【幕間20】医務室のマッスルハンター
「すんませーん、ちょっと突き指したんですけどー」
ウミネコが手をぷらぷらさせながら、フリークス・パーティ本部医務室の扉を開けると、椅子に座って雑誌を読んでいた金髪美女ヘイヤは、ウミネコをちらりと一瞥して吐き捨てた。
「プロテイン飲んで出直しなさい」
「なんで!? プロテインで突き指は治んないからね!?」
叫ぶウミネコに、ヘイヤは心の底から馬鹿にするような目を向ける。
「ふん、軟弱ね。筋肉が無いから突き指なんてすんのよ」
「突き指に筋肉関係なくね!?」
「うっさいわねぇ。筋肉の無い野郎なんて治療する価値も無いのよ。さっさと帰って腹筋して寝なさい。しっしっ」
ヘイヤは雑誌に目を向けたまま、虫でも追い払うかのように手を振った。ちなみに雑誌の表紙を飾っているのは白い歯と汗に濡れる筋肉が眩しいボディビルダー。
ウミネコなど、視界に入れる価値も無いと言わんばかりの態度であった。
「ひどっ! クロちゃんや燕の時は普通に対応してくれるのに、なんでいつもオレだけ門前払いなんだよー!」
ぶぅぶぅと唇を尖らせてしつこく言い募るウミネコに、ヘイヤは雑誌をパン! と音を立てて閉じ、腹の底から響く声で断言する。
「筋肉の無い男に人権なんて無い!」
ヘイヤの背後で、彼女の同僚のビルとハッターがもの言いたげな顔をした。
なお、ビルはヒョロヒョロの理系男子。ハッターは長身で細身のご老人。ともに筋肉とは無縁の体型である。
ウミネコはジト目でヘイヤを見た。
「……後ろの二人が、何か言いたそうな顔してるんだけど」
「いくらアタシでも、研究職一筋の理系男子や老人相手に、そこまで無茶を言ったりはしないわよ。でも、あんたは別」
そう言ってヘイヤはウミネコの薄っぺらい少年体型をビシッと指差す。
「いいこと。クロウと燕にあって、あんたに無いもの……それは筋肉よ!」
「クロちゃんも燕も、別にマッチョって訳じゃないだろー」
「分かってないわね。ただ、ムキムキしてりゃ良いってもんじゃないのよ」
そこで言葉を切り、ヘイヤは何かを思い描くかのように視線を何もない空中に向ける。今の彼女の目には、彼女の大好きな筋肉達が詳細に再現されているのだろう。
「燕はあの腹筋が良いわね腹筋最高腹筋ハァハァ……細いけど締まるとこ締まってるってのがそそるのよね。あのストイックな腹筋が溜まんないのよ、ジュルリ……クロウは腰は細いのに太ももと二の腕がガッシリしてる、あのアンバランスさがたまんないわグフフ……鳥系キメラは総じて胸筋がしっかりしてるのも、ポイント高いわよねぇ……くふ、くふふ……」
「いやあの、涎垂らしてそんなこと力説されても……」
白衣を着た豊満な体の美女が、怪しい笑いを浮かべて涎を垂らしているというのも、なかなか凄まじい光景である。アンバーの瞳は濡れたように怪しく輝き、非常に蠱惑的だ。但し考えていることは筋肉。
なんて残念な美人なのだろうとウミネコがしみじみ思っていると、ヘイヤは山猫のようにギラギラ輝く目でウミネコを睨んだ。
「それに比べてあんたときたら! ペラッペラのヒョロッヒョロじゃない! 筋肉の欠片も無いもやし風情が、アタシに治療してもらおうなんて百年早いのよ!」
「だって、オレは先天性フリークスだから、筋肉付きにくい体質なんだもーん」
ウミネコは小柄で薄っぺらい体のいわゆる少年体型だが、その腕力はフリークス・パーティでも一、二を争う。とにかく筋肉の密度と柔軟性が違うのだ。それ故、多少重い物を持ったぐらいでは筋肉を酷使した内に入らず、結果、筋肉が肥大化することもない。
最初から常人と体の作りが違うのだ。だが、筋肉愛に燃えるヘイヤはその手の言い訳を認めてくれるほど生易しくはなかった。
「先天性フリークスなのを言い訳にするんじゃないわよ! 先天性フリークスでもイイ筋肉してるのはたくさんいんのよ!」
「筋肉愛を語るなら、このままのオレ(の筋肉)を愛してよ」
おっ、今オレいいこと言ったんじゃね? と自画自賛するウミネコだったが、ヘイヤは目を眇めて下顎を突き出すという、美女にあるまじき渋面でウミネコを睥睨した。
「あんたは単に才能の上に胡坐かいてトレーニングしないから、筋肉つかないだけでしょうが」
「だって、筋トレなんかしなくても特に困ったことないしなぁ……」
「それが良くないのよ。あんたも、ダーリンを見習ってマッスルをつけることね」
ダーリン、その一言にウミネコは眉を寄せる。
「……ダーリンってさぁ、もしかして、あいつのこと?」
「あたしが認めるダーリン──至高のマッスルの持ち主は、世界中を探しても彼だけよ」
その「彼」のことを思い出しているのか、ヘイヤはうっとりとした顔で白い頰を薔薇色に染め、涎を垂らしていた。
ウミネコは困惑顔で頰をかく。
「あいつ、妻帯者でコブ付きよ?」
「愛と筋肉の前にその程度の障害関係無いわ」
ヘイヤの即答にウミネコは乾いた笑い声をあげる。
「……その切り返しは予想外だなぁ、はは、ははは……」
そんな中、黙ってウミネコとヘイヤのやり取りを聞いていたビルが、ハッターに小声で話しかけた。
「ハッターさん。ヘイヤさんの言う、ダーリンとは誰のことでしょう?」
「知らん。が、ウミネコと共通の知り合いということは、古い選手の誰かなのだろう」
ハッターもビルも、フリークス・パーティに関わるようになってから日が浅い。おそらくヘイヤの言う「ダーリン」とは、彼らの知らない古参の選手のことを指すのだろう。
一方、ヘイヤの止まらなくなった「ダーリントーク」に巻き込まれたウミネコは、指をぷらぷらとさせながら、虚ろな目をしていた。
(……オレの突き指の手当ては、いつになったら、してもらえるんだろう……ぐすっ)
最終的に手当てはしてもらえなかったことを、ここに追記しておく。




