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忘却聖女  作者: 守野伊音
六章
102/120

102聖






「幸いにも余は、永劫続く生の謳歌に事欠かぬ才を持ち合わせておるしなぁ」

「ぐぇ」


 愉快そうな笑い声を上げるのはいいのだが、私の首に腕を回して引き寄せる行為はどうかと思うのだ。何せ、盛大に首が絞まる。

 更に、ついでとばかりに頬に唇をつけるものだから、角度が変わって締まり直した。そのため、新鮮なぐぇが飛び出す。採れたてほやほやのぐぇである。

 ぐぇとはなれども、それが友愛によるものならばとりあえず返しておこうと思えるのだから、友情とは不思議なものである。

 昔も今も、そして未来永劫変わらず。

 互いの立ち位置がどう変化しようと、この人へ祝福を送ろうと願う気持ちは変わらない。私がそうであると同時に、ルウィもきっと変わらないのだろう。


「堂々たる不貞過ぎるだろう」

「ぶべっ」


 ちなみにエーレも変わらない。

 足場が燃え落ち、私だけ落下した。

 ルウィは私が立っていた部分のみが綺麗に焼け落ちた木の根を見て、腹を抱えた海老となっている。

 私もその立ち位置に変わりたい。否、別にルウィに落ちてほしいわけではない。変わらなくていいので隣にいさせてほしいだけだ。

 私が落下した先には偶然にも積まれた荷があり事なきを得たが、荷の上で何度か弾んだ末、結局顔面から落下した。


 地面にしこたま打ち付けた顔面にもだえている私を、エーレの冷ややかな目が見下ろしている。

 大量に舞い上がった白に私が埋もれてしまわないのは、エーレの結界が全て弾いているからだ。

 炎を手足のように扱うエーレが、この白を燃やさない理由は、乾燥した綿毛のような存在が、これだけ降り積もっている中に火を放てばどうなるか。

 文字通り火を見るより明らかだからだ。

 それに世界には、燃やした際にだけ有害物質を放つ存在もある。不確定要素しかない中、あえて危ない橋を渡る必要もなかった。

 それゆえ、大量に舞い散ったままふわふわと地上へ舞い戻ってくる白を背景に、エーレはじろりと私を睨んだ。


「浮気者」

「ルウィに対し浮ついたことは一度もありませんが」

「王子以外の誰に浮ついた」

「あなたですが」

「……………………」

「あとは神官長ですね」

「それはそうだな」


 神官長と話していて、心がふわふわ浮かばないわけがない。神官長は私にとって、その存在を認識した日からずっと。

 私の、日差しだったのだ。






 海老から復活したルウィは、木の根を滑りながら降りてきた。とても楽しそうである。

 私もその降り方がよかった。

 次回はそうあれるよう、努力を怠らずいきたい。その為にはエーレを怒らせないよう努めねばならないのだが、エーレはいつ如何なる時も怒っているのでどうしようもない。

 次回も私の顔面着地は決定した。


 ルウィが滑り降りてきた衝撃で、再び白が舞い上がっていく。こんな大きな動作がなくとも、人がそこにいるだけで、この白はふわふわと舞い上がる。

 それでも、私達の周り以外の白は大人しいものだ。王都を覆っている白は、どこを見ても動かず、世界を白に染め上げたままだ。

 それはつまり、私達以外にこの白を舞い上がらせる存在がいないということだ。

 王都のど真ん中へ星から湧いて出ても、騒ぎ一つ起こらなかった。

 当然だ。

 誰もいなかったのだから。


 人の子どころか、鼠一匹姿が見えない。犬も猫も虫も。

 者も物も。

 命の気配がどこにもないここが、アデウスで最も栄える都。

 神と王が住まう場所として選ばれた地、王都だ。

 霊峰と共に、長い歴史を歩んできた神殿と王城。そうして栄えた、建国以来ただの一度も領地を明け渡したことのない神国アデウス。

 それが、これだ。

 このざまだ。

 神殿と王城、第一王子と聖女が揃ってなお。

 このざまだった。



 大樹の根が這い回り、掘り返された土の匂いすらせず、植物の匂いだけが充満し。命の気配なく、異形の植物に飲み込まれた人工物達。

 まるで、一つの文明が滅んだ後のようだった。

 これが終焉かと、思考より早く心が勝手に理解しようと覚悟するほどに。

 ルウィの言うとおり、私達がいずれ見るであろう終焉を、いま見なければならなかったのは、ひとえに私の無力さがもたらした結果だ。

 いつか訪れる国の終わりを看取る覚悟はあれど、それは悪意により早められた終末を受け入れる理由にはならない。

 先日まで人々が思い思いに、必死に日々を駆け抜けていた場が跡形も無く塗り潰された。生活の痕跡はあちらこちらに残っているのに、命がいない。

 散らばった食器、ぬいぐるみ、服、靴。必死に逃げ出したであろう場、慌てて放り出したであろう荷、取り落としてしまった大切な物。

 それらが散らばっているのに、どこにも命がいない。

 そんな国の残骸の中を歩く気持ちを、どう表現すればいいのだろうか。

 人の気配どころか命の気配すらないのだから、ここが本当に常世なのかすら分からなくなりそうだった。

 王都中が白く染まっているのだから、尚更だ。

 全ての色を塗りつぶし、一色に染められた世界は、酷く歪で強固な独裁に満ちている。

 白を聖女の色と定めたアリアドナは、ある意味正しかったのだろう。





 私達は、街道から直結している嘗ての大通りを歩いた。

 私達が王都から落ち延びてさほどの時間が過ぎていないにもかかわらず、木の根だけでなく蔦まであちらこちらに絡みつき、葉を生い茂らせている。割れた石畳の間からも雑草が勢いよく飛び出し、中には花をつけている物まであった。

 しかしよくよく見れば、蔦も雑草も、全ての根源は大樹だ。結局は、どこまでも木の根が王都を這っているに過ぎない。

 それ以外の植物は見当たらない。動物だけでなく植物に至るまで、全ての命が根こそぎ王都から消え失せている。

 あれからもう何年も経っているかのように思える王都は、まるで死の都だ。

 建物から飛び出した大樹の根は、そこから新たな木を幾本も生み出し、それらも全て枝を広げ、高き天を目指している。

 人の領域は全て飲み込まれ、アリアドナの都と成り果てた王都は、とても静かだ。

 あれだけ人が行き交い、良くも悪くも騒ぎが耐えなかった美しい水の都は、見る影も無い。

 水すら、どこにもないのだ。

 血管のように都市の細部まで走っていた水路には、水の一滴も流れていない。大樹が全て吸い尽くしたのだろう。

 水は命の源。それらを吸い尽くし形となった大樹は、どれだけ幻想的な光景を作り出そうと、欲に肥え太っただけの化け物だった。


「……マリヴェル」


 エーレが不意に立ち止まり、私を呼んだ。

 割れて盛り上がった石畳を跨ごうとしていた足を止め、身体を半歩ずらし、エーレに並ぶ。

 視線と顎で促された先を見て、私は息を呑んだ。

 かつては貴族御用達の衣料店だったその建物の表部分は、半分以上が大樹の根により崩れ落ちている。

 そんな店舗の片隅に、人型がいくつも転がっていた。

 ここは衣料店だ。商品を飾る人型は何体あっても不思議ではない。

 だが。


 私達は地面に横たわるそれに近づく。

 人の形をした、成人男性と同じほどの大きさをした透明な石。

 硬質で無機質な物体。透明な石は、その向こうに歪んだ床が見える。まっすぐに景色が見えないので、これは硝子ではない。

 そして、石でもない。

 これは、人だ。

 人間が、石となっている。


 身につけている服は、この店の商品とは到底思えぬ荒さだ。平民としても一般的ではない。スラムの出か、この機に乗じて乗り込んできた賊の可能性が高い。

 しかし、貴族御用達の店に飾られている物とは到底思えない衣類着用を根拠に、この石が人であると判断したわけではない。

 見た目がどう変容しようと、人が人として在る根幹が変容することなど有り得ない。

 神を喰らってさえアリアドナの根幹が人であるように。神の承認を得たとしても私が人にはなれぬように。

 ゆえに、これは人である。

 そう判じただけだ。



 透明な石をじっと見つめていると、不自然な風が私の周囲にじわりと発生する。風にしては軽やかさのない風は、私の髪を重く揺らした。

 神の目で世界を見ると、扱いに慣れていない神力が、少し漏れ出してしまうらしい。

 私の目には、透明な身体の奥に、命が命たる所以が見える。

 それは明確な色や形を持っているわけではない。けれどこれは物ではない。命だと。

 そう、人を守る為に創られた私の根幹が叫んでいる。


「人間ですね」


 もがき苦しみながら石になったのだろうか。それとも耐えがたいほどの恐怖の末だったのか。

 石となった人間の顔には、どれも苦悶の表情が浮かんでいる。両手は己の喉元と胸を押さえているので、呼吸に異変を来していたのかもしれない。

 呼吸器から石になっていった可能性に思い至り、苦々しい気持ちとなる。


「生きておるのか」

「死んではいない、としか言い様がありません。どういう条件を以てして、生きていると定めるかにもよるとは思いますが」


 身体は人の身からかけ離れているが、魂は人の形を保ったまま石の中にある。呼吸はなく心臓も止まっているのに、死んでいない。

 とてつもなく奇妙な状態だ。

 もしも彼らに意識があるのなら、これほど酷な状況もないだろう。

 幸いというべきか、強い感情の気配は感じられないので、思考が停止しているか眠っている状態だと思われる。それだけが救いだ。

 一応浄化をかけてみるが、身体にも精神にも、無意識下の反射に至るまで反応がない。


「……アリアドナの神力に主体を奪われている、といった感じでしょうか。この表現が適切ではないかもしれませんが、正しく表現する言葉を検討する時間も惜しいので、ひとまずこの表現でよろしくお願いします」

「左様か。対処法はあるか」


 浄化も癒術も、その表面を滑り落ちていくかのようだ。

 確かに対象はここに存在するのに、一切触れらない。傷薬を縫っているのに、傷には届かず空中で垂れ流しているようなものだ。

 届かなければ、何もかもに意味が無い。

 ここにいるのにここにはいない。この人へ辿り着くためには、頑強な鉄扉をこじ開けなければならない。


「時間がかかります。今のままでは私が持つ神力と力任せの勝負になりますので、出来れば精査した上で対処したほうがいいですね。力任せでは、人の身が耐えられない」


 人の身体を舞台に、神の大喧嘩をやらかすようなものだ。人の身が耐えられる道理がない。

 そうなった場合、アリアドナが引くわけがないのだ。それは、ハデルイ神がその存在を以て教えてくださった。


「この状況下、王立研究所が稼働しているとは思えぬな。エーレ、リシュタークに隠し球はないか?」

「そもそも神力が徴収されていては、神力による術への対処は難しいでしょう。神力が残っていたとしても、王立研究所員は神力に対し敏感に反応する者で構成されています。これだけ爆発的な威力の神力が使われた中心にいては、一溜まりもないかと」

「で、あろうな。――ならば、聖女よ」


 ルウィはその先を音にしなかったけれど、続く言葉は聞かずとも分かっていた。


「元凶を絶つしかありませんね。原因として真っ先に疑わねばならないのは、どう考えてもあの白い綿毛のような何かですが……大樹の元凶がアリアドナである以上、大樹の消滅で解決できるかは少々疑問が生じます」


 白い綿毛のような何かと逐一言い続けるのは若干面倒だが、名付ける余裕がない。もう白でいい気もするが、白に申し訳ない気もする。

 総括すると、それら全て、今はどうでもいいようにも思っている。


「大樹が原因なのであれば、もう少し何かしらの反応は感じるはずです。しかし、大樹自体はそれほど危険ではないでしょう。あくまでアリアドナの力を通すための道に過ぎません。ならばこの白い綿毛のような何かは、放出されたアリアドナの神力が物質化していると考えたほうがよさそうです。何にせよ、エーレとルウィは絶対に触らないでください」

「それを口に含んだ阿呆はお前だ」


 エーレの言う通りであるが、その言葉は自身に返ってくるのではなかろうか。


「その口を口に含んだエーレはどうなるんですか」

「阿呆だな」


 相も変わらず素直な人である。


「そう言うのなら、どうか気をつけてください。あれは私に影響を及ぼせる段階にない。けれど人はこんなにも多大なる影響を受けてしまう。私は元から人ではないけれど、エーレ達は違います」


 それは純然たる事実だ。

 どれだけ希おうと、私は人には成り得なかったし、これからも変わらない。そしてエーレ達もまた然り。人の枠組みから外れようと、これだけ鮮烈に人である人も少ないだろう。

 人の枠組みから外れようと、どこまでいっても本質は人だ。人である本質が変わらないことこそが、彼らが彼らである証明ですらあるほどに。


「エーレ。あなた方は有り様としては私の眷属として扱われます。よって、あんなものがあなた達を害すなど、私は到底許容できません」


 これもまた事実だ。苦言を呈したと言えるほどではないが、きちんと伝えておきたい言葉ではあった。

 それなのに、それを受けたエーレは少し驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。

 私はそれなりにエーレのことを分かってきたつもりだけれど、記憶が戻ってからのエーレに対しては、よく分からないことも多い。

 特に、嬉しそうにしているときに多い気がしている。


「……浮かべる表情、それで合っていますか?」


 最近よく、この手の質問をしているのは気のせいではないはずだ。


「惚れた女が独占欲と支配欲を発揮した先が自分なら、こんなに嬉しいことはないだろう」

「余もおるぞー」

「殿下はおまけです」

「余、こんなに雑な扱い受けたの初めて」


 エーレが嬉しそうな理由は分からなかったけれど、エーレが嬉しそうでルウィもなんかついでに楽しそうだったので、然したる問題はないのだろう。

 そう判断し、目下最も重要な案件へと視線を戻す。



 透き通った石となっているため、細かな部分は見えづらい。それでも人を正確に模した人形とするには、あまりに生々しすぎる。

ここに転がっている七体は、身形と体格を見るに全員が男のようだ。

 その周辺には建物の破片と、平民が一年以上働いて手にする額か、それ以上の値段がする商品が混在している。

 破損や汚れは、商品としての価値をなくす。けれど商品が絡まった破片に価値が生まれるわけでもなく。

 不平等、理不尽。そんな風には思わないが、当たり前の事実が、少しだけ寂しい。

 誰かが一所懸命作り上げた品が、こんな風に終わってしまった事実が寂しかった。ココが見たら、きっと悲しむ。

 ココ……。

 大樹が生えたあの時も、ココとは話せなかった。忘却事件が起こる前、そして忘却が失われる前、ココと最後に交わした会話が思い出せない。

 この期に及んで、まだ後でねがあると思っていた。あれが最後になるだなんて思わなかった。

 私は本当に、学ばない。

 破損した服を手に取り、汚れをはたく。丁寧に作り上げられた繊細なレースは汚れを巻き込み、見るも無惨に縮れている。

 それは、ココが作ってくれた服が、暗殺者から逃げている過程でボロボロになってしまった時と似ていた。


『汚れたら洗えばいいし、破れたら繕ってあげる。どうしようもなかったら、新しい服を作ってあげるよ。材料を見に行くの、楽しみだね。いつ行こうか』


 そう言って笑ってくれたココの笑顔は、こんなにも鮮明に思い出せる。同時に、会いたいなと、思う。

 会えたら私の髪色を見て、新しく色を合わせるのが楽しみだと笑ってくれるだろうか。

 せめてと、手に取った服は比較的崩壊の少ない棚の上に置いておいた。





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