【8ー2】自販機王子リターンズ
優花は床に目を向けながら、ロビーを隅から隅までうろうろと歩き回っていた。
「うーん……無いなぁ……」
優花が探しているのは、お気に入りのハンカチだ。それもただのハンカチじゃない。優花の誕生日に草太と若葉がお小遣いを出し合って買ってくれた、思い出のハンカチである。このまま諦めたくはない。
ハンカチを無くしたことに気づいた優花は、真っ先に受付に落し物として届いていないか訊いてみたのだが、まだ届いていなかった。落としてからそんなに時間は経っていないから、もしかしたら、まだ誰も拾っていないかもしれない。
優花は一度立ち止まり、このホテルに着いてからの自分の行動を振り返った。
到着したらヤマネに挨拶をして、そのあとで……そうだ、自動販売機で冷たいお茶を買ったのだ。そして、トートバッグに移す時にペットボトルの水滴を拭うためにハンカチを使っている。
自動販売機周辺は既に一度探しているのだが、ハンカチを落とした可能性が高い場所なので、念のためもう一度見ておこう……と優花は足を向けた。
「あれぇ……おかしいなぁ……なんで入らないんだろう……?」
自動販売機の並ぶフロアでは、見覚えのある少年が、自動販売機の前で途方に暮れていた。
艶やかな金髪に、濃いブルーの瞳、天使のように可愛らしい顔立ち。
以前、自動販売機にクレジットカードを使おうとしていたあの少年だ。ちなみに今の彼は、紙幣投入口に一万円札を突っ込もうとして苦戦している。
「その自動販売機、一万円札は使えないわよ」
「……えっ!」
少年は驚いたように動きを止めて優花を見上げる。
「千円札か小銭は持ってないの?」
「……ボク、これしか持ってない」
恐るべし、良家の子息。子どもに諭吉さんを持たせておいて、何故、小銭を持たせない。
優花は先月と同じような感想をいだきながら、ポケットの小銭を自販機に放り込んだ。
「今日もサイダーで良い?」
「うん! ……って、あっ! あの時のオネーサン!」
「よく覚えてたわね」
転がり落ちてきたジュースを取り出して渡してあげると、少年は「アリガトウ」と礼儀正しく礼を言ってから、優花の顔をじっと見つめた。
「オネーサンは、クロウのお姫様のサンドリヨンだよね?」
「え、えぇ……そうだけど。フリークス・パーティ、観戦してたの?」
「うん! 見てたよ! オネーサンの試合も見てた!」
「そ、そう……」
少年の言葉に優花は顔を引きつらせた。
この子の保護者は何を考えているのだろう。こんな小さい子にあんな殺し合いを見せるなんて……いや、そもそも子どもをこんな所に連れてくる時点で普通じゃない。
今更ながらこの少年の置かれた状況を疑問に思っていると、少年が優花に訊ねた。
「ねぇ、オネーサン。オネーサンは言ってたよね」
「……え? ……何を?」
「キメラのオニイサンに向かって、あんたはバケモノじゃない。人間だ! って」
「えぇ、言ったわ」
どうやら、この少年が見ていたのはクロウの第二試合……ミミズク・グレーテル戦だったらしい。
色々と苦い思い出の多い試合でもあるので渋い顔をしていると、少年は濃いブルーの瞳で、じっと優花を見上げた。
「オネーサンは、今でもそう思ってる?」
「えぇ」
迷わず頷くと、少年はまるで花が咲くみたいにパッと笑った。
「へへっ、そっかぁ……えへへ」
少年はなんだか酷く嬉しそうに頰に手を当てて、くふくふと笑っている。なぜ、この少年はこんなにも嬉しそうなのだろうか。
(……私、この子を喜ばせるようなことなんて言った?)
「ボク、オネーサン好きだな。エディにも会わせてあげたい」
「……エディ?」
「ボクの大好きなオニイチャン。あっ、これ、みんなには内緒だよ? 絶対絶対内緒にしてね! 約束だよ!」
大真面目な態度の少年に、優花は苦笑した。
内緒にしてと言われても、この少年がお兄さんが大好きで、そのお兄さんがエディという名前だ……という事実を誰かに話す機会なんてまず無いだろう。
それでも子どもにとって約束というものがいかに重要か、弟のいる優花はよく知っていた。
子どもはある意味大人以上に「約束」を大切にする生き物だ。ただし、すぐに忘れるというのもまた事実だけど。
優花は少し屈んで少年と目線を合わせると、真面目くさった顔で頷いた。
「うん、分かったわ。約束する」
「ありがとう!」
ここは指きりでもしておくべきだろうか。だが、あまり日本語が得意ではなさそうなこの少年が、はたして指きりを知っているかどうか……優花がそんなことを考えていると、廊下から中年の男が大股で近寄ってきた。コーヒー色の肌をした彫りの深い顔立ちの男だ。草臥れたスーツ姿で、腕には運営委員会の腕章をつけている。
「おい、坊主! 探したぞ、こら!」
「あ、オジサン」
「ったく、勝手にフラフラしやがって。今度はどこに行ってたんだ?」
男の言葉に少年は殊勝に「ゴメンナサイ」と謝る。
男は仕方ねぇなぁと言わんばかりの顔で頭をかいていたが、少年の横にいる優花を見ると「おっ」と呟いて目を丸くした。
「お前、サンドリヨンか」
「あ、えっと、初めまして……」
優花が咄嗟に頭を下げて挨拶をすると、男は何故か苦笑して頰をかく。
「厳密には初めましてじゃないんだけどな」
「……え?」
「オレの名前はグリフォン。モズの事件は覚えてるか? あのビルの後始末はオレがしたんだ。まぁ、オレが駆けつけた時には嬢ちゃんは気絶してたんだけどな」
モズの事件。それは大会が始まる前に、優花が誘拐された事件だ。
優花はあの時の恐怖を思い出し、グリフォンと名乗った男に改めて頭を下げた。
「その節は大変ご迷惑をおかけしました」
「いや。ありゃあ、こっちの管理不足だ。むしろ、嬢ちゃんは巻き込まれただけだろ。謝るこたぁねぇ。頭を上げてくれ」
そう言って男は、気まずそうな顔で「……その、大変だったな」と小声で付け足す。一見すると強面だし、口が悪いし、威圧感のある男なのだが、優花は即座にグリフォンを良い人認定した。少なくとも初対面のクロウより百倍印象が良い。
「グリフォンさんは、この子の叔父さんなんですか?」
「いや、この坊主はオレの上司の親戚の子ども? らしい。しばらく面倒見てろって、その上司に言われてな」
なるほど、少年のいう「オジサン」とは「叔父さん」という意味ではなかったらしい。グリフォンの上司ということは、運営委員会の上層部の人間だろうか。
運営委員会も大変なのねぇ、と優花がしみじみ感心していると、少年が優花の服の裾をくいくいと引いた。
「あのね、あのね、オネーサン」
「なぁに?」
屈んで目線を合わせると、少年はもじもじと指をいじりながら優花を見上げる。
「ボクとオトモダチになってくれる?」
なんて子どもらしく可愛らしいお願いだろうか。子ども好きの優花は一も二もなく笑顔で頷いた。
「えぇ、いいわよ」
「本当! やったぁ! あのね、あのね、ボクはアリス。アリスって言うんだ」
「私は……優花って言うの。よろしくね、アリス君」
サンドリヨンと名乗るべきかどうか少し迷ったのだが、子ども相手だしまぁ良いわよね、と優花はひとりごちる。
アリスはオトモダチ! オトモダチ! とぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃぎ、ポケットから何かを取り出して優花に差し出した。
「オネーサン、これあげる」
それは猫のバッチだった。厚紙に描いた絵を切り抜いて、安全ピンをテープで留めただけの代物で、子どもらしい手作り感に満ちている。
弟の若葉がもう少し小さかった頃、よくこういう物を作っては「優花姉にあげる」とプレゼントしてくれたものだ。
優花は懐かしい気持ちになりながら猫のバッチ眺めた。
「よくできてるわね。あなたが作ったの?」
「うん! ボク、ネコが好きなんだ」
バッチの猫は灰色の毛並みに金色の目をしている。優花は「可愛い猫ね」と一言呟き、バッチを摘まみあげた。
「もらっていいの?」
「うん! オネーサンにあげたかったの!」
「じゃあ、もらうわね。ありがとう」
優花はお礼を言って、猫のバッチをトートバッグに留めた。早速使ってもらえたことが嬉しかったらしく、少年は丸い頰を薔薇色に染めて、ニコニコしている。
その時、少年はハッと何かを思い出したような顔で動きを止めた。
「あっ、ボク、もう行かなきゃ! 探し物をしてるんだ!」
「探し物?」
優花と同じだ。ハンカチでも落としたのだろうか?
「アリス君は、何を探しているの?」
「ボクの大事なネコ! オネーサン、どこかで見かけたら教えてね! 行こう、グリフォンのオジサン!」
「あっ、こらっ、引っ張るんじゃねぇ! つーか、オレは仕事が……っ!!」
アリスはグリフォンの手をぐいぐいと引っ張ると、慌ただしくその場を走り去ってしまった。なんとも不思議な少年である。
猫を探していると言っていたが、ペットが逃げてしまったのだろうか? 特徴を聞いていないのだが、どんな猫なのだろう?
「……って、今は人の探し物より自分の探し物よね。ハンカチハンカチ……」
「あのぅ……」
ハンカチを探すべく視線を床に向けた優花は、今にも消えそうな小さい声に顔を上げる。そして、目を丸くして立ち尽くした。
そこに佇んでいるのは、目が覚めるぐらい美しい女性だった。
顎のところで切り揃えられた黒檀のような漆黒の髪、シミひとつ無い雪のように白い肌、血のように赤い唇……
(あれ、この子……どこかで見たような気が……)
記憶の糸を辿っていると、女はおずおずとハンカチを差し出した。淡いピンク色に花模様の入ったそれは間違いなく優花のハンカチだ。
「このハンカチは……サンドリヨンさんの物でしょうか?」
「あぁっ! そう! それ! 探してたの!! どこにあったの?」
優花が顔を輝かせると、対照的に女は真っ青になってブルブル震えながら視線を右に左に彷徨わせた。そして、今にも溺死寸前の遭難者のような顔で途切れ途切れに言う。
「こ、ここに……落ち、落ちてて……あああ、すみませんすみません」
唐突に女はペコペコと頭を下げて謝り出した。
その勢いたるや、思わず優花が仰け反るほどである。
「私なんかがハンカチを拾ってすみません。私なんかが触ったハンカチなんて嫌ですよね、本当にすみません。洗って返すのでどうか許して下さいすみません」
「え、いや、別に、そんなこと思ってないけど……」
「ああああああそんな風に気を遣わせて、本当に私ったら駄目な女ですみません、気遣いもできなくてすみません、ロビーに届けるべきか迷っていたんですけど、すぐに届けないでウロウロしてて本当にすみません」
(……どうしよう、これ)
ハンカチを拾ってもらったのは優花の方なのに、何故自分がこんなにも謝られているのだろうか。
優花も大概に(主に美花が絡むと)卑屈になりがちなのだが、目の前のこの女のそれは、色々と超越している。
女はそのまま「すみません」のエンドレスループに陥ってしまったので、優花は少し強引にそこに割り込むことにした。
「ねぇ、あのね!」
「すみませんすみませんすみません……は、はいっ」
「そのハンカチ、すごく大事な物だったの」
「ひぃぃぃ! そんな大事なハンカチを私なんかが拾ってしまって本当にすみませんすみませんすみませ……」
「だから、あなたが拾ってくれて本当に助かったわ! ありがとう!」
ギュッと女の両手を握り締め、腹に力を込めて礼を言うと「すみませんループ」がぴたりと止まった。
些か焦点の合わなくなっていた女の目が、ようやく落ち着きを取り戻して優花を見る。
「あの……あなたはサンドリヨンさん……ですよね」
「そうだけど……あっ!」
そこで優花はようやく、この女の名前を思いだした。
ライチョウの姫、スノーホワイト。
アイアンメイデンに閉じ込められて、それでも泣き叫ぶことなく、自分の騎士の戦いを見守っていた姫。
「スノーホワイト、さん?」
「……はい、そうです。覚えていてくださって光栄です」
スノーホワイトはこくりと頷くと、もじもじと指をこねながら言った。
「あの、ごめんなさい……本当は私、サンドリヨンさんがハンカチ落としたの、見てたんです」
「へ?」
「すぐに気づいて、渡さなきゃって思って……でも、周りに他の人もいっぱいいたから、なんだか話しかけづらくって……」
なるほど、優花がハンカチを落とした時、そばにはクロウだけでなくウミネコや燕達もいた。あの大所帯で話しかけるのは、なかなか勇気がいるだろう。
「いいよ、拾ってくれただけで本当にありがたいもの」
「わた、私、本当は……サンドリヨンさんともお話がしてみたくって……」
「私と?」
思わず目を丸くすると、スノーホワイトは黒髪を揺らしてコクコクと何度も頷いた。
「はい……はい! サンドリヨンさんは……私と、似てるって思ったから」
「こんな儚げで健気な超絶美少女と似てるとか言われたら、私、罰が当たると思う」
心の声がついポロリと口に出てしまった。
なにせ、クロウにあれだけ「図太い図太い」と言われているのだ。そんな自分がこんな繊細そうな女の子と似ていると言われても、ちょっと素直に同意できない。
だが、スノーホワイトはブンブンと首を横に振りながら力説した。
「そ、そんなことないです! 私、好きな人のために一生懸命なサンドリヨンさんのことが他人事に思えなくって!」
「す、好きな……人ぉ!?」
思わず裏返ったような声をあげる優花の脳裏によぎるのは、不機嫌そうなクロウの顔だった。
優花は咄嗟に否定する。
「ち、違っ、いや、その、クロウはそんなんじゃ……」
「違うんですか?」
「ちっ、違わないけど違うというか、好きか嫌いかって言われたら嫌いじゃないけど、好きだとかそういうのじゃなくて、ただ守ってあげたいというか、何て言うか……」
今まで考えもしなかったことを言われて、頭がグルグルする。
(……私にとって、クロウって何?)
守ってあげたい、力になりたい、放っておけない。でも、弟達とはちょっと違う──そんな存在。
これは自分にとって、どういう位置づけなのだろう。今まで考えたことすらなかった。
頭を抱えてうーうーと呻いている優花に、スノーホワイトはどこか誇らしげに笑いながら言った。
「私は、私のパートナーのライ君の力になりたいんです」
ライ君というのは、おそらく彼女のパートナーのライチョウのことを指しているのだろう。クロウが割と意識している名前だったので、なんとなく優花も覚えている。
無表情にチェーンソーを振っていた、無骨で怖そうな人、というイメージしか無いのだが、スノーホワイトにとっては、きっと違うのだろう。
「私は愚図で鈍間な役立たずだけど、ライ君を好きな気持ちだけは誰にも負けません。ライ君の役に立ちたいんです。ライ君のために少しでも何かしてあげたいんです」
さっきまで涙目で「すみません」を繰り返していた女と同一人物とは思えないぐらいに、彼女は強い目をしていた。
「試合中に一生懸命走りまわっているサンドリヨンさんを見て、思ったんです。あぁ、この人は好きな人の力になりたいんだって……サンドリヨンさんを見て、私はそんな風に感じたんです。だから、私と同じだなって」
好きな人の力になりたい──その言葉は驚くぐらいストンと優花の胸に収まった。
(……そっか、私、そうだったんだ)
だから、カーレンとの戦いでクロウの手助けをできたことが嬉しかった。よくやった、と言われて顔が火照った。
静かに納得する優花の前で、スノーホワイトは辿々しく言葉を紡ぐ。
「それで……勝手に仲間意識持っちゃって……サンドリヨンさんと話してみたいなって思って……その、変な事言ってごめんなさいすみません」
「ううん、なんかその……ありがとう。おかげで目から鱗が落ちたかも」
「……えっ?」
スノーホワイトはキョトンとした顔をしているが、優花は妙にスッキリした気持ちだった。
優花はハンカチをトートバッグにしまうと、スノーホワイトに快活な笑みを向ける。
「あのね、試合では、もしかしたら対戦相手になっちゃうかもしれないけど……お互い頑張ろうね」
「──! はいっ!」
頷きながら、スノーホワイトも満面の笑みを浮かべた。誰もが目を奪われるぐらいに可憐で愛らしい笑顔だ。
こんな健気な娘が、アイアンメイデンに閉じ込められても泣き叫ぶこともなく、パートナーの試合を見守っていたのだと思うと、なんだか胸が熱くなる。
その時、優花の背後からバタバタ駆け寄ってくる足音が聞こえた。振り向けばクロウとサンヴェリーナが小走りに駆け寄ってくる。
「おい、サンドリヨン!」
「サンドリヨンさん、良かった。こちらにいらっしゃいましたのね」
「クロウ! それに、サンヴェリーナちゃんも!」
探してくれたの? と優花が口に出すより早く、クロウが優花の手を引いて自分の背後に庇い、そしてサンヴェリーナが優花にしがみついた。
「……え?」
優花に抱きつくサンヴェリーナの顔は緊張に強張っている。クロウにいたっては、完全に臨戦態勢でスノーホワイトと向かい合っていた。
「あの、ちょっと、ねぇ、どうしたの……?」
戸惑いの声を漏らしつつ顔をあげた優花は、見た。スノーホワイトの表情がすぅっと一変するのを。
可憐な笑顔もオドオドした雰囲気もなりをひそめ、代わりに浮かんだのはアイアンメイデンの中で試合を見守っていた時のような無表情。
血のように赤い唇が、まるで芝居の台本を読み上げるかのように淀みなく言葉を紡ぐ。
「こんにちは。クロウさん、サンヴェリーナさん」
ニコリと浮かべた笑みは口元こそ笑っていたが、目が笑っていなかった。
先ほどまで浮かべていた可憐な笑みとは程遠い、敵意に満ちた笑みだ。
クロウは黙ったまま、スノーホワイトの一挙一動を睨むように見ている。会話に応じたのは、サンヴェリーナだった。
「……御機嫌よう、スノーホワイト様」
「はい、とってもご機嫌です。今日は良いことがあったので……どうぞ、あなたのお兄様によろしくお伝えください。次はライ君が勝ちます、と」
「一字一句違わずお伝えいたしますわ」
「よろしくお願いします。それでは……」
スノーホワイトはスカートの裾を摘んで優雅に礼をすると、ちらりと優花を見た。
その瞬間だけ、さっきのはにかむような笑顔が戻る。
「サンドリヨンさん、お互い頑張りましょうね」
「う、うん」
優花がひらひらと手を振ると、スノーホワイトはスカートを翻してその場を立ち去った。
その姿が完全に見えなくなってから、クロウは長い息を吐いて警戒を解き、優花を見る。
「……お前、スノーホワイトと何を話してた?」
「何って……ただの世間話だけど」
好きな人の話だなどと言えるはずもなく適当にお茶を濁すと、何故かクロウもサンヴェリーナも険しい顔をした。
「あの、サンドリヨンさん……何もされていませんよね?」
「あの子は私のハンカチを拾って届けてくれただけよ。それで、ちょっと世間話をしてたんだけど……もしかして何か因縁の相手……だったりした?」
敵の多いクロウはともかく、サンヴェリーナのこの反応は尋常じゃない。
優花の疑問に、クロウが答えた。
「サンヴェリーナにとっちゃ、まさに因縁の相手だろうよ。昨年のパートナーバトルでライチョウ・スノーホワイトペアは、燕・サンヴェリーナペアに敗北している」
「……えっ!」
「ライチョウとスノーホワイトはパートナーバトルでは上位入賞の常連だ。ちなみにライチョウはシングル戦でも強い。オレも何回か戦っている」
つまり、ライバルというやつらしい。だがしかし、ただのライバルにしては、やけに空気が張り詰めていたのが優花には気になった。
例えばウミネコや燕も、クロウにとってはライバルと言えるだろう。それなのに向かい合った時の空気が全然違う。
優花が困惑していると、クロウが硬い声で言った。
「忠告しておく。もし、この先、ライチョウ・スノーホワイトペアと対戦することになったら、絶対にスノーホワイトに近づくな。物騒さはトラヴィアータやカーレンの比じゃねぇぞ」
第一試合で優花を殺そうとしたトラヴィアータ。第三試合でクロウと対等に戦っていたカーレン。
スノーホワイトが、その二人より物騒?
「……スノーホワイトちゃんは、ドロシーやカーレンみたいな女性のフリークスなの?」
「違う。スノーホワイトはお前と同じ一般人だ。戦闘能力なんてほとんどねぇ……それでも、あの女はフリークス・パーティでこう呼ばれている」
クロウは軋む歯の隙間から、低く呻いた。彼にしては珍しい畏怖の念を滲ませて。
「……〈最凶の姫〉ってな」
* * *
午後二時、スポットライトの眩しいステージには、八組のペアが並んでいた。
開会式と比べるとすっかり選手の少なくなったステージの上には、当然に先ほどのスノーホワイトの姿もある。
スノーホワイトは優花と目が合うと小さく笑いかけてくれたので、優花もへらりと笑い返したら、クロウに肩を小突かれた。
「あんまり、アホ面晒してヘラヘラすんな」
アホ面で悪かったわね、と唇を尖らせていると、メイド服のヤマネがテケテケと優花の元にやってきて、一抱えほどありそうな箱を差し出した。
「さぁ、サンドリヨン様。お一つどうぞなのです」
どうやらこれが対戦相手を決めるクジらしい。
優花は自分にクジ運の類が無いことを知っていた。商店街の福引でも、ポケットティッシュ以外の物が当たった記憶がない。
そう、運が良いか悪いかで言ったら、もう間違いなく優花は運が悪いのだ。生まれてくる前に母親の腹の中で、自分の幸運を全て美花に吸い取られたのではないかと、優花はたまに本気で思っている。
(……この場合、誰と当たるのが当たりなの?)
できれば、エリサやサンヴェリーナのパートナーであるウミネコ、燕とは当たりたくなかった。スノーホワイトとも先ほど仲良くなったばかりだから、やっぱり戦いたくない。
そんなことを考えつつ、優花は箱に手を突っ込み、指に触れた物を引っ張り出す。
箱から出てきたのは、一輪の瑞々しい白薔薇だ。
隣のエリサは黄色い薔薇、サンヴェリーナはピンクの薔薇、ドロシーが黄色……そして、美花は赤。
どうやら、同じ色の薔薇が対戦相手になるらしい。
優花はキョロキョロしながら、自分と同じ白薔薇の持ち主を探した。
カグヤは赤、スノーホワイトはピンク、そして白い薔薇を握りしめているのは……鳥のマスクを被った姫、インゲルだ。
(あ、あの人が、対戦相手……っ!?)
インゲルの鳥頭がくるりと回って優花を見た……気がする。インゲルは手にした白い薔薇をぴこぴこと左右に振ってみせた。
『本戦トーナメントの組み合わせが! 今! 決まりました! 第一試合は、燕&サンヴェリーナVSライチョウ&スノーホワイト!』
サンヴェリーナが強張った顔をし、スノーホワイトが薄い笑みを浮かべる。
『第二試合は、クロウ&サンドリヨンVSピジョン&インゲル!』
クロウが「あいつらか」と低く呟き、鳩のマスクを被った騎士と姫が同じ仕草で手をブンブン振る。
『第三試合はカケス&カグヤVSイーグル&オデット!』
中年の暗器使いが無言でイーグルを睨み、イーグルは敵には目もくれぬ様子で自分の姫に笑いかける。
『第四試合は、ウミネコ&エリサVSオウル&ドロシー!』
ウミネコが口笛を吹き、ドロシーが殺気立った目でウミネコを睨む。
『それではここで本戦の会場を発表させて頂きましょう! 今回のフリークスパーティ本戦の会場は……ここだ!』
スクリーンに大きく映し出されたのは、森に囲まれた古城だった。とても日本国内の建築物には見えない。
優花は思わずキョトンとしたが、周囲はやけにざわついている。優花はクロウの袖を引いた。
「有名な場所なの?」
「オレは行ったことがないが、噂に聞いたことがある……あれは恐らく……」
『そう、今大会の舞台は、十年前のハヤブサの引退試合でも使われた、孤島の古城! クリングベイル城だー!』
「懐かしいなぁ! 今年はあそこかぁ!」
陽気な声で言ったのは、ウミネコだった。見かけによらずフリークス・パーティの参加歴が長い彼は、当然だが会場にも詳しい。
優花はスクリーンを指差し、ウミネコに訊ねた。
「えーっと、あれって……日本国内、なんですか?」
「日本のとある孤島だよ。島全部がレヴェリッジ家の私有地みたいなもんさ。だから、周囲に気兼ねなく暴れられる。十年前の試合を最後に使われなくなってたんだけど、それまではパートナーバトルの本戦は必ずあそこで行われてたんだぜ」
これに、燕が不思議そうに口を挟んだ。
「……何故、十年もの間使われなくなったのだ?」
もっともな質問である。優花も気になったのでウミネコをじっと見たが、彼はなぜか燕や優花から目をそらした。
「サァ、ナンデダロウネー?」
「それは、そやつとハヤブサが十年前の決勝戦で、クリングベイル城を半壊させたからだ」
ウミネコの背後でボソリと言ったのは、小柄な中年男性──カケスだった。優花は面識は無いが、クロウが言うには本戦に出場した選手の中では最年長らしい。
色が白く顎が細く、何よりも鷲鼻が印象的な男だ。
気配を消して背後に立たれたウミネコはピョーンとバッタのように飛び上がった。
「びっくりしたぁ! いきなり背後から話しかけるなよ、カケス!」
「……くくく、貴様も血が踊るであろう。生涯のライバルのハヤブサと最後に拳を交わした因縁の地だ」
含みたっぷりなカケスの言葉に、ウミネコが「あぁそうだな」とでも言えば、会場はそれなりに盛り上がったのだろう。
だが、ウミネコはあっさりと首を横に振った。
「いや別に、そこまで思い入れは無いけど」
そこは空気読んでやれよ、とその場の誰もが思った。
しかし、ウミネコはおかまいなしのマイペースさで言う。
「それに、クリングベイル城が使われなくなったのは、オレ達がちょっと壊したってのも理由の一つだけど……ハヤブサがいなくなって盛り上がりが欠けるパーティを、新しい演出で盛り上げようとした、ってのも、理由だと思うぜ。本戦がいつも同じ場所ってマンネリだし?」
ウミネコはどんぐり眼をくるりと回してカケスを見ると、ニヤリと笑った。
「まぁ、何にせよ、あんたにとっちゃ都合の良い舞台だよな? クリングベイル城の経験者はオレとあんたぐらいだし、障害物やギミックが多いから暗器使い向きだ」
カケスは喉を鳴らして笑うと、意味深に服の袖を揺らした。袖の中でチャリ、と金属のぶつかる音がする。
「くく……我が暗器術の極意、貴様のにやけ面に叩き込んでくれるわ」
「えー、オレとあんたが当たるとは限らないだろー」
「ふん、小僧共など目ではない」
カケスはクロウや燕などの若者を一瞥すると、余裕の態度で鼻を鳴らす。
だが、そんなベテランの戦士の目は、とある一点で鋭く眇められた。
カケスの鋭い視線の先にいるのは、鳥のマスクを被った大男ピジョン。クロウの次の対戦相手だ。
「……まぁ、一筋縄ではいかぬやつも、いるようだがな」
鳥のマスクを被った大男は、やはり黙して語らない。
だが、カケスもウミネコも──かつての伝説を知る男は、ピジョンに対して、思うところのある眼差しを向けていた。




