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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第6章「愚かな女の選択」
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【6-3】迷惑をかける覚悟

 医務室のベッドに横たわる優花は酷い顔色だった。

 どうして自分は気づかなかったのだろう、とクロウは今更呆然とする。

 この女は妙にタフだから、このぐらい大丈夫だろうと、頭のどこかで思っていたのだ。

 彼女はクロウみたいにタフでも頑丈でもない。ただ、我慢強いだけの普通の人間だったのに。

 優花を診ているのは医療スタッフの中でも一番若手のビルという男だった。ボサボサ髪で、白衣の下に工具のポーチをぶら下げている。長い前髪の下の顔はラテン系の顔立ちだが、陽気さとは程遠い陰気な雰囲気をまとっていた。

「睡眠不足、脱水症状、それと軽い栄養失調です」

「……なんで」

 クロウがポツリと呟くと、ビルは長い前髪の下からクロウをじっと見る。

「何でとは? 質問の意図が分かりかねます。普通の人間が丸一日何も口にしなければ、体調を崩すのは当然です」

 ぐうの音も出ず黙り込むクロウに、ビルは淡々と告げる。

「死ななくて良かったですね」

「……礼を言う」

「それが仕事ですからお構いなく。彼女には点滴を打っておきました。後はしっかり休んで栄養を取れば、すぐに良くなるでしょう」

 クロウの攻撃を受けたミミズクは、ハッターとヘイヤ(シルクハットのジジイと、筋肉フェチ女だ)が手術している。

 二人とも合成獣の手術に関しては一流の腕前だから、ミミズクもすぐに回復するだろうとのことだった。

「オレは他の患者を見てくるので、席を外します。彼女が起きたら呼んで下さい」

 そう言ってビルが席を外したので、手持ちぶさたになったクロウは、少しもつれていた優花の髪を指先で梳いた。

 そういえば、この女は自分の羽をこんな風につくろいたがっていたっけ。ふかふかなのが気持ち良いのだとか言って。

 いつだって、彼女は自分を化け物扱いしなかった。

 あんまり優しくされると、勘違いして自惚れてしまいそうになる。

 彼女がとった行動が、クロウのためのものなのだと信じてしまいたくなる。

 たくさんを望むつもりはなかったのに。ただ、裏切らないで傍にいてくれるだけで良かった筈なのに。

 貪欲な心がもっと、もっと欲しいと騒いでいる。

 クロウは優花の頰に手を伸ばし、すぐに引っ込めた。

(……これ以上ここにいると自制が利かなくなりそうだ)

 クロウは舌打ちをして立ち上がる。

 そうだ、食べる物でも買ってこよう。

 きっと、この女は起きたら腹が減ったと騒ぎ出すに決まっている。



 * * *



 スタジアム内には僅かながら売店の類があるのだが、医務室からは少し離れている。慣れていないと迷子になりそうな通路を、迷いのない足どりで歩いているクロウに、誰かが「あっ、クロウ!」と声をかけた。

 足を止めて振り向けば、オレンジ色の髪を二つに結い、頭から猫の耳をはやした女がこちらに駆け寄ってくる。

「ツグミ? 何故、お前がここに? その格好は……姫の衣装?」

 クロウは彼女のことを知っている。アルマン社のキメラだ。試合で対戦したことはないが、お互いにシングルバトルの常連なので、何度か話したことはある。

「今回はツグミじゃなくてドロシーって呼んで。見ての通り、姫役でパートナー戦に出ることになったのよ。まぁ、新人のお守りってやつね」

 ツグミは今までシングルバトルにしか出たことがなかった筈だ。ということは、アルマン社の内部は色々とごたついているのだろうな、とクロウは推測する。

 まぁ、何にせよ自分には関係ないことだ。適当に相槌を打って話を切り上げようとしたのだが、ドロシーはペラペラと早口でまくし立てる。

「そんなことより、ねぇ背中の怪我は大丈夫? 第一試合でピーコックにこっ酷くやられたらしいじゃない。姫を庇って怪我したって聞いたけど」

 クロウの眉がぴくりと持ち上がると、ドロシーはそれを同調と思ったのか更に勢いづいた。

「クロウの姫……サンドリヨンだっけ? 試合中に独断行動だなんて嫌な子よね。その子のせいでクロウが怪我をしたようなものじゃない。アタシが姫だったら、そんなヘマは絶対しないのに」

 最初は煩わしげな顔をしていたクロウの顔から、次第に表情が消える。

 そのことに、ドロシーは気づいていない。

「良い子ちゃんぶってるけど、腹の底ではアタシ達キメラを馬鹿にしてるに決まってるわ。こっちの苦労も知らないくせに良い気なもんよね、ほんと最悪。まぁ、アタシはほら、クロウと同じキメラだから、クロウの気持ちも分かるって言うか……」

「ドロシー」

 静かな声がドロシーの声を遮れば、ドロシーは猫耳をピクピクさせて期待の目でクロウを見上げた。

「な、なぁに?」

「お前がオレの気持ちを分かると言うのなら、今すぐオレの目の前から消えろ」

 そう言い捨てて、クロウはドロシーの横をすり抜ける。

 ドロシーは一瞬硬直していたが、慌ててクロウの後を追いかけた。

「ちょ、ちょっと待ってよ。ねぇってば! な、なんでそんなこと言うのよ……アタシはただ、同じキメラ同士で仲良くしたいだけで……」

「オレとお前が同じ?」

 クロウははっきりと不快感を露わにした顔で、ドロシーを睨みつける。

「たいした戦績も出せず廃棄寸前だったお前がオレと同じだなんて、よく言えたもんだな」

 冷たく切り捨てるような一言に、ドロシーの表情が凍る。クロウは更に目を細めて、怒りも露わに吐き捨てた。

「おおかた、今回のパートナーバトルへの転向も苦肉の策なんだろう? お前の相棒の新人は随分優秀らしいじゃないか」

「……そ、それは……」

 口ごもるドロシーから目をそらし、クロウはフンと鼻を鳴らす。

「お前が廃棄されようが姫になろうが、オレには関係の無い話だ。興味もない。ただ、オレのサンドリヨンを侮辱するなら……殺すぞ」

 それだけ言い捨てて、クロウは振り返ることなくその場を立ち去った。

 後に残されたドロシーはしばし無言で俯いていたが、やがて不機嫌な動物のようにグルグルと低く喉を鳴らす。

 噛み締められた牙の隙間から、憎悪に満ちた呟きが漏れた。


「……サンドリヨン……あの子が、いるから」



 * * *



 酷く空腹だった。

(……最後にご飯食べたの、一昨日の朝だっけ)

 意識を取り戻した優花が最初に思ったのは、そんなことだった。

 優花は二日間、何も食べていない。水だって、最後に口にしたのがいつか思い出せない。

 ふと、人より少しだけ食べ物に敏感な鼻が、食べ物の匂いを察知した。焼きたてパンの匂いだ。

 優花はその匂いにつられるまま、医務室のベッドを下りてふらふらと歩き出した。

 そうして医務室からだいぶ遠ざかったところで足を止め、呟く。

「……ここ、どこ?」

 歩いている内に少しずつ意識が覚醒してきたけれど、我に返るのが少し遅すぎたらしい。

 気がついたら、優花は全く知らない場所にいた。

 スタジアムのどこかということは分かるのだが、現在地が全く分からない。

「あー……何やってんだろ、私」

 呟き、優花は片手で顔を覆って自嘲する。

 また、何も考えずに飛び出してしまった。クロウはきっと怒り狂っているだろう。見つかったら今度は手錠じゃ済まないかもしれない。

(……試合はどうなったんだろう)

 ほとんど無我夢中で飛び出した優花は、あの時点で色々と限界で記憶があやふやだった。

 ただ、クロウは化け物じゃない。だから、殺しなんてしなくて良いと、それだけが言いたくて……

「ねぇ」

 前方から気の強そうな声が聞こえた。

 優花がのろのろと顔をあげると、そこには猫耳にジャンパースカートの少女が仁王立ちしている。

 恐らく姫の衣装なのだろうけれど、一体何の姫なのだろう、猫耳って。

「あんた、クロウの姫のサンドリヨンよね」

 猫耳の少女はずんずんと距離を詰めて、優花を睨みつける。

 その迫力にたじろぎつつ優花が頷くと、少女はますます険しい顔をした。

「なんでこんな所にいるのよ」

「…………えーと」

 お腹が減って食べ物探して彷徨ってたら迷子になりました……と正直に言ったら、信じてもらえるだろうか。

 いや、信じてもらえたとしても、ちょっと言うのが恥ずかしい。

 優花が口ごもっていると、少女はフンと鼻を鳴らした。

「まぁ、どうでもいいわ。それよりも、あんたに言いたいことがあるのよ」

 バシン、と景気の良い音がした。ワンテンポ遅れて、頰がじわじわと熱くなる。

 頰を、思いっきり引っ叩かれたのだ。この少女に。

 怒るよりも先に「なんで」と思った。何故、初対面の女の子にいきなりビンタされなくてはいけないのか。

 それを優花が問うよりも先に、少女は怒鳴りだした。

「あんたはアタシ達を化け物じゃないって言うけれど、アタシは自分がフリークスであることに誇りを持ってるんだから。あんたみたいな弱者と一緒にされても嬉しくも何ともないのよ」

 少女の猫耳が、威嚇する猫みたいにピンと真っ直ぐに立った。そこで優花は気づく。この猫耳は作り物じゃない。

 ──つまり、目の前にいる少女はクロウと同じキメラなのだ。

「あなた達は化け物じゃない。人間です……だなんて同情のつもり? この偽善者。あんたなんて、クロウの姫に全然相応しくないのよ。戦闘に参加できないで見ているだけしかできないくせに、余計なことばっかり口出しして、しゃしゃり出て、本当にむかつく!」

 少女の手が優花の服の胸ぐらを乱暴に掴む。

 優花の顔を覗き込む少女の緑の目は、瞳孔が猫のように細い。

「あんたみたいな恵まれた普通の人間に、アタシ達、合成獣の気持ちが分かるわけないでしょ! これ以上、余計なことを言うのはやめてくれる!? はっきり言って不愉快なのよ!」

 そうして少女は優花を突き飛ばすと、憎々しげに吐き捨てた。

「あんたのせいでクロウが怪我したのよ。これ以上、あんたの自己満足のためにクロウを振りまわさないでよね!」

 少女はそれだけ言うと、これで気が済んだとばかりに、優花に背を向けて走り去った。 

 優花は嵐のように強い言葉をぶつけられ、しばし呆然としていたが、次第に麻痺した頭がゆっくりと少女の言葉を脳内で再生する。

「…………」

 グサッってきて、ベコッっと凹んだ。

 偽善者だの自己満足だのと言われても、優花は何も言い返せない。

(……本当だ。何もできない癖に口ばっかり挟んで、しゃしゃり出て、クロウに迷惑かけて、何やってんだろ…………私……最悪だ……)

 鼻の奥がツーンとして、視界がじわっと滲んでくる。

 えぐっ、と喉の奥からひきつるような変な声が漏れた。

「ぅ、ぅぅ、ぅ~~~」

 優花はその場にしゃがみこみ、泣きじゃくる。涙の雫が床にシミを作る。

「おい」

「っぅ……ぅぅ……」

「おい、お前」

「……っ…………ぅ?」

 誰かに肩を叩かれた優花はギクリとした。

 今は誰にも顔を見られたくない。だって、きっと、酷い顔をしてる。

 うつむいたままじっとしていると、また肩を叩かれた。

「おい、大丈夫か? 具合悪いのか?」

 まだ若い女の声だ。どうやら、純粋に優花のことを心配してくれているらしい。

 優花は俯いたまま、途切れ途切れに答える。

「……だいじょぶ、なんで、お構い、なく」

「ふぅん? なぁ、お前、アンパン好きか?」

 優花は数秒沈黙し、顔を上げる。

「…………ふぇ?」

 真摯な目で優花を見下ろしているのは、優花より少し年上の女だった。癖のある赤茶の髪をボブカットにしている。服装はフォーマルドレスでもスーツでもなければ、姫の衣装でもない、動きやすそうな服装とエプロン姿で、ある意味優花以上に場違いな格好だ。

 女は真剣な顔で同じ言葉を繰り返す。

「アンパン好きか?」

「……は、はい……」

 勢いに押されて頷くと、女はパッと顔を輝かせた。

「そうか、ならこれをやろう!」

 そうして女は優花の顔に茶色い紙袋を押し付ける。中からは焼き立てパン特有の良い香りがした。

「……あ、の……」

「遠慮はしなくていいぞ。美味しいアンパンを布教するのは、私の使命でありライフワークだからな!」

「あの……失礼ですが、どちら様?」

 恐る恐る訊ねる優花に、女は「うむ」と頷き、豊かな胸をポヨンと張って言う。

「よくぞ聞いてくれた! 私は通りすがりのアンパン大使だ!」

「……アンパン、大使?」

「アンパン大使とはアンパンの素晴らしさを世に広めるべく、日夜アンパンの布教活動に励む、アンパン界の使者だ!」

 如月優花、二十一歳。流石にアンパンを布教されるのは初めてである。

 返す言葉に悩んでいると、自称アンパン大使の女は親指で壁際を指さした。

「特別にお茶も出してやろう。そこ、適当に座れよ」

 壁際は小さな販売ブースになっていて、座って食べるための小さい椅子も幾つか用意されていた。

 通路の真ん中にしゃがみこんでいるよりはマシだと、優花は椅子に腰かける。

 貰った紙袋を開けると、中には丸いアンパンが一つ入っていた。食欲を誘う匂いに、優花の腹がきゅぅきゅぅと頼りなく鳴る。

 アンパン大使は紙コップに温かい茶を注ぎ、優花に握らせてくれた。

「ほい、お茶」

「ど、どうも……」

 優花は戸惑いつつ、温かいお茶をグーッと飲む。あっという間に一杯飲み干してしまうと、アンパン大使はすぐにお代りを注いでくれた。思えば昨日は殆ど水分を取っていなかったのだ。優花は二杯目のお茶をちびちびと飲みながら周囲に目をやる。

 販売ブースに客の姿は無い。まぁ、こういう所に来て、わざわざパンを買っていく人はあまりいないのだろう。観客はセレブばかりだし。

「お前、死にそうな顔してたぞ。そういう時はアンパン食え。お腹一杯になれば、大抵の悩みは解決だ」

(……これって慰められてるのかしら?)

 勧められるまま一口かじったアンパンは、柔らかくて口どけの良いパン生地に素朴なあんこの甘みが美味しかった。

 美味しい。美味しい物を食べているのは幸せだ。

 それなのに、何故涙が止まらないのだろう?

「泣きながら食べると、アンパンが塩辛くなるぞ……いやまて、塩アンパン……新商品に有りか……?」

 優花は零れ落ちた涙を服の袖で拭う。それでも涙は次から次へと溢れ出して止まらない。まるで、気が緩んだ拍子に涙腺が一気に壊れたかのようだ。

 嗚咽まじりのしゃっくりが止まらない。こんなにみっともない泣き方をしたのは、いつ以来だろう。

「なんか悲しいことでもあったのか?」

 これがヤマネやエリサ、サンヴェリーナ相手だったら、優花はなんでもないのと言って笑って誤魔化していただろう。

 だが、事情を知らない初対面の相手だからこそ、優花は泣き言を言うことができた。

「………正しいと思ってやったことが、ただの、自己満足でしかなくて……」

 猫耳の少女にぶつけられた言葉が、棘のように胸を刺す。 

「偽善者って、言われ、て……」

「それの何が駄目なんだ?」

 アンパン大使は心底不思議そうな顔で首を傾げていた。

 本当に、何がいけないのか理解できないと言わんばかりの顔で、彼女は言う。

「自己満足って悪いことなのか? 他人が満足しても自分が満足できなきゃ、それこそ意味が無いじゃないか」

(あ、あれ? えーっと……)

 常に自分は我慢して家族優先、他人優先で生きてきた優花にとって、アンパン大使の言葉は衝撃だった。

(そ、そういうもの、なの?)

 腑に落ちたような、落ちないような、そんな複雑な気持ちでいると、アンパン大使が言葉を続ける。

「自己満足ってことは、少なくとも自分は満足できたんだろ。なら良いじゃないか、自己満足。勿論、自分も他人も満足出来ればそれが一番だけど」

 あれ、自己満足ってそういうことだったっけ? いやいや、待て待て。

「でも、私が自己満足で勝手な行動して、人に迷惑かけちゃって……」

 初戦のことを思い出して顔を曇らせていると、アンパン大使は腕組みをしながら、優花の顔をマジマジと覗きこむ……近い。

「あの、えっと……?」

「さすが姉弟。悩むことが全く同じだな」

「……え?」

 戸惑う優花の前でアンパン大使は背すじを伸ばし、唇をへの字に曲げた。そうして彼女はエプロンのポケットから、新しいアンパンを取り出すと、むしゃむしゃと食べ始める。

「お前は大人だからな、ちょっと厳しいこと言うぞ」

 ゴクリとアンパンを飲み込んだ彼女は、そう前置きをして言った。

「誰にも迷惑かけたくない、でも自分の主張は通したいなんて、そんなムシの良い話があるもんか。自分の都合を通そうとすれば誰かと衝突もするし、迷惑をかけることもある。そんなの当たり前だろ。誰にも迷惑かけないなんて、できるわけがない」

 アンパン大使は唇についたあんこを指で拭ってペロリと舐めた。そうして彼女は、優花の方は一切見ずにアンパンを食べ、そして勝手に喋り続ける。

「自己主張するなら『迷惑をかけてゴメン。でも、私はどうしてもやりたいんだ。迷惑かける分、他のところで頑張るから認めて欲しい』って色んな奴に頭を下げるぐらいしないと。その覚悟が無いんなら、自己主張をする権利なんて無い。それこそ、迷惑をかけるのが嫌なら、最初っから自己主張なんてしなけりゃいいんだ」

 乱暴な極論だ。

 それなのに、優花は何も言い返せなかった。

 だって、優花は誰かに迷惑をかけるのが嫌だった……違う「怖かった」

「誰かに迷惑をかける覚悟って結構大変だぞ。色んな奴に罵倒されることもあるし、大事な奴を傷つけてしまうこともある。それでも、誰かに迷惑かける覚悟ができたなら、その時は遠慮することは無い。大声で自分の主張をすればいい」

 アンパン大使は最後の一口を食べ終えると、優花を見てニカッと笑う。

「『自己満足だけど文句あるか! 私は満足だぞこの野郎!』ってな」

 迷惑をかける覚悟。そんなこと優花は今まで考えたこともなかった。どうやったら迷惑をかけないか、いつもそればかり考えていた。

「まぁそれでも、失敗ばかりでうまくいかない時ってあるよな。そういう時はアンパン食べろ。元気が出るぞ」

 優花はアンパン大使を真似して、アンパンを一口、また一口とかじる。飲みこむ。

 口いっぱいに広がる、パンとあんこの優しい甘み。

 お腹が少しだけ膨れると、ふらふらだった思考が少しずつ定まってくる。

 自分はクロウにいっぱい迷惑かけた。きっとこれからも迷惑かける。

(でも、私は……自分の主張を曲げたくない。クロウに誰も殺させたくない。あいつに、あんな顔させたくない…………助けに、なりたい)




 アンパンの包み紙を握りしめて俯いていたサンドリヨンの肩が、カクンと傾きアンパン大使の肩にもたれる。どうやら、考えこんだまま寝てしまったらしい。

 アンパン大使は、そんなサンドリヨンの寝顔を覗き込み、一人納得したようにうんうんと頷いた。

「誰かのためにそこまで思いつめるあたり、やっぱりあいつの姉だよなぁ……なんてそっくり姉弟なんだ」

「サンドリヨン!」

 廊下の角を曲がって、黒髪の青年が駆けつけてきた。サンドリヨンのパートナー、クロウ。

 先の試合でパートナーを拘束して奴隷のように扱っていた男が、今は必死な顔をしている。

 あぁ、お迎えがきたんだな。とアンパン大使がのんびり思っていると、クロウは眉を釣り上げて怒鳴った。

「お前、こいつに何をした!」

「何もしてないぞ。そいつ、腹ペコでフラフラしてたから、アンパン食べさせたら、いつの間にか寝てたんだ」

 クロウは鼻白んだように黙り込む。

 アンパン大使はポケットから小さいペットボトルを取りだすと、中身のお茶をぐっとあおって、プハーと息を吐いた。

「起こさない方が良いんじゃないか。そいつ、すっごく顔色悪かったぞ」

「……このまま抱えてく」

 そう言って、クロウは慎重にサンドリヨンの体を抱き上げた。サンドリヨンは熟睡しているらしく、目を覚ます様子はない。

 アンパン大使はふと良いことを思いつき、抱き上げられたサンドリヨンの腹のあたりに紙袋を一つ置いてやった。

「お前ら喧嘩中だったんだよな? なら、これをやろう」

「……なんだこれ?」

「一緒に食べれば仲直りできる、魔法のパンだ」

 クロウは紙袋をまじまじと眺めた後、ゆっくりと顔を上げ、真顔で言う。

「……つーか。お前、誰?」

「ふふん、よくぞ聞いてくれた! 私は、通りすがりのアンパン大使だ!」



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