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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第12章「ハーメルンの笛、高らかに」
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【12ー4】悪意は腐った果実のにおい

 イーグルは扉を開けると、壁に設置された照明のスイッチを入れる。

 突然明るくなった視界に優花は目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。

「……なに、これ……」

 先ほどまでの狭い洞窟とは一転、そこは広々とした白い壁の空間が広がっていた。壁際には薬品棚、大きな机の上には実験器具が雑多に並んでいる。

 奥の方には質素なベッドが設置されていた。てっきり、この施設を使った人間が仮眠をとるためのものかと思いきや、ベッドには拘束具が連結されており、寝台部分には血の跡が残っている。

 それだけで、この場でおぞましいことが行われていたことは容易に想像できた。

 イーグルは薬品棚の戸を開ける。そこにはホルマリン漬けにされた人体標本がずらりと並んでいた。

 人の腕、足、胴体、頭……それらには一つの共通点がある。

 動物の毛や鱗が生えていたり、爪や牙が鋭かったり、骨の形がいびつだったり……その特徴はクロウやドロシーのそれと似ている。

 そう、この場にあるのは全てキメラの標本なのだ。

 優花は吐き気を覚えて口を手で覆う。そんな優花を見かねたのか、イーグルは静かに薬品棚の戸を閉めた。

「フリークス・パーティで死んだ選手は、レヴェリッジ家が処分という名目の元、回収してここに運びこみ、解剖していたんだ」

 フリークス・パーティの参加者は身体検査やデータ提出が義務づけられている。結果、レヴェリッジ家にはフリークスに関する膨大な情報が集まる。

 死んだ選手を回収すれば、実験台も集め放題だ。

「レヴェリッジ家の研究の最終目的はただ一つ……『最強のフリークス』を造ること。その過程でレヴェリッジ家は、とある薬を開発した」

 イーグルは幾つかある作業台の一つに近づき、その上に散らばる錠剤の一つをつまみ上げた。

 市販の錠剤より二回りぐらい大きく、表面にはKf-09nと刻まれている。色は少し濃いピンクで、近づけると僅かに甘いにおいがした。

 甘いと言っても、砂糖菓子や花のにおいではない。ちょっと鼻につく、嫌な甘さだ。

(……なんだろう、これ……腐りかけの果物みたいな)

「この薬がレヴェリッジ家が裏で開発していた秘薬……さっきの化け物に使われていた薬さ。これを摂取した人間は身体能力が飛躍的に向上し、不死身になる」

 グリフォンと優花は「「はぁ?」」と声を揃えてイーグルを見た。

 フリークス・パーティで非現実的な話を散々聞かされてきたが、その中でも「不死身」は飛び抜けている。まるでファンタジーだ。

「不死身って……死ななくなるってこと、よね?」

「不死身って言葉の解釈は様々だけどね、この場合はホラー映画のゾンビを想像すると分かりやすい。致死量の血を失っても、手足が千切れても、心臓に穴が開いても、動き続けるということさ。ただし、そこに自我は無い。この状態になったら、もう頭を叩き潰すか、首をはねるかしないと動きは止まらない」

 なるほど確かに、これではファンタジーではなくホラーだ。

 さきほど優花達を襲ったあの異形、その姿や行動は確かにゾンビじみていた。きっとその薬を投与されたのだろう。

 優花が一人納得していると、グリフォンがヒクヒクと頰を引きつらせながら挙手した。

「お、おい……まさか、その薬の効果って……ゾンビみたく傷口から感染したりしないだろうな?」

 あの異形の攻撃を受けたグリフォンが青ざめながら訊ねれば、イーグルは軽く肩を竦めた。

「もしそうなら、とっくに君の頭を叩き潰しているよ。安心していい、感染はしないから」

 グリフォンがホッとした顔で胸を撫で下ろすのを横目に、優花はイーグルを見据えた。

「……随分詳しいのね、その薬のこと」

「それだけ調べたからね」

 詳しいのは薬のことだけじゃない。この研究施設のことも、レヴェリッジ家が「最強のフリークス」を造ろうとしていることも、何故彼は知っているのか。

 見たところ、イーグルはレヴェリッジ家と協力関係にあるようには見えない……むしろ、対立しているように見える。

(……ううん、大事なのは「なんで知っているか」じゃない)

 イーグルはフリークス・パーティでキメラの抹殺を宣言し、後天性フリークスに対して否定的な態度を終始とり続けていた。

 そんな彼が『最強のフリークス』を造るための研究に興味を示すとは到底思えない。

「レヴェリッジ家の目的が『最強のフリークス』を造ることなら……あなたの目的は何なの?」

 イーグルは薄い笑みをたたえたまま、広げられた資料の一つを手に取った。その責任者の欄に署名されているのは、クラーク・レヴェリッジ……二年前に死んだ、レヴェリッジ家の当主だ。

「この計画はクラーク・レヴェリッジを中心に進められていた。だけど、二年前にクラークが死んだ後、その研究を引き継いだ者がいる。僕はそいつを止めたい。これ以上、犠牲者が出る前に」

 イーグルは淡々としているが、誠実な口調だった。

 だが、それにグリフォンが猜疑的な目で噛みつく。

「……本当はこの薬や研究を、横取りしようとしているんじゃないのか?」

「もしそうなら、とっくに君たちの口封じをしていると思わないかい?」

 イーグルの言うことは尤もだ。なにより、この研究を止めたいという願いは、後天性フリークスを否定する彼の立場と矛盾していない。

 黙り込むグリフォンの横で、優花は慎重に口を開いた。

「私は、イーグルは嘘をついていないと思う」

 途端に、イーグルはパッと顔を綻ばせた。

 引き締まった顔の美丈夫が、今はお花でも飛ばしそうなほどニコニコと、嬉しそうに微笑んでいる。

「嬉しいな、君は僕を信じてくれるんだね、サンドリヨン」

「でも、全部は話してないと思う」

 続く言葉にイーグルが笑顔のまま黙りこんだ。

 真実の一部だけを話して、都合の悪いところは伏せておく──それは、頭の回る人間の常套手段だということを、優花は知っている。クロウや美花がよく使う手だ。

 イーグルは悲しそうに眉を下げて、優花の手を取った。

「ねぇ、どうか僕を信じてくれないかな。他の誰に疑われてもいいけど、君にだけは信じてほしいんだ」

 優花は握られた手を冷めた目で眺め、端的に返した。

「『あなただけ特別』って言葉、悪質なセールスの常套句だから、あまり信用しないことにしてるの」

 グリフォンとアリスが同時にぷっとふきだした。

 アリスが小声で「オネーサン、かっこいー」と呟くと、イーグルはアリスをちらりと見て、不快そうに目を細める。

「ねぇ、サンドリヨン。そこにいるアリスという少年は何者だと思う?」

「話をそらしにきたわね」

「いいや、僕の目的に少なからず関係している話だ。クラーク・レヴェリッジには晩年に生まれた息子がいるらしい」

 クラークの息子、つまりは現当主シャーロットの甥にあたる存在だ。

 イーグルは唇に薄い笑みを乗せて、アリスを見下ろす。

「……君がそうじゃないのかい? アリス君」

「違う!!」

 アリスは彼らしからぬ剣幕でイーグルの言葉を否定した。

 あどけない顔を憎悪と嫌悪に歪めて、アリスは勢いよく首を横に振る。

「ボクは、あんなヤツの息子なんかじゃない!」

「君の容姿はクラーク・レヴェリッジの若い頃によく似ているらしいね」

「知らない! あんなヤツ……あんなヤツっ!」

 アリスは苛立たしげに地団駄を踏んで、癇癪じみた声でクラークを否定する。

 そこに割って入ったのは、グリフォンだった。

「おいおい待てよ。クラーク・レヴェリッジは二年前に死んだ時点で享年八十歳かそこらだ。このチビがその息子なら、クラークが七十代の時の息子ってことになるぜ」

「今の技術なら不可能じゃないだろう? それに君はアリスの素性を知っているのかい?」

 イーグルの切り返しに、グリフォンは言葉を詰まらせる。

「いや……それは、まぁ、知らねーけど」

 そう、グリフォンですらアリスが何者なのかを知らないのだ。

 イーグルは黙り込むアリスを見下ろして、尋問じみた空気を漂わせる。

「ねぇ、君はクラークの研究のことを知っているね?」

 アリスは何も言わない。ただ、黙って俯いている。

 その血の気を失った顔にイーグルは指を伸ばし、頰を撫でながら問いかけた。

「もしかして君も……フリークスなのかな?」

 小さい体がカタカタと震える。

「もうやめなさいよ!!」

 いよいよ我慢できず、優花はアリスの頰に添えられたイーグルの手を力一杯ひっ叩いた。

 イーグルは叩かれた手を撫でて、どこかキョトンとしたように優花を見る。

「サンドリヨン、君はどうしてそんなにその子を庇うんだい? もしかしたら、彼はレヴェリッジ家にとって重要人物かもしれないのに」

「証拠がないから、アリス君に圧力かけて情報引き出そうとしたんでしょ? ……そういうやり口、嫌いなのよ」

 どうやら図星だったらしく、イーグルは曖昧に笑った。

 優花がフンと鼻息を荒く睨みつけると、アリスが優花の手をギュッと握りしめる。

「オネーサン、ごめんなさい……ボク……ボク……」

 アリスはずずっと鼻を啜ると、消えそうなほど小さい声で呟いた。

「ボクは、エディを助けたいだけなんだ」

「……エディっていうのは、あなたのお兄ちゃん? それとも猫?」

 優花の問いに、アリスはしばし黙りこむ。その沈黙と葛藤こそ、答えそのものだ。


「……エディは猫で、猫はエディ」


 薄々、違和感を感じてはいたのだ。

 アリスは猫を探すと言いながら、猫が喜びそうな餌の一つも持っていなかったし、猫の好みそうな場所を探してもいなかった。

 アリスが探していたのは、軟禁された人物が閉じ込められていそうな場所だったのだ。

 優花は鞄につけた猫のバッチに視線を落とす。

 灰色の毛並みに金色の目の猫。

 キメラであるクロウに親しげに笑いかけ、キメラ殺しを明言しているイーグルを嫌う理由。


「……エディ君は、灰色の髪に金色の目をした……ネコ科のキメラなのね?」


 アリスは無言で一度だけ頷いた。

 恐らく、アリスは「自分がエディという人物を探していること」を隠していた。何かしらの事情があったのだろう。だから、猫を探しているフリをしていた。

 それでもエディは見つからなくて、手がかりが欲しくて、だからアリスは優花を頼ることにした。

 猫のバッチを贈ったのは、きっと彼なりのSOSサインだったのだ。

 キメラの存在を知っている優花が、灰色の髪と金色の目をしたネコ科のキメラを見れば、すぐにアリスの探す猫と結びつけて考えるだろう。キメラであるクロウのパートナーの優花なら、キメラであるエディに酷いことをする心配もない。

「クラークはエディを閉じ込めて、酷いことをいっぱいしたんだ。エディは今もどこかに閉じこめられてる。だから、ボクは……」

「エディというのは、クラークの息子の名前だね。話から察するに、クラークは自分の息子も実験台にしていたってことかな」

 イーグルはそう言ってアリスを見下ろす。木の上から地上の獲物を見下ろす猛禽の目で。

「……ところで、クラークに息子は一人だけ。そのエディを兄と呼ぶ君は……一体、何者なのかな?」

 アリスは口をぎゅっとひき結んで、小さく震えている。小動物のように。

 優花はイーグルの鋭い視線を遮るようにイーグルとアリスの間に割って入り、アリスの頭をそっと撫でた。

「話してくれてありがとう、アリス君」

「……オネーサン。ごめんなさい、ボク……ボク……」

「無理に全部話さなくていいのよ」

 優花はトートバッグに付けていた猫のバッチを外すと、アリスの前でヒョコヒョコ動かして見せる。

「一緒にエディ君を助けよう」

 アリスは泣きじゃくりながらブンブンと首を縦に振った。

 そんなアリスの髪を優しく撫でながら、優花は静かに思考を巡らせる。

 クラーク・レヴェリッジが実験台にしていたエディ・レヴェリッジが今どこにいるのか?

 一番可能性が高いのは、クラークの研究を引き継いだ何者かがエディを捕らえている可能性だ。だからこそ、この施設を使っているクラークの後継者を探す必要がある。

 また、優花の想像通り、エディがクラークの後継者の手でなんらかの実験を施されているのなら、身体能力を強化し不死身にするという、あの薬を投薬されてる可能性が高い。

 そうなると、エディを助けるためには、この薬について調べているイーグルの協力は絶対に必要だ。

「イーグル、その薬のことはどこまで調べているの?」

「サンプルを持ち帰って分析したから、概ねは……ただ、僕が以前持ち出したのは『Kf-08n』という名称だった」

 今この場にあるのは『Kf-09n』数字が一つずれている。

 そうなると考えられるのは……

「……もしかして、バージョンアップしてる?」

「間違いないね。だから、これからこれを持ち帰って分析させるつもりだよ」

 優花は探るようにイーグルを見て、慎重に口を開いた。

「……分析すれば、その薬のワクチンも作れる?」

「それは君たちの協力次第かな」

 恐らく、イーグルはワクチンなど必要としていないのだろう。

 イーグルはなんの躊躇いもなく、後天性フリークスを殺せてしまう男だ。

 イーグルの目的は薬と、薬で暴走したフリークスの両方を抹消することなのではないだろうか。

 だが、だからこそイーグルとは協力関係を結んでおきたい。

 イーグルはキメラの抹殺を明言している男だ。キメラであるエディも例外ではないだろう。

「私にできることがあるか分からないけど、できる範囲で協力する。だから、エディ君を助けるために力を貸して」

 エディを助ける。

 それをどうしてもイーグルに約束させたかった。

 優花が固唾を飲んでイーグルの返事を待っていると、イーグルはニコリと美しく微笑む。

「君のためなら喜んで」

 白々しい笑顔だ。だが、上っ面だけでも協力関係を結んでおけば、イーグルの動きをある程度制限はできる。

 イーグルはいまいち本音の読めない顔でニコリと笑い、視線をグリフォンへと向けた。

「それで、君はどうする? ミスター、グリフォン?」

 グリフォンは眉間に皺を寄せて黙りこんでいた。

 彼は運営委員会──つまりはレヴェリッジ家側の人間だ。

 彼がどう答えを返すのか、優花が固唾を飲んで見守っていると、グリフォンは頭をかきながら口を開いた。

「……オレはよ、単純にフリークスパーティが好きなだけなんだよ……だから、それを悪用して、裏でこーゆーことやってんのは見過ごせねぇなぁ」

「つまり、僕に協力すると判断しても?」

「あぁ。だけど……」

 グリフォンは目を細めると、右の拳を握りしめる。手の甲に青筋が浮かび、指の関節が音を立てた。

「……ここの技術をお前が悪用しようってんなら、オレは全力でお前を潰すぜ」

「それはないから安心していいよ。僕は本当に、この危険な技術を葬りたいだけだから」

「……一応、その言葉、信じてやる」

 この施設では、フリークス・パーティの選手の死体が搬入されていた。つまり、運営側に手引きをした者がいるのは間違いないのだ。それがグリフォンには許せないのだろう。

「オネーサン、オジサン……アリガトウ」

 アリスは右手で優花、左手でグリフォンの服の裾を掴み、小さい声で言った。優花とグリフォンは顔を見合わせて笑う。

「一緒にエディ君探そうって約束したものね」

「別にオメーのためじゃねぇよ、オレのためだ」

 アリスは小さく鼻をすすると、手にギュッと力を込めて、小さい声で「アリガトウ」と繰り返した。

 グリフォンが繋いだ手と反対の手でアリスの髪をグシャリと撫で、それからイーグルを見る。

「……で、協力って言っても、オレらは何をすればいいんだ」

「運営の人間の動向を気にしていて欲しい。クラークの研究を引き継いだ人間が運営委員会にいるのは間違いないんだ。ただし深追いはしないでくれ。なるべく奴らに勘づかれたくないからね」

 運営の人間に協力者がいるというイーグルの言葉を、グリフォンは否定しなかった。

 彼は覚悟を決めた顔でイーグルを睨み返す。

「現時点で、お前が一番怪しいと思ってんのは誰なんだ?」

「〈女王〉シャーロット・レヴェリッジと、その従者のヤマネ」

 イーグルが口にした名前に、優花は目を見開いた。

 優花は〈女王〉のことはよく知らないが、ヤマネには何度も良くしてもらっている。

「ヤマネちゃんが? そんな風には見えなかったけど……」

「彼女は〈女王〉の命令に忠実だ。〈女王〉が黒幕なら、彼女も敵だと思っていい」

 クラークの研究を受け継いだ者として、真っ先に候補に上がるのはやはりクラークの妹である〈女王〉シャーロットだ。そして〈女王〉が黒幕なら、自動的にその従者のヤマネも敵になる。

 だが、本当に〈女王〉が黒幕なのだろうか? 他にも可能性のある者はいるのでは……と考えたところで、優花は頭を抱えた。

「……ごめんなさい。私、そもそも運営委員会の人をそんなに知らないんだった……」

 優花は自分が知っている運営委員会の人間を指折り数える。

 まず、一番最初に出会ったのが笛吹。そしてヤマネ、グリフォン。

 選手控え室の件でトキに絡まれていた気の弱そうな青年、白兎。

 派手なマスクにオールバックの実況者、ドードー。

 白い仮面を被った控えめな審判、海亀。

 そして、開会式で挨拶をしていた〈女王〉シャーロット・レヴェリッジ。

(……あとは、医務室のビルさんと、ハッターさんと……あっ、金髪の綺麗な女医さんもいたわね)

「基本的に『不思議の国のアリス』の登場人物名を名乗っているのが運営だよ」

 イーグルの言葉に、なるほどと頷いたところで、優花はしばし考え込む。

(……そうなると、アリス君ってますます重要ポジションなんじゃないの?)

 不思議の国と言えば、真っ先に思い浮かぶのはやはり主人公のアリスだ。

 そして、フリークス・パーティでは、アリスと名乗る姫はいない……これはアリスという存在が、重要な意味を持っている証拠ではないだろか?

「……あれ?」

 不思議の国のアリスの住人達を一人一人頭に思い浮かべていくと、小さな違和感が胸に引っかかる。

「オネーサン、どうしたの?」

「えっと……ううん、大したことじゃないの」

 そう、大したことじゃない。ただほんの少し気になっただけだ。

 それをグリフォンに訊くべきか否かで悩んでいると、イーグルが口を開いた。

「この研究室に不思議の国の住人の誰かが関与しているのは間違いないんだ。不審な行動をしている人がいたら、報告してほしい」

「えーっと、報告って……どうやって?」

「オレがお前さんに話しかけたら、怪しくないか」

 優花にしろグリフォンにしろ、イーグルと普段から親しく会話をするような仲ではないのだ。ほんの少し立ち話をするだけでも、それなりに目立つ。

 そうなると、どう連絡を取るべきか……全く同じことを考えこんでいる優花とグリフォンに、イーグルは目の笑っていない笑顔を向けた。

「……君たちは携帯電話という文明の利器を持っていないのかい?」

「「……あ」」

 優花とグリフォンは、全く同じ顔で同じ言葉を発した。

 携帯電話など持ち歩ける固定電話ぐらいに思ってたから、すっかり忘れていたのである。

 アリスが「ボク、持ってないー」と困ったように言えば、優花とグリフォンはあたふたと自分のバッグやポケットから携帯電話を引っ張り出した。

「えっと、ごめんなさい、持ってます持ってます」

「お、オレも持ってるぜ」

 そう言って二人は、取り出した携帯電話をイーグルに掲げてみせる。

 フィーチャーフォン、またの名をガラケー。

 時代遅れの二つ折り携帯電話にイーグルはとうとう無表情になって、額に手を当てた。

「当然のようにフィーチャーフォン……通話アプリは入れてるかい?」

 グリフォンが腰を折って優花に耳打ちする。

「おい、嬢ちゃん。アプリってなんだ?」

「え、えーと、アプリですよね、アプリ。アプリケーションの略だってことは分かるんですが……ちょっと使ったことなくて……」

 そもそも優花は、携帯電話を職場や家族との通話にしか使っていないのだ。インターネットやアプリに手を出す余裕など優花にはない。

 優花が「アプリ……どれだっけ……」とブツブツ言いながら、携帯電話をカチカチ操作していると、イーグルがため息混じりにスマートフォンを取り出す。

「……僕のアドレスと電話番号、登録してくれるかな」

 優花とグリフォンは、迷うことなく自分の携帯をイーグルに差し出す。

「登録お願いします」

「登録頼む」

 イーグルの肩がずるりと傾いた。



 * * *



「いやぁ、面倒な設定はいつも若いモンに任せっきりでよぉ」

「あはは、私も……最初に家族と職場を登録して、それっきりでした」

 頭をかきながら言い訳をするグリフォンに、優花もうんうんと頷いた。

 たまに友人と連絡先交換をする際は、友人に操作をしてもらっていたのだ。クロウの時も同じく。

 別に機械音痴というわけではないのだが、どうにも流行り物に手を出すのが遅く、馴染むのに時間がかかる性分なのである。

「はい、登録できたよ」

「ありがとう」

 イーグルから受け取った携帯電話をパカリと開いてアドレス帳を確認すると、EとGという名前のアドレスが増えていた。Eがイーグルで、Gがグリフォンらしい。

「運営委員会で不審な動きをしている人物がいたら、このアドレスに連絡してくれ」

そこでイーグルは言葉を切り、声のトーンを落とした。

「それと、この件については、この場にいる四人以外にはくれぐれも他言無用で……勿論、君のパートナーにもだ。サンドリヨン」

 低い声で釘を刺すイーグルに、優花は唇をへの字に曲げる。

 イーグルがキメラに敵意を持っているのは分かる……が、それでも優花はクロウにも事情を話して、エディ探しに協力してもらいたかった。

 せめて、クロウの協力を得るのが無理でも、イーグルと協定を結んだことだけは話しておきたい。

「クロウに事情を話して、協力してもらうのは駄目なの?」

「駄目。この四人以外には他言無用。この条件を守れないなら、君達に協力はできない」

 優花に対しては比較的穏やかに話すイーグルが、ここだけはきっぱりと断言した。この点に関しては絶対に譲る気がないのだろう。

(できれば、クロウに隠し事はしたくはないんだけど……)

 イーグルの協力がないとエディを助けるのは難しい以上、あまり反発はできない。

「分かった。クロウには言わない」

 優花が静かにそう答えれば、イーグルは返事のかわりにニコリと微笑んだ。

 ……なんだか、やけに機嫌が良さそうに見えるのは気のせいだろうか?

「それなら、ここを出ようか。もう、ここに用は無いからね」

 くるりと身を翻すイーグルに、アリスが慌てて声をあげる。

「待って、エディは? エディがここにいるかもしれない!」

「ここに実験体はいないよ。僕が調べたから間違いない」

 イーグルが断言すると、グリフォンが険しい顔で口を挟む。

「さっき、オレらに襲いかかってきた奴は?」

「黒幕が処分し損ねた奴だろうね」

 グリフォンは何か言いたげにイーグルをジッと睨んでいたが、結局唇をひき結んだまま、何も言わなかった。

 イーグルはグリフォン、優花、アリスを順番に眺めて「さぁ、長居は無用だ」と促す。そうして最後にアリスをちらりと見た。

「心配しなくても君のお兄さんはちゃんと探してあげるよ」

 余裕の笑みを浮かべるイーグルに対し、彼を見上げるアリスの表情は固い。

「……行こう、オネーサン」

 アリスはイーグルから逃げるように、優花の手にしがみつく。

 それをイーグルは真意の読めぬ顔で、じっと見つめていた。



 * * *



 グリフォンは、アリスとサンドリヨンが手を取り合って先を歩くのを確認すると、二人とは少し距離を開けて、イーグルを呼び止める。

 あの二人には聞かせたくない話があった。

「オレらを襲った奴が出てきたのは、この隣の通路だったよな。お前が出てきたのも、その通路の奥からだった」

 三つに別れた道の一番左から異形のバケモノは出てきた。そして、イーグルもまた、その奥から現れたのをグリフォンはしっかり見ている。

「あの奥には何があったんだ?」

「特に何も」

 グリフォンは前方に向けていた視線を落とし、イーグルの袖をちらりと見た。

「袖口に返り血、ついてんぞ」

 立派なスーツに飛び散った血痕は、黒ずんで固まっていた。先程、グリフォン達を助けた時に付着したにしては、やけに乾きすぎている。

「……何体殺したかは知らねぇが、その中にあのチビの兄貴がいたんじゃないか?」

「それは無いから安心していいよ」

 やはり、グリフォンの憶測は正しかったのだ。あの通路の奥には、恐らくだが実験体がいた。それも、一体や二体ではなく……

「あの通路の奥にエディ・レヴェリッジらしき人物はいなかった。いたのは、かつてフリークス・パーティに参加していた選手だけだったから……勿論、全員投薬された後だった」

 その言葉が意味することを察し、グリフォンは息をのんだ。

 言葉を失うグリフォンに、イーグルが無表情に淡々と言う。

「死にかけていた選手を実験台にしたんだろうね。見覚えのある顔が幾つかあったよ」

「つまりアレかよ。オレも現役時代に死にかけてたら、ここに運び込まれてたかもしれねぇってか」

 それだけではない。かつてグリフォンと戦った相手がここに運び込まれたことも、大いにあり得るのだ。

 フリークス・パーティにかつて参加していた選手で、連絡が取れなくなった奴なんて腐るほどいる。そうした連中のその後を、グリフォンは殆ど知らない。

「考えすぎない方がいいよ」

「……くそっ、胸くそ悪ぃ!」

 グリフォンはフリークス・パーティが好きだった。全力でぶつかり合い、殴り合うのが好きで好きで仕方がなかった。だからこそ、その裏でこんな実験が行われていたのだと思うと、胃がムカムカする。

 彼が愛したフリークス・パーティを冒涜した連中に、腹が立って仕方がない。

 イーグルはそんなグリフォンを冷めた目で見ていたが、前方を歩く二人に視線を向けると、静かに言った。

「あの二人には」

「言わねぇよ……言えるかってんだ」

 グリフォンが語気も荒く吐き捨てると、前方を歩いていたアリスとサンドリヨンが足を止めて、振り返った。

「グリフォンさん、どうしたんですか?」

「オジサン、遅いー!」

「あぁ、今行く」

 二人とて、フリークス・パーティの選手の末路を全く知らないわけではない。この実験で、死亡した選手の遺体が使われていたことも知っている。

 それでも、若い二人に生々しい現実を見せたくなかった。

 あの二人に、実験体の末路を見せなかったイーグルも、同じ心境なのだろう。

「あぁ、それともうひとつ」

「あ? まだなんかあんのか?」

 アリス達の方へ向かおうとしたグリフォンは足を止めて、イーグルを見る。

 暗い洞窟の中でイーグルの目はランタンの灯りを宿して、とろりと溶けるような琥珀色にきらめいた。

「運営委員会だけでなくスポンサー企業にも目を光らせて欲しいんだ。外部にも協力者がいる可能性が高い……特に、()()()()()()()()()には気をつけてほしい」


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