【11-4】失踪
イーグルと別れた優花は、アリスを探して川沿いを歩いた。さっき川遊びをしたから、もしかしたらまた戻ってきているのではないかと思ったのだ。
だが、ある程度川の上流のところまで上っていっても、アリスの姿は見当たらない。優花はしばし考えた末に、子どもでも歩きやすそうな道を選んでクリングベイル城へと戻るように歩き出した。
途中で滑りやすい斜面を見つけたら、念のために下を覗き込み「アリスくーん」と声をかけることも忘れない。
そうしてひたすら山の中を歩き回っていたら、いつのまにか日が傾き始めていた。冬も近いこの季節。日が落ちる時間も早い。街灯のない森にあまり遅くまでいるのは危険だ。
自分が遭難してしまっては、それこそ洒落にならないので、優花は早足で来た道を引き返した。
(……アリス君、クリングベイル城に戻ってると良いんだけど)
昼に見て回った時は野生動物の類はあまり見かけなかったが油断は禁物だ。夜行性の動物だっているかもしれない。
周囲を気にしつつ歩いていると、どこからか低い唸り声が聞こえた。最初は風の音かと思ったが、違う。耳をすませばはっきりと、何か大きな生き物の息づかいが聞こえる。
まるで秋の終わり特有の冷たい空気の中に、むわりと生暖かい湿った空気が紛れ込んだみたいだ。そんな不気味さに優花はコクリと生唾を飲む。
……こういう時は振り返ってはいけない。
優花は一目散に城めがけて走った。一日歩き回っていた体は疲れ果てていたが、それでも必死に足を動かす。本能が、走れ、走れと警鐘を鳴らしている。
「ハァッ、ハァッ……」
やがて森を抜けてクリングベイル城の明かりが見える所までたどり着いた優花は、へなへなとその場に座りこんだ。足がガクガクと震えている。
もう、あの不気味な気配はない……と安心した時、すぐそばの茂みがガサガサと鳴った。
優花は「ふみゃっ!?」と奇声をあげて肩をすくめる……が、恐る恐る振り向いた先にいたのは、金髪の少年……アリスだ。
優花は長い溜息を吐き、胸を撫で下ろした。
「アリス君、どこ行ってたの? 心配したのよ」
アリスはやけに強張った顔で、優花よりもその周囲を気にしていた。
キョロキョロと辺りを見回し、優花以外に誰もいないことを確認すると、アリスは硬い声で言う。
「あいつはもういない?」
「あいつ?」
「……〈キメラ殺し〉」
ぽつりと呟かれた言葉には、明確な敵意が滲んでいた。
優花は眉をひそめて訊ね返す。
「……イーグルのこと?」
「ボク、あいつ嫌い」
呟くアリスの横顔は、昼間の朗らかさが嘘のように暗い。青い瞳の奥には怒りを通り越して、憎悪すらうかがえる。
前に会った時にも感じたが、アリスはキメラに何か思い入れがあるようだった。もしかしたら、優花のようにキメラの知り合いがいるのかもしれない。
「オネーサン」
アリスの小さい手が驚くほど強い力で優花の腕を掴む。
そして、泣きそうな顔で必死に懇願した。
「おねがい。オネーサンは……オネーサンだけはキメラを否定しないで」
「しないわ」
優花は迷わず即答した。そうしない理由なんて無かったからだ。
キメラを否定することは、クロウも否定することになる。
……戦うクロウは恐い。でも、その力に優花は何度も助けられてきた。
なによりクロウのふかふかの羽も、艶々した硬い爪と鱗も優花は結構気に入っているのだ。
迷いのない優花の言葉に、アリスは強張っていた顔をへにゃりと緩めて、優花の胸に抱きついた。
「ありがとう、オネーサン」
アリスの体は震えていた。その体は服の上からでも分かるぐらいに冷たい。きっと、長い時間山の中を歩いていたのだろう。
優花がそっと背中を撫でてやると、アリスはゆっくりと顔をあげ、いつものようにあどけなく笑った。
「ボク、もう行くね。エディを探すの、手伝ってくれてありがとう…………また、遊んでね」
そう言ってアリスはクリングベイル城の方へと走っていった。
(……不思議な子だなぁ)
気まぐれで、無邪気で、まるでアリスの方が猫みたいだ。
見上げた空には星が瞬き始めていた。明かりが少ないせいか、本州にいるより星が綺麗に見える。
一日歩き回った体はクタクタだったが、優花は伸びをしながら立ち上がると、別館に向かって歩きだした。
今日はなんだか長い一日だった。アリスと猫探ししたり、遊んだり、イーグルと美花の話したり……
(……イーグルと会ったことは、クロウには言わない方が良いわよね)
優花がフラフラと出歩くことさえ、良い顔しないクロウだ。宿敵のイーグルとのんびりおにぎりを食べていたなんて知ったら、きっと烈火の如く怒りだすだろう。
そういえば、クロウはもうトレーニングは終わったのだろうか。明日は燕との試合だから、そんなに遅い時間まで根を詰めてはいないだろう。
ふと、トートバッグの中を覗きこんだ優花は、鞄の底で携帯電話がチカチカと点滅していることに気がついた。普段あまり携帯電話を使わない優花は、マナーモードにして鞄の底に入れっぱなしにしている。
もしやと思い、二つ折りの携帯電話をパカリと広げ、優花は絶句した。
──着信四十九件
全て、クロウからの電話だ。
「なにこれ、こわっ」
頰を引きつらせつつ画面を眺めていると、記念すべき五十件目の着信に携帯電話が点滅した。
通話ボタンを押すと同時に怒鳴られそうな予感を覚え、優花は携帯電話を耳から少し離して通話ボタンを押す。
「……えーと、もしもーし?」
『サンドリヨン! 無事か!? 今、どこにいるっ!?』
案の定響いた怒鳴り声に、優花は更に携帯電話を耳から遠ざける。
「いや、あの、ちょっとお散歩に……」
『今、どこにいるんだ!』
「えっと、別館の前。今から中に入るとこ」
その時、上の方でダン、と硬い何かを踏む音が聞こえた。ギョッと見上げれば、五階の窓からクロウがコートをはためかせて飛び降りてくる。クロウは雨どいや装飾の出っ張りを飛び移り、優花のすぐそばに着地した。
そして、携帯電話を握りしめてポカンとしている優花を、クロウは有無を言わさず抱き寄せる。
その顔は青白く、頰には汗が浮かんでいた。夜歩きを心配していたにしては、ちょっと様子がおかしい。
「クロウ、クロウ、何かあったの?」
なだめるようにゆっくりと話しかけると、クロウは一度長く息を吐き、硬い声で言った。
「燕とサンヴェリーナが……行方不明になった」
「…………え?」
長い一日はまだ終わりそうになかった。
* * *
別館に戻った優花とクロウは、駆けつけてきたヤマネに会議室のような場所へと案内された。
そこで待っていたのは、背の低い少年と背の高い女。二人とも白衣を着ている。
優花を席に案内したヤマネが、この二人は燕が所属する花島カンパニーの関係者なのだと小声で教えてくれた。
席順は、ロの字に配置された長机の一辺に優花とクロウが、その向かいの席に花島カンパニーの二人が座り、その間の席にはヤマネ、グリフォン、そして優花は初めて見る中年の男。席から察するに運営委員会の人間なのだろう。
優花とクロウが席に着くと、向かいに座った花島カンパニーの少年と女が交互に口を開いた。
「花島カンパニー第一開発室、主任の花島豊なのだ」
「同じく副主任のケイト・ハスクリーです」
あの子どもが主任っ!? と優花は叫びそうになるのをグッと堪えた。この場の誰も──それこそクロウも、驚いた様子はないので、みんな知っていることなのだろう。
あるいはもしかしたら、ウミネコみたいにものすごく童顔なオジサンなのかもしれない。
花島カンパニーの二人に続いて、運営委員会側の席に座った中年男性がのんびりと口を開いた。
「サンドリヨンの嬢ちゃんは初めましてだな。オレぁ、ジャバウォック。フリークス・パーティ運営委員会の役員だ」
ジャバウォックは、見たところ四十代……優花の父と同じぐらいだろうか。グリフォンやヤマネよりも年長者の彼が、この場の仕切り役らしい。
「燕とサンヴェリーナの失踪に事件性があるなら、オレらも動かざるをえないんでねぇ。今回は警備部門責任者のグリフォン、姫の世話役のヤマネも一緒に話を聞かせてもらいますわ」
そう説明するジャバウォックは、眠そうに垂れた目と間延びしたしゃべり方のせいで、素面なのに酔っぱらいじみた印象がある。けれど、眠そうなまぶたの奥で鋭く光る目が、優花達を静かに観察していた。
クロウが優花に耳うちする。
「気をつけろよ。ジャバウォックは運営でも古参の曲者だ……あのウミネコを軽くあしらえる」
「クロウの『すごい』の基準って、いつもウミネコさんなのね」
優花がふむふむと頷きながら真顔で言うと、クロウは顔の中心に皺をギュッと寄せ集めた、なんとも言い難い顔をした。
そのまま黙り込むこと数秒。クロウはゴホンと咳払いをして早口で言う。
「……とにかく、お前がサンヴェリーナを心配なのは分かるが、あいつらの前で迂闊なことは言うなよ。なるべく黙ってろ」
優花が無言で頷いたところで、花島カンパニーのケイトが話を切り出した。
「単刀直入に申し上げます。あなたがた二人が今日、どこで何をしていたかお教え頂きたい」
クロウが優花が余計なことを言わぬよう目線で牽制し、ツンと顎を持ち上げて不遜に笑う。
「はっ、取り調べってか。わざわざ、証人に運営委員会まで用意して……お前らにそんな権限があるとは思えないがな」
ケイトとクロウが睨み合うと、花島がケイトを手で制した。
「ぼく達に権限が無いことは承知の上なのだ。これは取り調べではなく、ただのお願いなのだ。サンヴェリーナはサンドリヨンと仲良しだったから、何か話を聞いていないかと思って……」
私に? と優花は瞬きをした。だが、優花はサンヴェリーナの失踪に心当たりが全くない。
戸惑っていると、クロウが机をトントンと指で叩いて、全員の視線を集める。
「先にこちらの質問に答えて貰おうか。お前たちは、燕とサンヴェリーナが自分達の意志で失踪したと考えているのか? それとも、何らかの事件に巻き込まれたと考えているのか?」
そこでクロウは言葉を切り、ニィッと意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「例えば、次の試合の対戦相手に闇討ちにあった……とかな」
次の対戦相手であるクロウが燕を襲った可能性を、花島カンパニーは視野に入れているのか。
そうクロウは言っているのだ。
そんなクロウの問いに、ケイトが表情一つ変えず淡々と返す。
「どちらの可能性も考慮して、調査しています」
「なるほど模範回答だ。なら、こちらから答えることは何もないな」
ケイトとクロウの間の空気が張り詰める。運営委員会側はまだ何も言わない。
ケイトの隣の花島が、幼い顔に険しい表情を浮かべて口を開いた。
「……こちらから情報を開示しなければ、答える気はない。と言いたいのだな」
答えのかわりにクロウは薄く笑った。
こういう駆け引きの場になると、なんとも性格の悪さ……もとい、疑ぐり深さが際立つ男である。
対する花島は幼いながら、あくまで真摯な態度で自分の意見を述べた。
「ぼくは二人が事件に巻き込まれた可能性が高いと考えているのだ。だけど、君たちを疑っているわけではない。今はただ、少しでも手がかりが欲しいだけなのだ」
燕とサンヴェリーナが事件に巻き込まれた可能性が高い、という点に関しては優花も同意見だった。
燕とサンヴェリーナがフリークス・パーティから逃げただなんて、到底考えられない。それは、優花以上に二人のことをよく知っているクロウも同じだろう。
だが、事件の可能性が高いということは、つまり二人が危険にさらされているということだ。
自分がモズに誘拐された時の恐怖を思い出し、優花は体を震わせた。
フリークス・パーティの試合とは違う悪意と殺意に晒される恐怖は、なかなか忘れられるものではない。
(燕さん……サンヴェリーナちゃん……お願い。無事でいて……)
優花は祈るような気持ちで、膝の上で両手を握りしめる。
クロウは花島の真摯な態度に、多少態度を軟化させたらしい。
「ふん、答えてやる義務はねぇが……義理はある。あいつらにはサンドリヨンが世話になってるからな」
悪ぶった態度でそう前置きして、クロウは自分の今日の行動を淡々と述べた。
「オレは朝からトレーニングルームにいたぜ。利用記録は運営委員会に残っているよな」
ジャバウォックが頷きながら、タブレットで記録を確認する。
「あぁ、間違いないねぇ。防犯カメラにも映ってる。クロウは九時から十六時までトレーニングルームにいたってことで間違いない」
花島はクロウに「ありがとうなのだ」と素直に頭を下げる。
だが、その横に座ったケイトは、まだ納得がいっていない様子で、優花を見た。
「サンドリヨンは?」
「おい、サンドリヨン一人で、燕をどうこうできるわけないだろうが」
クロウが噛みつくが、ケイトは顔色一つ変えず、涼しい態度で「念のためです」と言う。
流石にそろそろ自分も発言しても良いだろう。優花はちらりとクロウを見てから口を開いた。
「私は朝からお散歩というか、探検というか……森をぶらぶらしていました」
「それを証明できる人は?」
ケイトの追求に優花は口籠る。
イーグルと会ったことはクロウの前では言いたくなかったのだが、ここで嘘をついて、後々疑われる方が面倒くさい。
「森でイーグルと会ったわ」
正直にそう話すと、案の定クロウが「はぁっ!?」と声を荒げて、椅子から腰を浮かせた。
「おい! イーグルに何かされたのか!」
「ううん。ちょっと話して、すぐに別れたけど」
「話したって何を!?」
「えー、うちの妹がお世話になってますとか……」
川で倒れていたところを拾って、一緒におにぎりを食べた辺りのエピソードは伏せておく。
「イーグルとはすぐに別れたのですか? それでは、証人としては弱いですね」
言われてみればその通りだ。優花がイーグルと一緒に行動した時間はさほど長くない。
(そうなると、他に証明できるのは……)
しばし考え、優花はポンと手を叩いてグリフォンを見た。
「あっ、そうだ。アリス君と森で会いました。イーグルといる間はアリス君とは別行動だったけど、結構長い時間一緒にいたし、アリス君に聞いて貰えば間違いないと思うわ」
この優花の言葉に対する反応は、実に三者三様だった。
まず、花島カンパニーの二人は「アリス? 誰それ?」と首を捻っている。
そして運営委員会の三人は……
「なんでアリス様が出歩いているのですかー!」
「あのガキ! 部屋で大人しくしてろっつったのに!」
「あー、こりゃ、やられたねぇ……」
何やら頭を抱えている。もしかして、自分はまずいことを言ってしまったのだろうか。
(……ごめんねアリス君)
この場にいないアリスに謝りつつ、優花はちらりと横に座るクロウを見た。
三者三様の三番目。クロウの反応はと言うと……ちょっと据わった目で優花を見ながら、なにやらブツブツ呟いていた。
「なんでお前は出かける先々で老若男女問わずたぶらかしてくるんだ。しかもオレの知らないところで。それでアリスってのは男か、男なのか? どこのどいつだ、ちょっと挨拶に行かないとな……」
発言の中に不穏なワードが混じり始めたので、優花は眉を釣り上げて抗議した。
「たぶらかすとか人聞きが悪いこと言わないでよ! あと、アリス君は子どもだからね! 苛めたりしたら怒るわよ!」
クロウと優花がそんなやりとりをしていると、ケイトがゴホンと咳払いをして口を挟む。
「サンドリヨンさんに少々質問をよろしいでしょうか? 森に出かけたとのことですが、何時ぐらいに部屋を出られましたか?」
「えーっと……九時半ぐらいかな。アリス君と会ったのは、十一時前後だったと思うけど」
そこにヤマネがサッと挙手をして発言する。
「ヤマネはサンヴェリーナ様がサンドリヨン様の部屋に向かうのを目撃しているのです。それが十時半なのです。サンドリヨン様の証言に矛盾はないのです!」
「サンヴェリーナちゃんが私の部屋に?」
何か用事があったのだろうか? 優花が首をかしげると、ヤマネがコクリと頷いた。
「サンヴェリーナ様は、サンドリヨン様にお料理を教えてほしいと仰っていたのです。厨房を出て、サンドリヨンさんのお部屋に向かって……その辺りから足取りが途絶えているのです」
優花は思わず胸のあたりをギュッと押さえた。
もし、自分が出かけたりせず部屋にいたら、サンヴェリーナが事件に巻き込まれることはなかったのでは? ……そんな考えが頭を過る。
優花の動揺を見抜いたのか、クロウがフンと鼻を鳴らして、強気な態度を崩さずに言った。
「まだ事件だと決まったわけじゃない。燕がサンヴェリーナを連れて逃げ出そうとしたって可能性もある……おい、運営。お前たちの見解はどうなんだ」
クロウはグリフォンでもヤマネでもなく、ジャバウォックを見て言った。彼がこの場の責任者であることが分かっているからだ。
ジャバウォックはタブレットをしまうと、やはりのんびりした口調で己の見解を述べた。
「運営委員会は選手間のトラブル解決のためには動くが、選手の意思による失踪にはノータッチだねぇ。現状だと事件性が低いってことで、燕は棄権扱いで終わりだ」
ジャバウォックの発言に、ケイトが「待ってください」と食らいつく。
「監視カメラも、調べていただきたいのですが」
「もうやったよ。結論から言うと、監視カメラに不審な映像はなかった」
ジャバウォックの返答に、ケイトが黙り込む。
ジャバウォックはガリガリと頭をかくと、クロウと優花を交互に見て、言葉を続けた。
「……まぁ、事件性の有無については、正直おたくらの証言が決め手だったのよ。次の対戦相手で、かつサンヴェリーナが最後に会おうとした人物」
──そう、クロウとサンドリヨンだ。
ジャバウォックの眠たげな瞼の下で、鋭い目が静かに輝く。
「分かるか? 事件なら、あんたら二人が最も有力な犯人候補だった。だけど、クロウには確実なアリバイがある。サンドリヨンの嬢ちゃんのアリバイはまだ確定じゃないが、証言に矛盾はないし、そもそも嬢ちゃん一人で燕とサンヴェリーナをどうこうできるとは思えない」
どうやら、ジャバウォックはクロウと優花のことを疑ってはいないらしい。
そのことに優花はホッと胸を撫で下ろしたが、続く言葉に息をのんだ。
「そうなると、運営委員会としてはこれ以上できることはない。明日の試合時間までに燕とサンヴェリーナが会場に来なかった場合、棄権扱いとする」
花島カンパニーの二人の顔色が変わる。
クロウはそうなることが分かっていたのだろう。それでもやはり、苦いものを隠せない顔をしていた。
そんな中、声を張り上げたのは意外にもヤマネだった。
「待って下さいなのです! ヤマネはサンヴェリーナ様がいなくなる前にお話しているのです! サンヴェリーナ様はサンドリヨン様にお料理を教わりに行くと言っていて……ここから逃げ出すようには見えなかったのです! 運営の方でも調査員を出すべきなのです!」
ヤマネの必死の主張に、ジャバウォックは眉一つ動かさず、首を横に振る。
「残念だが、それだけの人手は割けないねぇ……さて、オレらも仕事があるんでね。悪いがこれでおいとまさせて貰うよ」
取りつく島もない態度に、ヤマネが悲しそうな顔で俯く。
だが、それ以上は誰も何も言えなかった。
* * *
燕とサンヴェリーナが失踪した翌日。
会場はざわめきに包まれていた。いつも時間に正確な燕とサンヴェリーナが会場に現れない。
そんな中、司会のドードーが歯切れ悪く言う。
『……えー、燕選手は棄権との連絡が入りました。準決勝第一試合はクロウ選手の不戦勝となります!』
ざわめきは一斉にブーイングに変わる。
凄まじい怒声、罵声の中、誰よりも悔しそうな顔をしていたのは、本当はクロウだということを優花だけが知っていた。




