【幕間13】銀の靴を履いた少女
『こちら、第二スタジアム! オウル&ドロシーVSカササギ&赤ずきんの試合が始まったばかりなのですが……これはどうしたことだ! カササギ選手、試合開始の合図が出たにも関わらず、一歩も動きません!』
ステージの上ではカササギと呼ばれている騎士が、驚愕の表情で立ち尽くしていた。両の手にナイフを握りしめた彼は、その場を一歩も動かないまま、喚き散らす
「な、なんだこれは、なんで動かな…………」
全てを言い終えるより早く、カササギの首が地面に落ちた。
観客も審判も実況も、あまりに唐突すぎて何が起こったのか理解できず、一瞬沈黙し──そして、次の瞬間一気に騒ぎ出す。
なんだあれは、オウルは一歩も動いていないじゃないか、なんて見事な切り口なんだ、あれは暗器の類か、あぁもっと苦しむ姿が見たかったのに! ──と観客達が騒ぎ出す中、審判が勝者の名を告げた。
「──っ……勝者っ、オウル選手!!」
ドロシーは酷くご立腹だった。それもすべては、彼女のパートナーであるオウルのせいだ。
試合終了後、選手専用の廊下を歩くドロシーは先を歩くオウルの背中を睨みつける。
ずば抜けて背の高い二十歳程度の男だ。顔立ちは整っているのだがどこか特徴がなく、黒髪の下の表情は酷く乏しい。
「ちょっとオウル! どういうことよ!」
ドロシーが怒鳴ると、オウルは足を止めてドロシーの方に体を向けた。この男はドロシーと会話をする時は、いつもこうして真正面に向き直る癖がある。
「どういうこと、とは?」
オウルは無表情で声も抑揚に乏しい。だが、ドロシーが腹を立てていることに困惑しているのが、ドロシーには手に取るように分かった。
「なんで試合開始と同時に殺しちゃうのよ! あれじゃあ試合が盛り上がらないでしょうが!」
「私の任務は試合の勝利だった筈だが」
「適当に試合を盛り上げるのも仕事の内なのよ! あんたはうちの看板商品様なんだから」
そう言って早足でズンズンと廊下を通り抜けたドロシーは、途中で角を曲がる。
「ドロシー、そちらは控室ではない」
「うるさいわね! アタシがどこに行こうと勝手でしょ! ついてこないで!!」
オウルにそう言い捨ててドロシーは女子トイレに駆け込んだ。
そうして鏡の前で自分の服装や髪に乱れが無いかを確認する。
鏡に写っているのは、オレンジ色の髪を二つに分けて結んだ十代半ば程度の少女だ。気の強そうな顔立ちで、大きな目は緑がかった色をしている。
身につけているのは白いブラウスに水色のジャンパースカート、足元は銀色のシューズだ。
特筆すべきはその頭のてっぺんで、オレンジ色の髪の間から、髪とよく似た色合いの猫耳がぴょこんと飛び出している。本来の人間の耳があるにも関わらず、その猫耳はヒクヒクと動いていた。この耳は作り物ではない。ドロシーはネコ科の動物のキメラなのだ。
ドロシーは髪や服に乱れがないことを確認すると、ポケットからリップクリームを取り出して塗り直す。特に色もついていないありきたりなリップクリームだが、ほんの少し唇が潤うだけでも、自分が可愛くなれる気がした。
トイレを出たドロシーは選手用観戦席に移動すると、キョロキョロと辺りを見回す。
すると、背後から誰かがドロシーの肩を叩いた。ドロシーは期待に胸を膨らませて振り返る。
「あっれー、ツグミちゃんじゃん。よっ!」
その人物の顔を見て、ドロシーは落胆に肩を落とした。
片手を上げてニコニコと笑っているのはウミネコだ。
「げっ、ウミネコ……」
「出会いがしらに『げっ』は酷くね? 流石のオレも傷つくわー。ところで、その格好どしたの? ツグミちゃんらしくない」
ツグミ、というのは彼女がシングルバトルで戦う時に名乗っている名前である。
彼女はアルマン社に所属する後天性フリークスだ。普段はツグミと名乗ってシングルバトルで選手として参加している。パートナーバトルの参加はこれが初めてだった。
「ツグミじゃなくてドロシーって呼んで。今回は姫役での参加なのよ」
「へー、そうなんだ。ドロシーってことはオズの魔法使い? 可愛いじゃん、その格好」
「白々しいこと言わないで。それより、ねぇ、今日はクロウと一緒じゃないの?」
ドロシーがクロウの名前を出すと、ウミネコはまるで若者をからかうオッサンのような顔をした。事実、彼は見た目が若いだけで中身は若者をからかうオッサンである。
「なーんだ。誰かを探してるみたいだったけど、お目当てはクロちゃんかー。でも残念、今日はクロちゃん来てないよ」
「……え? だって、クロウ、今日は試合無いでしょ?」
勉強熱心で生真面目なクロウは、基本的に自分が試合に参加しない日でも、必ず他の選手の試合を見学する。
昨日のクロウとピーコックの試合を思い出し、ドロシーは眉をひそめた。
「もしかして、昨日の試合の怪我が酷かったとか? ほら、ピーコックの攻撃を背中に受けてたし……!」
ウミネコは肯定も否定もせず「さぁ、どうだろうね」と曖昧な相槌を打った。
ドロシーは昨日のクロウの試合を観戦している。あの試合のことは思い出せば出すほど、クロウの姫に腹が立った。
「あのサンドリヨンって女も馬鹿よね。相手の姫を助けようとか、何考えてんのかしら? あの女のせいでクロウが怪我したようなもんじゃない」
「ドロシーちゃん、昨日の試合見てたんだ?」
「あ、その、別にクロウが気になるって訳じゃないけど、そう、たまたま時間が空いてたから、ちょっと見ていただけって言うか……ちょっ! 何笑ってんのよ!!」
ウミネコは「いや、ごめんごめん」と手をパタパタ振り、ククッと喉を鳴らした。
「それにしても意外だよなー。ツグミちゃん……いや、ドロシーちゃんが、パートナーバトルの姫役になるなんて。いつもはシングル戦でガンガン戦ってるのに」
「うるさいわね、こっちにも色々と事情があんのよ」
ドロシーが棘のある口調で突っぱねても、ウミネコは特に気にした様子もなく踏み込んでくる。
「ドロシーちゃんのパートナーのオウルって奴。あれが噂のアルマン社の新型生物兵器? ドロシーちゃんはそのお目付け役って訳かぁ」
「そーよ。無愛想で無口で最悪。アタシの出番は全部持ってっちゃうし」
「どうせなら、クロちゃんの姫になりたかったし」
「そうそう……って、何言わせんのよ!!」
ドロシーが顔を真っ赤にして怒鳴れば、ウミネコはケラケラと笑った。完全にからかわれている。
ぐぬぬ、と歯ぎしりしていると、背後でドロシーの名を呼ぶ声があった。
「ドロシー」
聞き覚えのある声にギョッと目を剥けば、案の定オウルがドロシーとウミネコの背後に佇んでいる。
「オウル!? ついてくるなって言ったでしょ!」
「だが、私の世話係はドロシーだ」
淡々と頭の痛くなるようなことを言うオウルに、ドロシーは地団駄を踏みながら吐き捨てた。
「試合以外のフォローをする気なんて一切ないわよ」
「試合のフォローは必要ない」
「──んなっ……!!」
ドロシーは怒りのあまり、一瞬頭の中が真っ白にスパークした。
ドロシーは自分がキメラであることを誇りに思っている。自分はアルマン社の誇り高き戦士なのだ。
それなのに試合のフォローは必要ないと言われたら、それは自分の存在を否定されたも同然だ。
「馬鹿にしないでよね!! そりゃ、あんたから見ればアタシは弱いかもしれないけど、アタシだってアルマン社の立派なフリークスなのよ!! さっきの雑魚騎士だって、あんたが戦わなくてもアタシ一人で倒せたんだから!!」
「だが、それでは私の能力テストにはならないと、プロフェッサーが」
「あー、うるさいうるさいうるさーい!! 試合が終わったんだから、どっか行ってよ!! 試合の時以外は近寄らないでよね! 目ざわりなのよ!!」
ドロシーが怒鳴ると、オウルはしばし無言でドロシーの顔をじっと見ていたが、やがて無言で背を向けてその場を立ち去った。
その哀愁漂う背中を見送り、ウミネコが呟く。
「うーん、今のはちょっと可哀そうじゃね?」
「ふん、あいつむかつくのよ。あいつのせいでアルマン社でのアタシの立場が悪くなるし……もう、アルマン社には必要ないからって……どっかの組織に格安で売られかけたし」
より出来の良い新型兵器が出来れば、当然旧式はお払い箱になる。つまりはそういうことだ。
「うぇっ、何気にピンチじゃん! よく売られずにすんだなー」
「……あの、新人の世話係兼補佐役の姫になるってことで、首の皮一枚で繋がったのよ」
ドロシーがスカートの裾を握りしめて呟けば、ウミネコはしみじみと「ドロシーちゃんも苦労してんなぁ」と呟く。
ドロシーはそんなウミネコの顔色をチラチラとうかがうと、ぎこちなく口を開いた。
「……ねぇ、今の話、クロウには……」
「あぁ、うん、言わない言わない……それにクロちゃんも今、それどころじゃなさそうだしな」
「……え?」
「いやいや、こっちの話」
* * *
ドロシーを適当な言葉で誤魔化しつつ、ウミネコはオウルが消えていった方角に目をやる。
(あのオウルって奴、オレ達のそばに来た時、気配がしなかった……今年は随分と手強い化け物が増えたなぁ)
ウミネコはポケットから対戦表を取り出すと、ずらりと並ぶ選手の中から、とある行を指でなぞった。
そこに記されているコンビ名は……ピジョン&インゲル
「さて、もう片方の気になる試合も、見に行こうかな」




