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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第8章「春待ち姫の嘘」
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【8-5】ハイテク羅刹お兄様(ただし機械音痴)

 サンヴェリーナは水を吸って重くなったスカートの裾を破り、たくし上げて腰のところで結ぶと、燕に肩を貸しながら必死で足を動かした。

 水深はいよいよ膝の高さを超えている。冬を間近に控えたこの季節、水に浸かり続けた体は冷えきって、歯がカチカチと鳴った。

 燕の脇腹の傷はサンヴェリーナのスカートを破った物で縛って止血しているが、血が止まる気配はない。

 迷宮を歩きながら、改めてサンヴェリーナは燕に懇願した。

「お兄様、もう降参しましょう。これ以上戦ったら死んでしまいます!」

 ここで降参すれば、少なくとも命だけは助かる。

 ルール上、姫の戦意喪失は聞き入れられないから、燕が敗北宣言をしなくては試合は終わらない。

 だからこそ、サンヴェリーナは必死で燕を説得しようとしたが、燕の態度は頑なだった。

「駄目だ」

「なんで……どうして……」

 何がこの人をそこまで動かすのだろう。

 燕の待遇は、他の会社のフリークスと比べると遥かに良い。会社によっては、所属のフリークスが敗北宣言をした場合、なんらかの罰を与えるケースもあるのだが、花島カンパニーは現時点では他に所属選手がいないので、燕のことを大切にしている。

 この状況下で敗北宣言をしても、花島教授は燕を咎めたりはしないだろう。

 だが、燕は包帯に覆われた顔をサンヴェリーナに向けると、静かに言う。


「サンヴェリーナ、()()()()()()()()()()()()()()?」


 サンヴェリーナの頭は、一瞬真っ白になった。

 真っ青になって立ち尽くすサンヴェリーナに、燕は口元だけで小さく笑う。

「お前は優しい娘だな。少しでも金が欲しいだろうに、すぐに俺の心配をして、無茶をするなとばかり言う」

「まさか……気づいて……」

「ああ」

 頷く声は穏やかで、全てを悟っていた。サンヴェリーナは血の気をなくした唇で、弱々しく問う。

「……いつから、ですか」

 喋り方も、姿勢も、歩き方も、何度も何度もシミュレーションした。事前に与えられた彼の妹の情報を死に物狂いで詰め込んで、完璧に振舞っていたはずなのに。

「俺が視力を失う直前、最後に目にしたのは……黒焦げになった綾女の姿だった」

 燃え盛る炎に全身を焼かれながら、それでも妹を助けようとした男が最後に見た光景。それが、変わり果てた妹の姿だったなんて、神はどこまで残酷なのだろう。

 今になって、サンヴェリーナは思い出す。

(ああ、そうだ……この人が私を綾女と呼んだのは……熱に浮かされていた最初の一回だけだった)

 熱に浮かされていた彼は、きっと妹の声に救いを見出した。妹を助けることができたのだと。

 そして、それが紛い物だと知った時……彼はどんな気持ちだったのだろう。

 彼の絶望を想像するだけで、胸が重くなる。

 しかし、無言で震えるサンヴェリーナとは対照的に、燕は不思議なほど穏やかだった。

「我が家は武人の家系だ。綾女も大人しそうに見えて案外気が強くてな『降参なんて男らしくない』とよく口にするのだ……お前とは真逆だな」

 フッと息を吐くようにして、燕は笑う。

「お前は最初に会った時から、俺に『生きろ、死ぬな』と言い続けていた……その言葉が今の俺を生かした」

 大切な妹を守れなかったことを悔やみ、殺してくれと喚き続ける彼に、サンヴェリーナは願い続けた。どうか、どうか、生きてくださいと。

 それは、きっと自分勝手な祈りだ。それでも、その祈りが彼の命を繋いだ。

「かつての俺は強くなることが全てだった。自身の腕を磨くことにのみ固執し……その果てに大切な者を失った……今は違う。俺を生かしたお前を救う。それが俺の戦う理由だ」

 燕の顔は上半分が覆われていて表情が読みづらい。それでも、サンヴェリーナは彼の感情の機微を読み取ることができた。

 だって、ずっと彼の隣に立って支えてきたのだ。声のトーンで、微かな唇の動きで、彼の感情を読み取れる。

 今の彼は、とても不敵に笑っている。

「金さえあれば、お前はこの世界から足を洗えるのだろう? ……上等だ。兄として可愛い妹の持参金に華を添えてやらねばな」

「どうして怒らないんですか! 私はあなたを騙していたのに! 私は本当の妹じゃないのに!」

 自分は最低の嘘をついたのだ。死んだ妹のフリをして彼を戦わせ、その賞金を受け取った……最低最悪の姫なのだ。

 サンヴェリーナが両手で顔を覆ってうなだれると、その頭を燕の機械の手がぎこちなく撫でる。

「お前は俺の妹だ」

 その声は、静かで力強い声だった。

「誰がなんと言おうと兄である俺が言うのだ。間違いない……そして、兄が妹のために尽くすのは当然のこと」

 サンヴェリーナの頭から手を離し、燕は腰のベルトに下げた刀の柄に手をかけた。

 放水音に混じって、水をかき分けながらこちらへ近づいてくる音が聞こえる。

「下がれ、サンヴェリーナ。ここならば、だいぶ後ろまで下がれるであろう」

 今のサンヴェリーナにできることはただ一つ。燕の邪魔にならぬよう、自身の安全を確保することだけだ。

「見ーつけた」

 弾む声にサンヴェリーナは肩を震わせた。スノーホワイトとライチョウが角から姿を現す。いよいよ追いつかれたのだ。

 スノーホワイトは、まるで意中の人とデートでもしているかのようにニコニコと微笑んでいた。ライチョウは変わらずの無表情で、唸りを上げるチェーンソーを持ち上げている。

「虫の息だな。この状況でも敗北を認める気はないか」

 燕を一瞥してライチョウが呟けば、燕は「あぁ」と首肯する。

「……武人とは難儀だな。高尚と言えば聞こえは良いが、オレには愚かにしか思えん」

 ライチョウは元軍人の傭兵だ。彼が経験してきた戦いの場は「試合」ではなく「戦争」

 武に生きる者とは、似て非なる存在だ。

 そんな元軍人を真っ直ぐに見据え、燕は堂々と告げる。

「貴様は一つ誤解をしているようだ。武を極めるためでなく、私欲のために戦う俺は、とうに武人にあらず。悪鬼羅刹も同然。故に勝利のためなら手段は選ばぬ」

 ライチョウは変わらぬ無表情だ。だが、半分機械化された声帯が紡ぐ声は、ほんの少しだけ楽しげに弾んでいた。

「つまり、金のために動くオレと同じということか……いいだろう、なんであろうと全力で打ち砕くまでだ」



 * * *



「こりゃ、ライチョウの方に分があるなー」

 ウミネコが飴をガリガリと噛み砕きながら呟く。

 スクリーンの中では、ライチョウがチェーンソーで燕に攻撃をしかけていた。燕は刀は抜かず、柄に手を添えたままライチョウの攻撃をかわし続ける。

 二人が動き回る度に飛び散る水しぶきは、どんどん派手になっていく。

 中継映像では戦う二人の音声までは聞き取れないが、それでも燕が苦痛に呻いているのは一目瞭然だ。

 クロウが「ライチョウの勝ちだろう」と断言した。

「燕は凌ぐので精一杯。このままライチョウが押し切るだろう。これでライチョウが油断するような奴なら逆転の可能性もあったが…」

「ライチョウに限ってそれはないって。あいつ、チョー手堅いもん」

 そんなウミネコの言葉に「えっ?」と疑問の声をあげたのは、エリサだった。

「ライチョウさんの戦い方って手堅いんですか? なんだかエグくてグロい演出ばかり好む印象なんですが……その、虫の息の相手をなぶり殺すみたいな」

 その試合を思い出したのか、エリサは俯き、声のトーンを落とす。

 確かにエリサの言う通り、ライチョウの試合は時に殺戮ショーのようになることが多い。手足を一本ずつ斬り落としたり、嬲り殺しにしたり。チェーンソーなどの派手な武器も、そういった演出に一役買っている。だからこそ、観客達はライチョウを、敵をいたぶり殺すことを楽しむ、血に飢えた男だと評しているのだ。

 だが、ウミネコはあっさりそれを否定する。

「あー、あのスプラッタショー? あれはクライアントの依頼で派手にやってるだけだって。フリークス・パーティのスポンサーにそういうの好きな連中がいてさ、悪趣味だけど金はある馬鹿が、選手に金を詰んで依頼するわけ。派手に演出しろって」

 驚きに目を丸くするエリサと優花に、クロウがぼそりと言った。

「ライチョウは金になるなら、仕事を選ばないことで有名だからな。あれはただの銭ゲバだ」

「派手な演出に目がいきがちだけどさ、ライチョウの戦い方はむしろクロちゃんに似てるよな。すげー手堅いの」

「そうかもな……でもって、燕はウミネコと似ている」

 クロウの言葉に、優花はパチパチと瞬きをして首を捻った。

 手堅い戦い方をするクロウとライチョウが似ていて、ウミネコと燕が似ている?

 正直、燕とウミネコの類似点がまるで思い浮かばない。

 つまり、どういうこと? と問う優花に、クロウは嫌味っぽく笑って言った。


「博打好きの戦闘狂」



 * * *



 燕は最後の賭けに出た。

 ライチョウとの距離が開いた瞬間、鞘の中を走らせるように刀を引き抜く。水の流れに逆らい、足で地面を踏みしめ、そのまま刀を一閃。

 裂帛の居合斬り。鉄をも切り裂く神速の一撃は、しかし足場が悪いせいで、踏み込みと抜刀のタイミングが僅かにずれた。本当に微妙なズレだ。だが、その僅かなズレが命取りとなり、高速回転するチェーンソーに押し負ける。

 ライチョウがチェーンソーの角度をわずかに変えた瞬間、刀は中心部でポキリと折れた。

「お兄様ぁっ!」

 サンヴェリーナの悲鳴が響く。

 燕は一度距離を取ったが、折れた刀を握ったまま、ライチョウに突進した。

 ライチョウは「折れた刀で心中するつもりか」と判断し、右手のギミックを起動させる。彼の右手には三十センチ程のブレードが仕込まれており、ライチョウの意思一つで自在に出し入れができるのだ。燕が射程に飛び込んできたら、即座にブレードを起動し、串刺しにしてやる。

 射程まであと一メートル。燕が血泡で汚れた唇で「ごー」と呻く。とうとう、まともに呼吸すらできなくなったか。

 残り、数十センチ。

(ここだ!)

 ライチョウはブレードを起動して燕を串刺しにしようとした……が、ブレードが届く直前に燕は後ろに飛んだ。


()()()()!」


 激しい衝撃にライチョウの顎が揺れる。舌を噛んだせいで口の中に血の味が充満する。

「ぐ……っ! かはっ……!!」

「ライ君!!」

 駆け寄ってきたスノーホワイトに支えられながら、ライチョウは己の顎を打ったその物体を見て、絶句した。

 水にぶくぶくと沈んでいくその鉄塊は、燕の左手だ。左手首から先が拳の形で、燕の腕から勢いよく飛び出してライチョウの顎を打ったのだ。

 それは、まさしく……

「ロケット……パンチ? 貴様が、そんな玩具に頼るとは、な……」

 血に汚れた口で呻けば、燕は手首から先が無くなった左腕を振って、得意げに言った。

「最近の羅刹は『はいてく』でな」

 常に刀一本だけで戦い抜いてきた武人が、武を捨てて泥臭い勝利を選んだ。

 あぁ、そうだ。この男は言っていたではないか。

 己はもはや武人ではない。貪欲に勝利を求める羅刹なのだと。

「……読みを、間違えたか……」

 顎への一撃は同時に脳も揺らしていた。ぐらりとライチョウの体が傾き、支えていたスノーホワイトごと水に倒れこむ。

「きゃあっ! ライ君 ライ君、しっかりっ!」

 スノーホワイトが揺さぶってもライチョウは動かない。

 審判のアナウンスが高らかに響き渡る。



『勝者、燕&サンヴェリーナ!』



 * * *



 観戦席の花島豊は喝采を上げていた。

「ヤッター! ついにぼくのロケットパンチが脚光を浴びる日がきたのだー!」

 燕はこの手のギミックを邪道だと嫌がっていたのだが、よほど追い詰められていたのだろう。あの石頭が、武を捨てることを選んだことに花島もケイトも驚きつつ、彼の勝利を喜んでいた。

「しかし、あの機械音痴がよく使いこなしましたね」

 感心したように呟くケイトに、花島がえっへんと胸を張る。

「ふふん! 音声認識で機械音痴な人でも簡単操作! 自動照準! お年寄りから子どもまで、誰でも使える簡単仕様なのだ!」

「お年寄りや子どもがロケットパンチを必要とする事態が思いつきません」

 ケイトの指摘を無視し、花島はご機嫌にうんうんと頷いた。

「むふふー、時代がぼくに追いつくのも時間の問題なのだ」



 * * *



「やっべー! なにあれカッケー! 超イカす! ロケットパンチ! あの! 燕が! ロケットパンチ!」

 ソファの上でゲラゲラと笑い転げるウミネコに、クロウが白い目を向ける。

「……いいのか?」

「うん? 何が?」

「お前、ライチョウに有り金全部賭けてたろ」

「……あ」

 どうやらすっかり忘れていたらしい。

 ウミネコはクロウの顔を下から覗き込み、頰に手を添えたぶりっ子ポーズで言った。

「クーロちゃん、ちょっと金貸して♪」

 ポーズはぶりっ子だが、ウミネコがやると恐喝にしか聞こえないのは何故だろう。

 クロウは即座に首を横に振った。

「断る」

「エリサちゃん」

「自業自得乙」

 クロウとエリサにすげなくされたウミネコは、懲りずに優花に擦り寄る。

「サンドリヨンちゃ……」

「帰るぞ、サンドリヨン。そこの馬鹿に構うな」

「行きましょう、サンドリヨンさん」

 クロウとエリサが優花の両サイドを固めてウミネコから引き剥がそうとすると、その間もスクリーンを凝視していた優花が大きな声を上げる。

「……!! 二人とも待って!」

「サンドリヨンちゃん、優しい!」

 感激の声をあげるウミネコに、優花はブンブンと首を横に振って、スクリーンを指差した。

「そうじゃなくて……スクリーン! なんか様子がおかしい!」



 * * *



 スノーホワイトはライチョウが水没しないよう、細い体で懸命にライチョウを支えていた。

「ライ君……ライ君……しっかりしてください……」

 その姿は献身的で健気な姫そのものだ。

 だが、サンヴェリーナには彼女がそこまでしてライチョウに尽くす理由が分からない。

「何故、あなたはそこまでその人に尽くすんですか」

 思わず疑問を口にすると、スノーホワイトは暗い情念に淀む目でサンヴェリーナを睨みつけた。

「……あなたにはきっと分かりませんよ。愛されたがりのあなたには」

 侮蔑に満ちた眼差し。敵意に満ちた声。

 スノーホワイトとサンヴェリーナはまるで正反対だ。

 歩んできた道はどこか似ているのに、二人とも決定的なまでに真逆に歪んでしまった。

「私は他人の愛情なんて信じられません。私のためになんて言葉、吐き気がするほど嫌いです。ライ君もそう。ライ君はお金のことしか信じない人です。愛情なんて必要としない」

 スノーホワイトは白い手でライチョウの無骨な頰を撫でる。心の底から愛おしげに。

「ライ君は私のことなんて愛していません。きっと、無償奉仕する便利な姫としか思っていないでしょうね……それで、いいんです。それが、いいんです。だって、それが私の幸せなんです。愛されなくたって、私は私が愛していればそれでいい。だから尽くすんです。たとえライ君に疎まれても嫌われても。だって愛しているから」

 彼女のことを、狂っていると断言することがサンヴェリーナにはできなかった。

 サンヴェリーナもスノーホワイトも、愛情に執着することに変わりはない。ただ、その執着の仕方が違っただけで。

 何か声をかけねば、と思うのに何も言えない。

 もどかしさにサンヴェリーナがドレスの胸元を握りしめていると、燕が右手を伸ばしてサンヴェリーナを引き寄せた。

「……掴まれ、サンヴェリーナ!」

「えっ、きゃっ!?」

 突如、地下迷宮に大量の水が流し込まれてきた。サンヴェリーナはあわやというところで、燕に掴まり流されずに済んだ……が、気絶したライチョウを抱えていたスノーホワイトの姿が見えない。

 試合終了と同時に放水は止まるはずなのに、水はどんどん勢いを増していく。



 * * *



 放水の管理をしている管理室で、笛吹はくあぁと欠伸をして、画面を眺める。心の底から退屈そうな顔で。

 そこに通信機から怒鳴り声が響いた。グリフォンの声だ。

『おい笛吹! 放水の勢いが増してるぞ! 試合終了後は水を止めて、緩やかに排水する手筈だろうが!』

 笛吹は相手を焦らすように、たっぷり数秒の間をあけてから、さも今まで作業をしていたような態度で言う。

「それがさぁ、ほら、ここの設備使うのって久しぶりじゃない? 放水を止めるレバーが偶然壊れちゃってさぁ」

 なんだってぇ! と通信機の向こう側から馬鹿でかい声がする。あぁうるさい男だなぁ、と笛吹は片手で耳を塞いだ。

「あぁ、大変だ。このままだと上の階まで浸水しちゃうね。ちまちま排水しても追いつかないんじゃない?」

『だーっ! とにかく排水しろ! 排水!』

 笛吹は口の端をにんまりと持ち上げて、言う。

「いいんだね?」

『あ? 当たり前だろ!!』

「はいはい、それじゃ、一斉排水開始」

 笛吹は待ってましたとばかりの態度で、排水用のレバーを引く。

 そのタイミングで、海亀の悲鳴じみた声が通信機に割り込んだ。

『待って下さい! 一斉排水は駄目です! 今、それをしたら……』



 * * *



 燕は、サンヴェリーナを右手で抱き寄せながら、己の全神経を集中して、周囲の状況を探っていた。

(水の音が変わった? ……これは放水を止めたというより……寧ろ……)

 水音の質が変わると同時に、水の流れが一気に変わる。

 燕は叫んだ。

「まさか、一気に排水をする気か!? そんなことをしたら、全員流されてしまうぞ!?」

 サンヴェリーナが「そんなっ!」と悲鳴をあげ、燕は無我夢中でサンヴェリーナを抱き寄せた。今の彼は右腕一本しか無い。左の手首から先はロケットパンチで失ってしまった。せめて少しでも支えになればと壁際に寄ると、少し離れた位置から悲鳴が響く。

「きゃあああああ!」

 スノーホワイトの悲鳴だ。スノーホワイトの華奢な体は、どんどん流されて小さくなっていく。最初は水飛沫の合間に見えていた黒髪も、やがてトプンと水に沈んだ。

 だが、今の燕とサンヴェリーナにはどうすることもできない。それどころか、自分達の身すら危うい状況だ。水はどんどん勢いを増していき、サンヴェリーナを掴む燕の腕が軋みをあげる。

 その時、燕のすぐそばで大きな水音がした。目を向ければ、ライチョウが二本の足で立ち上がり、無言で左腕のギミックを操作している。

「……ライチョウ?」

 ライチョウは燕の呼びかけには応えず、左腕の先を燕に向けた。

 試合中に燕の脇腹を抉ったアンカーが勢いよく飛び出し、燕のすぐそばの壁に突き刺さる。ライチョウはワイヤーを掴み、慎重な足取りで燕達の近くに移動した。

「このワイヤーに掴まっていれば、お前達は流されずにすむだろう」

 半分機械化した音声が淡々と告げる。燕はサンヴェリーナにワイヤーを掴ませながら、ライチョウに問いかけた。

「お前は、どうするのだ」

 燕の問いにライチョウは答えなかった。彼はスノーホワイトが沈んだ方角に目をやり、短く呟く。

「アレは一つ思い違いをしている」

「……なに?」

「オレとて、金より優先するものもある」

 そう言って、ライチョウはワイヤーと己の左腕の接続を切り離す。

 ライチョウの巨体が流されていく──スノーホワイトが沈んだのと同じ場所に。

「もしかして、スノーホワイトさんを助けに…?」

 燕は無言でワイヤーを腕に絡め、サンヴェリーナを抱き寄せ、瞑目する。



 

排水が全て終わった後、運営委員会は次の試合を延期にし、流されたライチョウとスノーホワイトの捜索に当たったが、とうとう二人は見つからなかった。


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