【6-1】トラヴィアータの餞別
フリークス・パーティの初戦が全て終了し、今日から第二試合が始まる。
ヤマネは初戦の結果をまとめたものを〈女王〉に差し出した。
女王は黒いベール越しに文字列を追うと、ほぅと息を吐く。彼女の声は全て機械が変換してしまうのだが、ささやかな吐息は拾われることなく瑞々しいまま黒いベールの縁を揺らした。
『めぼしい選手は一通り残った感じかしら。ヤマネ、賭け金は』
「はい、順調なのです。お客様の評判も上々なのですよー!」
先代当主亡き後、業績が緩やかに下がりつつあるフリークス・パーティだったが、今年は開会式のエキシビジョンが効いた。イーグルは華のある選手だ。容姿も良いし、実力も申し分無い。きっと彼なら、ハヤブサに次ぐ伝説を作ってくれることだろう。
今回のフリークス・パーティにおける唯一の誤算は、ハヤブサが正体を隠したことだ。もし、ハヤブサが正体を見せていたら、間違いなく過去最高の盛り上がりを見せていただろう。
何故、ハヤブサが正体を隠しているのか、その理由を本人は黙して語らない。ハヤブサは派手なことも目立つことも好きな男だ。そんな彼がわざわざ正体を伏せているのだから、それなりに理由があるのだろうけれど。
トーナメント表を眺めながら〈女王〉がそんな算段をしていると、白兎が「大変大変!」と扉を開けて転がりこんできた。
「大変ですよぉ! 誰か来てくださぁい!」
このすっとこどっこいな青年の「大変大変」は口癖のようなものだ。
ヤマネが困ったように〈女王〉を見たが、女王はトーナメント表から顔も上げない。ほっておけ、という無言のサインである。
ところが、今回に限っては白兎の後ろから笛吹が扉を開けて中に入ってきた。扉に後頭部を打ち付けた白兎が「うひゃぁっ!?」と叫んで顔を床にぶつける。
笛吹は扉の前に白兎がいることを知っていて、わざと扉を乱暴に開けたようだった。いつぞやの仕返しのつもりなのだろう。陰険な男である。
笛吹は白兎に「ごめんねぇ?」と謝る気を微塵も感じさせない謝罪をして、それからヤマネを見た。
「誰か一人、ロビーに行った方が良いんじゃない? ちょっとした騒ぎになってるんだ」
「ロビーで何があったのですか」
ヤマネがメイド服の裾を握りしめながら問うと、笛吹は口元に手を当ててクスクスと笑う。
「とっても面白いから、直接見てきなよ。特に……姫の世話係の君なら、放っておけないんじゃない?」
* * *
ロビーで人々の視線に晒されながら、サンヴェリーナは温厚な彼女にしては珍しく声を張り上げていた。
「クロウ様っ、これはどういうことです!!」
いつもおっとりと柔和な笑みを浮かべている燕の姫、サンヴェリーナが眉を釣り上げ激昂している。それでもクロウは顔色一つ変えずに、熱の無い目でサンヴェリーナを一瞥した。
「どうもこうもねぇよ。自分の姫をどう扱おうが、オレの勝手だろ」
「だからって……」
サンヴェリーナの視線の先には、クロウの横に立つ姫、サンドリヨン。
灰に汚れたワンピースを身に纏う彼女は、その両手両足に枷をつけられていた。それぞれ両手と両足間を鎖が繋いでいる。
そして、いつも快活に笑うその口には、粗末な猿轡。
サンヴェリーナを暴漢から助け出し、手を引いて走ってくれた人が、今は奴隷のように自由を奪われ、虚ろな目で俯いている。
「……こんな……こんなこと、許される訳がありません!!」
サンヴェリーナが大声で主張すると、クロウは鼻を鳴らした。
「他人が口出しをするな。おい、燕。お前の妹がうるさい、何とかしろ」
燕は包帯に覆われた目で、サンドリヨンをじっと視た。包帯の下で赤外線センサーのランプがチカチカと赤く点滅する。
「クロウ、俺の眼は人の形を捕らえるだけで、表情や服装まで映すことはできん。それでも、お前の姫が酷く衰弱していることは分かる」
「それがどうした。少しぐらい大人しい方が丁度良いだろう。そうすりゃ、この間みたいに勝手な行動もできないだろうしなぁ」
ニィッと唇を釣り上げるクロウの笑みは、酷くいびつだった。水色の瞳は怒りと凶暴性で爛々と輝いている。
燕は静かに嗜めるように、クロウを諭した。
「お前は分かっているはずだ。姫の存在を蔑ろにしては、勝利は得られぬことを」
「なら、こいつを野放しにして、この間みたいな醜態を演じろってか? はっ、冗談じゃない」
クロウは頑なで、燕の言葉にすら耳を貸そうとしなかった。半ば意固地になっているのだ。こうなってしまうと手の施しようが無い。
その時、廊下の奥からメイド服の少女──ヤマネが駆け寄ってきた。
「クロウ様、燕様! ロビーでの揉めごとは駄目なのです! 他のお客様のご迷惑なのです!」
ヤマネは小さな体でクロウと燕の間に割って入ると、サンドリヨンを痛ましげな目で見る。
「クロウ様、姫様方の世話係として、このような狼藉を見過ごすわけには参りません。どうかサンドリヨン様の解放を」
「断る。こいつはオレの姫だ。不躾な真似をしたら、仕置きをするのは当然だろう? 大会規約でも姫の扱いに関しての罰則は無かったはずだ」
クロウの言う通りだ。フリークス・パーティにおいて、姫とは最も最下層にいる弱者を意味する、金で売られ、買われた生贄なのだ。騎士の中には、それこそ姫を奴隷のように扱う者だって珍しくはない。
「規約の為に言っているんじゃないです! ヤマネはサンドリヨン様を心配して……っ」
「それが余計な世話だっつってんだ」
クロウは尚も言い募ろうとするヤマネを無視して、その横をすり抜ける。
「これ以上話すことはない。行くぞ、サンドリヨン」
虚ろな目をしたサンドリヨンは、ふらふらとした足取りでクロウの後を追った。一歩歩く度に、チャリチャリと鎖の音がする。
そんな彼女の背中を見送り、サンヴェリーナは己の無力さに唇を噛んだ。
「……っ、こんなのって……こんなのって、あんまりです。あんな仕打ち……酷すぎますっ……」
燕は涙を浮かべるサンヴェリーナの肩を叩き、静かに首を横に振る。
「あんなクロウは初めて見た。あそこまで頭に血が上っていては誰の言葉も耳には届くまい……唯一言葉が届くであろう娘の口を、あの男は自ら塞いでしまったのだ」
* * *
選手控え室の椅子に足を組んで座り、クロウは対戦表を眺めていた。その間も、優花はずっと控え室の隅にうずくまっている。
この控え室に入ってから、優花は両手首を繋ぐ手枷とは別に新しい手錠を着けられた。手錠の輪は優花の右手首と控え室の配管パイプで固定されているので、部屋を歩き回ることすらできない。
「今日の対戦相手は……ミミズクとグレーテル? 聞いたことのない名前だな……まぁ、誰であろうと邪魔するなら、ぶっ殺すだけだ」
クロウは対戦表をくしゃくしゃに丸めてくずかごに放り捨てると、優花の前に膝をついた。そして、俯く優花の顎を無理矢理持ち上げ、強い口調で言い聞かせる。
「サンドリヨン。お前はおとなしく見ているだけでいい。余計なことをしようなんて考えるな」
例えば、もし優花に迷いなく主張できる言葉があれば、優花は猿轡を食いちぎってクロウに言い返していただろう。
だけど、優花は動けなかった。何を言えば良いのか分からなかった。
誰にも死んでほしくない。そのためにとった優花の行動が原因でクロウは怪我をした。
(……私はどうすれば良かったの? これから、どうするべきなの?)
もし優花の中に、揺るがない物が一つでもあれば、それを支えに立ち直れる。それを優花は自分の主張としてクロウにぶつけることができる。
でも、今の優花は何も答えを見つけていない。何も主張できない。
──口先だけの偽善者だ。
「あ、あのー、クロウさん、いますかー?」
ノックの音と共に顔を覗かせたのは、白兎と呼ばれていた運営委員会の青年だ。クロウは気怠げに立ちあがり、白兎をねめつける。
「……なんだ」
「ちょ、ちょっと、ご相談したいことがありまして……す、少し来ていただいてもよろしいでしょうか……」
「……ちっ、サンドリヨン、お前はここにいろ。絶対に動くな」
クロウはそう言い含めて部屋を出て行った。
今ならクロウがいないから、逃げ出すチャンスかもしれない。
頭のどこかでそう考えながら、それでも行動に動かそうという気が全く起こらなかった。
この手枷と足枷を外されても、何をすれば良いのか分からない。
この猿轡を食い千切ってまでして、クロウに主張する言葉が見つからない。
クロウに誰も殺させたくなかった。でも、そのためにはどうすれば良かったのだろう。
優花の脳裏にトラヴィアータの言葉が蘇る。
──無知で愚か
彼女の言葉は正しい。
「こんにちは、お嬢ちゃん」
彼女の言葉を思い出していたから、だからそんな幻覚を見た……そう思ったのだ。
だが、コツコツというハイヒールの音は、揺れるスカートの裾は、幻覚なんかじゃない。本物だ。
トラヴィアータは優花の格好を見下ろすと「おやまぁ」と眉を持ち上げた。
「すごい格好。あの男はあまり玩具の趣味が良くないね」
何故、彼女がここにいるのだろう?
そんな優花の疑問は、言葉にしなくても表情だけで伝わったのだろう。トラヴィアータは肩をすくめて笑った。
「時間が無いから、手短に」
そうして彼女は優花の顔を覗き込むと、赤いマニキュアに彩られた爪で優花の額をつつく。
「ぬるま湯みたいに平和な世界で生きてきたお嬢さん。自分が誠意を見せれば、相手も誠意を見せてくれると、本気で思っていたのかい?」
赤い唇の隙間から白い歯を見せて、トラヴィアータは優花をせせら笑った。
「綺麗事だけじゃ生きていけない。フリークス・パーティってのはそういう世界だろ」
そうだ、綺麗事だけじゃ生きていけない。そんなこと分かっていたはずなのに。
それでも優花は納得できなかった。そうして行動に移した結果が、これだ。
(……結局、私は何もできなかった)
無力な自分が恨めしかった。悔しくて悔しくて仕方がなかった。考えれば考えるほど目の奥が熱くなる。無力さに泣き崩れたくなる。
偽善者の、くせに。
「それでも、あんたに一つだけ言いたいことがある」
額をつついていた指を離し、トラヴィアータは俯く優花の頰に手を添えて上を向かせた。
そして、真っ直ぐに優花の目を覗き込んで言う。
「アタシを助けてくれてありがとう」
優花はゆっくりと瞬きをしてトラヴィアータを見た。トラヴィアータは赤い唇をニィッと持ち上げる。
「まぁ、同じ状況になったら、アタシは何度だってあんたを殺しに行くけどね。それはそれ、これはこれ」
トラヴィアータの態度は全てを割り切った大人の女のそれだった。優花が捨てきれない、割り切れないものを、彼女は取捨選択して生きている。それが正しいとか間違っているとか、そんな評価は彼女にとって何の意味も無いものなのだろう。
「言いたいことはそれだけだよ。じゃあね、バイバイ、お嬢ちゃん」
そう言ってトラヴィアータは軽く髪をかきあげる。チェリーブロンドが揺れて、大振りの耳飾りがシャラシャラと音を立てた。そんな彼女の細い指先が摘んでいるのは、ありふれたヘアピン。
「最後に……これはアタシからの餞別さ」
* * *
「あぁ、くそっ、何だってんだ! 呼びだしておいて、やっぱ勘違いだったなんて! ったく使えねぇな、あの下っ端! サンドリヨン、大人しくしてただろうな。……サンドリヨン?」
クロウが控え室に戻ってきたことにも気づかないぐらい、優花は拳を握りしめて、己の意思と向き合っていた。
忘れてた。
たった一つ……そう、たった一つだけ、絶対に譲れない主張がある。
『人の命を天秤にかけるなんて許されない』
フリークス・パーティが始まる前、優花がクロウに言った言葉だ。
そうだ、例えクロウが何を言おうとも、これだけは絶対に譲れなかった。
なら、この主張のために自分は何をすれば良い?
この命のやり取りすら宴の趣向にするような狂ったパーティで、自分に何ができる?




