【幕間21】いらないもの
優花がクロウと暮らすマンションには、最初からある程度の家電が備え付けられている。そのどれもが最新式の立派な物ばかりだ。
それはテレビも例外ではなく、リビングには如月家の倍はある立派なテレビが設置されていた。
高校を卒業して働きに出るようになった優花は、朝から晩まで働きづめで、テレビなんて朝のニュースぐらいしか見ていなかった。だから、バイト先で流行りの歌やドラマの話題についていけず、寂しい思いをしたことは一度や二度じゃない。
クロウに拉致されて無理やり始まった同居生活は、今まででは考えられないぐらい時間に余裕がある。それ故、テレビを見る時間が増えたことが、優花は密かに嬉しかった。
クロウは自分からテレビをつけることは無いが、優花がテレビを見ていると何だかんだでリビングにやってくる。そうして、ソファで一緒にテレビを見て、番組にいちいち突っ込みや辛口のコメントをするのだ。
優花も静かにテレビ鑑賞をするより、弟達とわいわい騒ぎながらテレビを見る方が好きなので、そんな団欒の一時を楽しんでいる。
何よりテレビ番組を真面目に批評するクロウは、見ていてちょっと面白いのだ。
例えば、優花の最近のお気に入りの『白米探偵ぶらり旅シリーズ』
白米好きの白米探偵が究極の白米を求めて日本全国を旅する途中で事件に巻き込まれ、それを解決していくストーリー。作中では毎回、ご当地のお米とその美味しい食べ方が紹介される。
これを観たクロウは、それはそれは渋面で「グルメか推理か旅行番組か、コンセプトをはっきりさせろよ」と突っ込んでいたのだが、そのくせ毎回律儀に犯人を推理しようとしているのが面白い。
なお、白米探偵はチューリップハットと和装が標準装備の白米大好きな、土佐訛りで金髪碧眼のフランス人である。事件解決時の決め台詞は「ごっつぁんです」
優花は普通に格好良いと思うし、ウミネコも「超イカス!」と大絶賛していたのだが、クロウは「ミステリー舐めすぎだろ。世界中の推理作家に土下座して謝れ」としかめっ面をしていた。意外とミステリーにこだわりがあるらしい。
洗濯物を取り込んだ優花は時計を見上げた。白米探偵の再放送までは、まだ少し時間がある。
クロウはソファに座ってテレビを観ていたので、優花はその近くに座って洗濯物を畳むことにした。白米探偵の時間になったら、チャンネルを譲ってもらおう。
今、クロウが観ているのは、経済ドキュメンタリー番組だ。
この不況の時代に経営を持ち直した社長の、奇跡を起こした経営方法と銘打っただけあって、ゲストには有名企業の役員が揃っている。
コメンテーターの席には経済ジャーナリストや大学教授に混じって、アイドルや芸人が座っていた。
いつもならここで、クロウが「なんで経済と関係ない奴らをこんな番組に出すんだ。馬鹿なのか」とかなんとか、イチャモンをつけるのに今日は珍しく静かだ。
それどころか、いつもテレビ番組なんか興味ありませんという態度のクロウが、今はくい入るようにテレビを睨みつけている。
『お次にご紹介するのはこの方、黒須グループ代表取締役の黒須社長です』
『どうも、よろしくお願いいたします』
立派なスーツを着た自動車メーカーの社長が、司会者の質問に軽快なトークを交えつつ、自身の経営方針を力強い口調で語る。
『一時は不況で苦しい時期もありましたが、不要なものは速やかに手放し、必要なものは決して手放さない。これが最も重要なことだと……』
ガシャン、という激しい音に、優花はギョッとして洗濯物から顔を上げる。テレビは画面の中央に大きなヒビが入った状態で倒れていた。テレビ台のそばには、これまたひび割れたリモコンが落ちているから、おそらくクロウがリモコンをテレビに投げつけたのだろう。それも、テレビが倒れるぐらいの勢いで。
「クロウ、どうしたのよ突然……」
優花が声をかけると、クロウは噛み締めた歯の隙間から低く唸った。
「従業員千五百人と、実の息子」
「え?」
「あの男が捨てた『不要なもの』だ」
あの男、と言って彼はテレビを睨んでいた。それが誰を指しているのかなんて、言うまでもない。
「そのくせ、不動産と高級車は最後まで手放さなかったんだぜ。笑えるだろ」
「クロウ」
「ビジネススタイルもクソもねぇ。あの男はグロリアス・スター・カンパニーに息子を売って、その金で会社を立て直した。それだけだ」
沈黙したテレビを見つめて、訥々と語るクロウは無表情だった。
それは何も感じていない故の無表情じゃない。溢れだしそうな感情を抑えているからこその無表情。
奥底に押し込められた感情の名前は怒りと憎悪と悲哀。水色の瞳に浮かぶのは、やるせなさと諦観。
「どうやらオレは、車や家より『いらないもの』だったらしい」
ぽつりとこぼれた小さな呟きが悲しかった。
「いらなくなんかない」
優花は正面からクロウの頭を抱きしめる。クロウは不安そうにビクリと震えた。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
噛み締めるように、言い聞かせるように、殊更ゆっくり繰り返す。
「あんたは、いらない子じゃない。少なくとも私は、あんたがいらないなんて思わない。あんたがいなくなったら、きっと寂しい」
「……っ!」
泣きそうな弟達にしてきたみたいに抱きしめたまま、髪をそっと撫でる。
クロウは抵抗しなかった。
「子は親を選べないけど、それ以外は何だって選べるのよ。友達も仲間もパートナーも、何だって選べる。例え、父親があんたを必要としてなくても、あんたを必要としている人は絶対いる。だから、あんたはあんたを必要としている人を選べばいい」
『優花姉、なんでうちはお父さんがいないの?』
『お父さんはぼく達を捨てたの? ぼく達は、いらない子なの?』
そう言って泣いていた弟達に言って聞かせた言葉は、本当は自分が誰かに言って欲しかった言葉だ。
強がっていたけど本当は不安で泣きそうだった自分の姿が、クロウに重なって見えた。
同情でも憐憫でもなく、共感。
ずっとクロウに感じていた感情の理由が、やっと分かった気がした。




