【幕間25】ツギハギ姫
世の中には世界平和を謳うやつもいれば、争いや暴力の中でしか生きられない奴もいる。後者が彼──グリフォンという男だった。
今から二十年以上前、当時の彼は血気盛んな若造で、とにかく血に飢えていた。
人より力が強くて喧嘩が強かった彼は、用心棒や賭けボクシングを掛け持ちし、それでも暴れ足りなくて、喧嘩と聞けばどこにでも首を突っ込んだ。
フリークス・パーティを紹介されたのは、彼が十六歳かそこらの頃。
その頃の彼は既に負けなしで、地元の喧嘩場では相手になる奴などいなかった。
だから、死に物狂いで異国の言葉を覚えて海を渡り、フリークス・パーティに参加した。
フリークス・パーティは最高だった。
とびきりイカれた化け物との命懸けのタイマンは、いつだって血が沸いた。
彼は別に、誰かを傷つけたり殺したりするのが好きなわけじゃない。ただ、殴りあいが、喧嘩が、暴れるのが大好きなだけだ。
体がぶっ壊れるまで戦って戦って戦い抜いて、そして闘技場の上で死ぬ。
それが最高の生きざまだと、あの頃の彼は本気で思ってた……あいつらに会うまでは。
* * *
『さーあ! やって参りました! 本日のメインイベント! まずは新進気鋭の挑戦者、キツツキーーー!!』
司会が読み上げた「キツツキ」という名前は、彼のリングネームだ。正直、発音がしづらいのであまり好きではない。どうせなら、もっと強そうな名前の鳥が良かったのに……例えばそう、この男のように。
『迎え撃つは、誰が呼んだか〈フリークス・パーティのお祭り男〉剛力無双のハヤブサぁぁ!!』
ハヤブサ、このフリークス・パーティで今最も注目されている男。
その両手にはトンファーが握られていたが、彼はキツツキが素手であることに気づくと、トンファーを舞台の外にポイポイと投げ捨てた。
「おうおう、いいのか? 大層な武器を捨てちまってよぉ?」
「そっちがステゴロなら、こっちもそれで応えるのが流儀じゃろい!」
そう言って、ハヤブサは何が楽しいのか「ダーッハッハッハ!」と馬鹿笑いをした。
挑発というには、あまりにも楽しそうで、毒気が抜ける笑い方だ。
それでもキツツキは気を引きしめて、ハヤブサと対峙する。
「てめぇの連勝記録もここまでだ! ドタマ、カチ割ってやるぜっ!」
「ダーッハッハッハ! 威勢の良い奴じゃな! やれるもんなら、やってみぃ!」
* * *
結果から言うと、試合は完敗だった。
だが、ただやられっぱなしだったわけじゃない。キツツキも渾身の突きで一矢報いてやったのだ。結局試合終了と同時に、キツツキもハヤブサも医務室送りにされた。
「くっそ……このオレが負けるなんてよ」
「ダーッハッハッハ! 楽しい試合じゃったのぅ! ワシの夏祭りスペシャルを受けても倒れないなんて、なかなか見込みのある奴じゃ!」
治療班の人間が「医務室ではお静かに」と何度言っても、ハヤブサは馬鹿笑いをやめなかった。
キツツキとハヤブサは手当を受けるために長椅子に並んで座っている。だからこそ、隣の馬鹿でかい声が耳に響いて仕方ない。
耳を指で押さえて「うるっせぇ!」と怒鳴り返していると、医務室の扉が開いて男と女が一人ずつ中に入ってきた。
男はキツツキより少し上の二十代。ハヤブサと同じぐらいの年齢だ。眠そうな目をしているが、その足運びは武芸に通じたもののそれである。
(男の方は白鶴か……確か、腕利きのソードファイターだったな。女の方は……なんだありゃ?)
女の年齢はおそらく二十歳前後。柔らかな黒髪を顎のところで切りそろえており、柔和で可憐な顔立ちの美人だ……が、その可憐な顔立ちを、全身のツギハギが台無しにしていた。女は顔にも首にも手足にも、いたるところに縫い目が走っているのだ。まるでフランケンシュタインのように。
(見たところ後天性フリークスのようだが……弄られたにしても酷ぇ容姿だな)
白鶴と謎のツギハギ女を睨んでいると、二人はこちらにやってきて、交互に口を開いた。
「よぅ、ハヤブサ。相変わらず賑やかだねぃ」
「もう、ハヤブサ君ったら、医務室で騒いじゃ駄目でしょ」
女の方が「めっ!」と口を尖らせると、ハヤブサはでれでれと鼻の下を伸ばして両腕を広げた。
「おおう、ゲルダ! ワシの見舞いに来てくれたんかー」
「いや、たまたま用があっただけで」
「見舞いの品はキスで頼むわい!」
ゲルダは半眼で白鶴を見て、言った。
「白鶴、キスして欲しいって」
「……そりゃあ地獄絵図だねぃ」
白鶴が一歩後ずさると、ハヤブサはまるで子どものように頭を押さえて喚きだした。
「あー、痛い痛い! こいつにやられた頭が痛むのぅ!」
こいつ、と言ってハヤブサはキツツキを指差したが、キツツキが一撃入れたのは腹である。
「オデコにチューしてもらえたら、治る気がするのぅ!」
そう言ってハヤブサがチラチラとゲルダを見た。
ゲルダは腰に手を当てて、ため息混じりに言う。
「……オデコにチューで治るのね」
ハヤブサは期待に目を輝かせてブンブン頷いた。
ゲルダはニッコリ微笑むと、両腕を伸ばし、左手でハヤブサ、右手でキツツキの後頭部を鷲掴みにする。嫌な予感にキツツキは叫んだ。
「おい待て女、なんでオレの頭掴んで、アイダダダ!!」
「はい、オデコにチュー」
ゴツン! と良い音がした。
ハヤブサは額を押さえて、キツツキは歯で切った唇を押さえて、それぞれ涙目で悶絶する。
白鶴が口を押さえて笑った。
「ぷっ……くくっ……ゲルダちゃん、やるねぇ」
「何しやがる! クソアマァ!」
キツツキは額に青筋を浮かべて女を怒鳴った。地元では、彼が激昂すれば誰もが震えて命乞いをしたし、女は泣き崩れたものだ。
ところが、このツギハギ女ときたらケロリとした顔をしている。
「あら、ごめんなさい。でも、それだけ怒鳴れるなら大丈夫よね」
まったく、なんとふてぶてしい女だろうか。
一方ハヤブサの方は、両手で顔を覆って悲痛な声で泣き言をぶつぶつ言っている。
「野郎にチューされた……野郎に……まだゲルダにもされたことないのに…」
「そりゃ、したことないし」
「ワシはもう駄目じゃー……」
「仮病ができるぐらい元気なら、大丈夫よね」
フリークス・パーティで恐らく最強とも言われているハヤブサを前にしても、女はまるで物怖じしない態度だった。
「ったく、なんなんだてめぇは」
キツツキが下唇を突き出して不機嫌そうな顔で毒づくと、女は白い歯を見せて快活に笑った。
「あはは、ごめんなさい。私はゲルダ」
「ワシの未来の嫁じゃ」
「ただのパートナーよ」
ハヤブサの台詞に辛辣な笑顔で言葉をかぶせて、ゲルダはキツツキに話しかける。
「あなた、パートナーバトルの経験はある?」
「いや……なんだ、パートナーバトルって?」
今回のシングルバトルが初めてのキツツキは、そもそもフリークス・パーティのルールをよく分かっていない。そもそも彼は頭を使うことや、ややこしいルールが苦手なのだ。
「パートナーバトルは、男女でペアを組んで戦うのよ」
「ってことは、あんたも戦うのか」
ゲルダは柔和な顔に、勝気そうな笑みを浮かべて言う。
「ハヤブサ君に守られっぱなしなんて、性に合わないわ」
ゲルダはツギハギだらけで、酷く痩せたみすぼらしい女だ。
だけど、イイ女だなと思ったのを、彼は今でも覚えている。
その大会の後からキツツキ達はなんとなくつるむことが多くなった。
豪快なハヤブサに、しっかり者のゲルダ、マイペースな白鶴、そしてキツツキ。
試合で当たれば本気で殴りあうが、試合の後は肩を組んで一晩中飲み明かす。今思えば、この頃が一番楽しかった。
その日、彼らはハヤブサとゲルダのパートナーバトルの祝勝会と称して飲みに来ていた。使う店はフリークス・パーティの会場地下にある安いバー。お高く止まった観客達は寄り付かない、フリークス・パーティ参加者の溜まり場だ。
四人は安い酒のグラスを掲げて、乾杯をした。
「ハヤブサ、ゲルダ。パートナーバトル、優勝おめでとさん」
キツツキが音頭を取れば、ゲルダが「ありがとう」とニッコリ笑う。
その横でビールのジョッキをぐびぐび煽っていたハヤブサが、空のジョッキを置くと、拗ねた子どもみたいに唇を尖らせた。
「むぅ……お前らが出んから、パートナーバトルは張り合いがなくてつまらんわ!」
キツツキも白鶴もパートナーバトルには参戦していない。パートナーを探すのが面倒というのもあるが、なによりキツツキは誰かを守りながら戦うというのが性に合わなかった。戦うのなら、真正面から相手とぶつかるのが一番に決まっている。そこに姫だのギミックだの余計な要素はいらないのだ。
キツツキがフンと鼻を鳴らしながらラム酒を煽ると、少し離れたテーブルで姫役の女達がキャハハと甲高い笑い声をあげた。それなりに美人だが、下品な笑い声がやけに耳につく。
「……なんであんな女がハヤブサの姫なのかしら」
「ツギハギだらけでキモッ」
「フリークスなんだから、シングル戦にだけ出てなさいよ」
「言えてる~」
額に青筋を浮かべたハヤブサが立ち上がるより早く、ゲルダが人差し指でハヤブサの眉間を突いた。
「ハヤブサ君、めっ」
それだけでハヤブサは「むぅ」と呟いて静かになる。
白鶴が清酒を傾けながら静かに言った。
「気にしなさんな。ファーストレディはいつだって妬まれるもんだ」
キツツキも何か言わなくてはと口を開いたが、どうにも気の利いた言葉が出てこない。
結局、あーだのうーだの意味のない言葉を繰り返した末に、キツツキはしどろもどろに言った。
「お、オレは……ゲルダはイイ女、だと思うぞ」
「ははっ、ありがとう、二人とも。大丈夫よ、気にしてないから」
ゲルダは白い歯を見せて快活に笑ったが、その眉毛が少しだけ悲しそうに下がっていたことに、キツツキは気づいていた。
どうしてこういう時、自分は気の利いたことが言えないのだろう。
ゲルダは後天性フリークスだ。軍用施設で無茶な肉体改造を施され、そのまま廃棄されかけたところをハヤブサに拾われたらしい。
もともとシングルバトルに出ていただけあって、運動能力はかなり高い。だが、かなり無理をさせられたせいで全身ぼろぼろ。耐久力は一般人以下で、まともに戦うことは難しいのだという。
それでもこうしてハヤブサと組んでパートナーバトルに参加しているのは、体の維持に金がかかるからだ。
……内心複雑だが、ハヤブサがゲルダのパートナーで良かったとキツツキは密かに思っている。
フリークス・パーティ最強の男ハヤブサなら、ゲルダをむざむざ死なせたりはしないだろう。
* * *
ハヤブサとゲルダがパートナーバトルで優勝して三ヶ月が経ったある日、キツツキはゲルダに相談があると呼び出された。
自分でいうのもなんだが、キツツキは気の利いたことが言える性格ではない。
背中を押してほしいならハヤブサ。冷静なアドバイスがほしいなら白鶴に相談するのが一番だ。
何故自分に……と不思議に思ったが、ゲルダが困っているなら力になってやりたくて、キツツキはゲルダの誘いに応じた。
待ち合わせたのは、フリークス・パーティの関係者が運営している居酒屋だ。半個室になっているから、ゲルダのように目立つ容貌のフリークスでも使いやすい。
「なんか変な感じだな。お前と二人で飲むなんて」
「えぇ、そうね」
なんだか妙に落ち着かなくて、キツツキはそわそわしながらテキーラのグラスを傾けた。
「まぁ、なんだ、飲めよ……つーか、なんだってオレンジジュースなんか頼んでんだ。オオトラのくせによ」
「ははっ、ちょっとね……」
ゲルダにしては珍しく歯切れの悪い言い方だ。これは何かある。
とは言え、キツツキは遠回しに聞き出せるほど器用でもないので、ストレートに話を切り出すことにした。
「で、相談ってなんだよ?」
誰かの嫌がらせに困ってるなら、殴り込みに行ってやる。
ハヤブサに愛想が尽きたなら、自分がパートナーになってやる。
(あとは、なんだ……とにかく、オレにできることなら、なんでもしてやる)
そう意気込んで返事を待つキツツキに、ゲルダはストローでグラスをかき混ぜながらポツリと言った。
「私ね、子どもができたの」
「……へ」
間の抜けた声を漏らして硬直するキツツキに、ゲルダは小さく言う。
「ハヤブサ君との子なの」
「それ、ハヤブサには」
「まだ言ってない」
まだ一杯しか飲んでないのに、心臓がやけに早くドキドキと鳴っていた。
おめでとう、と言うべきだ。だが、ゲルダがハヤブサに言わなかったことを考えれば、迂闊におめでとうだなんて言えない。
キツツキはテキーラで喉を湿らせて、慎重に言った。
「……産むのか?」
「私はフリークスよ? こんな体の化け物なのよ? 私なんかが母親じゃ……この子が不幸になる」
ゲルダはうなだれながら、薄っぺらい腹を手で撫でる。呟く声は震えていた。
柔らかな黒髪が揺れて、涙の滲む目元を覆い隠す。
あぁ、なんて顔をしてるんだ……なんて顔をさせてるんだ、あの馬鹿野郎は。
「本当は産みたいんだろ」
ゲルダは口を開けて、閉じて。また何か言いかけては閉じて……そんなことを数回繰り返した末に、消えそうな声で呟いた。
「……産みたい」
一言本音を口にすれば、まるで堰を切ったかのように、悲痛な本音が溢れ出す。
「産みたいよ。でも……私、普通の病院にはかかれないから、どうしたってお金がかかる。出産するなら、フリークス・パーティに出られないから、収入が無くなる。それに……」
ゲルダはツギハギだらけの手を絶望的な顔で見下ろし、力なく首を横に振る。
「フリークスの私が母親なんて……産まれてくる子は、きっと不幸になる」
「オレはそうは思わねぇ」
キツツキはテキーラのグラスを勢いよく机に置いた。
グラスの底が机を叩く音に、ゲルダが肩を震わせる。
「なあ、ゲルダ。お前はオレが知る中で一番イイ女だ。そんなイイ女が母親なんだぜ。産まれてくる子のどこが不幸なんだよ」
あえて言うなら、産まれてくる子どもの最大の不幸は、あのハヤブサが父親ということだろう。あの馬鹿が父親だなんて、子ども達が苦労するのは目に見えている。
だけど、ゲルダがいるなら大丈夫だろう、多分。
「金のことはどーんとハヤブサに甘えちまえ。あいつ、フリークス・パーティ上位の常連だぞ」
「でも、今もハヤブサ君には迷惑かけてて……これ以上迷惑かけるわけには……」
「馬鹿言え。ハヤブサがお前にかけてる迷惑に比べりゃ、可愛いもんだろ。むしろ、お前はもっとあいつに迷惑かけていい」
力強い口調で断言し、キツツキはニィッと口の端を持ち上げて笑ってみせた。
「……それでも、お前の気が済まないんなら……お前の人生全部かけて、ハヤブサと幸せになりやがれ。お前が幸せなら、ハヤブサも幸せなんだ」
ゲルダが顔を上げる。その顔は涙で濡れていた。
なんて綺麗な泣き顔なのだろう。きっと、ゲルダはハヤブサの前ではこんな顔をしたりはしない。
(ざまぁ見ろ、ハヤブサ。ゲルダの泣き顔はオレが独占してやったからな)
ゲルダはハンカチで顔を拭うと、まだ少し不安そうにキツツキを見る。
「……私、幸せになっても、いいのかな……」
「お前が一人で抱え込んで不幸になったら、それこそ誰も幸せにならねぇよ。ほら、早くハヤブサに子どもができたって報告してこい。あいつ、盆踊り……腹踊り? して喜ぶぜ」
ゲルダは涙を拭う手を止め、ふはっとふきだして快活に笑った。
「それを言うなら、小躍り!」
あぁ、ようやくいつもの調子に戻った。〈跳ねっ返り〉ゲルダは、こうでなくては。
「やっと、笑ったな」
「……うん。キツツキ君、ありがとう」
ゲルダが店を出た後、一人残されたキツツキの向かいの席に白鶴が腰掛けた。白鶴は良い酒を次々とオーダーし、キツツキに煙草を差し出す。
「失恋しちまったねぃ」
「……聞いてたのかよ」
「たまたま隣の席にいたのさ。まあ、飲め飲め。今夜はオレの奢りだ。慰め役がこんなオッサンで悪いがな」
その晩、キツツキは白鶴と共に飲み明かした。
惚れた女と悪友の幸せを祝福しながら。
ウミネコさんがフリークス・パーティに参加するのは、もう少し後の話。




