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忘却聖女  作者: 守野伊音
六章
106/120

106聖





 声がする。


『どうして』


 女の声だ。


『どうして』


 声がする。


『どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして』


 アリアドナの、声がする。







 頭の中にわんわんと響く声は、波紋のように広がり続ける。流石、神となる寸前のまま何百年も過ごした女だ。その声は、既に力を宿している。

 私がいるこの場にだけ宙が現われたのは、鍵を求めるアリアドナの無意識だろうか。意図して私を追ってきたにしては、規模が少なく、影響が薄すぎるのだ。

 突如北へと現われた根も、まるで癇癪のようだった。

 あれからすぐにアリアドナのいる王都へ移動したというのに、大樹の根は動きを見せない。ようやく動いたかと思えば宙を呼び、その宙にはアリアドナの声が響き渡るだけ。


 白装束の言葉と、アリアドナの行動に感じた違和を繋ぎ合わせて考えると、やがて一つの答えに辿り着く。

 大樹の根は、度々妙な動きを見せている。規則性のない動き。執拗かつ攻撃的でありながら、私への意識が散漫なアリアドナ。

 不規則な根の動きに関しては、アリアドナが何をか試行錯誤しているから。そして私への意識が散漫なのは…………。


 アリアドナが、長く生きすぎたからだ。


 根の表面へ掌を滑らせる。私が撫でた後には木の表皮が現われていく。

 さっと撫で終われば、そこにはもう宙はいなかった。

 小さく息を吐く。

 私は、アリアドナとは最終的に、力任せの生存競争になるのだと思っていた。

 けれど本当は、もっと静かに終わるのかもしれない。


 アリアドナ。

 ああ、アリアドナ。

 あなたは最早人ではない。

 されど神にも届かず、どこまでも悍ましき成れの果てだ。


 けれど、けれどどうしたって。

 どこまでいっても、結局は。







「ルウィ、エーレ、二手に分かれましょう」

「よかろう」

「作戦内容による」


 私の提案に、ルウィとエーレは真逆の答えを返してきた。


「殿下、不用意に承諾なさらないでください。我らが神殿を治める聖女は、自身の負傷を勘定に入れない悪癖持ちなのですから」

「そなたの心境も理解はしようが、何せ余は聖女と心中を誓った身ゆえな。今更互いの生死にとやかく言う仲でもない。マリヴェルならば、無駄遣いせず余すことなく使い切ってくれるであろうさ」

「殿下」


 ぎろりとルウィを睨むエーレは大概不敬だけれど、ルウィはルウィで怒らせるようなことを言わないでほしい。

 私は別にこの世から消滅するつもりはないし、ルウィを死なせるつもりもないのだから尚更だ。


「アリアドナの元へは、私とエーレで向かいます」

「ほぉ? して、余は何処へ配置する?」


 腕組みをし、背後の壁に凭れたルウィは、どこか面白がっている。そういう顔を隠しもしていない。この面子でいるときのルウィは、いつにも増して分かりやすい。


「サロスン家の避難所へ」


 ルウィは僅かに目を見開き、そうしてゆるりと表情を落とした。


「――――願ってもないな」

「そうでしょう?」


 ルウィは二つ返事で引き受けてくれると思ったのだ。

 心から喜んでくれるとも。


「マリヴェル、説明」


 対するエーレは、不機嫌さを隠しもしない無表情だ。

 エーレとルウィは似ているようで全く違うし、全く違うようでいて似ている。

 この時代にこの二人が揃い、聖女の傍にいた世界の差配は間違いではなかったと、私が証明しなければ。

 この二人を世界から奪った罪は何があろうと許されずとも、せめてそれくらいは果たさなければ、私が創られた甲斐がないというものだ。


「マリヴェル」

「あ、はい。えーと、私とエーレで向かいたい理由ですね。これは私の予想になりますが、アリアドナとはおそらく星の中での対峙になります。あの空間、地上と時間がずれる可能性があるんです。だから、決着をつけられるまでの経過時間に想像がつきません」


 決着をつけた末、世界に存在しているのは、私かアリアドナかは分からないけれど。


「できるだけ早く終わらせる心積もりではありますが、それでも数時間及び数日で終わるとは断言できません。そうなると、現在限界に近いサロスン家の避難所が心配です。閉鎖空間での暴動ともなれば、被害は尋常ではないでしょう。私はあの地下の広さを知っています。よって収容人数に予想がつけられるだけに、尚更心配です。火が出れば、もうどうしようもない。それに……全てが解決したとて、禍根は残ります。せっかく恐怖から解放された後、そんなものが胸に蟠っていては勿体ないでしょう。だから、ここはあなたの出番だと思うのですよ、第一王子」

「然り。余ほどの適任はおるまいよ。如何に荒れておろうと、小さき国一つ纏め上げられぬようでは、王子など務まらぬゆえな」


 ルウィならば、こちらの結果がどういう形になるにせよ、決着がつくまで保たせてくれるだろう。

 私達三人の中で、誰より適任だ。だからこれは、適材適所である。

 それに元より、ルウィはアデウスの為に在ると心に決めているのだ。

 確かにルウィは、私の命運と連動する。けれど彼はエーレとは違い、その全てを私に託したわけではない。だから髪色も変わっていない。

 ルウィの大本は、アデウスの為に、アデウスに生きる人の子らの為に在り、本人もそうと宣言した上で私と命運を共にした。

 なればこそ、最早小さな国と化したサロスン家の地下は、アデウス国第一王子が統治すべき地である。


「エーレ、リシュタークの人達にルウィの護衛を頼めますか?」

「それは承るが……」


 珍しく歯切れの悪いエーレの言葉を待つ。どんなことも基盤が大事だ。ここを蔑ろにすれば、成功するものもしなくなる。

 何より私自身が、エーレの言葉を待っていたい。

 時間と状況の許す限り、好きな人の言葉を待ちたいと思うのは、それほどおかしなことではないと思うのだ。

 さほどの時間を置かず、エーレはまっすぐに私を見た。


「マリヴェル。勝算は」


 エーレの懸念事項は、ごく当たり前のものだった。

 寧ろそこが不明のまま、ここまでついてきてくれたのだからどれほどお礼を言っても足りないくらいだ。

 命の芽吹きを宿した色を失い、命の枠組みを外れ、永久に彷徨う道へついてきてくれたこの人は、私に勝算がなくてもついてきてくれるだろうとの確信があった。

私は、そんな無責任な確信を持つようになってしまったのだ。


「あります。ですが、一手のみです。これが通らなかった場合、後は力尽くになるでしょう」

「分かった」


 その場合はエーレの力を借りるだろう。

 だがそれは、本当に最終手段としたい。周囲の被害が尋常でなくなる事態に陥ることは、想像するに難くないからだ。


「勝算がなければついてきてくれませんか?」


 私はもう、一人になる未来を想像ができない。

 とても醜悪で傲慢なことに、私がどんな私になろうと、エーレは最期まで隣にいてくれると思っているし、去って行こうとするならば引き留めてしまうかもしれない。

 笑いながら問うた私に、エーレは目を見開いた。

 髪の色は変わっても、その瞳は変わらない。私が愛した命の色は、やがてゆるりと光を泳がせ細められた。


「愚問だな」


 エーレは最近、子どものように嬉しそうに笑うことが増えた。

 ずっと届かなかった荷が届いたような、走り続けた夢に到達できたような。

 そんな眩しいものを掴まえた子どものような、あどけない顔で笑う。

 けれどきっと、変わったのは私なのだろう。

 だってエーレは、出会ったときからずっと素直な人だった。

 感情を出すことを恥とせず、行為も好意も何一つ憚らない人が浮かべられない笑顔があったのなら、原因は必ず外部にある。

 そしてエーレに関しては傲慢な自惚れが常設された私の分析では、その原因は私にあると結論づけた。

 私との会話で私に向けた笑顔であれば、対象者は私だと思うのだ。賢い分析が出来て満足だ。

 ただしその笑顔の発生条件は未だ不明だ。いつか分かるといいなとは、思っている。




「なりませぬ、エーレ様!」

「なるもならぬも、決めるのはお前達ではない。これは命令だ。破れば、俺はお前達の忠義を疑った上、兄上達に言いつける」

「エーレ様ぁっ!」


 エーレが叩き起こした白装束達には、ルウィをサロスン家まで送ってもらう予定だ。彼らの主ははエーレなのでエーレにその説得を頼んだのだけれど、説得も何も恐怖政治であった。

 兄上達に言いつける。

 リシュターク家において、これほど怖い台詞はないだろう。

 リシュターク家ではない私でも怖いのだ。直属の部隊である白装束達の恐怖は如何ほどか。


「そ、そのように無体なことを、どうか仰らないでください」

「何が無体だ。殿下をサロスン家にお送りしろと言っているだけで、死地へ向かえと言っているわけでもない」

「我らにとっては死地と相違ございませぬ」


 白装束達は沈痛な面持ちだ。面は見えずとも、彼らの顔に悲痛な嘆きが刻まれていると分かってしまう。

 己が身を顧みず、がむしゃらに安否を確認しようとしていた弟を見つけたにもかかわらず、連れ戻すどころか誰一人護衛につかず戻ってきた白装束達を見て、エーレの兄上方がどう出るか。

 考えるだに恐ろしい。

 絶対怒るし、その表現で済む範囲に収まるはずもなかった。

 しかしエーレもエーレで怒ると怖い。つまり、リシュターク当主兄弟に挟まれた白装束達が、ひたすら哀れなだけである。


「この状況下であなた様をお一人にするなど、言語道断にございます。幼少の砌よりお仕えいたしました我々を哀れんでくださるのであれば、どうかお慈悲を」


 せめて、せめて一人だけでも護衛に。

 出来るなら二人。

 可能ならば四人を。

 あまりに憔悴しきった声でどんどん要求を上げていく白装束達には、確かにリシュタークの気配を感じる。

 この家門、裏部隊まで含めてかなり強引である。

 それに、そうでもなければ、あの荒れた時代を駆け抜けてはこられなかったのだろう。

 どんな人にも、どこの家にも歴史はある。その歴史が今の有り様を形作っているのだから、今だけを見て評価するのは困難だ。

 その歴史が形作ってきた有り様が無残に破壊された現状が、どれだけ罪深いか。

 アリアドナが気にもとめないその罪を、購ってもらわねばアデウスは立ちゆかない。


「――引けと言っている。これより先は神殿の機密事項に当たる。同行したければ、お前達は今より神官となり、主と掲げるは聖女とせよ。それならば同行を許可する」

「………………エーレ様」


 それは、あんまりにございます。

 ぽつりと落ちた白装束の声は、深い愁嘆に満ちていた。


「エーレ、彼らにお兄さん達への伝言をお願いしたらどうですか?」


 白装束達があまりにも深く落ち込むので、せめてと提案してみた。エーレはあからさまに面倒だと書いている顔を、白装束達へと戻す。


「……………………エーレ様」


 先ほどと同じように呼ばれたエーレの名前だったけれど、今度は嘆きよりも縋る色が強かった。そんな声で名を呼ばれたエーレは、大きく溜息をついた。


「お前達は俺の命を守ったに過ぎず、この件でお前達を罰したのならば、嫌いになると兄上達に伝えろ」

「えっ!? …………畏まりましてございます」


 嘆く対象が白装束達からお兄さん達へ変わっただけなのではと思うけれど、リシュターク家のことなので余計な口出しはしないでおこう。

 他所は他所、うちはうちという有名な格言は、私でも知っているのである。


「――エーレ様、恐れながら一つご提案させていただいてよろしいでしょうか」

「何だ」

「殿下は、我々が必ずやサロスン家へとお送りいたします。しかし、半ばまでの道程であれば神殿もサロスン家も同様にございます。分かれ道となるその時までは、どうかお供させてはいただけませぬか」


 転んでも、ただでは起きぬリシュターク。

 確かに途中までの道程は同じだ。わざわざ戦力を分散させる理由もなければ、あえて違えた道を選ぶほど不仲なわけでも、遺恨があるわけでもない。

 エーレは深く溜息を吐き、了承した。白装束達は即座に頭を下げる。

 しかし、次に顔を上げた際に見ていたのはエーレではなく、私だった。


「叶うならば、聖女様にご覧いただきたき場所が道中にございます」


 急いでいるのは確かだが、どうせ通る道ならばあえて避けて通る理由もない。


「構いませんよ。参りましょうか」

「有り難き幸せにございます」


 丁寧に頭を下げた白装束達は、どこかほっとしているように見えた。

 その理由を、私はすぐに知ることとなった。







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