【11-1】ケチャップ&ビネガー粥〜抹茶の風味を添えて〜
〈女王〉のお茶とお茶菓子を受け取るために、ヤマネがクリングベイル城別館の厨房に顔を出すと、そこでは異様な光景が広がっていた。
厨房のコンロの前にはエプロン姿のサンヴェリーナ。そしてそんな彼女を厨房のシェフ達が、何故か青ざめた顔で遠巻きに眺めている。
「サンヴェリーナ様、こんにちはなのです……一体、何をされているのですか?」
「こんにちは、ヤマネさん。実は、療養中のお兄様のために、お粥を作っているんです」
なるほどコンロの前には、いかにも粥を作るのに丁度良さそうな土鍋が置かれていて、フツフツと湯気を立てている。
だが、どうしてわざわざ厨房で料理をしているのだろう? 選手に与えられた宿泊用の部屋には、簡易ではあるがミニキッチンが備え付けられているのだ。冷蔵庫や各種調理器具も一式揃っているので、粥ぐらいなら自室でも充分に作れるはずである。
ヤマネが言いたいことを察したのか、サンヴェリーナはもじもじと指をこねながら言った。
「お部屋のキッチンは、その……ちょっとお兄様の好きな水炊きに挑戦したら……圧力鍋が爆発してしまいまして……」
「……お怪我がなくて、良かったのです」
ヤマネは「みずたき」なる料理を知らないのだが、どうすれば圧力鍋が爆発するのだろう?
その時、ヤマネは気がついた。目の前の鍋のしゅうしゅうと噴きあがる湯気から、明らかに粥とは程遠いにおいがする。それも、あまり食欲をそそられない感じの。
「……あの、サンヴェリーナ様。それは、お粥、なのですよね?」
サンヴェリーナはこくんと頷き「そろそろ良いかしら」と鍋の蓋を開ける。
鍋の中身は赤かった。真っ赤な液体の中で米はどろどろに溶けて糊のようになっており、挙句どういうわけか、表面には緑色の物体がダマになっている。
「……サンヴェリーナ様、ヤマネの記憶が確かなら、お粥とはお米をやわらかく炊いたものなのです」
「そうなんです。それだけじゃ味気無いかなと思って、ちょっとアレンジしてみたのですが……」
ヤマネは知っている。料理下手の「ちょっとアレンジ」ほど恐ろしいものはないと。
ヤマネの大事なお嬢様も、たまにお料理に「ちょっとアレンジ」をしては、恐ろしい物体を生み出したものである。
ヤマネは恐る恐るサンヴェリーナに訊ねた。
「……サンヴェリーナ様、そのお粥……味付けは何を?」
「さっぱりした方が良いかと思って、お酢を少々。あとはお兄様のお好きなお抹茶と、私の好きなケチャップと……」
なんということだろう。このままでは間違いなく、燕は準決勝に出られなくなってしまう。腹痛で。
それだけはフリークス・パーティ運営委員会として、何としても阻止しなくては。
「はっ! ヤマネ、閃いたのです! サンヴェリーナ様はサンドリヨン様と仲良しですよね!?」
「はい、お、お友達……です。あっ、えっと、わたくしが一方的にそう思っているだけかも……」
サンヴェリーナはもじもじと恥ずかしそうに指をこねる。
ヤマネはずいっとサンヴェリーナに詰め寄り、勢い良く言葉を続けた。
「サンドリヨン様は、お料理がとってもお上手らしいのです! だから、サンドリヨン様に教えて貰ったら、きっと美味しく作れると思うのです!」
「まぁ、それは良いアイデアですね! 早速、行ってみますわ!」
そう言ってサンヴェリーナは土鍋を持って行こうとしたので、ヤマネは慌てて制止する。
そして、洗い物はこちらでやりますから、どうぞどうぞその鍋は置いていってください……とヤマネはシェフ一同と協力してサンヴェリーナを説得した。
かくして、ヤマネはサンヴェリーナをサンドリヨンの所へ行くように誘導することに成功したのである。
サンヴェリーナが厨房を後にしたところで、ヤマネは額の汗を拭う仕草をして息を吐いた。
「ふぅ……ヤマネ、いい仕事したのです」
* * *
「サンドリヨンさんのお部屋は五階でしたわね……今はお部屋にいらっしゃるかしら?」
サンヴェリーナはスカートの裾を揺らしながら、階段を上っていく。
サンヴェリーナはエレベーターが苦手だ。正確に言うと、エレベーターで知らない男性と二人きりになったり、囲まれたりすることが怖い。それはフリークス・パーティに参加する前から、ずっとそうだった。いかにもおとなしくて抵抗しなそうなサンヴェリーナは、女性に悪戯をする男の標的にされやすい。
だから、一人の時はなるべくエレベーターに乗らないようにしている。
ふぅふぅ、と息を吐きながら五階まで上ったところで、部屋の並びを確認していると、肩を叩かれた。その時、頭をよぎったのはサンドリヨンだ。
──どうしたの、サンヴェリーナちゃん?
そんなサンドリヨンの言葉を期待して振り向いたサンヴェリーナは、目を見開き凍りつく。彼女の肩を叩いたのは、サンドリヨンではなかった。
「……え?」
サンヴェリーナの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……あなたは……何故、こんなところに……ッ」
サンヴェリーナに白い手が伸びる。その手には、何かを湿らせたハンカチが握られていた。
サンヴェリーナはさっと踵を返して走り出す。
「誰かっ……兄様、っ……」
サンヴェリーナの悲鳴はすぐにハンカチで塞がれ、くぐもった悲鳴は誰にも聞かれることのないまま消えていく。ハンカチからは、ツンと鼻に付く刺激臭がした。
せめて、何か抵抗しなくては。そう、サンドリヨンみたいに。
だが、もがけばもがくほど、体から力が抜けていく。必死の覚悟で握りしめた拳も、指に力が入らず、やがてだらりと体の横に垂れた。サンヴェリーナの視界がかすれていく。
(…………あぁ、どうして)
意識が闇に沈んでいくのを感じながら、サンヴェリーナは瞼の裏に兄の姿を思い描いた。
(……お兄様、ごめんなさい)
* * *
自室で瞑想していた燕は、やがてゆっくりと立ち上がり、手元の時計のボタンを押した。視力の無い彼のために用意されたその時計は、音声で現在時刻を教えてくれる。
『只今の時刻は、十一時三分です』
燕は体内時計の正確さに自信がある。音声が告げた時間は彼の体内時計とほぼ一致していた。
(……やはり、遅い)
サンヴェリーナが部屋を出てから、もう随分と時間が経っている。
ライチョウ戦のダメージが残る燕は、次のクロウとの試合まで絶対安静を言い渡されていたのだが、迷わずサンヴェリーナを迎えに行くことを決めた。
燕はしばし考え、刀を腰のベルトに下げ、それとは別に杖を手に取る。
彼は散策をするだけなら、基本的に刀は持ち歩かない。フリークス・パーティの会場で、銃刀法に目くじらを立てる者はいないが、サンヴェリーナが燕の左側に立つことが多いので、己とサンヴェリーナの間に刀を挟みたくないのだ。
だが、今は妙な胸騒ぎがした。燕は刀の位置を確認し、赤外線センサーをオンにする。
その時、コンコンと部屋がノックされた。一瞬、サンヴェリーナが戻ってきたのかと思ったが、気配が違う。
(……これはサンヴェリーナの気配ではない)
運営員会の誰かだろうか? そう思いながら、燕がドアノブを握った瞬間……バヂィッ、という音と共に、燕の全身を電流が駆け抜けた。
「──っ、ぐ!?」
フリークス・パーティでは、スタンガンの持ち込みも許可されているが、ある程度威力が制限されている。
しかし、今ドアノブ越しに流された電流は、明らかにその域を越えていた。
燕はズルズルと扉にもたれるように膝をつく。
「……が…………ぁ……」
赤外線センサーがエラーを起こし、システムがシャットダウンした。燕の視界が一気に暗くなる。それでも、彼の優れた耳は扉を無理やり押し開けて中に入ってくる者の気配を察知した。
侵入者は燕のそばに膝をつくと、再び燕の体に何かを押し当てる。再び、電気を流され燕の体が大きく痙攣し、動かなくなる。
「…………」
侵入者は無言で燕を見下ろすと、その体を担いで歩き出した。
* * *
青い空、白い雲。
気持ちの良い秋晴れの空を見上げながら、如月優花は木の上でバナナを食べていた。
「あー、いい天気ー。これは絶好の探検日和ね…………もぐ」
いよいよ明日は準決勝。燕とクロウの試合だ。クロウは明日の試合に向けて、今日は一日トレーニングルームにこもるらしい。
そんな訳で一日暇になった優花は、島の散策をして過ごすことにした。
クロウにはあまりフラフラ出歩くなと言われていたが、この島に来てからというもの、基本的に部屋に缶詰め状態だったのだ。たまには外の空気を吸ってリフレッシュしたい。
なによりも、優花はこの島に来た時からずっと、冒険心をくすぐられて、うずうずしていたのだ。
自然豊かな小島、その中央に佇むミステリアスな古城! なんて心踊る響き!
優花は小さい頃から、森だの山だのを探検と称して歩き回るのが大好きだった。秘密基地を作ったり、宝物を隠して宝の地図を作ったり。
そんなわけで、優花は簡単な弁当を作ると、まずはクリングベイル城をまっすぐ南に歩いて、登りやすそうな木を選んでその上に登った。まずは高い所から島全体を眺めたかったのだ。
東京から船で数時間の距離にあるこの島は、海岸は砂浜より岩場が多く、また島の殆どが山なのでリゾートムードはあまりない。
唯一の建築物であるクリングベイル城は、本館と比べて別館の方が圧倒的に広いつくりになっていた。正面から見た時はさほど違和感はなかったが、高い場所から見下ろすと、増築の痕跡が見てとれる。
(庭も広いなぁ……下手なグラウンドより広いんじゃない、これ?)
準々決勝で使った薔薇迷宮ですら、こうして見ると庭の半分程度でしかないのだ。
「…………あれ?」
秋薔薇の美しい庭園を木の上から眺めていた優花は、ふと眼下に広がる光景に違和感を覚えた。
クリングベイル城の庭は城をぐるりと囲うようにできているのだが、一部だけ不自然に狭い場所がある。そこだけ、後から木を植えたのだろう。明らかに木の色が他と違う。
優花は顎に手を当てると、にんまりと口の端を持ち上げる。
「……ふむふむ、これは秘密のにおいがするわね!」
別に本気で隠し財宝やら遺跡やらを探しているわけじゃない。ちょっとしたノリというやつだ。
優花は周りに面倒を見るべき年下の人間がいると、年上らしく落ち着かなくては……と我慢してしまう性分だが、実際は結構なお転婆なのである。
「うーん、この辺かな?」
優花は庭園の外壁をぐるりと周り、先ほど気になった場所までたどり着いた。
こうして実際に来てみると、特に違和感は無い。
(高いところから見ると、何か変だと思ったんだけどな……)
確かに途中から不自然に木の種類が変わっているが、それだけだ。単に城の主人が気分転換に違う木を植えただけかもしれない。
(……気にしすぎかな)
次はどこへ行こうか。山道をちょっと歩いてみようか、などと考えていると近くの茂みがガサリと揺れた。まさか野生動物? と思いきや……
「あ、おねーさん!」
「え?」
茂みからぴょこんと飛び出したのは、鮮やかな金髪。声の主は自販機王子改めアリスだった。
アリスは仕立ての良い服や金髪に葉っぱをくっつけて、ニコニコしている。
「やっぱりおねーさんだ、こんなところでなにしてるの?」
「…………お散歩……かなー」
お弁当持って探検ごっこ、と正直に言うのも恥ずかしかったので、優花は適当にお茶を濁した。
これぞ大人の対応というものである。
「そういうアリス君は何をしてたの?」
「ボクは猫を探してるんだ」
猫、という言葉に優花は瞬きをした。
アリスは予選会場で会った時も同じことを言っていた。灰色の毛並みに金色の目の猫を探しているのだと。優花は言葉を選びつつ、アリスに訊ねる。
「予選会場にはいなかったの?」
「うん……でも、間違いなくここにいる。ボクには分かるんだ」
そう断定するアリスは、やけに強い口調だった。飼い主の勘というやつだろうか。
だが、予選会場とこの島はだいぶ離れている。アリスが猫とはぐれたのは、一体いつなのだろう?
色々と違和感を感じつつ、優花はまず一番大切なこと──彼の保護者の有無を訊ねた。
「ねぇ、今日はグリフォンさんは一緒じゃないの?」
「オジサンは、お仕事してるの」
グリフォンは運営委員会の人間だ。きっと忙しいに決まっている。面倒見の良い優花は、放っておけずアリスに提案した。
「良かったら、私も一緒に猫さん探しましょうか?」
「本当? ありがとう、おねーさん!」
アリスは満面の笑みを浮かべて、優花の足に抱きついた。その仕草が弟達の幼少期を思い出させて、優花はほんの少ししんみりとする。
あぁ、草太と若葉は元気にしているだろうか。ちゃんとご飯を食べているだろうか。
そんなことを考えつつ、優花はアリスの頭を撫でた。
「それじゃ、この辺を探してみましょうか。探してる猫の名前は?」
「エディだよ」
「……エディ?」
優花は眉をひそめる。脳裏をよぎったのは、数日前に自販機の前でアリスと交わした会話。
『ボク、オネーサン好きだな。エディにも会わせてあげたい』
『……エディ?』
『ボクの大好きなオニイチャン。あっ、これ、みんなには内緒だよ? 絶対絶対内緒にしてね! 約束だよ!』
「エディって、アリス君のお兄さんの名前じゃなかった?」
「そうだよ。アリスのお兄ちゃんがエディ。アリスの猫もエディなんだ」
優花はなんとも言い難い表情を浮かべた。
……弟が猫に自分の名前つけてたら、兄は内心複雑なのではないだろうか。
もし、美花がペットに「ゆうか」という名前をつけたら、優花なら間違いなく引っ叩く。
「えーっと、猫のエディとはどこではぐれたの?」
「……わかんない。気づいたらいなくなっちゃって……みんな言うんだ……『あきらめろ』『エディのことは忘れなさい』って」
アリスは言葉を切ると、グスッと鼻を啜った。続く呟きは、声が震えている。
「エディ、どこにいるのかな。ボクがワシャワシャ撫でたから怒っちゃったのかな。ボクのこと、き、きらいになっちゃったのかな」
「大丈夫」
体の横でかたく握りしめられたアリスの拳は震えていた。
優花は小さなその手を包み込むように握り、ゆっくりと言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す。
「大丈夫。エディはきっと、アリス君が探してくれるのを待ってる」
「待ってる?」
「うん、きっと待ってる。だから、頑張って一緒に探そう。ね?」
「うん……うん!」
目尻に涙を浮かべてコクコクと頷く姿は、まるで天使のようだった。
かくして、優花とアリスの猫探しが始まったのである。
不思議の国のアリスが追うのは、白兎ではなく灰色の毛並みと金色の目の猫。
そういえば、以前アリスがくれた猫のバッチも、灰色の毛並みに金色の目をしていた。優花はトートバッグにつけた手作りのバッチを指で撫でる。
「ねぇ、もしかして、このバッチって猫のエディがモデル?」
「そうだよ! 本物のエディは大きくてふわふわで、ちょっとツンツンしてるけど、ボク大好きなんだ!」
(……ツンツン?)
言われてみれば、バッチの猫はちょっぴり不機嫌そうな、ムスッとした顔をしている気がする。どうやら、あまり人懐こい猫ではないらしい。
優花は今更ながら、おやつに煮干しも持って来れば良かったと後悔した。
塩分の多い煮干しは、あげすぎにはご注意ください。




