【5-4】代償
「たっだいまー。無事、生還したぞー」
ヒラヒラと手を振りながら駆け寄ってくるウミネコを、クロウと燕は無言で出迎えた。
「なんだよ、お前ら、テンション低いなぁ。せっかくの凱旋なのに」
ぶぅぶぅと唇を尖らせる仕草は、無邪気な少年そのものだが、彼の中身を知っているととてもではないが微笑ましい目で見ることはできない。
エリサが静かにツッコミをいれた。
「ウミネコさんはもうちょっと、自分の言動を振り返るべきです。正直、さっきの色々とギリギリでした…………隠れてて良かった」
エリサは「え〜?」と不満の声をあげるウミネコを黙殺し、クロウと優花に目を向ける。
「次はお二人の試合ですね。そろそろ控え室に移動する時間じゃないですか?」
その言葉にウミネコはポンと手を叩く。
「あっ、そっか。クロちゃんもうすぐ試合だもんな。緊張してんのか!」
クロウのテンションを下げた張本人は爽やかな笑顔でそう言い放った。クロウがじとりとした目で睨んでも、まるで気にした様子もない。
「クロちゃん、がんばれよー。オレはここで応援してるなー」
いずれにせよ、そろそろ移動する時間だったので、クロウは優花に「行くぞ」と声をかける。
優花がクロウの後をついていくと、エリサ、燕、サンヴェリーナが声援を送ってくれた。
「ご武運を」
「全力を尽くすが良い」
「どうぞ、お気を付け下さいませね」
彼らの声を聞きながら、優花は服の胸元を握りしめる。
……いよいよ、自分の番が回って来たのだ。
クロウが自分の素性を話してくれた日、優花は宣言している。
クロウが誰かを殺そうとするなら、全力でそれを邪魔する、と。
その宣言を翻すつもりはない。優花は絶対に、クロウに誰も殺させたりしない。
ヒバリと対峙していたサンヴェリーナは華奢な体で、それでも屹然とした態度を崩さなかった。
例え戦闘に参加できなくても、彼女は自分にできる最大限のことをして、燕に尽くしていた。
あんな風に、強く振舞えるかどうかは分からない。それでも、優花は自分にできることをやりたい。
「行くぞ、サンドリヨン」
「……うん」
もう、後には引けないのだ。
* * *
『さぁ、次の試合は皆さんお待ちかね! 開会式でイーグルに挑戦状を叩きつけた、あの男! 〈凶鳥〉クロウの登場だーーー!! 寄り添う姫君は、イーグルの姫オデットの姉君、プリンセス・サンドリヨン!!』
眩しいぐらいのスポットライトが優花達に向けられる。
試合会場は野外ではなく、中央スタジアム。
観客席を見れば、ウミネコ、エリサ、燕、サンヴェリーナが小さく見えた。目を凝らせば、手を振ってくれているのが分かる。
観客席はウミネコの試合の熱狂とは違う、物珍しいものを見るような好奇の眼差しで溢れかえっていた。人の数も多い。観客席はほぼ満席だ。
観客席をぐるりと見回したクロウは舌打ちをする。
「……ちっ、開会式のアレで、変な注目を浴びちまったようだな」
開会式のアレ……つまりは、イーグルへの宣戦布告だ。あれは今思い出しても恥ずかしい。
あの時のことを思いだして、優花が頭を抱えていると、クロウが優花の腕を掴んで自分の方に引きよせ、ほっかむりの布を軽く引っ張った。
「何すんのよ」
「これ、もっとちゃんとかぶれ。あまり、人前で顔をさらすな」
どうやらクロウはよっぽど不細工なパートナーの顔を晒したくないらしい。
はいはいはいはい! と優花は舌打ちをしながら、言われた通りに、ほっかむりを少し下げて顔を隠す。どう見ても姫の格好じゃない。
『さーて、クロウ・サンドリヨンコンビに対するは〈翡翠の貴族〉ピーコック! パートナーはトラヴィアータ!』
ステージの反対側から上ってきたのは、二十代半ば程度の男と、それより少し年嵩の女だった。
男の方は女のように髪を長く伸ばしており、騎士の服の上からファーのストールを肩に引っ掛けている。顔立ちは中性的で華やかな美しさだが、手に持っている黒革の鞭が不穏だ。
一方、女は緩く波打つチェリーブロンドをボブカットにした美人だった。ボディラインの出るワインレッドのドレスを身につけ、胸元に椿の花を一輪飾っている。
美しい容姿の男──敵の騎士ピーコックが両手を広げ、芝居掛かった仕草で話しかけた。
「やぁ、久しぶりだねぇ、子ガラスちゃん。初戦の相手が君だなんて、なんて美しくない幕開けだろう。ゴミ漁りが趣味のカラスと一緒の舞台に立つなんて、これ以上の悲劇があるかい!」
どうやらクロウとは面識のある騎士らしい。クロウはケッと舌打ちをすると、悪態に悪態を打ち返す。
「そんなにオレと一緒の舞台に立つのが嫌なら、とっととそこを降りちまえよ。ピーチクさえずるだけが能のザコ鳥が」
「あぁ、あぁ! 君が話す言葉は、相も変わらず美しくない言葉ばかりだ。耳が腐りそうだよ。それになんだい、そのみすぼらしい格好の女は。それが君の姫?」
ピーコックは長い睫毛に縁取られた目で優花をちらりと見ると、おぉいやだと大袈裟に首を振った。
「まぁ、ゴミ漁りが趣味のカラスさんには相応しいプリンセスかもしれないけれど、できれば僕の視界には入らないでくれるかい?」
はいはい、どうぞ私のことはいないものと思って、視界に入れないでくださいネー……と優花は声に出さずに呟いた。
ピーコックの言い分には腹が立つが、人の頭に灰皿の中身をぶちまけた男よりはマシである。
そんな人の頭に灰皿をぶちまけた男は、ピーコックに負けじと敵の姫──トラヴィアータに言及した。
「ふん、お前の姫こそ……『椿姫』だと? 童話じゃなくて、オペラじゃねぇか」
女は特に気を悪くした様子もなく、赤いルージュに彩られた唇に薄い笑みを浮かべてクロウを見返した。
「あいにくと、童話のお姫様を名乗れるような年でもなくてね。アタシみたいな年増女がプリンセスだなんて、痛々しいだろう? ……まぁ、ヴィオレッタ・ヴァレリーも、アタシには大役すぎるけどね」
トラヴィアータの言葉に、クロウは少しだけ毒気を抜かれたような顔をする。
「……ふん、ピーコックの姫にしてはまともだな。そいつが連れてる歴代の姫は、アホみたいに飾り立てられてたもんだが」
これに反応したのはピーコックだ。彼は眉を釣り上げると、クロウではなくトラヴィアータに詰め寄って喚き散らす。
「ほら! 聞いたかい、トラヴィアータ。やっぱりもっと華やかなドレスにするべきだったのさ! せっかく、この美しく華麗な僕に並んでも見劣りしないぐらいの華やかなドレスを用意してあげたのに!」
トラヴィアータは熱のない目でピーコックを見返すと、肩を竦める。それと同時に視線を斜め下に流し、軽く首を傾げて大振りの耳飾りを揺らした。そんな一連の仕草が、とても様になっている。自分の魅せ方をよく分かっているのだろう。
「あんたの横に並ぶアタシまで着飾ったら、目に痛くて仕方がないだろう。お洒落は算数と同じさ。あんたは何かとプラスしたがるから、アタシはマイナスぐらいで丁度良い」
『おーっと、試合前から緊迫した空気が漂ってます! これは、ますます盛り上がりそうだー!! 更に更に! ここで、ステージを盛り上げる為の特殊アイテムを紹介しよう! 今回のギミックはこれだー!!』
今回のステージは円形ではなく、十メートル四方の闘技場だ。その両端にバスケットボールのゴールぐらいの物が、布をかぶせた状態で設置されていた。
その布が外されると、そこから現れたのは……中世の処刑器具ギロチンだ。
スタッフが優花の両端に立って「姫はこちらへ」とギロチンの方へと連れて行く。トラヴィアータも同様だ。
「ちょっ、まさか……っ!?」
優花とトラヴィアータはギロチン台の前に跪かされ、木の枠に頭と手首を固定される。ガコンという音がして木の枠がネジで固定された。
『このギロチンは一本のロープで刃が固定されており、このロープを切り落とせば、ギロチンの刃が落ちる仕組みになっています! 戦闘中、このロープを切り落とせば……そこで騎士の勝利は確定です!!』
ザァッ、と優花の全身から血の気が引いた。
自分の頭上にあるロープ……これが切れたら即死。
(しかも、これじゃあ、私、試合終了まで身動きが取れないじゃない!!)
ギロチン台にかけられ青ざめる優花を見下ろすクロウは、薄い笑みを浮かべていた。
「……好都合だ。これなら、お前が不用意に動き回る心配もない。そこで大人しくしてろ」
「できるかぁぁぁっ!!!」
喚きながら手足をバタつかせる優花にクロウは無言で背を向ける。
『それでは試合開始です!』
クロウとピーコックが互いの武器を構えた。
クロウの武器は槍、ピーコックの武器は鞭。
だが、クロウは服の中にスローイングナイフを何本か隠し持っていることを優花は知っていた。
たまにダーツみたいに壁の的目掛けて投げて遊んでいるのを見かけるのだが、精度は恐ろしく正確だ。普段は箸もろくに使えないほど不器用な癖に。
今もクロウは槍を使うと見せかけて懐から数本の細いナイフを取り出し、トラヴィアータを拘束するギロチンのロープめがけて投げつけた。それをすかさず、ピーコックが鞭で叩き落とす。
「君は相変わらず手段を選ばないね。僕と戦わず、いきなり姫狙いかい?」
「この状況だと、その方がてっとり早そうだからな。お前を殺すより、ロープ一本切断する方が簡単だ。逆にお前の鞭でロープを切るのは手間だろうけどな」
クロウが手元のナイフをチラつかせると、ピーコックが鞭を振り上げた。
「自分の方が有利だと言いたいのかな? 甘いねぇ、子ガラスちゃん!!」
ピーコックの鞭が風を切って唸りをあげる。その速さは、目の良い優花ですら追うことができないほどだ。
クロウは左右に跳んで、その攻撃をかわしていたが、攻撃が掠めて次第に服に血が滲み始めた。
「この攻撃をかいくぐって、僕の所まで辿りつけるかい?」
「ふん、お前の腕と集中力がいつまでもつか、見物だな」
攻撃範囲はピーコックの方が広い。もう少し距離を詰めないと槍を当てられないクロウはステージ中を飛び跳ねて、ピーコックの攻撃を避けている。
クロウは本気で、トラヴィアータのギロチンを落とすつもりだ。このままだと、トラヴィアータが殺されてしまう。
あいつに誰も殺させない! と意気込んでいたは良いものの、今の優花は全く身動きができない状態だ。
「ぐぬぬぬぬ……動けぇぇ!!!」
頭や手首を動かして何とか木の枠を外せないかと試みるが、まぁ、そうそう簡単に動く筈が……
「……ん?」
動く。ほんの少しだけど右手首を固定する木の枠が緩いのだ。
そもそもギロチンなんて前時代的な道具なので、当然、一部を除いてほとんどが木製。鉄製の拘束具に比べれば緩い。
右手だけでも動けば何とかなる。
手首の関節を外してすり抜ける、なんて映画でやってるような真似はできそうにないので、優花は地道に手首で木の枠を押し上げた。
ギシッ、と木の軋む音がする。もう少し、もう少しだ。
あと少しだけ枠が持ち上がれば……
『おぉーっと! ここで、クロウ選手が反撃に出たぁぁ!! ピーコック選手は前半に飛ばし過ぎたせいで、少し息が上がってる!! これはピンチだ!!』
クロウが槍を滑らせるように突き出す。
その攻撃をピーコックは間一髪の所でかわして、なんとか間合いを取ろうとしたが、槍の間合いから離れた瞬間にクロウはナイフを三本投擲した。
避けようとしたピーコックの動きが一瞬、不自然に止まり、ナイフの一本が、ピーコックの肩に突きささる。
「ぐっ……僕の美しい肌に傷がっ!!」
「今の攻撃、お前の足なら避けられた筈だろ? ……まぁ、避けられるわけねぇよなぁ。避けたら、ナイフがギロチンのロープを切断していたもんなぁ」
(あんの性悪っ!!)
クロウはピーコックがナイフを避けたらギロチンのロープにナイフが接触してしまう、そんな位置を狙ってナイフを投げたのだ。攻め方がえげつない。
(まずい、このままじゃ本気でクロウはトラヴィアータのギロチンを落としかねない……っ、早く! 早く! 動け! 私の右手!!)
ギシッと軋む音がして右手のネジが緩む。ほんの少しだけ木の枠が持ちあがったので、優花はその隙間から強引に右手を引き抜いた。
手の皮膚が擦れて痛んだが、これで右手は自由だ。
少し不自然な体制故にに苦労しつつ、優花は自由になった右手で手早くネジを緩めて、左手首と頭も解放する。
──これで完全に自由だ。
まずは、トラヴィアータをギロチンから解放するべく、優花は目立たぬように移動を始めた。トラヴィアータが拘束されているギロチンは優花のギロチンの反対側。つまり、戦闘中のクロウとピーコックの横を大きく迂回しなくてはいけないのだ。目立つわけにはいかない。
『おぉーっと!? これはまさかの事態発生!! いつのまにやら、サンドリヨンがギロチンから解放されている!?』
(あの実況っ!! 余計な事をーーー!!)
気づかれてしまった以上、忍び足には何の意味もない。優花は死に物狂いでトラヴィアータの元へ向かって走った。そんな優花の背中にクロウが怒鳴る。
「馬鹿っ、動くなっ!! どこ行く気だこらぁぁぁ!!」
「あんたの言葉なんて聞くわけないでしょ!! この外道!!」
「なんだとぉぉぉぉ!!」
叫ぶクロウの向かいで、ピーコックが形の良い唇を持ち上げてニヤリと笑う。
「飛んで火に入る夏の虫だねぇ。ここからなら、僕の攻撃が届きそうだ」
ピーコックが振り上げた鞭をクロウが「させるかっ!」と槍で牽制する。
クロウとピーコックの攻防がより一層激しくなった。それを横目に優花はトラヴィアータのギロチンまで走る。
クロウが必死の形相で叫んだ。
「サンドリヨン! その辺に落ちてるナイフで、ギロチンのロープを切れ!」
「やるわけないでしょ馬鹿!! 外道!! 鬼畜!!」
「馬鹿野郎っ! 殺されたいのか!」
「殺すのも殺されるのもゴメンだっつってんのよ、馬鹿!!」
トラヴィアータのギロチンに辿りついた優花は、彼女を固定する木枠のネジを緩めて、木の枠を外した。
「大丈夫!?」
「……あぁ、ありがとう」
トラヴィアータは優花に礼を言うと、よろめきながら立ち上がる。優花はトラヴィアータを支えようと手を差し伸べた。トラヴィアータはそんな優花の手を取らず、そのままドンと優花の胸を突き飛ばす。
「……ぇ」
後ろ向きに数歩よろめいた優花の足を、トラヴィアータがすかさず払った。惚れ惚れとするほど美しいダンスのような裾さばきで。
仰向きに倒れた優花が後頭部を打ち付け呻いていると、トラヴィアータが馬乗りになり、優花の首を絞めあげる。
「馬鹿な子だね。相手の姫を助けたら、こうなるって予想もしなかったのかい?」
首を絞める手に力が籠る。苦しい、息ができない。
霞む視界の中、床に落ちていたクロウのナイフをトラヴィアータが拾い上げるのが見えた。
照明を浴びて光るナイフが、優花の頭上にかざされる。
トラヴィアータは無表情に優花を見下ろし、告げた。
「さようなら、無知で愚かで……そして優しいお嬢ちゃん」
──殺される。
鋭いナイフが優花の喉目掛けて振り下ろされようとしたその時、トラヴィアータは優花の首から手を離して横に跳んだ。
一瞬遅れてトラヴィアータがいた場所を黒い風が駆け抜ける──クロウの槍だ。
クロウが槍投げの要領でトラヴィアータめがけて槍を投げつけたのだ。
結果として武器を失ったクロウの背中にピーコックの鞭が振り下ろされる。
クロウの背中がズタズタに裂け、破れた服の隙間から血のにじんだ皮膚と黒い羽が見えた。
クロウが一歩動くと、黒い羽が血の滴とともに床に落ちる。それでもクロウは動きを止めない。
服の袖からまるで手品のように数本のナイフを取り出し、トラヴィアータへ投げつける。
明らかに殺意の籠ったその攻撃をトラヴィアータは素早くかわした。
かわしきれない数本は、驚く事にドレスの裾をバサリと翻して、スカートで地面に叩き落とす。
「良い動きだ」
無表情に褒めるクロウに、トラヴィアータが頰に汗を滲ませながら不敵に笑う。
「お褒めに預かりどうも……だけど、フリークスとまともにやりあえる程でもないんでね。引かせてもらうよ」
「させるか!」
ピーコックの元へ駆け寄ろうとしたトラヴィアータにクロウが斬りかかる。
ピーコックとは距離が離れているから鞭は届かない。
トラヴィアータの背中に槍が振り下ろされるのを、優花は呆然と見ていることしかできなかった。
「殺しちゃ駄目ぇぇぇっ!!」
槍はトラヴィアータの背中を斬りつけたかに見えた……が、違う。
距離を詰めたクロウは、槍の柄でトラヴィアータの喉を締めあげたのだ。閂のように。
首を圧迫されて身動きがとれないトラヴィアータの背後で、クロウはナイフを彼女の顎に突き付ける。
「ピーコック、三秒以内に降伏しろ。しなければ、この女を殺す。三、二……」
「審判、僕の負けだ」
ピーコックは静かに負けを認めた。
審判の海亀がクロウの勝利を宣言する。
「勝負有り! 勝者、クロウ!!」
* * *
『決まったぁぁぁ!! クロウ選手、間一髪でサンドリヨンを助け出し、見事ピーコック選手に勝利しました!!』
実況のドードーの声を聞きながら、サンヴェリーナは胸を撫で下ろした。
「あぁっ、良かった! お兄様、クロウ様が勝ちましたわ!」
「……うむ。だが、これは……」
言葉を濁す燕の横で、ウミネコがぼそりと呟く。
「ちょっとまずい、かも」
ウミネコはポケットから日程表を取り出して、そこに記載されている第二試合の日程を確認した。そして「あぁ、やっぱり」と呟き、日程表を指で叩く。
「クロちゃん、第二試合が明後日なんだよ」
フリークス・パーティの経験が多いサンヴェリーナは、すぐにウミネコが言わんとしていることを察して青ざめる。少し遅れてエリサも、同じことに気づいたらしい。
「つまり……第二試合までに、クロウさんは怪我を治さないと……」
ウミネコは日程表をクルクルと丸めてポケットにねじ込みながら頷く。
「この試合は無傷で勝たないとまずかったんだ。いくらクロちゃんの回復力が高くても一日であの傷を治すのはきつい。それに……」
それ以上にまずいのは、体の傷ではない。
スクリーンの中では優花が呆然とした顔でへたりこんでいた。そんな優花の腕をクロウが乱暴に掴んで歩き出す。
(……これって、結構まずいんじゃね?)
* * *
クロウは恐ろしく強い力で優花の腕を掴みながら、早足で通路を歩いていた。
クロウは何も言わない。優花も何を言えば良いのか分からず、ただ大人しくついていく。
前を歩くクロウの背中は血で汚れて酷い有様だった。羽も数本取れかけてぷらぷらと揺れている。
(……私が勝手なことをしたからだ)
だから、クロウは無茶をして怪我をした。
(じゃあ、あのままじっとしていれば良かったの? トラヴィアータが殺されるかもしれないのを黙って大人しく見ていれば良かったの?)
優花は誰も死なせたくなかった。
そのためだけに動いた結果、トラヴィアータに殺されかけて、クロウは優花を助けるために怪我をした。
──私がやったことって、何?
控室に着くなり、クロウは優花の頬を容赦無く叩いた。
クロウに頰を叩かれるのはこれが二回目だ。
初対面の時も、いきなり引っ叩かれたことを頭の隅でぼんやり考えていると、クロウが低い声で呻く。
「……お前は何を考えてんだ」
優花は何も言わない。言えない。
「オレに誰も殺させねぇってか? ははっ、それでオレが死んでも良いってか」
「それは、違っ――」
「何が違うってんだよ!!」
激昂したクロウの手が優花の首を締めあげた。
トラヴィアータに締められた時よりも更に強い力が首を圧迫する。
苦しい、というよりも痛い。窒息するより先に首の骨が折れてしまいそうだ。
「あ、ぐぅっ……」
「あぁそうだよな、お前はオレが死んだ方が都合がいいもんな。オレが死ねば、この悪夢みたいなパーティから解放されるもんな」
「違っ……そんな、こと、思って、ないっ」
必死に否定すればするほど、クロウは激高する。水色の目は正気を失い、怒りに白目が血走っていた。
「お前もオレが死ねば良いって思ってたんだよな、そうだよな、ははは、こんな化け物に振り回されて嫌気がさしたんだろ。敵の姫は助けてもオレは死ねば良いってか、そうだよな、お前にとってはその方が都合がいいもんな」
「ちがう……私は、そんな、つもりじゃ……」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! お前の言葉なんてもう聞きたくない!!」
首を絞める手に力がこもる。いよいよ優花はうめき声すらあげることができなくなった。
口をパクパクさせながら、霞む目で見上げたクロウは……なんだか、泣きそうに顔をしかめている。
「またそうやって優しい言葉をかけて誤魔化そうってか! あぁそうだよな、化け物に優しい言葉をかけりゃ、すぐにほだされるもんな!」
喉をガラガラに枯らして叫んでいたクロウだったが、急にがくりとうなだれると、消え入りそうな声でか細く呟く。
「馬鹿みたいだろ。ちょっと優しくされただけで浮かれて、絆されて、お前はどうせ、そんなオレを嘲笑ってたんだろ?」
(何を言ってるの?)
もう、声がよく聞こえない。
視界が黒くなり、意識が闇に落ちていく中、優花はクロウの声を聞いた。
「……でも、残念だったな。逃がしてなんかやらねぇよ……絶対に、な」




