107聖
「――――ここ、は」
それは異様な光景だった。
この状況下、異様でない場所などどこにもなかった。だが、そんな王都の中でも群を抜いて異質な光景が、私達の前に広がっていた。
私だけでなく、エーレも、ルウィでさえ言葉を失ったまま、その光景を見つめる。
大勢の人間が地面に座り込み、掌を合わせていた。
人々は皆俯いたまま、動くことはない。
されど、石になっているわけでもない。
肩に触れれば温かく、髪は静かに揺れ、柔らかな肌を滑り落ちていく。
人だ。
人の形を残している石とは根本から違い、全身生身のまま、人々が眠っていた。
彼らの上にも、王都中を染め上げた白が積もっている。それなのに、誰一人として石にはなっていない。
向こう側が透けて見える石となっていないから、目を凝らさずとも個々がはっきりと判別できる。
性別も、年齢も。その表情に至るまで、全て。
老若男女、揃い踏みだ。何か突出した条件があるわけではない。王都の住人を無作為に選出すればこうなるだろうという予測通りの人々が、ここにいる。
人々は皆、同じ方向を向いていた。掌を握りしめているのは祈っているからだ。
その祈りの先を、私は知っていた。
祈りの先も、合わせられた掌の中に何が握られているのかも。
全て。
人々の中心には、ぽかりと空いた空間がある。
そこは、私とルウィが王都に立った最後の場所だった。
王都が墜ちるその日、私とルウィがこの身の使い所を決めた場所。
そして、私達が王都を去った場所。
ずっと、心配だった。
私の破片を握りしめ、救いを求めた人々のことが、ずっと。
もうどこにも行けず、恐怖と絶望に押し潰されながら私とルウィの元へと集った人達を、置いてきてしまった。その後悔がずっと私の中に渦巻いていた。
目の前で私達が消えた彼らの絶望は如何ほどか。置いていかれた彼らの恐怖は如何ほどか。
無責任な私へ怒りを向けてくれていたらいいと、願っていた。短期的には、絶望や恐怖より突発的な怒りのほうが、個を保つ原動力になるからだ。
けれど、この場にいる人々は皆、とても穏やかな顔をしている。
そこに恐怖や絶望はなく、まるで眠っているようだ。事情を知らなければ、敬虔なる信徒達が厳かに祈りを捧げる様子に見えるだろう。
私が消えたことには気づかぬまま眠りについたのだろうか。彼らの意識に苦痛がなかったのならば、どれだけ嬉しいか。
彼らに苦痛がなかったのなら、それは神の差配だろうか。
ハデルイ神は、最後の力を使い果たしたと仰っていた。そこには、私を神に近しい存在へと召し上げてくださった以外の理由もあったのかもしれないと、この光景を見て思った。
白装束の一人は、近くにいた若い男の俯いた後頭部に積もった白を、手袋をはめた手の甲で軽く払ってやっている。
周りとは違う浅い積もり方をしている人々が、他にもちらほら見受けられた。今までもそうしてあげてきたのだろう。
「何故かここにいる人間達だけが石とならぬのです。まるで石になったかのように動かず、目覚めることもございません。されど明らかに人のままなのです」
「………………そうですね」
白を払ってもらった若い男は、杖を自身の横に置いている。その近くには、地面に這いつくばり、頭を抱えている貴族の男がいる。
私の破片を握りしめ、救いを求めた人々がいる。王子と聖女の無事を願った人々がいる。
その人々を、私とルウィは無言で見下ろした。
あの時も、こうして見下ろしていた。ベルナディアが奏でる子守歌を背に、踊りながら。
「本来、生身の彼らは優先的に屋内へ移動させるべき対象と理解はしておりますが…………移動しても、問題はないのでしょうか。この場よりの移動を原因とし、彼らが死に至ることはあり得ますでしょうか」
「確認しましょう」
ぽかりと空いた空間に立ち、彼らへ向けて神力を通す。
ただただ力任せに這わせるのではなく、染み渡るように広げていく。対象が絞られているのならば一本の意識を伸ばせばそれでいいが、範囲が広いのであれば水のように広げるほうがいい。
制御しきれず漏れ出した神力により揺れる私の髪を、エーレの視線が追っている。その瞳の中には、悔恨と無念さが紛れているように見えた。
この場に私が染み渡っていく中、私の目には、彼らの命の灯火が見える。
石となった人々より明確に個を保ったまま脈打つ灯火が、そこにある。
人が生きている光景は、ただそれだけでこんなにも嬉しい。
死んでいない。殺されていない。
生きてさえいれば、生きてさえいるならば、届くかもしれない救いを支えに進んでいける。
一度ふっと肩の力を抜く。石となっている人々へ通した神力はそのままだけれど、意識は白装束へと戻した。
「あなた達の思慮深い判断に感謝します」
人の子が為にあれと創り出された私の破片が、彼らの祈りに呼応して、この状況を作り出している。
本来繋がるべき神は今やなく、星はアリアドナによる侵食を阻み切れていない。そんな状況でも祈りの形が稼働しているおかげで、白の影響が彼らを染めきってはいなかった。
当時はハデルイ神と繋がっていた私の破片は、今は神に近しき存在となった私の残滓だ。
そこに縋った人々の祈り。大樹から溢れ出すアリアドナが所持する神力。それらが奇妙に馴染み、弾き合い、一つの調和を創り出している。
私の破片がもっと多ければ、意識すら落とされず何の変化も受けずいられたかもいれない。そうすればここで野晒しになることなく、王都からの脱出すら叶った可能性もあった。
そう思うと、申し訳なくなる。
あの時の私はどうせ歩けなかったのだ。私を運搬してくれたルウィの負担も考慮し、足の一本や二本、適宜砕いて彼らに配ればよかった。
けれどその場合、この奇妙な均衡が成り立っていたかどうかは分からない。大は小を兼ねると言うが、多すぎればいいというものでもない。
お菓子は甘いと美味しいけれど、山ほど入れた砂糖は溶けきらず、じゃりじゃりとした食感として残るのだ。
多すぎても、少なすぎても成り立たない。
この均衡は、おそらくそういうものだ。
「大樹の根もこの場を避けていますね。絶対的な確証は持てませんが、現状この均衡が崩れた先にある危険性のほうが高いと、私は考えます。よって、心苦しいとは思いますが彼らはこのままに」
本当に、心苦しいけれど。
彼らを目覚めさせる前に、やらねばならぬことがある。
一刻も早くアリアドナを制し、大樹を滅さなければ。
恐怖と絶望の中、それでも最後まで祈りを忘れなかった彼らが見る景色が、こんなものであっていいはずがないのだ。
「畏まりました…………聖女様、僭越ながらお伺いしたき事柄がございます」
「私にお答えできることでしたら」
石となった人々を野晒しにしている現状をよしとせず、屋根のある場所へ移動させている彼らに、生身の要素が強い人々を放置せよと、酷いことを言っている自覚はある。
彼らが抱いている疑問や不満は、できるだけ聞いておきたい。今はその程度でしか彼らに報える方法がないことが口惜しいけれど。
「この場にいる人々が石となっていない理由に、お心当たりはございますでしょうか」
「私の一部を彼らが所持している事実が理由の一つではあるかと思いますが、それが全てではないでしょう。あくまでそれは理由の一つに過ぎません。よって、この均衡を崩すことが危ういと私は考えております」
「あなた様の、一部、とおっしゃいますと」
「髪などがその最たるものでしょうか」
切り離された一部と言うことで理解しやすい部位を選んでつけたが、実際は私の肉体が結晶化し、砕けたものである。
まあどれも私という個から離れた上で、私という個を保ち続けていることには変わりない。特に今の私にとって、指も髪も大差はないように思える。
私は、王都に入ってからずっと、風もないのに揺れている自分の髪を掴んで見せた。
神の一部がどこまでも神であるように、私の一部もどこまでいっても私である。
御神体とはそういうものだ。
眼球も髪も、元を正せば神より創られ、その御業の執行を許された私という個である事実は変わらない。
ならば、どこを譲渡しようと大差などないのである。
「………………聖女様」
「はい、何でしょう」
靡いた私の髪が邪魔で、大雑把に払う。この力を使うたびこうなってしまうなら、切ってしまうべきなのかもしれない。
エーレへ視線を向けると、複雑な色を灯した瞳で白くなった私の髪を見ている。この髪色になってから、度々見かける瞳だ。
もしかするとエーレは私の髪が好きだったのかもしれないと、最近気がついた。最近というか、さっきだか。
ならば髪を切るのは最終手段としよう。
彼が無念さを滲ませたあの髪色は最早失われてしまったが、好きな要素がまだこの中に残っているなら、出来る限り彼の意向に沿いたいとは思う。
私だって、好きな人が心穏やかに過ごせる条件が自分にあるのなら、出来る限り叶えてあげたいと思う心くらいは持ち合わせているのだ。
「無礼を承知でお願い申し上げます。御髪を一房、頂戴致したく存じます」
「あ、どうぞ」
私は刃物の持ち合わせがないが、彼らはきっと持っているだろう。どうぞ好きに刈っていってくださいと頭を差し出せば、その頭が後ろから盛大に引っぱたかれた。
「いったぁ!? どうしたんですかエーレ!」
「どうもこうもあるかこの大馬鹿者が。お前の髪に関する決定権は、神官長の次が俺だ。その次はココだ」
「えーと……私の決定権は何処に?」
「最下位だ」
「遙か彼方! ……ちなみに、最下位に至るまでの間には誰がいるんですか?」
「神殿関係者全てだ」
「事実上の戦力外通告!」
初めて知る衝撃の事実。私の髪に、私の権限がなかった。
つまりこれから先、私が髪を切りたいと思った場合、神殿中から許可を取らなければならないのだろうか。
まあ、彼らがそれを望むなら別に私の髪くらいどうでもいいが。
全部剃り上げるも伸ばし続けるのも好きにしたらいい。
それに、緊急事態や非常事態など、許可を取る時間が惜しい場合は私の独断でも許されるだろう。
金策に使っても多分大丈夫だと思うので、困ることなど何もない。
どこの思考がいけなかったのかは分からないが、追加で私の頭を引っぱたいたエーレは、次いで白装束達を睨んだ。
「お前達もだ。人の主の髪を所望するとは何事だ。無礼の範囲すら飛び越えているだろう」
「は……申し訳ございません。しかし、どうか御当主お二方様の御身をお守りする術を、我らに授けていただきたく存じます」
「あ、いいですよ。どうぞどうぞ。私は刃物の持ち合わせがないので、用法用量を守り、ご自由にお切りください」
適当に鷲掴みにした髪を突き出せば、白装束は目にもとまらぬ早さでどこからともなく掌ほどの大きさの刃物を出し、エーレは目にも止まらぬ早さで私の顔面を鷲掴みにした。
リシュターク家の皆さんは、目にもとまらぬ早さがお得意である。もしかしてお家芸だろうか。
「どうしてお前は、俺が告げたばかりの言葉を完全に忘れてしまえるんだ」
「覚えていますが、人の安否がかかっているのですから、これは特例と判断しました。特例ならば、私だけの判断が可能でしょう?」
当代聖女の神殿では、緊急事態には逐一許可を取らずとも構わないと定めてある。
全ての責任は私が取るので、皆、己と他者の命と身の安全を最優先にしてほしい。
それはエーレも深く理解しているだろう。
何せ人手が最も足らなかった嵐のような時代を駆け抜けた、当代聖女陣営最古参の一人なのだから。
当代聖女陣営最古参の一人は、深く溜息を吐いた。
「これを許諾すれば、あっという間に禿げ上がるぞ」
「禿げ上がった私は嫌いですか?」
「愛しているから腹立たしいんだろうが」
「それは、どうも……」
自分から振っておいてなんだが、エーレは少し言葉と状況を選んだほうがいいと思う。
「何だ。お前は俺の髪が失われれば嫌いになるのか、薄情者」
「確かに私は面食いですが。それはともかく、エーレを嫌いになる理由がこの世に存在するとは思えません」
それはそれできっと可愛らしいとも思うのだ。
しかし、エーレはこれ以上外見年齢を重ねることはなく、加齢により髪を失うことはない。よってこれは不毛なやりとりなのだろう。
けれどエーレはひょいっと眉を上げ、意外そうな顔をした。
「お前、面食いだったのか?」
心底意外そうな顔で意外なことを言う人に、私も意外な顔を返した。
「え? エーレ知らなかったんですか?」
「お前は……外見的特徴に興味がないのだと思っていた」
「そんなことありませんよ。だって私は、あなたが浮かべる表情がとても好きですから」
「……………………それは、面食いと表現される感性では、ない」
「そうなんですか? 面に表出されているものを好む嗜好を面食いと呼ぶのでは?」
「お前が本来の意味での面食いならば、俺はこんなにも苦労せずに済んだんだ」
深い深い溜息を吐いているが、白が周り中に降り積もっている場所で深い呼吸は控えたほうがいいのではなかろうか。
ここがエーレの張った膜の中であり、中の空気は私が浄化しているとはいえ、絶対がない以上やはり心配だ。
エーレほどの人がそれを分からぬはずもないのだが、きっと私の浄化能力を信じてくれているのだろう。
信頼は嬉しいが、それとこれとは話が別である。エーレには怪我一つしてほしくない。
「心底厄介なこの顔で釣れるのがどうでもいい輩ばかりで、お前には無効と分かったときが何よりも一番この世の理不尽を感じた」
「一番そこで大丈夫ですか?」
波乱に満ちた時代のリシュタークを、誰よりも中心で生きた三人の内の一人がエーレなのだ。他に一番を取るべき箇所は山ほどあったと思われる。
そこは心底疑問だが、とりあえずエーレには溜息を控えてもらおう。そう思いながら口を開いた私が言葉を放つ前に、私の隣に移動してきたルウィが私にもたれかかってきた。
「して、マリヴェルよ」
「はいはい」
私の頭に顎を置き、ルウィは声を潜める。
「そなたと同等とまではいかずとも、余やエーレの髪にも類似した効果は見込めぬか?」
飄々とした顔で聞いてくるにしては、わりと機密事項寄りの問いだと思うのだ。
わりとも何も、エーレとルウィが命の枠組みから外れたことは、どう考えても機密事項である。
「そうですね……」
私も潜めた声が届きやすくなるように、若干顔の角度を上げて応じた。
「今のところあなた方と私が連動しているのは、存在証明が基本軸となり、それ以外はおまけと思ってください。よってそこまでの権能は期待できません」
「口惜しいものよ。どうにかならぬか?」
確かに、時間稼ぎであろうが手数が増えるのは喜ばしいことだ。ルウィが食い下がるのも当然だろう。
それは分かるし私でもそうする。けれどどうにも難しいのも本当だ。
「あなた方に私が馴染めばそういうことも有り得るかもしれませんが、魂をこねくり回すのは危険性が高いですし、肉体を重ね合わせての結果を期待するには時間がかかる上に対象者が限られます」
「ふむ。ではマリヴェル、余を愛人にする予定はないか?」
「王子を愛人扱いする聖女、どう楽観的に考えても国民から袋叩きの刑では?」
ついでに市中引き回しの上、首も切られそうである。
仲違いの元凶であり共通の敵が判明して、せっかく神殿と王城の蟠りに解消の兆しが見えてきたというのに、二度と修復不可能な状態にまでこじれる予感しかない。
「聖女の本妻を狙わぬだけ謙虚とすべきであろう?」
「謙虚な人間は、愛人契約を持ちかけないかと」
私とルウィの間を縫うように、エーレが滑り込んでくる。
「余は生涯これで楽しめると確信しておる」
ルウィは腕を組み、満足げに頷いた。
「ルウィ、エーレは男性なので本妻ではありませんよ? 本……この場合、男性だとどう呼称されますか?」
「該当する言葉が思いつかん。理不尽なことよな」
「本夫でいいですかね。ところでエーレ、私の肩がそろそろ砕けそうです」
私の肩に置かれたエーレの手は、エーレとは思えない力を出している。
当代聖女忘却事件より後、いろいろありすぎてエーレは少し力が強くなったのだろうか。後で盛大な筋肉痛にもだえ苦しむ可能性も残っているので、言及しないでおこう。
「殿下、恐れながら御身より友人との地位をいただいておりますので、そろそろ燃やしても許される間柄と判定いたします」
「うむ、許可しよう。実は前々より、そなたの炎に興味があってな」
王子を燃やすなどとんでもないことだと思うけれど、本人が許してしまった上にとてつもなくわくわくしているので問題ないのだろう。
私は、今にも発火三秒前のエーレと、熱いのに火傷しない不思議な炎体験を間近に控えてわくわくが止まらないルウィに背を向けた。
そして、未だ膝をついたまま、されど先ほど取り出した刃物もしまわず、じっと エーレを見ている白装束の前にしゃがみ込む。
「この隙に髪いりますか?」
「是非に」
「聞こえているぞ」
食い気味にかぶせてきた白装束の言葉に、未だルウィを向いたままのエーレの声が重なる。
「エーレ、地獄耳ですよね」
「まことに……」
「聞こえていると言っただろう」
ひそひそ白装束と分かり合っていたら、いつの間にかエーレが帰ってきていた。
ルウィはどうなったのだろうと思ったら、大変ご機嫌だったので燃やされたのだろう。あの炎を受けてあんなに楽しそうな人を初めて見た。
でも、あれだけエーレと友人になりたがっていた人だ。友情の上に成り立つじゃれ合いが出来て嬉しかったのかもしれない。
それらは全く関係がなく、純粋に燃やされてみたかっただけの可能性もあるが。
「マリヴェルはともかく、お前達はマリヴェルにつられすぎだろう。……珍しいな。線引きはお前の武器だろうに」
心底そう思ったのだろう。怒りよりも疑問が先立った様子のエーレに、白装束は見るからに面目なさげに身を小さくしている。
「まこと……エーレ様の無事なお姿を拝見し、気が緩んだのやもしれませぬ」
うまい感じに持っていこうとしている感は否めないが、エーレの無事を喜んでいるのは事実なのだろう。その部分だけ声音がとても柔らかく、安堵に満ちている。
彼らが喜ぶエーレの無事は、無事ではない事実の上に成り立っていると思う度、胸の奥に重く冷たい塊が沈んでいく。この感覚にも、いずれ慣れる日が来るのだろうか。
絶対に来ないと思うほど痛く、来てほしくないと願うほど苦しく、来てはならないと祈るほど悲しいこの感覚を、私は消滅するその時まで抱き続けていくのだろう。
「して、エーレ様。聖女様の御髪の件は……」
「諦めろ。主の配偶者の髪を所望するな」
「え………………?」
なんだか揉めそうな気配を察知した。
エーレの安否が判明した以上、次はリシュターク家が愛した末っ子の結婚問題が堂々と鎌首を上げてくるのは当然である。
何せお兄さん達にとっては、まさに寝耳に水の話だ。記憶が戻れば愛子と聖女が結婚しているのだ。
しかし一言許されるならば、この婚姻、私にとっても寝耳に水だったことだけはどうか知ってほしい。
本当にびっくりした。ちなみに今でも若干びっくりしている。
「エ、エーレ様? ご冗談が過ぎまするぞ…………エーレ様!?」
「嘘でしょう!? 嘘だと言ってくださいませ、エーレ様!」
「そのような情報を持ち帰れば、我々が兄上様方に殺されます! エーレ様ぁ!」
リシュタークのことはリシュタークに任せ、私はこの光景をまるで観劇でも見るように眺めているルウィへと向き直った。
そして、神より浅い、されど正式な礼をする。
「では、第一王子。あなたの手腕に期待します」
「聖女の期待を受け光栄だ。我が血に懸け、尽力しよう」
王子から返る正式な礼は、とても様になっている。まるで観劇に出てくる王子様のようだ。
けれど私は、観劇を見るより先にルウィと出会ったので、私にとっての王族はルウィが基準となっていた。
「聖女よ。そなたを慕う幼子らの願い、どうか無碍に扱ってはくださるな」
「無論です。幼子らの安寧、第一王子に託します」
「任されよう」
ルウィとは延々とくだらない話も大切な話もできるけれど、第一王子と交わすべき言葉はそう多くない。それは彼も同じだろう。
「では、ご武運を」
「武運長久を――祈る先がそなたになるのは如何なものか」
「あー……じゃあ、星にでも祈っておいてください。現在の王都で星空は望めませんが、こことて結局星の中。星に願えば、神へ届きますよ」
この世にある命は、所詮は全て星に生きる民。
アリアドナだけがその枠組みを壊さんとし、エーレとルウィが枠組みから外れたとしても、この地に生きる星の民である事実は変わらない。
命もないのに稼働している私を生かしたこの人達の願い、聞き届けねば聖女の名が廃るというものだ。
そうして、握手の一つもせずに私達は分かれた。私達が触れたのは、祈りながら眠り続ける人達へだった。
互いに隣にいた人々へ口づけを落とし、背を向ける。
ルウィは人の子らを生かしに。
私とエーレは人の子であった女を殺しに。
神殿と王城の務めは違う。違うからこそどちらも必要な、アデウスの要。
アリアドナは、神殿と王城、どちらも落としきれなかった。落としきる必要もないと判断したのかもしれない。
けれど、その判断は間違いだった。
その判断が命取りだったと思わせることこそが、私の役目である。