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【番外編1】アンパン大使その後


 アンパン大使の弟子として修業した二週間が終わり、如月草太の日常は戻って来た。

 今の草太はサッカー部の練習と期末試験の勉強に明け暮れている。今までと変わらない日常。ただ、一つだけ変わった点は……

「あっ、如月君! お疲れ様!」

「よう、一之瀬、お疲れ!」

 サッカー部のマドンナ、一之瀬ほたると少しだけ仲良くなれたことだ。

 ほたるはあれからよく里見ベーカリーにパンを買いに来てくれるようになり、それから少しずつ草太とも話をするようになった。

 ほたるの家は母子家庭らしいのだが、母親が病気で入院していて、今はお姉さんと暮らしているらしい。草太の家も両親がおらず、姉が一家の大黒柱になっている。境遇が似ているのだ。

 それから、草太とほたるは、お互いの身の上話で盛り上がり、仲良くなった。特にほたるは姉と仲が良いらしく、その点に草太が強く共感したのも話が盛り上がった理由の一つだ。

 つまりはまぁ、シスコン仲間というやつである。



 * * *



 草太がパン屋のバイトをした最終日前日、アンパン大使は仰々しい口調で、草太とほたるにこう言った。

「若きアンパン大使達よ。遂にお前達も次のステップに進む時が来たな」

 一体何をやらされるのかと思ったのだが、アンパン大使が提案したのは「最終日はパン作りをしよう」ということだった。いわゆる一般家庭でも作れる簡単なパン作りのレッスンである。

 ちなみに若葉が「ぼくもやりたい!」と言ったので、アンパン大使に相談したら、次の日には弟もアンパン大使になっていた。展開が早すぎる。

 そんなこんなで行われたパン作り教室だったが、若葉が予想以上に気合が入っていて、その熱意にアンパン大使が「見込みがあるな!」と感激していたり(これが花嫁修業の一環だと言ったら、師匠はどんな顔をしただろう)

 ほたるが実はすごい不器用で完成した前衛的な形のパンに全員が絶句したり(本人は「お姉ちゃんにプレゼントするの」とニコニコしていた)

 まぁ、そんなこんなで楽しい時間を過ごしたのだ。

 おかげで簡単なパンなら作れるようになったので、姉が帰ってきたら何か作ってびっくりさせようかと草太は計画している。



 * * *



「ねぇ、如月君。昨日公園に行ったら、里見ベーカリーが来てなかったんだけど……何か知ってる?」

 ほたるにそう訊ねられた草太は、ガリガリと頭をかきながら答えた。

「あー……それが師匠がさ……『ちょっと都心に出張してくる。それが終わったら今度は北海道へ美味い小豆探しの旅に行くんだ! あと、向こうの契約農家から小麦粉仕入れてくる!』って言い出して」

 もともと移動式の店舗だったし、しばらくしたら移動するとは言っていたけれど、わざわざ北海道まで理想の小豆と小麦粉を求めて旅に出るというあたりが、なんとも彼女らしい。

「また、こっちに戻ってくるかな」

「うん、メインで活動しているのはこの地域だって言ってたから」

「そっか、良かったぁ」

 ほたるはホッとしたように胸をなで下ろす。

 里見ベーカリーは、ほたると仲良くなれたきっかけだし、草太自身もなんだかんだであの師匠には感謝しているので、また戻ってきてほしいと素直に思う。

「一之瀬はもう帰るのか?」

「うん、如月君は?」

「オレも着替えたらあがるよ」

 良かったら一緒に帰らないか……と言おうかどうか迷ったけれど、それより先にほたるが笑顔で言った。

「実は今日、お姉ちゃんとご飯食べに行くの。お姉ちゃん、最近お出かけしてたんだけど、帰ってきてて」

「あ、そうなんだ……じゃあ、気をつけてな」

「うん、また明日!」

 そう言って、ほたるは笑顔で去っていった。

(うーん……タイミングが悪かったな)

 今日こそは一緒に帰れたらと思ったのだが、世の中そうそう甘くはないらしい。



 草太がさっさと着替えをすませて帰ろうとすると、校門の手前で「ねぇ、如月」と呼び止められた。声をかけたのは、同級生のマネージャー(やなぎ)マリナだ。別にほたるほど仲が良いわけではないが、クラスが同じなのでなんとなく話をする程度の仲である。

「如月さぁ、最近一之瀬さんと仲が良いよね」

「そうかな」

 同性からこの手の追求をされることは増えたが、女子から言われるのは初めてだ。

 適当な相槌を打って草太は空惚けると、マリナは口ごもりつつ草太に訊ねた。

「あのさ、如月って……一之瀬さんと付き合ってるの?」

「はぁっ!?」

 もしかして、自分達はそんな風に見えているのだろうか……という淡い期待が胸をよぎるが、現実は特に付き合っているわけではない。なにより、そんな噂を流されては、ほたるが迷惑する。

「ちげーよ。そんなんじゃねーし」

 即座に否定すると、マリナは意味深に「ふぅん」と頷く。

「やっぱ、そうだよね。だって、一之瀬さんって年上の彼氏いるらしいし」

「……え?」

 頭をよぎったのは、ほたるを車で迎えに来たモデルの男。

 アンパン大使曰く「ベリーデニッシュとベーグル買ってくモデルの兄ちゃん」だ。

「しかもさ、なんか二股かけてるっぽいよ。この間も年上の超絶イケメン二人が一之瀬さんを取り合ってるの、私、見たんだよね」

「はぁっ!? 一之瀬が二股ぁ!?」

 あの、いかにも遊んでそうなモデル野郎がではなく、大人しいほたるが二股をかけるだなんて到底考えられない。いや、前者もそれはそれで許しがたいけど。

「お前の勘違いだろ、それ。一之瀬がそんなことするわけないだろ」

「分かんないよ。大人しそうに見えて遊んでるかもしれないじゃん」

 マリナは妙に頑なな口調で言う。草太は険しい顔でマリナを見た。

「……同じマネージャーなんだから、そういう無責任な噂流すのやめろよ」

「別に皆に言いふらしてるわけじゃないわよ。ただ、女の子慣れしていない如月が騙されてるなら可哀そうだなーと思って」

「余計なお世話だっつーの」

 いつもの調子で返しつつ、草太の頭の中には、あのモデル男と楽しそうに話していたほたるの姿がチラついていた。



 * * *



 どうやら今日はとことんタイミングが悪い日らしい。

 校門を出て少し歩いたところにある繁華街で、草太はほたるとあのモデル男を見つけてしまった。それも一緒にいるのはモデル男だけじゃない。もう一人、若いバンドマン風の男がいて、そいつがモデル男に食ってかかっていた。なにやら喧嘩腰で話しているのが聞こえる。

 どうしよう、見て見ぬふりすべきか……と思ったその時、バンドマンのどなり声が聞こえてしまった。

「ふざけんなよ! ほたるに手ぇ出したら、ぶっ殺す!!」

(ちょっ、ちょっ、ちょっ、えええええええ!!)

 まごうことなく修羅場である。

 殺気立っているバンドマンにモデルの方が茶化すような態度で言う。

「おいおい、物騒な奴だなぁ。こんなところでぶっ殺すなんて怖い怖い。お巡りさん呼んじゃおっかな~?」

「呼べるもんなら呼んでみろ……その前にお前は血祭りだがな」

 ばちばちと火花を散らしているモデルとバンドマンの間では、ほたるがオロオロと「二人とも落ち着いて……」と声をあげている。そんなほたるを、草太は放っておけなかった。

 草太の足は考えるよりも早く動き、ほたるを背中に庇う。

「あ、あのっ!!」

 草太が声を張り上げると、バンドマンが「あぁ?」と低く唸った。怖い。

 それでも、草太はありったけの勇気を振り絞って言った。

「一之瀬が困ってるので、喧嘩はよそでやってもらえませんか」

 バンドマンは無言でじぃっと草太を見た。

 ダメージジーンズとカーキのモッズコート、ごついブーツに脱色して傷んだ髪。おまけに耳にはたくさんのピアス。

 目つきが鋭くて、ちょっと……否、かなり近寄りがたいが、ビジュアル系バンドでもやっていそうな中性的で綺麗な顔立ちだ。隣のモデル男に負けていないぐらい格好良い。マリナが「超絶イケメン」と評していたのも頷ける。

 誰の目にも明らかな美形のモデル男とバンドマンを前にした草太は、自分の無謀さに内心頭を抱えた。あぁ、勢いに任せて飛び出してしまったが、この後一体どうしたら……

「…………た」

 不意に、バンドマンがボソボソと小さい声で何かを言った。

 え? と聞き返すと、バンドマンはさっきよりはっきりと聞こえる声で言う。

「……ほたるを困らせた?」

 バンドマンは細い眉を八の字にしてほたるを見ると、しょんぼりと肩を落として言う。

「……ほたる、ごめん」

「大丈夫、気にしてないよ、お姉ちゃん」

 おねえちゃん? と草太は硬い声で繰り返した。

 ほたるが、ニコニコしながら頷く。

「うん、私のお姉ちゃんなの。隣は、お姉ちゃんのお友達の藤咲(ふじさき)さん」

 藤咲というらしいモデルの男は、草太の顔をまじまじと眺めて「あっ! 君知ってるー!」と陽気に言った。

「君、里見ベーカリーで働いてた子でしょ? ほたるちゃんの同級生なんだって? あ、オレは藤咲(ふじさき)(こう)って言うの。よろしくねー!」

「は、はぁ……」

 恋敵と思っていた相手にフレンドリーに握手されてしまった。なんだこの展開。

 一方、バンドマン改め、ほたるの姉は藤咲の声に反応して顔を上げる。

「……里見ベーカリー? ベリーデニッシュとベーグルの?」

「そうそう、お前がお気に入りの」

 草太はここでようやく気がついた。ベリーデニッシュとベーグルは、ほたると藤咲がいつも買っていた定番商品なのだが、どうやら、ほたるの姉がその商品を気に入っていたらしい。

 ほたるの姉は、どことなく警戒心の強い野生動物のように草太をじっと見ている。

「あ、あの……」

 気まずさに負けて声をかけると、ほたるの姉はボソボソと早口で名乗った。

「……一之瀬かなめ」

「はぁ、どうも……えっと、如月草太です」

 かなめは名乗った後も、やはりじぃっと草太の顔を──特に、ちょっと鋭い目と立派な眉毛をまじまじと見ていた。余談だが、如月家は優花、美花、草太が父親似で、末っ子の若葉だけが母親似である。おっとりと優しげな顔立ちの若葉と違い、草太や姉達は眉と目が凛々しいといつも言われていた。

「……空気が似てる」

「は?」

 かなめはなんとも反応に困ることを言うと、唐突に別の話題を口にした。

「……あのパン屋はもう来ないのか?」

「あ、いや、またしばらくしたら戻るって言ってました」

「そう……良かった……」

 さっきまでよく通る声で怒鳴っていたのが嘘みたいに、かなめはぼそぼそと小さい声で喋る。よく分からない人だ。

「……つーか、一之瀬は今日このお姉さんと食事に行く予定だったんだよな。なんか……その、邪魔してごめん」

 草太が謝ると、藤咲が明るい声で口を挟んだ。

「そうそう、だからオレも混ぜて~って言ったら、かなめが姉妹水入らずに邪魔するなって怒りだしてさぁ」

「当たり前だ。消えろハゲ」

「ハゲてないよ!? つーか、良いじゃん、ケチケチすんなよ~。臨時収入があったからオレが奢っちゃうよ」

 藤咲はそう言って、草太を見る。

「あっ、そうだ。なんなら君も一緒においでよ」

「えっ、オレ?」

「ほたるちゃんの学校生活の話、聞きたいし。お前も聞きたいだろ、かなめ?」

「……イタリアン」

「OK、良い店知ってんだ。ここから近いし、歩いていこう」

 そう言って、藤咲は草太の肩をグイグイと押す。

「え、あの、いや、オレは……」

「はいはい、若い子が遠慮しなーい」

 こうして草太は訳が分からぬままに、ほたるとその姉と、ついでにそのお友達の藤咲の三人の食事会にお邪魔し、美味しいイタリアンのコースをご馳走になった挙句、何故か藤咲に友達認定されて、連絡先を交換することになったのだった。

 最近やたらと濃い知り合いが増えた気がする……などと思いつつ、草太はほたるとまた少し親しくなれたことにホクホクしながら帰宅する。

 帰宅後、一人だけ美味い飯を食べてきたせいで若葉が拗ねてしまい、ご機嫌取りが大変だったのは言うまでもない。


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