【2-2】彼氏の家にお泊まりセット・必須アイテム特集☆
──優花が扉を開けると、そこにはメイド服の少女がいた。
優花が住んでいる地域は田舎なのでメイド喫茶なんてものは無かったし、当然メイド服で町を歩いている者もいない。優花が見たことのあるメイド服なんて、せいぜい文化祭でメイド喫茶をやったクラスの生徒が着ていた安物の衣装ぐらいである。
今、優花の目の前にいるメイド服の少女は、若葉より年上、草太より年下……十三、四歳程度に見えた。西洋人形のような白い肌に高い鼻、ぱっちりとした青い目。身につけているメイド服は裾の長いクラシカルなデザインだが、栗色の髪を二つに分けて高い位置で結っているのが、年相応の少女らしくて可愛らしかった。
少女は目を丸くしている優花の前で、スカートの裾を押さえてぺこりと頭を下げる。
「お初にお目にかかりますなのです、サンドリヨン様。わたくし、フリークス・パーティ運営委員会のヤマネと申します」
丁寧な口調に優花は面食らったが、クロウはヤマネと面識があるらしい。
お前か、と呟いたクロウは玄関の扉を開けて、ヤマネを中に招き入れる。
ヤマネは靴を脱いでスリッパに履き替えると、その手にぶら下げていた大きな紙袋をガサガサと床に置いた。
「先程、笛吹の方からクロウ様の姫が変更になったとの報告を受け、諸調整の為にお伺いいたしました。サンドリヨン様、ヤマネはパーティに参加される姫様方のお世話を命じられております故、お困りの際は、なんなりとお申し付け下さいませ」
「は、はぁ……」
ヤマネの時代錯誤な服装と言葉遣いに辟易しつつ、優花は曖昧に頷いた。
(こんな小さい子が運営委員会の仕事をしてるの? ……しかも、メイド服で)
もしかして、運営委員会というのは人身売買をしてる怖い組織なのではないだろうか……有り得るかもしれない。優花とて身売りされたようなものである。
「サンドリヨン様、顔色が悪いのですよ? 大丈夫ですか?」
「え、あぁ、うん……ありがとう、えーと……これからよろしくね、ヤマネちゃん」
「はいなのです!」
拙い日本語で元気いっぱいに応じられ、優花はなんとも言えない複雑な気持ちになった。
(この子も身売りされたのかな。それで、こんな服を着せられて働かされてるとか……うっ、ちょっと泣けてきた)
優花が目頭を押さえていると、ヤマネが大きく一歩踏み出して、優花との距離を詰めた。
「つきましては……失礼いたします!」
ヤマネは短い両腕を伸ばし、紅葉みたいな手で優花の胸を鷲掴みにした。真正面からむぎゅっと。
「ぎゃぁっ!?」
「むむむ……やはり、美花様とはサイズが違うのです」
「何の話!?」
叫ぶ優花には目もくれず、クロウがヤマネに進言した。
「あと、腰も細いぞ。多分、三センチは違う」
「なるほどなのです。サンドリヨン様。どうか、動かないでくださいませ」
「いや、動くなって言われても!! ちょっ、お腹触らないでぇぇぇっ!!」
それからヤマネの手で全身をまさぐられること、数分。
ぐったりと床に膝をついている優花の横で、クロウとヤマネは、優花の体のサイズを記したメモを眺めて大真面目に何事かを相談していた。
「バストマイナス二センチ、ウエストマイナス六センチ、ヒップマイナス二センチ、肩幅も調整が必要です。双子と言えど、生活環境が異なれば、体型が異なるのも当然なのです」
「しかし、メジャーも無いのに、よく分かるもんだな」
「えっへん、ヤマネはプロですから」
プロならメジャーを使うべきではないだろうか、というツッコミをする元気は今の優花には残されていなかった。
「クロウ様、デザインはどうされますか? 希望がなければ、こちらから幾つかパターンをお送りいたしますが」
「それで頼む。詳細は後でメールする」
「かしこまりました。大会まであと二週間を切っているので、連絡はお早めにお願いいたしますなのです」
そう言って、ヤマネはメモ帳をエプロンのポケットに戻す。優花は恨めしげな目でクロウとヤマネを交互に見た。
「ねぇ、今のはなんだったの……」
「パーティで着るドレスの採寸なのです。姫様方にステキなドレスを用意するのも、ヤマネの重要ミッションなのです!」
ヤマネの言うパーティとは、フリークス・パーティのことを言うのだろう。
確かにパーティと言えばドレスコードがあり、紳士淑女が着飾るのは当然……だが、フリークス・パーティが絢爛豪華な舞踏会ではないことを優花は知っている。
優花が黙り込むと、クロウがフンと鼻を鳴らした。
「VIPの観客どもを喜ばせるための、演出だとよ。こんなところにばかり金をかけるんだから、馬鹿げた話だろう?」
ドレスを身に付けた紳士淑女の殺し合い……想像するだけで気分が悪くなる光景だ。
拳を握りしめて俯くと、そんな優花の手をヤマネがそっと包み込む。
「サンドリヨン様、どうかどうか、そのようなお顔をしないで下さいませ。あまり怯えを顔に出すと、付け込まれます」
「つ、付け込まれるって……誰に?」
引きつる声で言うと、ヤマネは優花の手を包み込んだまま、顔を持ち上げる。少女の細い眉毛は、悲しげな八の字になっていた。
「パーティに参加される方々は、常に自分よりも弱い獲物を探しております。特に、怯えた顔をしている姫は格好の的かと」
優花は自分に向けられる殺意を想像し、ぞくりと背すじを震わせた。
コクリ、と生唾を飲む音がやけに鮮明に耳の奥で響く。頭がゆっくりと締め付けられるみたいに軋む。握りしめた手のひらは冷たい汗でじとりと濡れていた。
「おい、ヤマネ。うちのサンドリヨンをびびらせるな」
「はっ、も、申し訳ありません、サンドリヨン様! あのあの、決して決して怖がらせたかったわけではなくてですね……」
クロウの言葉にヤマネがあたふたと頭を下げる。優花は強張っていた頰になんとか笑みを浮かべて、首を横に振った。
「……ううん、いいの。気にしないで」
寧ろ、たまにそうやって思い出した方が、現実から目を逸らさなくて済む。自分が置かれた現実を。
ヤマネは申し訳なさそうな顔で指をもじもじさせていたが、何かを思い出したかのようにハッと顔をあげると、床に置いていた紙袋を持ち上げた。
「あの! サンドリヨン様は、先日、姫に選定され、着の身着のままこのマンションに拉致されたと、笛吹からうかがいました」
「拉致とか言うな。物騒だろうが」
不満そうに口を挟むクロウを、優花は半眼で睨んだ。誰よりも物騒なのはこの男である。
「それでは何かと不便も多いかと思いまして、お節介ではありますが、必需品を幾つか見つくろってきたのです」
そう言ってヤマネは優花に紙袋を差し出す。
中には替えの下着やパジャマ、歯ブラシ、簡素な着替えなどが入っていた。どれも新品だ。
「え、あの……貰っていいの? これ」
「姫様方のサポートがヤマネの仕事ですので、どうぞお構いなくなのです」
「あ、ありがとう!」
優花が素直に顔を輝かせて礼を言うと、ヤマネはパッと花が咲くみたいに可愛らしい笑みを浮かべた。
「えへへ~。お役に立てれば幸いなのです」
着替えの類は後日草太に送ってもらうつもりではいたが、細かな生活必需品はまだ揃えていなかったので、正直、とてもありがたい。
ヤマネが用意してくれた物には下着など、男性には頼みづらい物も多く、女性ならではの細やかな心遣いが嬉しかった……が。
「……ん?」
底の方に下着らしき物が見えたので、優花はクロウには見えないように紙袋に入れたまま、薄っぺらい生地を広げてデザインを確かめた。
「……ナニコレ」
普段優花が身につけている安売りの下着とは比べ物にならない、一目で高級と分かるレースの下着。
とても可愛い。可愛いのだが、レース部分が多すぎて色々とギリギリだった。ヒラッヒラで、ピラッピラで、スケッスケである。
更に、お揃いの生地のベビードールまで同封されていた。レースとリボンがたっぷりで、これまたヒラッヒラで、ピラッピラで、スケッスケである。
そして、そんなセクシーランジェリーの影に隠れていた小さなパッケージには「極薄!」の文字が……
絶句する優花を、ヤマネが不思議そうに見上げた。
「サンドリヨン様。何かおかしな物がありましたですか?」
「おかしいっ! 明らかに生活必需品じゃないっ!!」
「うぇぇ、気に入りませんでしたか? ネットで見た、『彼氏の家にお泊りセット』を参考に一式揃えたのですが……何か不要な物がおありでしたら、回収するのです」
何を参考にしてるんだこの子は! と胸の内でツッコミつつ、優花はハッと顔を硬ばらせる。
回収するということは、これを紙袋の中から出さなくてはいけないということだ──クロウの目の前で!
「いや、あの、えっと……や、やっぱイイカナー……」
あはははは、と虚ろに笑いながら、優花はベビードールを紙袋の下の方にギュムギュムと押し込んだ。
* * *
「あ、草太? 荷物送ってくれた? えぇ、ありがとう。ご飯はちゃんと食べてるの? ……大丈夫よ。元気にやってるわ」
風呂上がり、優花は入れ換わりでクロウが風呂に入ったのを見計らって、マンション備え付けの固定電話から、家に電話をかけていた。
「部活はどう? うん、そう……なら良かった……私の仕事? うん……大丈夫よ。周りの人達も……個性的な人ばかりで」
口が裂けても「良い人達」とは言えなかった。
優花が出会ったフリークス・パーティ関係者は、クロウ、笛吹、ヤマネ……「良い人」と明言できるのはヤマネぐらいである。
それからしばらく弟達の近況報告に耳を傾けていると、洗面所の方から聞こえていたドライヤーの音が止まった。そろそろクロウが洗面所から出てくるころだろう。
「……それじゃあ、おやすみ。草太、若葉」
優花が受話器を置くのとほぼ同時に、クロウが戻ってきた。
クロウは風呂上がりだというのに、タートルネックのシャツを着ている。それと黒い手袋も。
(……寝る時ぐらいもっと楽な服を着れば良いのに)
「誰と電話してたんだ」
クロウの水色の目がじぃっと電話を見ている。特に隠す理由もないので、優花は正直に答えた。
「弟よ。今、うちの家、高校生と小学生が二人だけなのよ。心配するのは当然でしょう」
「……そうか」
とりあえず、咎められている訳ではないらしい。良かった、と優花は胸をなでおろす。家族と連絡を取るのも駄目だと言われたらどうしようと、密かに不安に思っていたのだ。
クロウは冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出して中身を煽ると、チラリと優花を見た。
「オレはもう寝る。お前はどうする?」
「私も寝るわ。毛布、一枚借りてもいい?」
クロウは何故か無言で優花を見る。
(え、駄目? 流石に毛布無しはきついんですけど)
どうしたものかと優花が戸惑っていると、クロウは口の端を持ち上げて、少しばかり意地の悪い笑みを浮かべた。
「昨晩、お前が勝手に毛布を持っていきやがったせいで、オレは寒い思いをしたんだが?」
言い回しが陰険である。
(でも、朝起きた時に余分にかかってた毛布は、私が持っていった物じゃないわよ!)
優花は無言でクロウを睨みつけた。クロウも何も言わない。
そのまま見つめ合うこと数秒。優花が先に折れた。
「……はいはい、分かりました」
「あぁ、分かればいい」
うんうんと頷くクロウを、優花はじろりと恨めしげに睨む。
(……本当に嫌な奴! 女の子に毛布も無しで寝ろってか!)
明日は絶対に毛布を買ってこよう、と優花は心に誓った。それぐらいは経費で買っても問題ないだろう。
とりあえず、今日は上着を何枚か羽織ればしのげるだろうかと、優花は美花が残した服の中から比較的分厚い上着を引っ張りだす。そして、それをパジャマの上から羽織って、ソファで丸くなった。
「……お前、何やってんだ?」
「何って、寝るんでしょ?」
「だから、何でそこで寝るんだよ」
「……ソファで寝ちゃ駄目なの?」
「おかしいだろうが」
つまり「お前なんぞはソファで寝る価値もねぇよ」ということだろうか。なんて心の狭い!
「……分かったわよ」
優花はしぶしぶソファから降りると、ラグの上で丸くなった。やっぱり少し固い。クッションを敷いたら少しはマシになるかしら、と優花がクッションをかき集めると、クロウが癇癪でも起こしたかのように叫んだ。
「だから、なんで床で寝るんだよ!?」
「あぁもう、うるさいわねっ! じゃあなに!? ベランダで寝ろって!?」
「誰もんなこと言ってねぇ! 普通にベッドで寝りゃいいだろうが!!」
あー、なるほど、普通にベッドで。なるほどなるほど……と一瞬納得しかけた優花は、いやいや待て待てと眉間に皺を寄せる。
「そしたらあなたはどこで寝るのよ?」
「ベッドだが」
「だからっ、ベッドは一つしかないじゃない!」
「一緒に寝りゃいいだろーが!」
あぁ、なるほど、一緒にベッドで。と優花は手を打ち……
「いやおかしいっ!」
「なんでだよ!」
怒鳴るクロウに、優花はほんの少し口ごもりつつ答えた。
「だ、だって、同じベッドって……」
普段優花は弟達と同じ和室で布団を並べて寝ているが、クロウは弟でもなんでもないのだ。絶対におかしい。
そんな優花の動揺を察したのか、クロウはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべると、ツンと顎を持ち上げて高慢に言い放った。
「なんだぁ? オレが手ぇ出すのを期待してんのか?」
「…………」
優花は無言でベランダへと続く窓を開けた。
高層マンションのベランダは充分に広いし、柵があるから寝がえりで転落死する心配もない。
(新聞をかぶって寝ると外でも暖かいらしいわね……どこかに新聞紙あったかしら)
イライラしながら今夜の毛布(新聞)を求めて室内を見回していると、クロウが大股で窓に近づいてきて怒鳴り散らした。
「何してんだお前はっ!?」
「あんたにそんな誤解をされるぐらいなら、外で寝た方がマシって言ってんのよ。おやすみなさい」
ピシャリと窓を閉めてやると、慌ててクロウが窓を開けた。
「――っ、馬鹿っ! いいから中入れっ! 風邪ひくだろうが!」
そのままグイグイと手を引かれ、優花は室内に引きずり戻された。どうやら、このやりたい放題な暴力男にも、世間体を気にするぐらいの神経はあったらしい。
クロウは優花の背中を寝室の方に押しやると、切実な声で叫んだ。
「分かった! 分かったから! 絶対に手ぇ出さないから、大人しくベッドで寝ろ!」
「だったら最初っからそう言いなさいよ」
「お前が変な勘違いするのが悪いんだろ!」
「勘違いさせたあんたが悪いんでしょうが!」
いよいよ「あなた」呼ばわりも面倒くさくなって、優花はつっけんどんに言い放つ。
クロウはぐしゃぐしゃと黒髪をかき乱し、苛立たしげに地団駄を踏んだ。もはや、初対面のクールさなど微塵も感じられない。
「あー、くそっ! 面倒くせぇ女だなぁ!」
「あんたの方が絶対に面倒くさいと思うわ」
低い声で吐き捨てて、優花はクイーンサイズのベッドの中に潜り込んだ。ベッドは想像以上にふかふかで、羽毛布団は軽いのに温かい。
「それじゃ、お言葉に甘えておやすみなさい…………何かしたら、顔面陥没させてやるから」
温かな布団に包まれていると、すぐに眠気が訪れる。優花がとろとろと微睡んでいると、クロウがため息混じりに呟く声が聞こえた。
「……なんでオレ、こんな女を『姫』にしたんだろ」
「ご愁傷様」
私だって、なりたくてなった訳じゃないわよ。そう小さく呟いて、優花は布団の中に潜り込む。
(あー、ふかふかぁ……ソファもふかふかだったけど、こっちはまた格別……)
初日の夜は不安を抱えていたせいで、なかなか寝付けなかったのだが、今日はクロウに対して言いたいことをぶつけられたせいか、妙にスッキリしていた。お腹いっぱいにご飯を食べたのも大きい。生物は腹が満たされると、眠くなるものである。
布団に入って僅か一分で、優花は安らかな眠りに落ちた。
* * *
あんなに怒鳴りあっていたのに、布団に入るなり熟睡してしまった自分の姫に、クロウは呆れの眼差しを向ける。
(文句言ってたくせに、もう寝てやがる……神経の図太さは姉も妹も変わらず、ってか)
少しだけ癖のあるセミロングの髪。小さい鼻。よく食べる大きい口。今、クロウの前で無防備に寝ている女は、見れば見るほど妹にそっくりだ。
ただ、妹の方が愛嬌があったし、化粧も上手かった。
『クロウの前でスッピンとか無理! 絶対無理だから!』
美花はいつもそんなことを言って、スッピンを晒すのを頑なに嫌がっていた。まさか同じ顔の双子の姉がクロウの姫になるなんて、思いもしなかったのだろう。
姉の顔を見ていれば分かる。女にしては些か鋭い目つき、しっかりとした太い眉……美花はこれを化粧で隠していたのだ。
目鼻立ちがくっきりとして目つきがやや鋭いので、確かに好みが分かれる顔ではあるが、ご飯を頬張って幸せそうに笑う顔は悪くなかった、とクロウは思う。
(……こいつ、気づいてんのか? 委員会から斡旋された姫ってのは、騎士の愛人も同然だってことに)
契約書にも、姫は騎士から性交渉を求められた場合、原則として拒んではならないという旨のことが書かれているのだが、おそらくこの女は気づいていないのだろう。
ベッドに乗り上げ、眠る女の顔の横に手をつく。クロウの体重の分だけベッドが沈んでも、まるで起きる気配はない。
半開きの口がムニャムニャと動いて何事かを呟く。
「……うーん……おかわりー……」
気の抜ける女だ。
クロウは複雑な顔でベッドを一度下り、反対側から回りこんで布団に潜り込む。そうして隣で眠るサンドリヨンに小さく小さく呟いた。
「おやすみ、サンドリヨン」