【12ー3】本当のバケモノ
グリフォンはまず洞窟に入ると、足場が不安定でないか、ガスなどの異臭はしないかを確認してから、優花とアリスを手招きした。
中に入ると、空気は湿っていてひんやりと冷たい。優花は上着の上から二の腕を擦り、辺りをぐるりと見回す。
優花達がいるのは六畳ほどの空間だった。それだけで何もないのなら、これで探検は終わりなのだが、グリフォンが懐中電灯を向けた先には更に奥へと繋がる道がある。
「奥、見てみたい」
アリスがそう主張したので、グリフォンは「少しだけだぞ」と言って洞窟の更に奥へと歩き出した。グリフォンの後ろにアリス、優花の順番で並び、三人はゆっくりと奥へ進む。
足元は、あちこちから水が湧いていて、苔が蒸していた。
「ここから、緩やかな下り坂になってる。滑りやすいから気をつけろ」
そう言ってグリフォンは更に歩くスピードを落とす。
道は曲がりくねった一本道で、グリフォンの言った通り緩やかな下り坂になっている。道幅はそこそこ広く、三人ぐらいならなんとか横に並べそうなぐらいの幅があった。
五分ほど歩いたところで、グリフォンが足を止めて「妙だな」と呟く。
「何がみょうなの、オジサン?」
「道が整いすぎてる」
そう言ってグリフォンは懐中電灯で足元、壁面、天井を順番に照らした。
これが天然の洞窟なら、足元の段差があったり、頭上が低くなったりしていてもおかしくないのだが、言われてみれば確かに、この洞窟は道幅も高さも人間が歩きやすいように作られている。
「こりゃ、人工的な洞窟? いや、隠し通路か? ……おっ、分かれ道だ」
グリフォンが進行方向を照らせば、そこはまた少し開けた場所になっていた。そこから道が三つに分かれている。
「流石にこの先は懐中電灯一本じゃ心許ないな。一度引き返すぞ」
グリフォンがそう提案したその時、アリスがピクンと体を震わせて分かれ道を見た。
優花が後ろから「アリス君?」と声をかけても、アリスの目は真っ直ぐに前を見たままだ。
「……なにか、きこえる」
それは風の流れる音が洞窟で反響したようにも聞こえた。だが耳をすませば、その合間に低い唸り声が混じっているのが分かる。
掠れた呼吸音と、空気を震わす低い唸り声。
優花は咄嗟にアリスの手を掴んで自分の方に引き寄せた。グリフォンもまた、腰を落として臨戦態勢になる。
不気味な声は三つの分かれ道の左奥から聞こえた。声はだんだんと大きくなり、ヒタリ、ヒタリという湿った足音が混ざる。獣の足音じゃない。これは──人間の足音だ。
グリフォンが前方を見据えたまま、懐中電灯を後ろ手で優花に渡した。
「嬢ちゃん、こいつで一番左を照らしててくれ」
「はい」
グリフォンに言われたとおり、優花は一番左の穴に懐中電灯を向けた。
アリスが不安そうに優花の服を掴む。
「……オネーサン」
「大丈夫……大丈夫よ」
人間の足音ということは、もしかしたらこの島に迷い込んだ遭難者かもしれない。きっとそうだ──そう自分に言い聞かせるも、胸のざわつきが収まらない。
優花はアリスを後ろに下がらせ、懐中電灯を握り直した。
湿った空気の塊がむわりと動いたような、そんな感覚を肌で感じる。その空気は、まるで熟れすぎて腐った果実のような、腐敗臭混じりの甘ったるいにおいを漂わせていた。
やがて、ソレは洞窟の奥からゆっくりと現れる。
「……お、おぉ……ぉ……」
ソレは限りなく人に近い姿をしていた。服らしき物も身につけている。だが、服も靴も明らかに水とは違う液体で汚れ、元の色が分からなくなっていた。
顔は白く膨れ上がり、髪は半分近く抜け落ちている。痙攣を繰り返す瞼の下の目は白く濁り、意味をなさない呻き声を漏らす唇は、爛れてめくれていた。剥き出しになった口腔からは、ダラリと長い舌が垂れている。
そしてその体は──不自然に膨張していた。青白く膨れ上がった体の表面には異様に太い血管が浮かび、ミミズのように皮膚の上をのたうっている。
優花はフリークス・パーティで何人もの後天性フリークスを見てきた。中には腕が四本ある者だっていた。
だが、目の前のソレは後天性フリークスとは何かが違う。なにより、その目には理性の輝きが無い。
「おぉ…………ぉ、あ……」
次の瞬間、青白い肌の異形は巨体に似合わぬ俊敏さで距離を詰め、先頭に立つグリフォンに大きな手を振り下ろした。
グリフォンは体を捻ってそれをかわし、異形の体に拳を叩き込む。
「シッ!」
短く息を吐き、無駄のないフォームで繰り出された拳に異形の体が傾く……が、異形はほんの数歩よろめいただけだった。異形はすぐに態勢を立て直し、血管ののたうつ腕を無造作に振るう。それだけでグリフォンの体は吹き飛び、壁面に叩きつけられた。肉と岩がぶつかる激しい音が洞窟に反響する。
「グリフォンさん!」
「オジサン!」
優花とアリスが悲鳴をあげると、異形は目をぐるりと回して二人を見た。
優花は咄嗟に懐中電灯を消そうとする……が、それより早く異形は距離を詰めていた。
立ち尽くす優花の顔に巨大な手のひらが伸ばされた、その時。
ぐしゃり。
骨を砕き、肉が潰れる音がした。
だが、目の前の惨状を表すなら、潰れたというより割れたと表現した方が正しい。
熟れたザクロのように。スイカ割りのスイカのように。異形の頭は真っ赤な液体を飛び散らせて、中心から真っ二つに割れていた。
その中心には黒光りするステッキがめりこんでいる。このステッキが異形の頭を頭蓋骨もろとも叩き割ったのだ。
頭を潰された巨体はゆっくりと地面に倒れると、数回痙攣して、やがて動かなくなった。
そして、その亡骸の背後に佇むのは……
「やぁ、怪我は無いかな、サンドリヨン」
血塗れのステッキ片手に微笑むイーグルだった。
* * *
「とりあえず、これを片付けようか。見ていて気持ちの良いものではないからね」
イーグルは頭の潰れた亡骸を片手で軽々と持ち上げると、三つあった通路の一番右側に放り込んだ。まるで物でも扱うかのように。
優花はその乱暴な扱いを咎めたかったが、目の前で起こった光景があまりにも衝撃的でうまく声が出せない。
「オネーサン、オネーサン、しっかりして」
「あ、う……」
「オネーサン、とっても体が震えてるよ。大丈夫?」
しゃがみこんで震えている優花の腕を、アリスが掴む。そうだ、小さい子の前でみっともない姿は見せられない。
優花は数回深呼吸を繰り返し、しゃがみこんだままアリスを見上げた。
「アリス君は……大丈夫?」
「ボクは大丈夫だよ。オネーサンが庇ってくれたから、何も見てないよ」
あぁ、良かった。と優花は胸を押さえ、息を吐いた。
異形の頭から飛び散る中身が、いまだに目に焼きついて離れない。暗さ故に、鮮明に見えなかったのが唯一の救いだ。
フゥフゥと息を吐いて呼吸を整えていると、白い手袋をした手が差し伸べられた。ゆっくり顔を上げれば、眉を下げて申し訳なさそうにしているイーグルと目が合う。
「怖い思いをさせてごめんね。アレは頭を潰さないと動きが止まらないんだ」
優花はギュッと拳を握りしめ、イーグルの手は借りずに立ち上がった。
そこに、グリフォンが打ちつけた頭を押さえながら駆け寄ってくる。
「おい、チビ! 嬢ちゃん無事か!」
自分の怪我より、優花とアリスの心配をするあたりが、なんともお人好しだ。
グリフォンの声を聞いたら無性にホッとして、優花は小さな笑みを浮かべる。
「私達は大丈夫です」
「ボクも怪我はしてないよ」
「そいつは良かった……って、お前はイーグルか!? なんでこんな所に」
優花とアリスが無傷なことに胸を撫で下ろしていたグリフォンは、優花の前に立つイーグルを見て、ギョッとしたように顔を引きつらせた。
そンなグリフォンの大声に、イーグルは落ち着き払った態度でひんやりと冷たい視線を送る。
「それは僕の台詞かな。君は確か運営の人だろう? 何故、こんな所に? しかも、サンドリヨンと子ども連れで」
イーグルはステッキを手の中でくるりと回し、その先端をグリフォンの眉間に突きつけた。
「もしかして、二人に何かをするつもりだった? それなら……見逃せないな」
「何の話だ!? オレはそこのチビが洞窟探検したいっつーから、引率してただけだ!」
そこのチビ、とグリフォンがアリスを指さして喚けば、アリスもコクコク頷いて同意する。
「本当だよ、ボクがココを見たいって言ったの」
「……ふぅん?」
イーグルはグリフォンとアリスを交互に見ると、細い顎に指を当てて何やら思案する。
ようやく調子が出てきた優花は、イーグルを真正面から見据えて口を開いた。
「あなたはこんな所で何をしてたの? また、コンタクトレンズを無くして迷子になったとか言わないわよね?」
イーグルはニコリと微笑み優花の手を取る。まるで王子様がお姫様にするみたいに恭しく。
そうして手の甲に口づけを一つ落とすと、優花の顔を至近距離で覗きこんだ。
「今日はコンタクトレンズをつけているから、君の顔もよく見えるよサンドリヨン。やっぱり君はオデットにそっくりだ」
「話をそらさないで。迷子でないなら、ここで何をしていたの? さっきの……私達に襲いかかってきたやつが何なのか、あなたは知っているのね?」
最後に少しだけカマをかけてみたのだが、イーグルの顔に動揺は見られない。穏やかな笑顔のままだ。
「サンドリヨン、君は本当に何も知らずにここへ来たのかい?」
「そうよ」
イーグルはグリフォンとアリスを交互に見て「そっちの二人も?」と問う。
「そうだって、言ってんだろーが」
グリフォンが即座に声をあげたが、何故かアリスは黙って俯いたままだった。
その様子に、イーグルは屈んでアリスの顔を覗きこむ。
「君は何か知っているね?」
アリスは何も言わない。体の横で握られた拳は震えていた。
優花はアリスを庇うように一歩前に出る。
「待って、アリス君は偶然ここを見つけて……」
「つまり、その子が君たちをここに誘導したわけだ」
「誘導って、そんな言い方……!」
優花がイーグルを睨みつけると、アリスが優花の服の裾を掴んだ。強張った顔で俯いたまま。
「アリス君?」
優花がそっと声をかけても、やはりアリスは顔を上げようとしない。
イーグルがステッキの先端で地面をトンと叩いて言った。
「やっぱり。君はここに何があるか、知っているんだね」
薄暗い洞窟の中でも分かるぐらいはっきりと、アリスの肩が跳ねた。
更にイーグルが言い募ろうとすると、グリフォンが間に割って入る。
「待てよ。チビを問い詰める前にまずはお前だ、イーグル。何故、お前はそんな洞窟の中にいた? あのバケモンのことも、何か知ってるんだろ?」
イーグルは洞窟の奥から出てきた──つまり、優花達より先にこの洞窟に来ていたのだ。そして、彼はこう言った『アレは頭を潰さないと動きが止まらない』と。
少なくとも、彼は優花達よりもこの場所に関する情報を持っている筈だ。
「お前が知っていること、全て話してもらおうか」
グリフォンが低い声で言うと、イーグルは冷めた目でグリフォンを見つめ返し、軽く肩を竦めた。
「……レヴェリッジ側の人間に話すのは気が引けるけど、仕方ないかな。少し歩こうか。歩きながら僕の目的も話そう」
そう言ってイーグルは、足元に置いていたカンテラを持ち上げた。大型のカンテラは懐中電灯より明かりが強く、広範囲を照らしてくれる。
イーグルとあの異形の化け物は、優花達から見て、三つに分かれた道の左奥から出てきた。だが、イーグルは何故か中央の道へ向かって歩き出す。その背中に優花は声をかけた。
「……引き返さないの?」
「実際に見てもらった方が早いからね」
先頭を行くイーグルに、優花、アリス、グリフォンの順番で後に続いて歩きだす。
所々分かれ道もあったが、イーグルの足取りに迷いは無かった。
……イーグルは何を見せようとしているのだろう?
優花が慎重にイーグルの様子を伺っていると、イーグルは視線を前に向けたまま話し始めた。
「サンドリヨン、君はフリークス・パーティには、シングルバトルとパートナーバトルの二種類があることは知っているかな?」
「一応、知っているわ……シングルバトルは見たことないけど」
「なら、昔はシングルバトルしか無かったことは知ってたかい?」
「……いいえ」
優花が首を横に振ると、グリフォンが口を挟む。
「随分昔の話だな。オレが現役だった頃よりも前だから……ざっと、三十年前ってとこか?」
フリークス・パーティにそれほど長い歴史があったこと自体、優花にとっては初耳だ。
驚く優花に、グリフォンが腕組みをして首をひねりながら言う。
「その頃は、そもそもフリークス・パーティって名前ではなかったんだろ。あー、なんつったか……」
グリフォンの疑問にイーグルが答える。
「裏闘技会『修羅』……それがフリークス・パーティの前身だ。主催者は岩槻源治っていう日本人でね。裏社会の元締めのような男だった」
その岩槻という男は、違法賭博の一環として『修羅』を始めたという。『修羅』は荒くれ者達が腕を磨いて己の力を競い合う場だった。
「……ところが、レヴェリッジ家が介入し始めた頃から『修羅』は変わってしまった。レヴェリッジ家は、元々は『修羅』のスポンサーの一つだったんだ。だけど、ある時、レヴェリッジ家当主のクラーク・レヴェリッジが岩槻源治を引退に追い込み、『修羅』を乗っ取ってしまった」
この時から『修羅』は『フリークス・パーティ』と名を変え、その性質も大きく変わったのだという。
見世物的な要素が強くなり、パートナーバトルが始まった。選手達の熱い闘いを求める声より、より残虐なショーを求める声が大きくなった。
「そして、この頃から後天性フリークスの参加が一気に増えた……それがどういう意味か分かるかい?」
イーグルの問いに、優花はすぐにピンときた。
後天性フリークス、それはキメラやサイボーグなど、人為的に手を加えられ強化された存在。彼らがフリークス・パーティに参加する理由を以前クロウが口にしていた。
『フリークス・パーティは表向きは金持ち達の道楽だが、本当の目的は生物兵器のお披露目会だ。どいつもこいつも、自分とこの生物兵器を売り出すのに必死なんだよ』
優花の心を読んだかのように、イーグルが言葉を続けた。
「『修羅』は暴力を振るいたい人間と、それを観戦したい人間のための娯楽の場だった。だけど『フリークス・パーティ』になってからは後天性フリークス……生物兵器のお披露目の舞台になったってことさ」
イーグルは足を止め、優花の腕にしがみついているアリスをちらりと見た。
「では、生物兵器のお披露目会を推進するレヴェリッジ家の目的は何か?」
アリスの体は、寒さとは違う理由で小さく震えている。アリスはやはり、レヴェリッジ家が抱えるなんらかの事情を知っているのだ。
先頭を歩いていたイーグルが足を止めた。辿り着いたのは、何もないただの行き止まりだ。
何故、イーグルは出口ではなく、こんな所に優花達を連れてきたのだろう?
「君達は、レヴェリッジ家が最強のフリークスを作るべく人体実験をしている……という噂を聞いたことはあるかな?」
グリフォンが渋面で「ただの噂だろ」と吐き捨てると、イーグルはふふっと小さく笑った。そして、すぐそばの壁面をカンテラで照らす。
「これを見ても同じことが言えるかい?」
壁面には目立たない継ぎ目がある。イーグルが壁面の出っ張りに指をかけると、苔のむした壁面が横にスライドし、金属製の扉が現れた。
グリフォンと優花は驚きに目を見開いたが、アリスだけが酷く苦しげな顔をしている。
そんな三人の顔を眺めつつ、イーグルは扉の取手に手をかけた。
「教えてあげるよ。レヴェリッジ家の闇の部分……フリークス・パーティの真実を」




