよう気をつけようとは思う。


「他薦枠の聖女候補は何人ですか?」

「十九人。貴族十五、平民三、不明一」

「相変わらず他薦枠は偏りますね」

「貴族は推薦者を探しやすいからな。その分自薦枠は貴族以外に偏るだろう」


 それもそうだ。

 現段階で有力な敵候補を十九人に絞ることができた。これは僥倖だ。後手しか踏んでいない自覚はあるので、そろそろどうにかしたい。


 何にせよ、私は聖女に相応しくない。それは事実だ。けれど、他者を強制的に歪め、聖女の名を勝ち得ようとした敵だって相応しくない。


「……どうしていま笑うんだお前は」


 不気味そうに覗き込んでくるエーレの言葉で、自分が笑っていることに気がついた。自覚すればますます口角が吊り上がっていく。


「だってもう、ぐじゃぐじゃ考えるの、疲れたんですよ」


 相応しくない者同士の戦いなら、汚く無様で卑怯で適当でいいじゃないか。もともと無礼講。礼儀も何もあったものじゃない。どうせこちとりゃスラム出身。騎士の礼儀など持ち得ぬ上に、喧嘩の流儀すら知りはしない。


「勝てばいいんですよ、勝てば」

「結論がごろつきのそれだな」

「正真正銘ごろつきですからね」

「おい聖女」

「はぁい」


 けらけら笑えば、嫌な予感しかしないからやめろと言われた。私だってまだ明確に何をするか決めてないのに、嫌な予感とは何事か。


「ほら、神官長も私が考えるの苦手って言っていたんでしょう? だから、力尽くとかどうでしょう」

「考えると悩むは違う」

「え?」


 勉強の気配を察知した。これはそうそうに話題を切り上げるべきだ。神官は総じて話が長い傾向にある。勉強なら尚更だ。

 慌てて話題の転換先を探そうとしたが、探すまでもなくぽろっと飛び出てしまった。


「神官長、思い出してくれるかな」


 勝手に転がり落ちた言葉は、泣き出す寸前のマリのような声だった。


「四十二歳のお誕生日、お祝いし直したいなぁ」


 勉強時間をさぼって、厨房の皆とケーキを焼く予定だった。会議をすっぽかし、書庫室の皆と会場作りをする予定だった。内緒で用意した部屋へ、けれどきっと知っていたであろう人を連れていき、皆でお祝いするはずだった。

 お父さん、お誕生日おめでとうございますって、言うはずだった。

 明日、何かは変わるのだろうか。私はこれ以上何も失わず、取り戻していけるのだろうか。

 神官長。ねえ、神官長。

 私、明日、おうちに帰れる?



 閉じた両手を開くと同時に、力を使う。淡い光が舞い上がり、ふわりと散る。今度は集中せずとも簡単に出せた。本当に安定しない。神が与えた力を揺るがすなど本当に魔王でも現れたのだろうか。魔王はお伽噺の中だけでお幸せにお過ごしください。

 何も言わなくなったエーレを見上げ、にやっと笑う。


「エーレ、私、名字ができるかもなので、石版堀り直しですよ」

「その程度の面倒は請け負おう。神官長の家系に珍妙な生物が刻まれる哀悼の念と比べれば安いものだ」

「貴様の名字になってやってもよろしくってよ!」

「この世の絶望は聖女の形をしていた」

「自伝でも書きますか?」


 真顔のまま差し出された手が怖い。自業自得なので、その手を取らず自分で立ち上がろうとしたら手首を掴まれ、そのまま引っ張り上げられた。


 そして現在、エーレの影が私に降っている。私は地面にお尻をつけたまま、私を掴んだ手とは反対の手を壁につけ、私を覗き込む形で無言を保っているエーレを見上げた。エーレはきりっとした顔で胸を張った。


「俺をなめるな。子ども相手でも十三歳辺りから既にぎりぎりだ」

「私のほうが強くありません?」


 否定せぬまま再度挑戦を試みたエーレの手を借り、勢いで立ち上がる。エーレも手の力というよりは、寄りかかってしまった壁から元の体勢に戻る力を利用しているように見えた。その証拠に、エーレはたたらを踏み、先程までもたれていた壁に再び背をついていた。

 お互い無言で服をはたいていると、何だかおかしくなってきた。思わず漏れた笑い声が聞こえたのだろう。エーレは笑った私を見てぱちりと瞬きをした。


「私達、とことん締まりませんね。だって再会だって神殿でしましょうって約束したのに、いざ再会したの裏路地ですもん」

「……そうだな」


 エーレも小さく笑う。しかし、すぐに眉を顰める。


「傷口を抉るな」

「当代聖女はリシュターク神官の進言を採用し、治癒師常駐のクリシュタに宿泊予定ですので問題はありませんよ」


 きりっと答えたら、何故か指を揃えたエーレの掌が脳天に降ってきた。すこんと落とされた掌が痛いのなんの。傷にはまったく響かないのに、落とされた場所は抉られたかのようだ。しかもこれは神官長の技ではない。ならば新技か!?

 私が向けた驚愕の視線を静かに受け止めたエーレは、胸に手を当て、恭しく頭を下げた。


「聖女マリヴェル様。どうぞ至らぬ我が拳に名をお与えください」

「脳天かち割り拳と名づけましょう……」


 何故だろう。第十三代聖女の時代、神官達が物理技ばかり習得していく。秘技が後世まで受け継がれたらどうしよう。……後世の聖女達よ、今から謝っておきます。なんかごめんなさい。

 そして敵よ、歓喜せよ。お前を打ち倒した暁には、全神官の物理攻撃がお前を襲う! はず。

 まさか私にだけ披露されるわけではあるまいな?

 聖女を新技の餌食にした神官は、解いた指で自分の襟元を軽く正した。


「どうしてお前は傷に頓着しないんだ。もう少し自分を大事にしろ」

「大事にしていますよ?」


 呆れと不機嫌を混ぜ込んだ溜息と共に不思議なことを言われて、首を傾げる。


「だって死んでいないでしょう?」


 変なことを言うエーレはきっと疲れているのだろう。だって今も、奇妙な顔をしているのだ。

 疲れているのは当たり前だ。ただでさえ忙しいのに、当代聖女忘却事件の調査を一身に担っているのである。今日は早く帰って休んでほしい。だって、ある意味明日からが本番なのだ。


「とりあえず、先代聖女派とフェニラ・マレインの娘は引き続き注意しておきましょう。後は行き当たりばったりやりながら考えます」


 裏路地から抜け出し、くるりと振り向く。エーレと話したからか、胸の中はだいぶすっきりしていた。悩むのは好きじゃないのだ。そもそも悩んで足を止めれば人は死ぬ。動かない身体など腐り落ちるだけだ。動く身体と名があるからこそ、人は人として確立できる。


「それじゃあエーレ。今度こそ神殿で会いましょう。明日にはこの顔も綺麗になっているはずですから、見惚れないでくださいね?」


 調子に乗って片目を瞑ってみせれば、極寒の海でももう少しは優しかろうという温度を纏った瞳が私を見ていた。


「第一王子が十日間一度もサボらない確率で、ない」

「私が粛々とした絶世の美少女になるくらいあり得ないってことですね。了解しました」

「理解が早くて助かる」


 心の底からそう思ってるんだろうなと分かる深い頷きに見送られ、私はクリシュタを目指すべく足を踏み出した。



 ちなみに、クリシュタに着くや否や警備員にやんわり止められやんわり裏に誘導されやんわり治療されやんわり部屋に案内されやんわり風呂に押しこまれやんわり肌を磨かれやんわり髪を手入れされやんわり大量の料理が並べられやんわり寝かしつけられと、なかなかのやんわりとしたせわしなさだった。

 このやんわり具合が高級感。

 やっぱり世の中、金である。








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― 新着の感想 ―
[一言] 先代聖女派と思わしき言葉が、一箇所初代聖女派となっている……と思います。 誤字でなくそのままだったら申し訳ありません。
[一言] 聖女のお話なのに文末が「やっぱり世の中、金である」とはこれは如何にww
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