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忘却聖女  作者: 守野伊音
六章
105/120

105聖





「サロスン家はどうだ」

「あちらは少々危ういかと愚考いたします。地下にある巨大な施設に、かなりの数の人間を収容しておりましたが、鬱憤が酷く溜まっているようです。身分問わず詰め込んでいる上に、水の出が悪くなり諸々に支障が出始めております。その上、当主ではなく当主代理として立った日が浅い長兄が差配しており、諸々でほころびが出始めております。どこかで調整せねば、閉鎖空間内で暴動が起きかねない状態かと」


 リシュタークの三兄弟が率いる部隊は、始まりの礼以降、基本的に私とルウィを見ることはない。

 あえて喧嘩を売ることはなく、無礼な態度を取ったりもしない。けれど、優先順位を明確に現わしている。

 それを咎めるつもりはない。ルウィも同様だろう。

 彼らの忠誠を徴収する必要はどこにもない。誰しもが、己が生と命を懸ける先を、自身で決めるべきであり、何人たりともそれを侵害してはならない。

 身分という面を重視すれば、それではいけないのだろう。けれどエーレも彼らを咎めはしない。

 何せ彼自身、王族より聖女を優先してしまうのだ。自分を棚に上げ、他者へ制限を課すことはしない人だ。

 神より優先したことは、どうかとは、思うけれど。

 私とて、神の命より彼らの願いを優先した身であり、人のことは言えた立場ではないが。

 それに白装束達へ怒りが向かわない最大の理由は、そんなものではない。


 この王都にて、人が生きていた。

 こんなに嬉しいことはなかった。

 彼らが息をし、自らの意思で言葉を放ち、歩いている。それだけで拍手喝采し、彼らの存在全てに感謝してしまうほどに嬉しいのだ。

 彼らの優先順位がどうなっていようが、些末事この上ない。


「エーレ様、どうか、どうか本家にお立ち寄りくださいませぬか。ラーシュ様もコーレ様も、他家に身を寄せた人間の中にあなた様がいないと知るや否や、自ら王都中を歩き、石となった人間の顔を一つ一つ確認して回っておられるのです。いくらお二方が毒や感染症への対処に長けているとはいえ、このままではいつ石になられるやもしれませぬ」

「俺は神官だ。兄上達を優先することはない」

「ですが、エーレ様!」


 エーレと顔を合わせるために、唯一露出させた目元を悲痛に歪ませた白装束に、エーレは言い放つ。


「俺の兄上達はそんなに柔ではない。兄上達は俺に面倒を押し付けたことなど一度もない。俺は聖女に婿入りした。だが兄上達が身罷れば、リシュタークに関する面倒事が俺に回ってくる。なればこそ、兄上達は決して石になることはないだろう。兄上達は、俺の面倒は引き受けてくださるが、俺には面倒を渡してはくださらないのだから」


 私は、エーレが誰かを信頼している姿が好きだ。

 誰かへの信頼も、甘えも、愛情も、何一つ恥じず堂々と世界に放つその姿を、尊敬すらしている。


「それなのに、俺が過剰に兄上達を案じれば、それは兄上達への侮りとなる。だから俺は、兄上達を心配などしない。兄上達は何があろうとご無事でいらっしゃる。それは絶対だ」


 そんなことを、胸を張り堂々と言い放つエーレは、自分がどれだけ兄二人に甘えているのか分かっているのだろうか。

 エーレのことだ。きっと分かっている。分かった上で堂々と胸を張って甘えているのだ。

 それもある意味、胆力と言えるだろう。

 甘えとは、自身を他者に預ける行為だ。体であれ心であれ、向ける先である他者の許可を取らず自身を預ける行為は、とても恐ろしいものだ。

 そしてそれを為せる関係こそが、信頼であり、強さだ。

 エーレが兄二人へ向ける甘えは、兄二人の望みでもある。自信を他者に預ける行為を望まれ、その望みを叶えている。

 それは、とてつもない強さと言ってもいいのかもしれない。

 その点は、私もルウィも、エーレを見習うべきなのだろう。私とルウィは、そういった認識が概念ごと抜け落ちている可能性が高い。

 そう、最近気がついた。

 しかし、人として生まれず人の為に在れと創られた私はともかく、人として生まれたルウィまでその概念を持たないのは如何なものだろう。


 ルウィはもう少し、人として生きるべきだったと、私は今でも思っている。

 私は彼らから人であることを取り上げたくなんてなかった。だからそう思うのかもしれない。けれどそれだけでは決してないと、それも分かっていた。

 私達が認知しうる範囲に、エーレという人の権化である存在がいたことは、私達にとって何にも代えがたい幸運だった。

 人としてのお手本は間違いなく神官長だ。けれど、人間という形で私達に憧れに似た光を見せたのは、間違いなくエーレだった。





「それより、大樹の動きはどうなんだ」

「は……王都を侵食していた勢いは、鳴りを潜めております。しかし、全く動きを見せぬ訳でもなく、時折妙な動きを見せております」

「妙な動き?」


 エーレの問いに白装束が答えるより早く、みしりと何かが軋む音が響いた。

 白装束達が、はっと視線を天井へと向ける。


「失礼いたします!」


 白装束がエーレに飛びかかり、その頭を自らの胸に抱き込んだまましゃがみ込む。その上に二人の白装束が覆い被さった。私とルウィにも、残り二人の白装束が同様の手段をとった。

 二人纏めて抱えられたまま地面に膝をつき、白装束の隙間から周囲を見る。

 建物を貫いていた大樹の根が、奇妙な動きを見せていた。

 大樹が発生した頃や、北での動きとは全く違う。

 大樹の根自体はさほど動いていない。僅かな振動はあれど、本当に微々たるものだ。だが、その表面が凄まじい速度で泡立っていた。

 本当の植物でないとはいえ、見た目は本物と遜色ない木の皮が覆っている。その皮が、まるで沸騰する湯の表面のようにぼこぼこと泡立ち、弾けていく。

 弾けた泡の中からは、白い綿毛もどきが飛び出すわ、花が飛び出すわと、何かと忙しない。

 しかしそれはどれも、割れた泡から放出された後、地面へと落ちる前に掻き消えていく。

 大樹の根は、太陽の光に似た白く強い光を放ったかと思えば、次の瞬間それらが緩む。点滅にしては緩慢だが、安定には程遠い。

 等間隔ですらない不安定な光の放たれ方は、どこか不穏さが醸し出されていた。

 花が蠢き、光が漂い、葉が溶け落ちる。

 到底現実のものと思えない光景だが、幻想にしてはあまりに激しく、音も振動も光の点滅も揃い踏みだ。

 私とルウィに覆い被さっている白装束と、纏められた体勢を安定させるがゆえ私を抱えているルウィの体温は、これが現実であると意識するために効果的だと思えた。

 だから人の子同士の場合、この現象に遭遇すれば、互いの体温に触れる行為を推奨したい。

 そうでなければ、精神に影響を受ける人の子も出かねない。

 それほどに、この現象は異質だった。


「根の異変発生から一連の動作まで、大変手慣れているとお見受けします。大樹の根がこの様相となるのは、初めてではありませんね?」

「は。仰る通りにございます」

「頻度は?」

「不定期にございます。日に数度、または三日に一度と定まっておらず、現在法則性も発見できておりません。また異変の様相も定まっておらず、奇妙な音のみを発する、光のみを発する、または現在観測されている全ての異変が現われる場合もございます。これらの異変における開始時間及び発生時間も定まっておりません。そして、異変が終了すれば通常の根へと戻ります。後には何も残らず、異変があったことは我々が目撃することでのみ観測できます」

「成程。ありがとうございます。……ちょっとやってみましょうか」


 私の髪がざわりと波打ち、白装束が戸惑いを見せた。ルウィは私を抱えていた腕の力を緩め、私達の間に空間を作る。


「聖女よ。次なる行動のため、余に望むことは?」

「そうですね。立ち上がりたいのでちょっと寄ってほしいです」

「許そう」


 ルウィは自分が立ち上がることで、私達に覆い被さっていた白装束も一緒に持って行ってくれた。別に私を置いて横にずれてくれてもよかったのだが、それだと蟹だなと思い直す。

 ルウィはよく海老にはなるけれど、蟹にはなったことは少ない。ないわけではない。

 白装束は焦りを見せていたが、私の髪がどうにも収まりがつかない様子を見て、引く道を選んでくれたようだ。

 驚かせて申し訳ない。この身に許された神の御業を滑らかに起動させるには、まだまだ時間がかかるようだ。

 百年以内に出来るようになればいいなとは思うけれど、慣れるほど使わなければならない事態に陥りたくはないとも思っている。

 私の髪は不自然にうねり、淡く光を放つ。まるで目の前の大樹の根のようだなと、少し思う。


「っ、エーレ様!」


 切羽詰まった白装束の声に何事かと振り向けば、エーレを覆っていた白装束の中心に炎が見える。


「あー……」


 エーレが怒っている。

 怒っているだろうなと思っていたけれど、やっぱり怒っているようだ。

 相手に火傷を負わせるような炎は出さないだろうが、それでも熱いものは熱い。火傷は負わないのにしっかり熱い不思議な炎をエーレが放てるようになったのは、大体全部私の所為である。

 初めの頃は私特注品のように使われていたけれど、すぐに便利だと気がついたのか、乱発されるようになったものだ。

 そんな心温まりすぎて熱さに悲鳴を上げる過去を、懐かしむべきか否か、少々悩む。


「エーレ、怒りを静めなさい。彼らの忠義に報償を与えるならばともかく、罰してはなりません。そして、リシュターク家のあなた方は、あなた方の主の意思の尊重を。――大丈夫です。この状態が人に障りあれど、エーレ・リシュタークとルウィード第一王子においては、その限りではありません。それは当代聖女が断言いたしましょう。あなた方の主が仕えるこの身を信じていただけるのであれば、エーレ・リシュタークの解放を」


 白装束達は互いに顔を見合わせた。その後、躊躇いを見せながらも、エーレを覆っていた自身らの壁を解いた。

 その下から、不機嫌を極めた無表情がのそりと立ち上がる。

 そして、ぎろりと白装束達を睨む。


「神官としての俺を軽んじるなと、何度も言ったはずだぞ。俺の聖女より俺を重んじるのであれば、それは俺を軽んじたと同義だ」


 白装束達は即座に膝をつき、忠義に染まった声を揃え、頭を下げた。


「はっ」


 これ、堂々巡りだろうなと、エーレと白装束達の様子を見て思う。

 何せ、私を守るという言い分の元に危ないことをするのはやめてほしいと何度言っても、次には全く生かさないエーレと同じ声音である。

 つまりは、最初から聞く気がない。

 私も人のことを言えない部分が大いにあると思うので、これ以上は口を出さないでおこう。

 それに今は、ちょっと厄介な状況を作り出している大樹の根が目の前にあるのだ。


「…………この状態は、今までも発生していましたか」


 根の表面で起っていた異常が、突如薙ぎ払われるように消え去った。

 そうして残ったのは、宙だった。

 数多の神々が創りし世界が瞬く宙が、大樹の根があった場所に鎮座している。

根を塗り潰したわけではない。

 中から溢れ出たのだ。

 目の前の根から外した視線を、建物外の根へと向ける。外にある根は宙を映しておらず、まるで普通の植物のような様相へと戻っていた。


「――――――――いえ、これ、は……我々も、初め、て、で」


 この宙が流出しているのは、ひとまずここだけのようだ。北の地の根まで連動していたら、取り返しがつかなかっただろう。

 しかしほっとしたのも束の間、どこか上の空な白装束の声に意識を戻す。


「あなた方は、目を閉じていてください。そして可能ならば、この宙を記憶から排除してください。これは、人の子が見るものではありません」


 神の目で、大樹の根を見つめる。

 神力の動きが不自然なのは、根を通じたアリアドナの意思が星の中を通っているからだ。

 この光は星だ。

 星の光が地上に流出している。


 地が割れ、星が現われたのではないことに安堵した。けれど、あまり安心できる状況でないことは確かだ。

 宙は神の領域だ。だから、これを見て意識が虚ろとなる彼らが駄目なのではない。

 そもそもが、命に許された領域ではないのだ。

 ゆえにこれは、生ある命が見るべき光ではなかった。命がこの光に触れるのは、星へ還る時だけでいい。

 死に触れれば、死が近くなる。

 人は無意識下で、馴染みがあるほうへと漂ってしまう生き物なのだ。

 死に馴染めば、魂が死へと引き寄せられる。本来生き物が備え保つ、死への忌避感が薄れてしまえば、死を回避しようとしなくなるだろう。

 不具合を起こしてしまった命が長く生きられる道理はないのだ。

 白装束達は、私の言葉など聞こえていないのだろう。微動だにせず、魅入られたように目の前の宙を見つめている。


「忘れなさい。美しくも幻想的な夢を見たと思い、忙しない生の中で忘れてしまいなさい」


 ああ、駄目だ。完全に宙へと魅入られている。

 人が生ある内に到達してはいけない景色に、魂が魅入られてしまった。


「…………エーレ」

「御意」


 白装束達の周囲に炎の壁が現われ、彼らの姿が見えなくなる。エーレの側にいた三人と、私達の側にいた二人を囲んだ二つの柱は、やがて消失した。

 その後には、意識を失った白装束達が倒れ込んでいた。

 ひとまず簡単な癒術をかけて様子を見たが、気を失っているだけのようでほっとする。ただ、それは肉体だけの話だ。

 彼らが目覚めた後、先ほどの光景がどれだけ彼らの精神を蝕んでいるかは分からない。私に分かるのは、人の道理が通らないものに心奪われた人間の末路は、いつの時代も決まっているという不動の現実だけである。

 あの光景がどれだけの深度で彼らの心に巣食ったか、目覚めてみないことには判断がつけられず心配だ。

 何事もないだろうと楽観視するには、あまりに深すぎる宙だった。


 地面に倒れ伏す彼らの傍にしゃがみ込み、じっと見下ろしている私の肩に、エーレの手が触れた。

 見上げれば、エーレは静かに頷いて見せた。


「後で今日のことを思い出す暇もないほどこき使っておくから安心しろ」

「それならよか………………新たな地獄の幕開けでは?」

「他の男を案じるのは浮気だぞ」

「それはすみませ………………人として、駄目なのでは?」


 私は人ではないけれど、駄目だと思うのだ。 

 最近、エーレが言うのならそうなのだろうと思っても、途中で疑問が鎌首をもたげてくる。そんな私に、エーレはしみじみ頷いた。


「最近知恵をつけてきたな」

「エーレさん?」

「安心しろ。次に煙を巻く方法を考えておく」

「その台詞、自白と犯行予告ってことであってます?」

「この光景を見る人間を増やす訳にはいかないんだろう。さっさとやるぞ」


 とりあえず煙に巻かれていることは分かった。後で追求しようと思っても、きっと忘れている自信がある。

 だが、溢れ出した宙をどうにかしなければならないのは本当だ。


「彼らが治療を要する状態なら、必ず報告を上げてください」

「分かった」


 エーレが言うなら大丈夫だろう。エーレは自分の都合のいい方向へ人を誘導するけれど、こういう形での嘘はつかない。

 ひとまず安心して、私は私のやるべきことへと意識を戻す。

 元々大樹の根があった形のままに、宙がある。根があった場所と宙の位置が、そっくり入れ替わっているかのようだ。

 その宙の上へと片手をかざす。髪が一際激しくざわついた。





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