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忘却聖女  作者: 守野伊音
六章
104/120

104聖




 リシュタークが抱える人員の中でも、直接エーレ達と言葉を交わす部隊なだけあって、彼らの報告は非常に無駄なく纏められていた。

 元より彼らのような任についている人々に求められる能力ではあるが、その中でも群を抜いているように思う。

 その理由を、私はなんとなく想像がついていた。

 長兄及び次兄の性格を深く知っているわけではないが、エーレのことなら知っているのだ。

 うるさい。

 そう言われ続けてきたのだろうと、想像するに難くない。その結果が素晴らしい簡潔明瞭さに繋がったのであれば、彼らの苦労を思って涙が出そうになる。

 そんなことを考えた思考は端に寄せ、私は白装束の報告に聞き入った。


 大樹が根を張り、空を覆った後、王都が荒れることはなかったと言う。

 王都陥落ともなれば、大荒れという例えも生温いほどの荒れ方していてもおかしくない。

 疑心暗鬼に煽られただけでなく、実際訳の分からない恐怖が目に見える形で根を張っていくのだ。

 恐慌状態に陥る人間が、大量に現われないわけがない。

 そして、いつの時代どこの国であろうと、有事の際に盗みを働く不届き者は一定数現われる。その上スラムから物が溢れ出せば、最早収拾しようがない事態に陥るはずだ。

 現に私達がまだ王都にいた頃、既に大混乱が生じていた。

 それなのに、王都は思ったよりも荒れていないと思うのも確かだ。

 都の破損はそのほとんどが大樹の根によるもので、人為的な破壊や火事による損傷と思わしき破損は見当たらない。

 その証拠に、根が這わず崩壊していない店の商品は、揺れで落下したと思わしき物以外は、ほとんど手つかずで残っている。

 それが、王都に住む人々の理性や倫理観によるものであれば、どれだけよかっただろう。

 だが、違うのだ。王都が荒れていない理由。

 それは。

 王都に降り積もった白い綿毛のような物体により、人々が石になり始めたからに他ならなかった。



 大樹の根が今のように成長と動きを止めているわけではなく、著しく成長している最中から降り注ぎ始めた白を、人々は不安げに見上げていた。

 しかしすぐに、王都を捨て、遠方へ逃れようとした人間から、神玉に似た透明度を放つ石となり始めた。

 この規模で降り注いでいるのだ。白に触れていない人間は少なく、ほとんどの人間が一度はその肌に触れさせているだろう。

 しかし、白に触れた量、時間の長短にかかわらず、王都を離れようとした人間から石になっていく。

 そうして誰も、王都から逃れることは不可能となった。外部から入ってくることは可能であったのに、一度王都に足を踏み入れてしまえば、何人たりとも出ることは叶わなかった。

 難を逃れた人々は、白に触れぬよう建物に飛び込み、籠もった。

 人を石にする元凶の白を降らせる大樹が、王都を飲み込んでいる最中、自ら移動をやめ、閉鎖空間へ飛び込まなければならなかった人々の心中は、察するにあまりある。

 ただ避難を断念するより余程、無念だっただろう。

 それは、人を壊す最も効率的な手段であったのかもしれない。

 しかし王都は荒れなかった。

 荒れる時間が、無かったのだ。

 人々は大樹の根により崩壊していく建物を承知の上で、その中に逃れるしかなくなった。それでも石になる人間は出続けた。見る見る間に水も涸れた。食料も、あっという間に乏しくなる未来が見えていた。

 しかし食料を案じるより早く、人が石になっていく。


 本来であれば、大樹自体は破壊できずとも、人々の生活を維持する最低限の支援政策が取られるはずだった。しかし、その主体となる神殿及び王城から落ちた。

 外部から助けを期待している間にも、人が石になっていく。

 大樹発生から僅か一日にも満たぬ間に、大多数の人間が石となった。

 私達がここに至るまで、石となった人々と邂逅しなかった理由は、その多くが建物内で隠れながら石になったからだ。

 白装束達が言うには、王都より脱出しようとした人々が殺到した門の周辺には、未だ多くの人間が、石となったまま野ざらしになっているそうだ。

 私達が通ってきた場所にも、きっと人知れず石となった人々がたくさん眠っていたのだろう。

 しかしそれらの人々は皆、建物内に避難した上で石となったので、崩壊を考慮しあまり建物に近づかなかった私達の目には触れなかった。

 気づいたところで対処できぬ事実に変わりはなかったが、気づきたかったと、思う。


 現在あの白について分かっていることは、触れてはならぬこと、吸い込んではならぬこと。そして、王都を出ようとしてはならぬこと。

 それだけだ。

 王都を出ようとした人間は直ぐさま石になり、それ以外の人間も多くは一日にも満たぬ間に石となった。

 それでも。それでもまだ、全員ではない。石となっていない人間も残っているのだ。

 私達の目の前にいる白装束のように、この王都にはまだ命が残っている。

 石となった人間となっていない人間。

 その差はどこにあるのか、現在石となっていない人間も、いずれ石となるのか。初日以降、一切白に触れていない人間も石となるのか、ならぬのか。

 現段階ではほとんど何も分かっていない。状況把握すらままならぬ状況では、最も重要となる情報収集すら困難を極める。

 かろうじて、浄化が多少有効なのではという仮説が立っている程度だそうだ。その点に関しては私も同意見だが、そもそも浄化が届かぬのだから検証の仕様がない。

よって石となった人間のために出来る治療は、現状有効な手立てがないままだ。

 そもそも、この異常事態はこれが初めての発生だ。

 こんな事態が何度も起こっては堪ったものではないが、何にせよこれが初めていうことは、参考文献どころか、言い伝えなどの伝承でさえ存在しないということだである。

 何一つ先人がいない分野とは、それらによって被害を受けた当事者が先陣を切らねばならぬ現状を、理不尽だと罵る先すら存在しない。

 今回の件にかかわらず、前例のない事態とはそういうものだが、神殿も王城も機能していない現状、当事者達だけで対処しなければならず、更に深刻化している。


 現在、魔性の都と陥った王都で、まともに機能している場所はほんの数カ所。人間が人間のまま倫理と道徳を維持できる場所が、文明が、ほんの、数カ所。

 盤石たる基盤を持っており、尚且つそれらがまともに機能しており、更にそれらを機能させられる人材が残っている組織だけが稼働出来たのだ。

 主な避難場所としては、巨大な地下施設を持つサロスン家。当主が絶対的な力を行使でき、大多数が滞在可能な建物を複数所持しているリシュターク家が大本となっているそうだ。

 無事に辿り着いてさえいれば、マリとヴェルは、おそらくサロスン家にいるはずだ。

 元気に、しているだろうか。

 砕け散ろうとしていた私を呼び止めた幼い声が、今も耳にこびりついている。

 せっかく、せっかく子どもが当然受け取るべき日々を過ごし始めたところだったのに。

 明日の食事を案じるわけではなく、次の食事を楽しみに。今日の寝床を探す必要はなく、当然のように寝台へと飛び込む。

 必要な物ではなく欲しい物を、苦痛を感じない物ではなく好きな物を。

 苦痛なく、躊躇なく、疑問なく思い浮かべることが出来る。

 そんな日々を、ようやく過ごし始めた子ども達の生活を、安堵で覆って上げられなかった己の不甲斐なさに歯噛みする。こんなに口惜しいことはない。

 一度も得たことのない物より、手にした物を失うほうが、喪失感は激しく、恐ろしいものだ。

 本来ならば、あの子達の幸いを脅かす敵と最前線で戦わなければならなかった私が、どうかあの子達が泣いていませんようにと願うことしか出来ないだなんて、許されるはずもない。



 リシュターク家とサロスン家の他にも、小規模がかろうじて稼働している模様だが、それらも最早保たなくなっており、サロスン家とリシュターク家に保護を打診している状態だという。

 元々王都に住んでいた人数に比べ、今は極端に人が減っている。当初懸念されていた食料含む物資自体は、実は切羽詰まった状態ではなかった。

 問題は水だ。

 水が涸れてはどうにもならない。

 人は水がなければ生きられない。何も口に出来ずとも、水さえあれば、二十日前後はかろうじて生を繋げられるだろう。

 だが、水を欠けば三日ほどで死に至る。

 水だ。水がなければ、命を繋ぎようがないほどに。水は命の源だ。

 それでも、これまでならば神力を使えばどうとでもなった。何せ、神力はアデウスの強みだ。神力さえあれば、アデウスの民はどこでだって生きていける。

 なればこそ、突如として神力を失った状態で噴出した災いに対する耐性は、どこの国の人間よりも低い。

 強みとは、言い方を変えれば頼みの綱だ。頼り切っていた綱が、未曾有の人災が発生したここに来て、ぶつりと切れてしまえばどうなるか。

 神力を失った状態で困難に立ち向かう訓練どころか、そんな事態を想像することすら誰もしないまま、その日がやってきてしまったのだ。

 小さな団体に限界が来ているとの話だったが、リシュタークやサロスン家も限界が近いのではないだろうか。保護した人数が多ければ多いほど、消費も揉め事も連鎖式に増えていくものである。

 まして極限状態にまで追い詰められた人間の集団だ。争いなきまま凪いで過ごせるはずがない。


 現在の王都では、基本的に外出している人間はいないという。常に白が降り注いでくる状況なので当然だ。

 けれど自前の部隊を持っている組織や、ある程度纏まった統率が取れている集団は、王都を巡回し、石となった人々を安全な場所へと移動させているそうだ。

 目の前にいる白装束達のように意匠の統一までは出来ずとも、素肌の一切を曝さぬ防護服を用意できる者だけが、王都の闊歩を許されているという。


 そこまで話した後、白装束達は無言で私達を見た。

 身軽で申し訳ない。

 あなた方の主のおかげで、非常に身軽に王都を闊歩できております。

 実は一応、エーレの張った膜の中は私が浄化している。よって、かなり快適だ。

 彼らも中に入るよう進めてみたけれど、丁重に断られた。口調は丁重だったけれど、普通に嫌がっている気配を察知した。

 確かに、自らの主と第一王子がその身を守る膜の中に入るのは、緊張する可能性がある。

 彼らがいいのならそれでいいのだが、緊急事態には無理矢理放り込もうと心に決めた。よってそれ以上無理強いはせず、話の続きを待つ。


 彼らは、危険な場所で石となっている人々を移動させていたらしい。

 大樹が発生した当初は、火事場泥棒を目的とした賊が、街道封鎖を破って侵入を繰り返していたそうだ。それらへの対処のため始まった対策が、この巡回である。

 けれど結局、賊は皆石となった。一人も残らず石となったそうなので、やはり石となる人間には、ある程度アリアドナの意思が関与している可能性がある。

 救助に入ってきた部隊も軒並み石となっており、そちらを優先して移動させているため、賊の多くは野晒しになっているという。雨晒しでないのは、王都にはあれから雨が降っていないからだ。

 大樹が空を塞いでしまっているからか、それとも雨全てを吸収しているのかは分からない。

 だが、原因が何にせよ、あの日から王都に雨は降っていない。

 日も差さず、風も吹かない。

 王都に降るのは、大樹が降らせるあの白だけ。

 ここは、生き物の気配が失せた、完全なる死の都だ。





 私達がいるこの店は、奥の倉庫と作業場が比較的損壊を免れた建物だった。よって今は、石となった人々を避難させるために使われているという。

 手前に安置されているのはやはり賊で、新たな賊が侵入してきた際、この賊を見て引き返すようにわざわざ設置しているのだそうだ。

 誰しも、もがき苦しみながら石となった痕跡が色濃い人型を見て、わざわざ長居しようとは思わないだろう。

 よって、石となった住人を避難させている建物の入り口には、必ず一際苦悶の表情を浮かべた賊を選んで配置しているらしい。

 酷い扱いとも言えるが、損傷を防げる場所へ移動させてくれていると考えれば、賊も文句は言えないだろう。何にせよ、何かを音にすることは出来ないが。

 いつ大樹の根が貫くともしれぬ地下牢のほうがいいとはならないと思うので、今はその扱いで我慢してほしい。

 万が一賊が目覚めた場合を考え、賊の近くには、必ず騎士や兵士、もしくは警邏を配置しているそうだ。

 もしも石化が解けた場合への供えをしてくれているのなら一安心である。

 万が一が起こった場合、訳の分からぬ意識の断絶から目覚めた目の前に騎士達がいる賊も、目の前に賊がいる騎士達も、どっちも大混乱を起こすだろうが、どうか頑張ってほしい。

 最近では入れば帰ってこられない魔窟と名高くなった王都に侵入してくる輩はほとんどおらず、静かなものだそうだ。

 ただし人は忘れる生き物なので、ここから五年から十年も経てば再び増えてくるだろう。

 けれど、それまでこの状況を維持していくつもりはない。


 人が、生きながら石となる。

 その様を目の当たりにした人々の恐怖は如何ほどか。

 これまではどんな事態が起ころうと、神殿と王城が矢面に立っていた。されどそのどちらもが大樹に飲まれ、当代聖女は己達が忘却した。そのような状況下で、一度も姿を見たことのない神は沈黙を保っている。

 アデウスの民が縋る先はどこにもなく、目の前の地獄は広がるばかり。

 その中で、人が人たる所以である倫理と道徳を保っていられる空間が残っていることは、奇跡に等しかった。

 しかし、そのどれも奇跡などでは有り得ない。人が血を流しながら積み重ね、泣き叫びながら維持してきた結果が、奇跡を築いたのだ。

 降って湧いた幸運で紡げるものなど、些細なものでしか有り得ない。

 人の奇跡は軌跡の上にしか成し得ない。そのどれもが誰かの絶望と苦痛の末に成し得た結果でしかないのだ。


「難を逃れた人間は多いのか」

「石となった人間が圧倒的多数ではございますが、宿なども総動員し、廊下にまで人を並べておりますが追いつかないほどの数はおります。サロスン家も同様かと」

「避難所の内情は」

「は。リシュタークでは現在、石化の元凶と考えられているこれらの白を内に入れぬよう、全ての出入り口は塞ぎ、限られた場所から最低人数の出入りに押さえております。通気口の類いには浄化と結界をかけておりますので、避難後石化状態に陥った人間は発生しておりません」


 それは何よりだ。

 地上を避難場所としているリシュタークが、それだけ手間をかけてくれているのならありがたい。

 サロスン家の避難所は、かつて私達が見つけた地下だというので、あちらは封鎖の手間が少なくて済んだはずだ。だから尚差なら、リシュタークの避難所を案じていたが、そこまで徹底しているのなら安心である。


「不便はないか」

「物資自体は限られておりますが、現在不足は出ておりません」

「元より、自前で籠城できるように備えはしてあった。水もしばらくは保つだろう」

「リシュターク家の庇護下にある者達は大人しくしております。関係者が多いことも理由の一つかと思われますが、何より当主様方が直接差配しておられる結果かと」

「恐怖政治ならば手慣れたものだからな」


 さらりと言っていい内容なのかは少々悩ましいが、揉め事が起きていないのならば何よりだ。


 リシュタークが関係者の避難を優先した事実も、当然であって責められることではない。

 いざというとき身内を守らぬ組織は、内部から瓦解する。そしてそれ以降、人員を増やせる機会は訪れないだろう。

 それに、非常時であればあるほど、変則的な動きが求められる。

 その際に勝手知ったる人員がいるといないとでは、明確な差が出るものだ。

 人を助けるためには、まず基盤である身内を救助し、確保していなければ動くに動けない。

 当たり前のことだが、人を助けるには人手がいるのである。

 その人手が万全の体調であることは、最低限の条件ですらあるだろう。自らに余裕がなければ、他人など助けられないのだ。

 戦闘員や救助者が、腹を空かせ、身体を冷やし、身を休められなければ、どうやって頭を回し、力を出すのだ。

 何せそんな状態の人間は、救助される側である。





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