【1ー4】ヒロイン、契約書に血判を押す
──時刻は少し遡る。
「お前はオレの『姫』だからな」
「はい?」
優花を美花と間違えた挙げ句、脅迫まがいの言葉で代役を強要した男は、唐突に訳のわからないことを言い出した。
優花は恐る恐る男に訊ねる。
「あの……姫って、なんですか?」
「それは、これから来る奴が説明する」
「それじゃあ、私がする仕事の内容を教えていただけませんか?」
「それも、これから来る奴が説明する」
この調子だと、何を訊いても「これから来るやつが説明する」の一点張りになりそうだ。
優花が不満そうに口をつぐむと、男はベッドから降りて、優花を見た。
「心配しなくとも、報酬は払う。なんだ、報酬の額が気になるのか?」
正直、気になるのは報酬よりも仕事内容である。
だが、男は黒革の手袋をした掌を優花の眼前に突きつけると、ニヤリと笑って告げた。
「五百万」
「……はい?」
「一ヶ月半で五百万。お前の馬鹿妹が持ち逃げした分をさっ引いて、三百万でどうだ?」
一ヶ月半で三百万? なんて美味しい話なの! わぁ嬉しいな!
(なんて言うわけないでしょうが美花じゃあるまいし!! 美味しい話すぎて、逆に仕事内容が不安になるわよ!)
短期間で高収入、ともなれば真っ先に思いつくのは風俗店である。正直、自分にできる気がしない。
優花は引きつりそうになる顔に、必死で愛想笑いを貼り付けて、男に訊ねた。
「……あの、一体、どんなお仕事なんですか? サ、サービス業とか?」
「これから来る奴に訊け」
やはり答える気はないらしい。男はこれで話は終わったとばかりに、ホテルに備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターの瓶を取り出して、勝手に寛ぎ始めた。
優花は居心地の悪さを感じつつ、とりあえずベッドの端にちょこんで座る。得体の知れないこの男と距離を置きたかったのだ。
だが、男の方はそうでもないらしい。優花と目が合うと、男はミネラルウォーターの瓶を優花に差し出した。
「飲むか?」
「いえ、いいです……」
「あぁ?」
断ったら何故か睨まれた。なにこれ理不尽、という声を懸命に噛み殺し、優花は男に近づく。
「じゃあ頂きます」
「ふん、オレが施してやる、つってんだから、最初から素直に応じりゃいいんだよ」
ミネラルウォーターの瓶で頭かち割ってやろうかこの男──とかなり本気で思いつつ、優花は我慢我慢と自分に言い聞かせ、瓶を受け取った。
そこでふと、自分はこの男の名前を知らないことに気づく。仕事内容は教えてくれなくても、流石に名前ぐらいは教えてくれるだろう。
「あの……」
「質問はこれから来る奴に訊け」
「あなたのお名前ぐらいは、教えてもらえませんか?」
優花の言葉に、男は何故か驚いたような顔をした。驚きに見開かれた目は、明るい照明の下で見るとアクアマリンに似た綺麗な水色だ。やはり日本人ではないのだろう。髪は混じりっけのない漆黒だが、肌の色が白く、顔立ちもどことなく西洋風だ。
優花がまじまじと男を観察していると、男は優花から目をそらし、ボソボソと聞き取りづらい声で名乗った。
「……クロウ」
「クロウさん? 漢字で九朗さん?」
「c、r、o、w、で『crow』だ」
それは本名だろうか。優花の記憶が正しければ、その綴りは鴉という意味があったはずだ。
(……鴉のクロウさん)
艶のある黒髪は、ほんの少しだけ鴉っぽいかもしれない。まぁ、あまり鴉に例えられて喜ぶ人もいないだろうけれど。
「あの、クロウさん」
「なんだ」
優花の呼びかけに応じるクロウの声は心なしか弾んでいた。気のせいか急に機嫌が良くなったようにも見える。名前を呼ばれたのが嬉しかった? ……いやまさかそんな、単純な。
何はともあれ、相手の機嫌が良くなったのなら、これはチャンスだ。優花は先程からずっと気になっていたことを口にした。
「あの、バイト先と家族に連絡を入れても良いですか? その……突然、バイト先を飛び出してきた形になってしまいましたし。帰りが遅いから家族も心配しているだろうし……っ」
言いかけて優花は口をつぐんだ。クロウの顔がみるみる剣呑になり、眉間に皺が寄っている。分かりやすく機嫌が急降下している。
クロウは立ち上がると、ゆっくりと優花との距離を詰めた。
「……外部に助けを求める気か?」
「はい?」
「……外部の連中に助けを求めて、ここから逃げるつもりか?」
低く呻く声には、怒りが滲んでいる。
出会い頭にぶつけられた憎悪混じりの悪意を思い出し、優花の肌が恐怖に粟立った。
(何この人、怖っ!! なんで、そんな不穏な方向に話が進んじゃうのよ!? どんだけ人間不審なの!? 誰かに酷く裏切られた事があるとか……あ、犯人うちの妹でした! スミマセン!)
優花はヒクヒクと頰を引きつらせながら、なるべく穏便に話を進めるべくクロウを宥めた。
「あの、逃げるとか、そういうのじゃなくてですね……」
「逃げるつもりがないなら、連絡なんて必要ないよなぁ?」
必要でしょ!! あちこちに迷惑かけてんだから、連絡は必要でしょうが!! ……という叫びを、優花はグッと堪えた。とにかく、今はこの男を刺激してはいけない。
なんとか穏便に穏便に……と必死に自分に言い聞かせている優花の前で、クロウは歯軋りをしながら呟く。
「やっぱり、足ぐらい折っておかないと駄目か……」
(なんか物騒なこと言いだしたーーーーー!!)
声に出さず絶叫する優花の前で、ブツブツと不穏な独り言を口にするクロウの目は、完全に据わっていた。
「……いや、足を折ると『パーティ』に支障が出るし……それなら喉を潰して……」
足を折る、喉を潰す……それはきっと言葉だけの脅しではないのだろう。この男はきっと本気でやると言ったらやる。
(やばいやばいやばい、やっぱこの人おかしい!)
恐怖のあまり、優花の足が一歩後ろに下がる。それを見たクロウが、キリキリと眉を釣り上げた。
「……やっぱり逃げる気か」
「足を折るとか喉を潰すとか言われたら、誰だって逃げるわよ!」
「やっぱり逃げる気だったんだな!」
会話が成立しているようでしていない。優花はいよいよ追い詰められ、クロウに手首を掴まれた。ここに連れてこられるまでの間、乱暴に掴まれていたせいで、優花の手首には青黒い痣ができている。そこを再び強く捕まれ、優花は痛みに悲鳴をあげた。
「い、痛いっ、離してっ……」
「離したら逃げるんだろう?」
「に、逃げないって……」
「さっき逃げるって言った」
手袋に覆われた手が、優花の首にかかり、グイと食い込む。
──本気だ。この男は本気で優花の喉を潰す気だ。
全身の血がサァッと足元に引いていき、そして次の瞬間、波のごとく一気に頭に向かって上っていく。
強い、怒りで。
このままやられるぐらいなら──無意識に握った拳を優花は振り上げる。そうして、憎々しげに自分を睨むクロウの目に、親指を立てた拳を振り下ろそうとした、その時。
「あっれー? もしかしてお楽しみ中だった? 自分から呼びつけておいた癖にやめてよね、そういうの。誰かさんがすぐに来いって言うから来てあげたのに」
オートロックの筈の扉が開いて、誰かが室内に入ってきた。中性的な雰囲気の若い男だ。恐らく、このホテルのスタッフではなく、先程クロウが電話で呼び出していた相手なのだろう。
優花の喉を潰そうとしていたクロウは優花の首を絞める手を緩めると、血走った目で男を睨んだ。
「おい、笛吹っ! 書類は持ってきたか!?」
「そりゃ、持ってきたよ。持ってこなくちゃオレが来た意味ないじゃない」
「それよこせ! すぐにだ! ペンも貸せ!!」
「はいはい」
笛吹と呼ばれた男が書類とペンをテーブルに置くと、クロウは優花の手にペンを無理やり握らせた。そうして、優花がペンを手放せないように上から押さえつける。その姿はやけに必死で余裕がない。
「契約書だ。ここにサインしろ。今すぐ」
優花は確信した。クロウは何かを焦っている。恐らく、優花に逃げられると困る理由があるのだ。それこそ、足を折って喉を潰して、逃げられないようにしようと考えるほどに。
だが、その理由を追求して、自分が有利になるよう交渉をしようという気にはならなかった。
そもそも全ての元凶は美花が逃げ出したことにあるのだ。ならば、優花にできることはただ一つ。
姉として、美花の代役を務めることだけだ。
「……そこにサインしたら、あんたは満足するわけ?」
もはや敬語を使う気も起きず、強い口調で言うと、ギラギラした目で睨まれた。負けるもんか、と優花はクロウを睨み返す。
そのまま無言で睨み合うこと数十秒。
「……サインするから、手、離して」
「…………」
ゆっくりとクロウの手が離れるのを確認し、優花は契約書の署名欄にサインをした。
途端、またクロウに手を強く掴まれる。そうしてクロウは優花の指に唇を寄せ──思い切り歯を立てた。
「──っ!!」
ブツリと皮膚が破け、やがてジワリと血が滲み出せば、クロウはその血を優花の指に塗り広げ、そして契約書のサインの横に無理やり押し付けた。
今時、本気で血判をする人間がいるなんて……と呆れる優花には目もくれず、クロウは契約書を笛吹に押し付ける。
「ははっ、ははは! これで契約は成立だな!」
まるで人間と契約した悪魔みたいにクロウが笑い出せば、笛吹は心底侮蔑の目でクロウを見て、契約書を鞄にしまった。そして、早く帰りたいという態度を隠そうともせず、立ち上がる。
「はいはい御苦労様。それじゃあ再契約も終わったし、オレはもう帰っていい?」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいっ!!」
優花は慌てて笛吹の服の裾を掴んだ。美花の代役に関することは、全て笛吹に聞けと言われているのだ。それなのに説明も無しに帰られては困る。なにより、クロウと二人きりになりたくない。
だが、笛吹は服を掴む優花を汚いものでも見るかのような目で見下ろし、乱暴に振り払う。
「離してくれる? オレ、生きてる人間に興味ないんだよねぇ。正直、触られるのも気持ち悪いんだけど?」
(うわ、この人もちょっと頭がおかしい人だった)
失礼極まりない感想をグッと飲み込み、優花は真摯な態度で笛吹に言い募った。
「美花の代役の……お仕事の内容を、あなたから聞くように言われているんです」
「はぁ? なんでオレがそんなことしなくちゃいけないわけ?」
笛吹は女性的な美しい顔を露骨に嫌そうにしかめる。そんな彼をクロウがじとりと睨んだ。
「お前、運営委員会だろうが。仕事しろ」
「普通はパートナーが説明するものだよね? ていうか、先に説明して同意を得てから、契約するのが普通だと思うけど?」
「生憎と急だったものでな。説明をする時間が無かったんだ」
運営委員会、パートナー、新しい単語に優花は眉をひそめた。
てっきり風俗店の類かと思っていたのだが、もしかしたら何かのイベントがあるのかもしれない。
クロウと笛吹はしばし睨み合っていたが、やがて笛吹の方が先に折れた。笛吹は芝居掛かった仕草で首をやれやれと横に振り、ため息混じりに呟く。
「あーあ、これだからこの地区の担当は嫌なんだよ。君と言い、ウミネコと言い、面倒な奴が多くて本当に困るよねぇ」
笛吹はソファに座り直すと、優花に顎をしゃくって「座れば」と促した。優花はおずおずと笛吹の向かいのソファに座る。クロウは黙って優花の隣に足を組んで座った。
「いいよ、説明してあげる。オレは『フリークス・パーティ』運営委員会、東日本地区担当の笛吹。どこから説明してほしい?」
「どこからと言うか……最初っからお願いします。フリークス・パーティって何ですか?」
組んだ足の上で頬杖をついていた笛吹は、カクリと肩を落とし、長い睫毛を上下させて優花を見た。
「君さぁ、本当に何も聞いてないの?」
「私が失踪した妹の代わりに仕事をする、という話だけ……」
そう言ってちらりと横目で隣に座るクロウを見るが、クロウは腕組みをしたまま何も言わない。どうやら、説明の類は全て笛吹にさせるつもりらしい。
笛吹は細い指先に横髪をくるくると巻きつけながら、哀れみの目で優花を見た。
「オレは生きてる人間は嫌いだけど、君にはちょっとだけ同情してあげるよ。かーわいそー」
最後の一言は棒読みだった。この人もクロウとは違う意味で性格が悪い、と優花は静かに確信する。
笛吹はぐっと胸をそらして両手を広げ、綺麗な顔に天使のような笑みを浮かべ、告げた。
「フリークス・パーティって言うのはね──バケモノ達の殺し合いさ」
「……はい?」
「パーティはパーティでも、舞踏会って言うよりは武闘会って感じかな。武器の持ち込み有り、殺し有りのデスマッチ。一勝するごとに五百万円のファイトマネーを相手から奪える。優勝すればファイトマネーとは別に、大会本部から賞金として一億円貰えるよ」
「……い、一億円っ!?」
桁違いの金額に目を剥く優花だったが、隣に座るクロウは冷めた態度で鼻を鳴らしていた。
「お前ら運営側の懐に入る賭け金に比べりゃ、はした金だろーよ」
「そうだね。兆単位の金が動くから」
もはや次元が違う。下手をしたら国家予算クラスではないか。
「……そんな大規模なイベントで、こ、殺し合いなんて……警察は……」
笛吹はニッコリと綺麗な笑みを優花に向けた。大抵の女性なら頰を染めそうな美しい笑顔は、だがしかし、冷めた目が優花のことを嘲笑っている。
「この国の治安に懐疑心を持ちたくないなら、その辺の事情は知らない方が幸せだよ?」
「……その一言で充分よく分かったわ」
警察の上層部は買収済み。下手をしたら、グルの可能性もある。警察に駆け込んで助けを求めるのは無駄なのだと、優花は改めて思い知らされた。
「キミ、頭悪そうに見えて、案外物分かりがいいじゃない」
笛吹はクスクスと笑って、鞄からホッチキスで留めただけの薄い冊子を取り出した。どうやら、フリークス・パーティの規約らしい。
「これあげる。ちゃんと中に目を通しておいてね」
「……パーティなのに、規約なんてあるんですか」
「パーティに必要なのはルールよりも、マナーだと言いたいのかな? フリークス・パーティは世界中に出資者がいる。特に欧米の上流階級の人間がすごく多いんだよねぇ。だから、そういう人達を喜ばせるためにパーティって名目にしてるだけ。実際は莫大な金が動くバケモノバトルショーだよ。だからこそ規約がいる」
笛吹はまるで自分の発言が面白くて仕方がないとばかりに、クツクツと喉を鳴らして笑っていた。
クロウが暴力に慣れている人間なら、笛吹は他者を見下すことに慣れている男だ、と優花は密かに思う。彼は優花もクロウも含めて、パーティに関わる者全てを見下し、嘲笑っているように感じる。運営側の人間でありながら。
「高貴な身分の方々はバケモノ達の殺し合いをパーティだと言って、それはそれは楽しそうに観戦するわけさ。なかなか良い趣味だと思わない?」
「……吐き気がするわ。殺し合いを見て喜ぶなんて、どうかしてる」
苛立ちを隠さず吐き捨てる優花に、クロウが「正常な感覚だな。羨ましい限りだ」と小さく呟いた。嫌味というよりは、ぽろりと本音が零れ落ちた……そんな、乾いた呟きだ。
「もっとも、その正常な感覚じゃあ、これから先はキツいかもしれないな。なんてったってお前は、このパーティにオレのパートナーとして参加する『姫』だからな」
「私に殺し合いに参加しろってこと!?」
優花が叫んでも、クロウは表情一つ変えない。これについて説明してくれたのも、やはり笛吹だった。
「間違ってはないけど、少し違うかな。フリークス・パーティは年に二回、春と秋に行われる。春に行われるのは個人戦。通称シングルバトル。そして、今回……秋に行われるのがペアバトル。春の個人戦は普通の武闘会って感じだよ。一対一で戦って、最後まで立ってた方が勝ち。あ、ちなみにそこの彼は個人戦も何回か経験してるよ。最高成績は個人戦だと準決勝……だっけ?」
そこの彼、と言って笛吹が指さしたのはクロウだった。個人戦で準優勝ということは、彼はそれなりに強いということだろうか。確かに暴力慣れしている雰囲気はあるが……と優花がチラチラ見ると、クロウはぞんざいに片手を振った。
「オレのことはどうでもいい。説明を続けろ」
「はいはい。続きだけど、秋に行われるペアバトルは、ルールがシングルバトルの時とは異なるんだ。ペアバトルはね、騎士と姫のペアで参加しないといけない」
ここにきて、ようやく「姫」という単語が出てきた。つまり、優花は姫、クロウは騎士として、ペアで参加するということなのだろう。
優花はごくりと生唾を飲み、笛吹の説明に耳を傾けた。多分、ここからが一番重要なところ──優花の勤める「代役」に関係するところだ。
「騎士は男でも女でもどっちでも良いけど、姫は必ず女でないと駄目。それと、騎士は武器の持ち込みは自由だけど、姫は武器を持ち込めない。だから、戦うのは基本的に騎士だけ」
「……戦うのが騎士だけなら、姫が参加する意味、ないじゃない」
「話は最後まで聞きなよ。ペアバトルの勝敗だけどね、騎士が死んだ時、或いは戦意を喪失した時、そして、姫が死んだ時に勝敗が決定する。……この意味分かる?」
優花は笛吹の言葉の意味を頭の中で整理する。
まず第一に勝敗が決定する条件は三つ。
・騎士が死んだ時
・騎士が戦意喪失した時
・姫が死んだ時
そして、勝敗を決定する条件に姫の戦意喪失は含まれない。
(ということは、つまり……)
優花はペロリと唇を舐めると、慎重に口を開いた。
「騎士はギブアップする権利があるけど、姫には……その権利がない」
「そういうこと。だから、騎士同士の戦いに自信が無い奴は、相手の姫を殺せば良いのさ。そうすれば、相手の騎士に勝てなくても勝利できる。騎士同士が戦うだけのシングルよりも、ペアバトルの方が戦略性が求められるんだよねぇ。騎士を倒すよりも、弱い姫を狙った方が効率が良いから……あ、ちなみにキミのパートナー、ペアバトルは優勝経験もあるよ。有望株がパートナーで良かったね?」
「なに……それ……っ」
もし、騎士が全員戦闘慣れしているのなら、騎士の戦意喪失や死亡を狙うより、無力な姫を狙う方が簡単に決まっている。
次第にこのパートナーバトルの本質が見え始め、優花は戦慄した。
「姫の役割は試合を盛り上げるための生贄ってこと。戦場に捧げられた哀れなお姫様にできることは、ただ一つ。敵に殺されないように逃げ回る。ただ、それだけ」
理解できた、哀れなお姫様? と笛吹は優花の顔を覗き込んで囁く。優花は思わず笛吹を睨みつけた。
「ふざけないで!!」
頭が煮えたぎっていた。それなのに、腹の奥は冷たい鉄の塊を飲んだみたいにずっしりと重く、冷たい。胃がグルグルして気持ち悪い。
「相手のパートナーの女の子を殺せば勝ちですって? あんた達、みんなおかしいわよ! そんな簡単に殺すとか、殺さないとか……っ」
「ペアバトルの方が観客のウケも良いんだよ。なんでか分かる?」
優花を見る笛吹の目は、どこまでも穏やかに優しく……嘲笑っていた。
こんなにも優しい顔で他者を馬鹿にできる人間を、優花は他に知らない。
「みんな、若い女の子が泣きながら逃げ惑い、命乞いをするところが見たいんだよ。そして何より、その断末魔が聞きたいのさ」
「どいつもこいつも馬鹿じゃないの!? 正気の沙汰じゃないわ!!」
「でも、キミはその狂気の沙汰に参加するんだよ。そこのクロウのパートナーとして。君、もう書類にサインしちゃったんだもの。今更、やりたくありませんって言っても駄目だよ」
そう言って笛吹は、契約書の入った鞄を胸に抱き寄せた。
「契約書にサインした以上、君はもうこのパーティから逃れられない。もし、このパーティの存在を表沙汰にするような裏切り行為をしたら……君だけじゃなくて、君の家族にも制裁を与えることになるかな。可愛い弟君が二人いるんだっけ?」
「なんで、そのことを……っ」
「なんでだと思う?」
優花は笛吹とは初対面。それなのに何故、笛吹は弟達のことを知っているか……考えられる理由は一つだけだ。
「……美花、ね」
笛吹はニコニコしながら、パチパチと拍手をしてみせた。なんとも白々しい。
「その通り。オレ達『運営委員会』は、いざという時の裏切り防止のため、パーティ参加者の素性をチェックしている。勿論、本来クロウの姫になる予定だった如月美花も例外じゃない」
笛吹はニヤニヤ笑いを浮かべたまま、下から優花の顔を覗き込む。
──あぁ、その綺麗な顔に頭突きをしてやれたら、どんなに爽快だろう!
笛吹は、優花がそんな葛藤をしているなんて、露ほどにも思っていないのだろう。どこまでもどこまでも相手を馬鹿にするようなねっとりした口調で、言葉を続ける。
「君達は本当に運がいいんだよ? 如月美花がクロウを裏切って契約放棄した時点で、本来、君達家族は見せしめに消される予定だったんだ。だけど、君が如月美花の代わりにクロウの姫になることで、首の皮一枚で繋がった……執念で君を見つけ出したクロウに感謝するんだねぇ」
もし、このまま美花が見つからず、そしてクロウが優花と契約を結んでいなかったら……そんなもしものことを考え、優花はぞっと背すじを震わせる。
笛吹は、そんな優花の葛藤が楽しくて仕方がないとばかりに、ニコニコしながら優花の肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、せいぜいオレ達を裏切らないで、大人しく姫の役割を全うしてくれる? そうすれば、オレ達も君の家族を手にかけないで済むし……ね? さぁ、自分の置かれた状況は理解できたかな、プリンセス・サンドリヨン」
「……サンドリヨン? なにそれ?」
「君の名前。まぁ、プロレスで言うリングネームみたいなものだね。フリークス・パーティでは男性が鳥の名前、女性は童話の女の子の名前を名乗るのが慣習なんだ」
何故、鳥と童話という組み合わせなのか理解に苦しむが、ようやく合点がいった。クロウというのは、やはり本名ではなかったのだ。
「……サンドリヨンって、シンデレラのことよね? ……私がそれを名乗るの?」
「非合法の殺戮パーティーで本名晒したいなら、止めはしないけど」
うぐっ、と口ごもると、今まであまり口を挟まずに様子を見ていたクロウが口を挟んだ。
「灰かぶりか。まぁ、こいつにはお似合いの名前だな」
自分は鴉なことを棚に上げて、結構な言い様である。
まったく、何から何まで納得がいかないことばかりだ。それでも、優花には従う以外に道は残されていない。
(それなら、腹をくくるしかないじゃない)
優花は膝の上でギュッと両手を握りしめ、腹に力を込めて自分に言い聞かせる。
──絶対に生き残ってやる、と。
「オレからの説明はこれで終わりだよ。パーティの開催は二週間後。それまで、せいぜい余生を楽しんでね」
「余生って……死ぬこと前提ッ!?」
「あぁ、ごめんごめん。君は悪運強そうだし、もしかしたら生き残れるかもね。それじゃあ、バイバイ」
笛吹はヒラヒラと手を振ると、スタスタと早足で部屋を出ていってしまった。
またもやクロウと二人きりになってしまったのは気まずいが、正直、笛吹が部屋を出て行ってくれて、優花はホッとした。
綺麗な笑顔で他者を見下し、ねっとりと嬲り嘲る……正直苦手なタイプだ。寧ろ、いくら顔が良いからって、あの性格の悪さを一ミリも隠そうとしない男を好きだという奴がいるのなら教えてもらいたい。
ソファにもたれてぐったりとしていると、クロウは優花の前にミネラルウォーターの瓶を置いてくれた。小声で礼を言って瓶の中身を煽ると、クロウはどことなく機嫌良さそうに立ち上がる。
「それを飲み終わったら、オレの家に移動するぞ」
「なんで?」
笛吹の説明によれば、フリークス・パーティは二週間後。ここは「それじゃあパーティ当日に会いましょうね、はい解散!」となる流れではないだろうか。
だが、クロウは大真面目な顔で優花を見て、言う。
「お前は今日から俺の家で暮らすんだよ」
「はぁっ!? なんでよ!? 家族人質に取られてんだから、今更逃げたりなんかしないわよ!?」
そろそろ色々と取り繕うのが面倒になってきた優花が敬語をかなぐり捨てて叫ぶと、クロウは笛吹が置いていった規定の冊子を優花の眼前に突きつけた。
「規定だ。フリークス・パーティ諸規定第二章三項、騎士と姫はパーティ開始の前日から数えて、二週間以上寝食を供にした者でなくてはいけない」
「…………」
笛吹が残していった分厚い規定集をパラパラとめくると、確かに一字一句違わず記載されていた。
(なにこの面倒くさい規則!)
「つまり、大会直前につかまえた適当な女を姫にすることはできないって訳だ」
「な、なるほど……」
「ちなみに大会は十月十五日から。今日は九月三十日……期間はギリギリだ」
だから、クロウはあんなに焦っていたのだ。優花が了承しないと、フリークス・パーティに参加できなくなってしまうから。
それでも、優花には優花の生活があるのだ。
「私、明日も仕事が……」
「笛吹が手を回している。問題ない」
「でも、着替えとか取りに行きたいし……」
「必要な物は全てこちらで揃える。服でも靴でも化粧でも、好きな物を買えばいい」
「せめて、弟達に事情を説明する時間を……」
「そんなの電話ですればいい」
優花の反論をクロウはポンポンと封じ込め、優花の手を取る。仕草だけなら、まるで騎士が姫にするみたいなのに、どこまでも尊大な態度で。
「反論は終わりか? なら、もう行くぞ」
こうして優花はこの男との二週間の共同生活(同棲とは言いたくない)を余儀なくされたのだった。