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忘却聖女  作者: 守野伊音
六章
118/120

118聖






 どれだけ明かりを灯そうと、光が広がらない闇の中。まるで、あの日見た神々の墓地のようだ。

 穢れの濃度が高すぎて、光が通らない場所は久しぶりだった。

 ここは、現在調査隊が入っているマレイン家の地下でも最下層となる。まだまだこの下には空間が広がっているので、本当の最下層は遙か遠い。

 現場を見れば、ここで神官達が足止めを喰らったのも頷けた。

 闇に踏み入れた足に、穢れが纏わり付いてくる。穢れが濃すぎて浄化が通らない闇が、菌糸のように這い上がってきて、身動きすら取れなくなる。

 人数を重ねてようやく浄化が通り始めるが、闇が蝕んでくる速度のほうが早い。この速度、奥に穢れを発生させている何かがあるのだろう。

 闇を力尽くでねじ伏せる、爆発的な火力といえる浄化でなければ、通らない。

 湧き出してくるのなら、根本を塞ぐか。

 壊すだけだ。

 私の身の内から溢れ出した神力が膨れ上がり、穢れを弾き飛ばしながら広がっていく。神力の使い方がエーレに似ている自覚は、ある。


「こんなものですかね」


 最終的に全てを吹き飛ばす形になった。苦笑しながら、闇が取り払われ真っ新となった空間を眺める。


 広い部屋だ。飾りっ気がないどころか、家具どころか荷の一つもない。

しかしそれだけだ。

 先ほどまで、人が呼吸も出来ぬほどの穢れに覆われていたと言っても誰も信じないほど、普通の部屋だった。

 未だにうまく馴染みきらない神力が漏れ出した影響で、浮き上がってしまう髪を適当にかき集め、掌に握り込む。


「聖女様」


 調査隊を率いている眼鏡をかけた神官が、そっと声をかけてくる。


「分かっています。あなた方はここで待機を」


 奥の壁に何かが埋まっている。

 一度全てを消し去った穢れが、そこから流れ出している。


「……ああ、これは」


 こちらにおわしたのですね、我が神。


「ハデルイ神」


 宙の欠片が、そこにあった。



 ハデルイ神だけではない。沢山の宙の欠片が壁に埋め込まれ、人への怨嗟を垂れ流している。

 そんな中、ハデルイ神の宙だけが違う流れを生み出していた。

 神々の怨嗟を、部屋の内へと留めている。ハデルイ神の宙が留めてくださらなければ、王都は内側からこの穢れを受けていただろう。

 大樹の発生場所が違ったので気がつかなかった。大樹を発生させたのはアリアドナアだが、あの大樹を維持していた養分はここから抽出されていたのだ。

 どこまでも。どこまでも神々を侮辱したアリアドナ。

 彼女は、きっといま地獄にいるのだろう。アリアドナが一人で地獄にいるのか否か、それは誰にも分からないが。


「ハデルイ神。我が神…………我が父。あなたの最後の欠片は、不出来な創造物めがお看取りいたします。……あなた様より授かった御力であなた様をお見送りいたせるならば、身に余る光栄にございます」


 触れた宙が、ほろりと解ける。

 十二の神々最後の欠片が、怨嗟と共に散っていく。

 最後にふわりと、温かな宙が咲いた。








「で、ここから先にまだ空間あるの何なんですかね」

「さあ……私どもに言われましても」

「ですよねー」


 軽い笑い声を上げて応じたが、神々の亡骸を苗床にして穢れを育てていたなど、とてもではないが受け入れられない侮辱を見て気が高ぶっている。

 意識して精神を落ち着かせながら、さてどうしたものかと部屋の中を見回す。立ち入りを解禁した神官達が忙しなく動き回っている。

 ここの調査が終われば、更に地下を目指すのだ。

 ひとまずここまでの道程に危険性はないけれど、今日処理した内容が内容である。


「今日の調査はここまでにしてください。直接穢れに触れていなくても、これは視界に入るだけでも毒です。今日は撤収して、全員養生する通達を出してください」

「畏まりました」

「では、また何かあればすぐに呼んでください。これ以上とんでもないものは出ないと思いますが…………出ませんよね?」

「さあ……私どもに言われましても」

「ですよねー」


 眼鏡をかけた神官は、まっすぐに私を見た。


「出たら助けてください」

「勿論です。私は安心安全即行が売りの聖女ですから!」

「胡散臭いので安心だけにすべきかと」

「あ、はい」


 皆、自分の意見をしっかり持っていて、尚且つそれをはっきり伝えてくれるのはいいことだ。


「では、また来ますね。後のことはよろしくお願いします」

「はい、お任せくださいませ」


 全員今日は美味しいものを食べて、早く休んでほしい。今日に限らず毎日そうしてほしいので、そうできるよう頑張るのが聖女の務めである。

 早く調査を終えられるよう、ここに来られる日を増やしたいものだ。

 そう改めて思いながら、マレイン家を後にした。





 帰りの馬車に乗り込む途中で、足を止める。


「聖女様、如何されましたか?」

「まだ会議まで時間ありますよね?」

「はい、ございますが」

「んー……」


 内容自体は凄まじいものであったが、対処事態は早く済んだ。

 最近神の穢れに触れる機会が多すぎて、手慣れてしまったのかもしれない。こんなものに慣れたくはなかったが、言っても仕様のないことである。


「王立研究所へ向かってください」

「畏まりました」


 神官は、神より浅く、王より深く礼をした。


「しかし、お忙しいですね」

「今しばらくは仕様がありませんよ。あなた方にも負担をかけています」

「とんでもないことでございます。これは神官の務めにございますれば」

「私も聖女の務め頑張りまーす」


 乗り込んだ馬車の扉を閉め、神官は恙無く馬車を進める。未だあちこちで工事が行われている道はがたがたで、どれだけ慎重に進めても揺れは激しい。

 行儀が悪いのは承知の上で、御者との間をつなぐ窓から顔を出し、足をばたつかせる。


「ははっ、これ以上頑張られてお体を壊されませぬよう。いま思えば、聖女様が脱走なさっていた日々がどれほど平和だったか、思い知るというものです」

「あの日々を取り戻せる日をご期待ください」

「いえ、期待はしておりません。脱走はすんな」

「いきなり真顔になるのやめません?」

「真顔にならいでか。我々が、我々がどれだけ、どれっ……だけっ! 探し回ったか」


 あ、これ藪蛇だった。

 当代聖女の周囲にはあちこちに山ほどの藪蛇が配置されているので、何かの拍子にひょっこり顔を出す。出しまくる。

 私は浮かべた笑顔をそのままに顔を引っ込め、静かに窓を閉めた。




「あ、聖女様だ」


 王立研究所に到着し、神官が手続きを済ませている間少し待っていると、元気な声が聞こえてきた。


「どうも、こんにちは。お元気そうで何よりです」

「こんちは。で、どうしたの? 何か用?」


 ぱたぱたと走り寄ってきたフェリス・モール研究員に、軽く手を上げて応じる。


「少し時間が空いたので」

「そうなんだ。なあ、ココはいないのか?」

「ココは忙しいので」

「ちえ」


 頭の後ろで手を組み、盛大に口を尖らせたフェリスの頭を、後ろから滑り込む勢いで走り寄ってきた男が引っぱたいた。


「いってぇ!?」

「ばっか! お前馬鹿! 下がってろ!」

「何だよ!」

「お前、礼儀訓練さぼってるだろ! 今日から礼儀訓練しないと研究させないからな! 今決めた! もう決めた!」

「はぁー!? ふざけんなよ所長!」

「ばーか!」


 わらわらと、どこからともなく現われた研究員達が、不満だと顔に書いてあるフェリスを運んでいく。

 手足を持ってえっさほいさと運んでいく様子は手慣れているので、よくある光景なのだろう。

 王立研究所の所長を務めている痩せ型の男は、ひょろりと長い手足を折りたたむように頭を下げた。


「大変失礼いたしました。よく言って聞かせますので、平にご容赦を」

「構いません。私も突然お伺いし、申し訳ありません。少し時間が空きましたので、お話をと思いまして」

「それはそれは、誠、光栄にございます。それではこちらへ。ご案内いたします」

「ありがとうございます」


 ここは人目が多すぎる。所長は私を連れて、さっさと奥へと進み始めた。

 いくつかの通路を経由し、奥へと進む。途中何度か鍵のかかった扉を通った。

 奥へ進めば進むほど、人通りは少なくなる代わりに鍵のかかった扉と、その前に立つ人間の数が増える。


「変わりはありませんか?」

「はい。良くも悪くもですが」

「そうですか。けれどひとまずは、衰弱を免れ、生命が維持されていることが何よりも大切です。引き続きお願いします」

「聖女様の御心のままに」


 扉には結界が張られ、人が通過すれば分かるようになっているが、その上で人間の警備を置いている。この警備方法はとてもいいと思うので、神殿や王城も採用を見当したらいい。

 それをすると、私もルウィも脱走しにくくなるが。

 しかし、私とルウィの自由時間より、皆の安心安全のほうが大切だ。懸念点については、私達が脱走の腕を上げれば解決するので、今度提案してみよう。


 神殿に導入する場合の草案を考えていたら、あっという間に目的地へ到着した。

 何度か訪れて覚えた手順で中へと入ると、いつも通り壁も床も同じ白で統一された空間が広がっている。通路の両脇には、いくつもの硝子張りの部屋が連なり、人々が静かに作業を続けていた。

 私に気づいた人々が、軽く頭を下げる。

 初めの頃は作業を中断してこちらに来ようとしていたが、手は止めなくていいと通達してからはこの形式になっている。

 それでも、この場に派遣している神官一同は、王より深く神より浅い礼を欠かさなかった。

 軽く手を振って応じながら、外とは隔離された静かで真っ白な空間を眺める。少しだけ、星の中を思い出す空気だ。

 歩きながら、硝子張りの部屋の中を眺めて歩く。

 そうして、目的の場所で立ち止まる。


「……それでは、我々はこれで」

「ありがとうございます。また、帰り際に声をかけます」

「畏まりました」


 下がっていく所長とは逆に、私は足を進めた。入室した硝子張りの部屋の中には、治療石がいくつも浮かび、そのどれもが常に稼働している。

 部屋の中心にある寝台には、アリアドナの器とされていたアノン・ウガールが眠っていた。


 王立研究所では、アリアドナ、この場合はエイネ・ロイアーといったほうが正しいのかもしれないが、彼女に魂を蝕まれた人々の治療が行われている。

 本来ならば神殿内で行ったほうがいいのだが、先代聖女が加害者である被害者達に対し、加害者が作り上げた神殿内で隔離治療を行うのは憚られた。

 そして何より、半年前の神殿は壊滅状態だったのである。

 早い者勝ちで瓦礫の隙間を得られれば雨風防げるという状態では、どう考えても入院治療は行えなかった。

 そこで、比較的被害を免れた建物があり、設備と人員と知識が整っていた王立研究所に協力を要請したのだ。

 アリアドナが作りだした大樹などの研究も行っている王立研究所は、その他の研究資料が塵と成って消えてしまった現状を嘆きに嘆いていた。

 そして、力の残滓が残っている被害者達を、諸手を挙げて受け入れてくれた。

 王立研究所が受け入れてくれたことを大変心配した王城が、神殿関係者を常時派遣せよと要請したほどに、大いに喜んでくれた。


 王立研究所は、とてもよくしてくれている。

 専門外である治療は派遣した神官達が行っているし、あくまで治療を優先した節度ある研究に励んでくれているとの報告が上がってきていた。

 対象に関わる際は全て神官に確認を取り、許可を得てから行っているというので徹底している。

 報告を受けた際はほっとした。

 専門外の施設で前代未聞の治療が必要な患者を受け入れてもらうのである。王立研究所の負担もさることながら、研究者と治療者で互いに譲れぬ面も出てくるのではないかと案じていたのだ。

 しかし、それらは杞憂だったようだ。

 研究員から許可がほしいと渡された計画書の九割以上を却下している現状が若干気にはなるが、今のところ特に問題は発生していない。

 そう思っていたら、最後にもう一枚報告書が張り付いていた。最後の報告書には、ついに計画書の十割却下に到達しましたと書かれてあったが、今のところ特に問題は発生していない。



 懇々と眠り続けるアノンの横に立ち、その寝顔を見下ろす。隣の部屋には、前神官長フガルも眠っている。

 二人とも、あれから一度も目覚めていない。

 現在生ある人間の中、最も長くエイネ・ロイアーに接したフガルは、誰よりも深く心を、自我を壊されていた。

 エイネ・ロイアーは心を壊す。自我を、その人物の為人を喰らうのだ。

 アノンは、それほど長い時間行動を共にしていたわけではなかった。だが心の損壊は酷く、フガル同様一度も目覚めない。


 アノンは、ごく一般的な平民の家庭で育った。

 一般的ではあるが、一般的な基準より、穏やかで平穏な家庭だった。

 仲のよい両親、姉一人、弟一人。両親は教師で、勤勉で穏やかな性質を持っている。家族仲は全員とてもよく、たまの喧嘩はあれど、皆で食卓を囲んで過ごせば解決してしまう。

 姉は文学でいくつもの賞を取り、弟は運動が得意で大会に出場するそうだ。

 貴族のような生活は出来ないけれど、気が向いたときのちょっとした贅沢に困らない収入があり、近所との仲もよく評判もいい。

 家族全員、真面目で人がいい。

 そんな家。

 そんな家の少女が、エイネ・ロイアーを受け入れてしまった。深く、深く、自身の根底を明け渡してしまった結果、どうなるか。

 一溜まりもなかった。それに尽きるだろう。


 治療開始時、アノンの記憶を確認した。取り返しのつかない大きな傷も陰りもない、酷い衝撃を受けたことなく、綻びのない柔らかく丸く温かな心。

 彼女が過ごした環境を象徴するような心が、そこにはあった。

 賞を取る姉、選手となった弟。教師である勤勉で物知りな両親。

 取り立てて褒められる特技のない、自分。

 自慢できること、できるかな。

 そんなわくわくとした声が、心の破片にこびりついていた。

 お手伝いをよくしてくれる子。よく気がつくいい子。いつも助かるよ。手伝ってくれてありがとう。あなたはいつも丁寧ね。嬉しい。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。

 大人達から山ほどかけられるそんな言葉が、アノンは欲しかったわけじゃない。

 嬉しくなかったわけではないけれど、物足りなかった。


 凄いね。いいなぁ。


 そんな、素朴は賞賛が欲しかった。


 やったじゃない!


 そんな賞賛と共感が欲しかった。ほんのちょっとの羨望が、欲しかった。

 ただ、それだけ。

 穏やかで平和な日常を彩る、ほんの少しの昂揚と満足が欲しかった。

 本当に、ただそれだけだったのだ。

 歴代最高の人心を集めたエイネ・ロイアーが、その身を器に選んだと知ったとき、アノンはどう思ったのだろう。

 誰もが褒め称え、敬い、慕い、忠義を向ける人が、自分の中にいると知った少女の昂揚は、如何ほどか。



 アノンの枕元に設置されている神玉に、浄化と癒術を注ぎ込む。この石は被害者全てに繋がっているので、どこか一つに注ぎ込めば全員に行き渡る。

 アデウス国民を、無辜なる罪人へと仕立て上げたアリアドナの罪は、何より重い。人の手で裁けなかったことが今でも悔やまれる。

 人の手で裁けずとも、直接的な罰を与えることは出来た。

 アリアドナの最期を、苦痛の中で終わらせることは、さして難しくはなかった。

 ハデルイ神という神に、そして神に近しい身となった私に愛されたエーレの炎は、神にも届く。

 エーレの炎で魂までをも焼き、もがき苦しみ、絶望の中で潰えさせることは容易だっただろう。

 だが、下手に追い詰めれば錯乱のままに怨嗟を撒き散らし、アリアドナ自身も意図せぬ形での呪いが星の中に残った可能性がある。

 危険が迫った際、自らの持つ武器を敵に向けて放つ生き物は数多い。アリアドナの中にあった毒の性質を考えれば、それらを破裂させずに対処する必要があった。

 しかし、一刻も早い星からの退去が望ましかったとはいえ、アリアドナの罪に対する罰は釣り合っていなかった。

 この世では帳尻を合わせられなかった。ゆえに、アリアドナは今、その帳尻を合わせているだろう。

 彼女がここで生きた時間、もしくはそれ以上の時間を、罰を受けて過ごす。

 私達には関与できない罰でしか罰せられなかった。

 それが、同族から神喰らいを出してしまった人間達への罰だったのかもしれない。



 連帯責任にしては範囲が広すぎるし、それに対し抗議の一つや二つ行いたいが、星や神々の基準ならば嫌でも納得するよりない。


「人はあなたを諦めません。ですので、どうかいつの日か…………アノンとしてのあなたにお目にかかりたいです」


 神玉へと送り込んでいた神力を解いた時、視線を感じた。

 神官ならば遠慮せず話しかけてくるが、研究員は視線が合うまでなかなか話しかけられないと以前言っていたので、視線の持ち主を探す。

 探し人はすぐに見つかった。

 硝子張りの窓からこちらを見つめていたのは、長かった金髪を肩の上まで切り落としたベルナディアだった。

 ベルナディアは、自身に気がついた私の目線に合わせて優雅な礼を向けてくれた。








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