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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第2章「灰かぶりの日々」
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【2-1】台所は戦場である

 優花が子どもの頃、一番好きな絵本はシンデレラだった。

 沢山苦労した女の子が、誰よりも幸せになる話。最後のページで、綺麗なドレスを着て幸せそうに笑うシンデレラのイラストが大好きで、絵本が擦り切れてもテープで補修して、何度も何度も母親にねだって読んでもらった。

 どんなに貧しくても、頑張れば神様が見ていてくれる。きっと幸せになれる──あの頃は、そう信じていた。

 年月が流れ大きくなるにつれ、優花は魔法使いなんて存在しないことを知った。

 ──さぁ、涙を拭いて、シンデレラ

 そう言って、ガラスの靴を差し出してくれる優しい魔法使いなんていないのだ。

 コツコツ頑張れば、誰かが自分の手を引いて幸せにしてくれる保証なんて、ない。


(それが、なによ)


 頑張れば報われるとは限らない。それでも、頑張らないと報われる可能性はゼロになるのだ。

 だったら、たとえ魔法使いがいなくたって、自分の力で幸せになってやる。

 大事な家族と共に……


 めでたしめでたし、を手に入れるのだ。


 * * *


 前日に多少夜更かしをしても、不思議なものでいつも起きている時間になると勝手に目が覚めてしまう性分の優花は、カーテンの隙間から差し込む朝日に顔をしかめる。

 そうして手探りで、枕元の目覚まし時計を探した……が見つからない。

「……朝ごはん、作らな、きゃ…………あれ?」

 見上げた天井は、オバケみたいなシミのある低い天井なんかではなく、白くて高い天井だった。

 ゆっくりと上半身を起こした優花は、そこでようやく思い出す。そうだ、ここはおんぼろアパートの如月家じゃない。あの男──クロウの暮らすマンションだ。

 ふと優花は自分の体が思ったより冷えていないことに気がついた。昨日は毛布を一枚拝借しただけだったのだが、今は羽毛布団が一枚追加されている。

 リビング奥にある寝室の扉が少しだけ開いていたので、そっと覗いてみると、いつの間に帰ってきたのやら、クロウがベッドで寝ていた。かけているのは毛布が一枚だけ。流石にコートは脱いでいたが、昨日見たタートルネックシャツのままである。

 優花はほんの少し申し訳ない気持ちになりながら、借りてしまった毛布をクロウの上にかけ、うん、これでよし、と頷く。

 今日からここで暮らせ、と言われていたけれど、特に何をしろとは言われていなかったので、優花は自分がいつもしている通りに動くことにした。

 まずはお風呂だ。昨日はお風呂に入れなかったので、シャワーだけでも浴びたい。

(あと、着替え、どうしよう……)

 バイト先のコンビニから連れ出された優花が着ている物は、薄くなったシャツにジーンズ、それとスタッフジャンパー。当然、着替えなんてない。

 どうしたものかと考え込んでいると、ふと部屋の隅に置かれているボストンバッグッズが目に入った。ジャラジャラと可愛らしいキーホルダーが付いているから、きっと美花が置いていった物なのだろう。

 もしやと思い覗きこんでみると、案の定、美花の着替えがキチンと畳んで収納されていた。

 美花は実家にいた頃は洗濯当番だったので、他の家事はてんで駄目でもアイロンがけと洗濯物をたたむことだけは上手だった。

 洋服はきちんと皺をのばして、タオルはきちんと角を揃えて──そう口を酸っぱくして言うたびに、美花は「優花姉は神経質すぎるのよ~」とぶつぶつ言っていたけれど、きちんとそれが守られているのが嬉しかった。

 散らかっている部屋とは対照的なぐらい綺麗に畳まれた洋服を見ていると、あぁ、本当にこの部屋に美花がいたんだな、と思う。

 とりあえず散らかしっぱなしになっている小物は、ちゃんと後で片付けようと決意しつつ、優花は比較的地味なシャツとボトムを拝借した。

 とりあえず、今はこれで充分だ。自分の服は後で草太に頼んで送って貰おう。


 * * *


 シャワーを浴びてさっぱりしたので、次は朝ごはんの用意を……と思ったところで、優花はいきなり挫折した。

 まず、冷蔵庫の中。やたらと立派な大型冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターとカロリーメイトしか入ってない。

 更にキッチン用品。充実したシステムキッチンには、最新式のオーブンレンジまで設置されているのに、包丁とまな板が無かった。あるのはケトルと小鍋が一つだけ。

 ついでに言うと、大変収納力のありそうな戸棚をあれこれひっくり返しても、見つかったのは食器が数枚。調味料にいたっては塩だけだった。

 ピキピキとこめかみが引きつるのが自分でも分かる。

 優花はこれでも我慢強い性分であると自負している。だが、これだけは、どうしても許せなかった。


 如月家家訓:台所は常に戦場である。


 エプロンは戦闘服、包丁とお鍋は生き残るための必須装備、なのにこの台所ときたら、これだけ充実した広さと設備を持ちながら、何一つ、武装を施していない丸裸の基地も同然である。おまけに兵糧の備蓄はゼロ。

(こんなんで生き残れるかぁぁぁっ!)

 如月家は貧乏ながら大食いの家系だった。ついでに言うと、優花が最後に食べたのは昨日の昼ごはんである。

(カロリーメイトでお腹が膨れるか! せめて、炊飯器いっぱいの白米っ! 白米をっ! あとは、お味噌汁と沢庵があれば文句は言わないからっ!!)

 嘆いても喚いても、空っぽの冷蔵庫は空っぽのまま。ついでに、優花の腹はグーグー鳴ったままである。

 優花はふらりとリビングに戻ると、凶悪犯もかくやという血走った眼で、ローテーブルに置かれたままの財布──昨日、クロウが好きに使えと言った財布だ──を手に取った。


 * * *


 ほかほかご飯に、具だくさんのお味噌汁、豚肉の生姜焼きと、ほうれん草のおひたし、野菜の切れ端を刻んで入れた具だくさんの卵焼き。簡単に作れる物ばかりだが我ながら良いできだと、優花はホクホクしながら味噌汁を啜った。

 マンションから一番近くのスーパーでは、いつも使っている一番安い味噌が無く、いつも如月家が使っている特売の味噌より百五十円ほど高い味噌を買ってしまったのだが、これがなかなか美味しい。あぁ、なんという贅沢。

 優花は生姜焼きを噛み締め、甘辛い味が口腔を満たしている内に熱々の白米を頬張った。ほんのりと柔らかな白米の甘みと生姜焼きの甘辛い味が混ざり合い、至福のひと時である。

 ありがとう白米、愛してるわ白米……と白米の愛を噛み締めていると、背後で物音がした。どうやら、クロウが起きたらしい。

 振り向くと、クロウは色の薄い目を瞬かせて優花と、食卓の上に並ぶ皿を交互に見ていた。

「……何してんだ、お前」

「おはよう。と言っても、もう夕方だけど」

 優花が箸を置いてきちんと挨拶をすると、クロウは半眼で同じ言葉を繰り返した。

「何してんだ、お前」

「ご飯食べてる」

 他に答えようがないのでそう答えると、クロウはシンクの上に乗せられたままの鍋を見て、不思議そうに首を捻った。

「……この家に鍋なんてあったか?」

「経費で買ったの」

「買い物? でかけたのか」

「一応でかける前に、一階の管理人室の人に声はかけたけど……だ、駄目だった?」

 クロウは何も言わずに、無言で優花をじっと見ている。もしかして、怒っているのだろうか。

(……でも、クロウはよく寝てるみたいだったから、起こすのが忍びなかったし……私の胃袋も割と限界だったし)

 寧ろ後者が本音である。

 優花が買ってきたのは食材とキッチン用品一式。一式と言っても、本当に必要最低限だし、どれもホームセンターで値引きシールが貼られている物ばかりだ。ちなみに食器の類は全て百円均一である。

「えーっと……その……クロウも食べる?」

 おっかなびっくり訊ねると、何故かクロウは驚いたような顔をした。

 何か変なことを言っただろうか、と首を竦めると、クロウは優花の向かいの席に腰かける。

「…………食べる」

「分かった、ちょっと待ってて」

 とりあえず、怒っているわけではないらしい。優花はホッとしながら食事を温めなおした。

 ちなみに、この家には炊飯器が無かったので、白米は鍋で炊いている。早く炊けるのは便利だが、保温しづらいのが難点だ。

(うーん、やっぱり炊飯器欲しいなぁ……経費で買っちゃ駄目かなぁ……)

 炊飯器の他にも、あれとかこれとか……とにかく考え出したらキリが無い。後できちんと話し合った方が良いだろう。

 そんなことを考えつつ、クロウの前に食事を並べると、クロウが「なぁ」と話しかけてきた。

「これ、何だ?」

「豚肉の生姜焼き。あ、もしかして嫌いだった? それなら、別のを用意するけど」

「……いや、嫌いじゃない」

「そう、良かった」

 優花が食器を一通りクロウの前に並べると、クロウはあろうことか、何も言わずにご飯を食べだした。優花は思わず眉をつり上げる。

「こら! いただきます、ぐらい言いなさい!」

 言ってから、しまった……と優花は口を塞ぐ。ついつい弟達に言うような口調で言ってしまったが……仮にもクロウは雇用主だ。しかも、暴力にためらいがないことは、散々思い知らされている。

 反撃を警戒して優花が一歩後ろに下がると、クロウはじっと優花を見上げた。

「イタダキマス」

 そう言って、クロウはご飯を食べ始める。

 思いのほか素直な態度に驚きつつ、優花も席に戻って食事を続けた。

 優花と違って、クロウの食べ方は一口が女の子みたいに小さい。食が細いのだろうか。

 こっそり観察している内に、だんだん優花はムズムズしてきた。

(……あぁ、言いたい。すごく、言いたい)

 食事をするクロウは、黒革の手袋をはめた手のまま、箸を握りしめて食事をしている。


 ──食事中は手袋外しなさい!

 ──握り箸はお行儀悪い!


 口うるさいと言われそうだが、気づいてしまうと注意したくなるのは長女のサガである。そのせいで、美花には「優花姉は口うるさいお母さんみたい!」と言われたが。

(あああああ、でも言いたい! すごく言いたい!)

 そう悶々としている内に、優花は気がついた。

 クロウは箸や椀を持つ手の動きが微妙にぎこちないのだ。

 もしかして怪我をしている? 手袋はそのため?

「……ねぇ」

 優花が声をかけると、クロウは律儀に口の中の食べ物を飲み込んでから答えた。

「なんだよ」

「お箸、使いづらい?」

 思いきって訊ねると、クロウは何故か気まずそうな顔で目をそらす。そうして、ボソボソと小さく呟いた。

「……あまり、慣れてない」

「フォーク使う?」

「……使う」

 買ってきたばかりのフォークを渡すと、クロウはそれで食事を再開した。やはり手の動きは少しばかりぎこちない。ただ、よくよく見れば、食べ方はとても綺麗だということが分かる。

 なによりクロウは、ほとんど音を立てず、静かに綺麗に食事をするのだ。

 優花がお茶碗三杯分の白米をたいらげたところで、クロウも食事を食べ終えた。

 フォークを置いたクロウは口を開きかけ、閉じる。また、何かを言おうとして、口をへの字に曲げる。どうしたのだろう? と優花が不思議そうに見ていると、クロウは小さい声で言った。

「……なぁ」

「なに?」

「……アレ、なんだっけ?」

「いや、アレって何よ?」

 熟年夫婦じゃあるまいし、なぁとかアレで話が通じるわけがない。

 優花が眉をひそめると、クロウは少し早口になった。

「だから、アレだよ。イタダキマス、の対の言葉」

「……ご馳走様?」

「そう、それだ。ゴチソウサマ」

 スッキリした顔をしているクロウに、なんだか優花は毒気が抜けたような気持ちだった。まぁ、その程度で昨日の仕打ちをなかったことにするつもりはないが……全く話が通じない相手でもないらしい。


 * * *


 残った白米をおにぎりにしたり、食器を洗ったりしている間、クロウはずっとダイニングの椅子に座って、優花の様子を物珍しげに観察していた。何がそんなに楽しいのやら。

 会話らしい会話は無いけれど、優花としては家事をしている間は比較的心穏やかでいられるので、そう悪い気分ではない。

(……うん、家事って心を落ち着けるのに最適よね)

 洗った食器を拭いて、きちんと食器棚にしまい終えたところで、優花は朝から気になっていたことをクロウに訊ねた。

「それで、私は何をすれば良いの?」

「……あぁ?」

「あなた、昨日言ってたじゃない。こき使ってやるって」

 クロウはパチンと瞬きをすると、目をそらして「あ、あぁ、そうだった……そうだったな」などと言い出した。

 この反応……もしかして、自分の発言を忘れていたのだろうか。

 優花がじぃっと真っ直ぐにクロウを見ると、クロウは何かを思いついたような顔で手を叩く。

「よし、それじゃあ、まずは掃除を――」

「それ、もうやったから」

 午前中、あまりに暇だったので、物を片付けて掃除機をかけて拭き掃除をするところまで終わらせておいた。

 ちなみに美花の私物は全部、美花のボストンバッグに押し込んである。

「じゃあ、洗濯を……」

「もう、干して取り込んであるわ。しまう場所が分からなかったから、後で教えて頂戴」

「あとは……えっと……そうだな、飯の支度を……」

「今食べたばかりじゃない。足りなかった?」

「…………」

 クロウは我ながら馬鹿な発言をしてしまったと言わんばかりに、沈痛な面持ちで額に手を当ててうなだれた。

 黙られても困ってしまうので、優花は腰に手を当ててクロウを促す。

「それで? 他に何かやることはないの?」

「……あとは、ない。逃げなければ、何をしてもいい」

 そういう返事が一番困るのである。基本的に働き者の優花は、じっとしていることが苦手だ。

 それなら、クロウの仕事の手伝いはできないだろうか──と考えたところで、優花はクロウが普段どんな仕事をしているか知らないことに気づいた。

「ねぇ、あなたは普段は何をしているの?」

 もし無職だと言われたらどうしよう……と思ったが、返ってきた答えは案外しっかりしていた。

「いつもは傭兵紛いの仕事でどこかしらに派遣されてる。でも、フリークス・パーティの一ヶ月前からは休暇になるんだ。休暇中は大会の調整の為にトレーニングをしたり、健康診断を受けたり……そんな感じだな」

 なるほど、つまりクロウも休暇中というわけか。それでは、ますます優花にできる仕事が思いつかない。どうしたものか、と考えているとインターフォンの音が響いた

「……お客さん?」

「あぁ、おそらく運営委員会だ……笛吹じゃないことを祈るぜ」

 一つ発見だ。どうやらクロウも、あのねっとりした笑い方をする男が苦手らしい。

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