【8-1】笛吹き男の誘い
フリークスパーティでは第三試合までを予選という扱いにし、そこから先の上位八名による試合を本戦という扱いにしている。
本戦からは会場もスタジアムではなく別会場になるので、今日はその会場の発表とトーナメントの抽選会がスタジアムで行われることになっていた。
抽選会は午後二時からだが、今はまだ時間があるので、クロウはウミネコや燕達とともにホテルのティールームで茶を飲んでいた。勿論、各々の姫も一緒だ。
「今年の本戦はどこでやんのかなぁ。去年は山をまるごと一つ使ったっけ」
ウミネコがのんびりそう言えば、エリサが「……山ですか」と嫌そうな顔をする。
「およ? エリサちゃん、山嫌い?」
「虫が出るじゃないですか」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。去年使った会場は、今年は使わないだろうから」
戦略と無縁のウミネコは会場選びにさほど関心はないらしく余裕の態度だが、クロウは会場に合わせて戦略を練るタイプなので、朝から神経質にピリピリしている。
こういう時、隣にサンドリヨンがいてくれたら、からかったり他愛もない話をしたりして不安を鎮めるところなのだが、サンドリヨンは手洗いに行ったまま戻ってこない。時計をチラチラと見たクロウは、椅子の肘掛けをコツコツと指で叩きながら口を開いた。
「おい、サンドリヨン、遅すぎないか」
「あの……サンドリヨンさんでしたら、落し物をしたから少し探したいと仰っていました」
サンヴェリーナの言葉に、クロウは「探してくる」と迷わず立ち上がった。
ウミネコが頭の後ろで手を組み、茶化すように口笛を吹く。
「過っ保護~。クロちゃんってば、いつからそんな自分のお姫様にべったりになっちゃったわけ?」
「そういうんじゃない……あいつは、なんつーか……トラブルに巻き込まれやすいというか、気が付くとトラブルの中にいるというか……」
歯切れ悪く言うクロウに、ウミネコは「あぁ……」と納得顔をする。
「トラブルメーカーじゃないけど、何故かトラブルの中心にいるタイプだよな……うん」
これにエリサも燕もサンヴェリーナも、思い当たる節があるという顔をした。
トラブルメーカーは妹の方なのだが、姉は姉でトラブルと縁のある体質であった。つまりは巻き込まれ体質なのだ。
遡れば、このフリークス・パーティに参加することになった経緯だって、完全に巻き込まれである。
(……変な奴に絡まれてないだろうな)
不安に思いながらクロウは廊下を早足で歩いた。
クロウがティールームを出て行ってからも、サンヴェリーナは落ち着かなげに指をもじもじさせていたが、やがて意を決したように兄に話しかけた。
「お兄様。わたくしもサンドリヨンさんを探しに行ってもよろしいでしょうか?」
「構わんが、抽選会の開始までには戻るのだぞ」
「はい! 行って参ります!」
サンヴェリーナはコクンと頷き、スカートの裾を摘まんで、いそいそとクロウの後を追いかける。
燕はそんなサンヴェリーナを赤外線センサーの目で眺めながら、ポツリと呟いた。
「良い傾向だ」
「サンヴェリーナちゃん? あぁ、普段、燕以外と滅多に絡まないもんな」
今こうして同じティールームで茶を飲んでいることだって、去年までは考えられなかったのだ。
ベスト8に出場するペアの内の三組がこの場にいる。今でこそ彼らはのんびりと茶を飲んで談笑しているが、試合で対戦することも大いにありえるのだ。そして、その試合で命を落とすことも。
それが分かっているから、姫はあまり他の姫と交流をしない。それなのにこうしてささやかな交流が生まれているのは、ひとえにサンドリヨンの人柄故にだろう。
(サンドリヨンちゃんって、妙なのに好かれるもんなぁ)
例えばクロちゃんとか。と声に出さずに呟き、ウミネコは笑いを誤魔化すようにコーヒーを啜った。
* * *
(ったく、あの馬鹿。勝手にふらふらしやがって……探し物があるならオレに言えば良いだろうが。そしたら一緒に探してやるのに……)
クロウは不機嫌そうに唇をへの字に曲げながら、胸の内でボヤく。
どうにも彼の姫は、クロウを頼ることを良しとしてくれなかった。クロウとしては、頼られれば悪い気はしないのに。
(あぁ、そうだ。あいつはもっと、オレを頼るべきだ)
いつだってサンドリヨンは他人のことばかり気にして、自分のことは疎かにするのだ。
あのバカ妹みたいになれとは言わないが、それでも、もう少しぐらい自分に甘えてくれてもいいのに。
そんなことを考えながら角を曲がったクロウは、思わず足を止めた。まるでクロウの道を塞ごうとするみたいに、笛吹が廊下の真ん中に立っている。
「やぁ、誰をお探しかな?」
あまり長くは話したくない相手である。笛吹との会話は用件だけで済ませて、短く切り上げるに限る。
「オレの姫を探している。サンドリヨンを見なかったか」
「ふふふ。彼女ならエントランスホールの方で見かけたよ。何か探してるみたいだったけど」
そうか、と短く返してクロウは笛吹の横を通り過ぎようとする。だが、笛吹はまるで通せんぼをするみたいに一歩横に動いて、クロウの顔を下から覗き込んだ。
女みたいに小綺麗な顔に、醜悪な笑みを浮かべて。
「お姫様のために、一生懸命だね?」
笛吹の言葉など、無視をしてしまえばいい。何も聞かなかったフリをして、こいつを押しのけてここを立ち去るのが一番だ。
それなのに足が止まってしまうのは、この男の言葉はいつだって心の隙間に入り込んでくるからだ。まるで脳を犯す毒薬のように。
「最初はさぁ、オレも心配してたんだよ? 君達が仲良くやれるかなって。予想以上に仲良くなったみたいだね。安心したよ」
笛吹は可愛らしく小首を傾げながら、ニコニコと微笑み……そして言う。
「でもさぁ、それ以上を望んじゃ駄目だよ」
その言葉はまるで楔のようだった。
立ち尽くすクロウに、笛吹は物語を語って聞かせるかのように流暢な口調で言う。
「今、ここでどれだけ打ち解けても、パーティが終わればそこでサヨウナラ。君がガラスの靴を差し出しても、彼女はそれを受け取ってはくれないよ。だって、君は彼女の王子様じゃない」
ニィッと釣りあがった唇が、囁く。
「君はこのフリークス・パーティという檻に繋がれた、哀れな化け物の一匹でしかないのだから」
どうしてこの男は、人が目を背けていた現実を掘り返しては、いちいち目の前に突きつけてくるのだろう。
パーティが終わればさようなら……そんなこと、今更言われなくても分かっている。分かっていて、考えないようにしていた。考えたくなかった。
そうだ。パーティが終わったらサンドリヨンはこのパーティから解放される。
だけど、クロウは死ぬまでこのフリークス・パーティから逃げられない。
サンドリヨンはきっと自分の家に帰って、今まで通りの暮らしを続けるのだろう。だけど、そこにクロウはいない。
分かりきっていたことだ。それなのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。
黒いタールみたいな感情が肺を塗りつぶしていくような心地だった。うまく息ができない。
「ねぇ、君は自由が欲しくないかい?」
笛吹は口元に手を添えて、内緒話でもするかのように言う。
「このフリークス・パーティという檻を壊して、普通の人間として当たり前の人生を送る。そんな自由が欲しくないかい?」
自由なんて、喉から手が出るほど欲しいに決まっている。
でも、現実にできるはずがない。例えフリークス・パーティから逃げ出しても、クロウはグロリアス・スター・カンパニーから逃げられない。月島の作る薬が無いと生きていけない。
でも、もしも自由が手に入るなら……普通の人間として、サンドリヨンと一緒に生きていけるなら。
「君に力を貸してあげようか?」
──悪魔に魂を売っても構わない……
「もし、クロウ様」
涼やかなその声は、笛吹のせいで粘ついた空気を一瞬で清涼なものへ入れ替えるかのようだった。
振り向けば、サンヴェリーナが姿勢を正してクロウと笛吹を見据えている。
笛吹がさっと身を翻し、肩を竦めた。
「……ふふっ、邪魔が入っちゃった」
まぁいいや、と呟き、笛吹はクロウにヒラヒラと手を振る。
「今の話、考えておいてね?」
「…………」
クロウは何も言えぬまま、立ち去る笛吹を見送った。
そこにサンヴェリーナが歩み寄り、頭を下げる。
「お話中にお邪魔してしまい、申し訳ありません」
「……オレに何か用か?」
「はい、わたくしもサンドリヨンさんを探したいと思いまして。お供させてくださいませんか?」
思えば、燕抜きでサンヴェリーナと話をするのは、これが初めてかもしれない。
クロウは居住まいを正してサンヴェリーナと向かい合う。
「いつも燕に付きっきりのお前が、わざわざ一人で来たんだ。オレに何か言いたいことがあるんだろう?」
サンヴェリーナは、クロウが優花を拘束した時に食ってかかってきた女だ。ただ、大人しく兄に従う
だけの娘ではないとクロウは知っている。
「今の話、聞いてたのか?」
単刀直入に切り出せば、サンヴェリーナは長い睫毛を伏せて首肯する。
「最後の方だけ、少し」
「盗み聞きとは良い趣味だな。お兄様の教育の賜物か?」
兄の名前を出して挑発すれば、あっさり乗ってくるかと思ったが、サンヴェリーナはクロウが思っているよりも冷静だった。
「……クロウ様、僭越ながら申し上げますわ」
サンヴェリーナは体の前で手を揃え、背すじをピンと伸ばしてクロウを真っ直ぐに見上げる。
「わたくしはこのフリークス・パーティが嫌いです。大嫌いです。こんな人道にもとる悪夢のような催しなど、即刻廃止すべきだと思っています。それでも、わたくしは自分の意志でここにいます。逃げるつもりはありません」
サンヴェリーナは既に複数回フリークス・パーティに参加している。燕はその信条故に「姫殺し」は決してしないが、騎士相手には手加減をしないこともクロウは知っていた。
燕はサンヴェリーナの前では極力殺しをしないようにしているが、以前サンヴェリーナが危機に陥った時、相手の騎士の首を刎ねたことがある……サンヴェリーナの目の前で。
「ある意味、わたくしもお兄様も、このフリークス・パーティに染まった存在と言えましょう。一度手を染めてしまえば、もう抜け出すことはできない。今までも、そして、これからもずっと……」
そう、同じ穴のムジナなのだ。クロウも、燕も、サンヴェリーナも。
もうフリークス・パーティにどっぷり浸かりきっている。今更「普通」の日常になんて戻れない。
「だけど、サンドリヨンさんは違う。あの方は、まだ引き返せる」
サンヴェリーナは、クロウが目を背けていた現実を粛々と突きつけると、深く頭を下げた。
「どうか、あの方の未来を奪うような選択だけは、おやめください」
「何の権利があって、お前がオレに指図する」
「指図ではありません、お願いです」
頭を下げたまま懇願するサンヴェリーナの体は、小さく震えていた。
「サンドリヨンさんは……初めてできたお友達です。苦しんでほしくありません」
なんて甘いことを、と鼻で笑うことがクロウにはできなかった。
クロウが黙り込んでいると、サンヴェリーナは頭を上げて、姿勢を正す。
「わたくしのエゴで差し出がましいことを申しましたこと、お詫びいたします。ですが、どうか……サンドリヨンさんを泣かせたりは、しないで下さいまし」
あぁ、まったく。女というのは、たまに先天性フリークスを上回る勘の良さを発揮するから侮れない。
ついでに言うと、
『友達泣かされた時の女の子って超怖いから、気をつけろよクロちゃん! ホント気をつけて!』
というウミネコの助言が脳裏をよぎったので、サンドリヨンをこの間泣かせたばかりだという事実は伏せておくことにした。
サンドリヨンの泣き顔が可愛かったから、また泣かせてやりたいと思っていることも当然秘密だ。




