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フリークス・パーティ  作者: 依空 まつり
第1章「ワンス・アポン・ア・タイム」
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【1ー3】家出少年、アンパン大使と出会う

 公園のベンチに腰かけた草太は、俯いたまま身じろぎもせずにジッとしていた。その間も、頭に浮かぶのは同じ言葉ばかり。


(……あーあ、オレ、何やってんだろ)


 オレは長男なんだから、優花姉を助けてあげなきゃ。親父や美花姉みたいにはならないぞ、といつも自分に言い聞かせていたのに、やってることは、父や美花と変わらない。

(優花姉、心配してるかな……してるよな。きっと、めちゃくちゃ心配してる)

 家に電話しようかとも思ったが、草太は今時の高校生にしては珍しく携帯電話を持っていなかった。財布も持たずに家を飛び出したから、公衆電話も使えない。

 姉に迷惑をかけたくないなら、すぐに家に帰って仲直りをするのが一番だというのは分かっている。

 それでも、家に帰って姉になんと言えばいいのかが、分からなかった。

 如月家が貧乏なのは揺るぎない事実だ。姉がやりくりに苦労していることも知ってる。

 昔、履き古したスニーカーでサッカーをやっていた草太に、優花が新品のシューズを買ってくれたことがある。その時、草太は喜ぶよりも泣きたくなった。だって、草太は知っていたのだ。草太のために姉がこっそりバイトを増やしていたことを。

 草太がサッカーをしているせいで、姉に迷惑をかけている。弟の若葉にだって沢山我慢させている。

(……それなのに、オレだけがやりたいことやってるなんて、絶対おかしいじゃんか)

「おい」

「…………」

「おい、お前」

 声をかけられているのが自分だと分かって、草太はギクリとした。深夜の公園に見るからに学生の草太が一人でいたら、補導されてもおかしくない。

 恐る恐る顔を上げると、草太を見下ろしているのはお巡りさんではなく、エプロン姿の女だった。そのことに草太は内心ホッと胸をなでおろし、女を見上げる。

「あの……なんですか?」

 女は癖っ毛をショートボブにした二十代半ば程度の女だった。動きやすそうな服の上からエプロンを身につけている。飲食店の人間だろうか。

 女は草太の顔を覗き込むと、真剣な顔で問う。

「お前、アンパン好きか?」

 なんで、アンパン? と面食らいつつ、草太は曖昧に頷いた。すると、女は機嫌良さそうに鼻を膨らませて、草太の手に紙袋を押し付ける。

「そうか、ならばこれをやろう!」

 紙袋からは、ほんのり甘い匂いがした。覗きこめば中には美味しそうなアンパンが入っている。

 夕飯を食べ損ねた草太は当然に空腹だったので、すぐにでもかぶりつきたいところだったが、イヤイヤ待て待てと自分に言い聞かせた。

 知らない人から物を貰ってはいけません、という有名なフレーズよりも先に頭に浮かんだのは……

『タダより怖いものは無し』

 実質0円! という諸々のチラシを見て、姉が口走っていた言葉である。

「あの、これ、貰えません」

「遠慮はしなくていいぞ。美味しいアンパンを布教するのは、私の使命でありライフワークだからな!」

「あの、失礼ですが……どちら様?」

 草太の問いに女は気を悪くした様子もなく、寧ろ得意げに豊かな胸をボヨンと張った。

「うむ、よくぞ聞いてくれた! 私は通りすがりの『アンパン大使』だ!」

 わざわざ二重鉤括弧を使って『アンパン大使』という単語を強調してきた女に、草太はたっぷり十秒沈黙し、相手を刺激しないよう慎重に訊ねた。

「……あの、アンパン大使って、何ですか?」

「アンパン大使とは、アンパンの素晴らしさを世に広めるべく、日夜アンパンの布教活動に励む、アンパン界の使者だ!」

 如月草太、十六歳。スポーツチームやアイドル、或いは二次元のキャラクターを友人知人から布教されたことはあるが、流石にアンパンは初めてである。

 深夜の公園で初対面の女にアンパンを布教されるというのは、なかなかに出来ない体験ではないだろうか。

(やべー、どうしよう……変な人に捕まったぞ)

 さっきまで悩んでいたことも一気に吹き飛んで、なんだからうすら寒い気持ちになった草太は、くしゃみをした。そういえば、上着も持たずに飛び出したのだ。九月と言えど、夜になれば流石に冷える。

 ぶるりと体を震わせて二の腕を擦っていると、そんな草太の頰にピトリと温かい何かが触れた。お茶のペットボトルだ。

「こっちはサービスな」

 そう言って女は草太の手に温かいペットボトルを握らせ、アンパンの紙袋をチョンチョンとつつく。

「お前、死にそうな顔してたぞ。そういう時はアンパン食え。お腹一杯になれば、大抵の悩みは解決だ」

 そんなんで解決したら苦労しねーし、とは思うものの、女の言動に草太は妙に脱力していた。きっと、温かいペットボトルのせいで気が緩んだのだ。

 草太は女から貰ったアンパンを取り出すと、バクリと大きな口を開けて齧った。美味しい。パンとあんこの素朴な甘みが、口の中を優しく満たしていく。

(……そういえば、優花姉も時々パンを焼いてくれたっけ)

 夕飯の残り物を包んだ総菜パンとか、冷蔵庫にある具を乗せただけのピザとか。アンパンも一度だけ、作ってくれたことがあった。

 あれ、美味しかったなぁ。また、食べたいな……唐突にそんなことを思った。それでも草太はいつだってそれを口にすることはできなかった。姉に無理をしてほしくなくて。

 そんなことをぼんやり考えていると、自称アンパン大使の女が鼻息荒く草太の顔を覗き込んだ。

「どうだ! うまいか?」

「……うまいけど、優花姉の作ったアンパンのがうまい」

 草太の呟きに、女はクワッと目を剥いた。

「なにぃ、これよりうまいアンパンだと……それは是非とも食べなくては! その優花姉っていうのは何者だ!?」

「……うちのねーちゃん。すげー料理うまいんだ」

「すごいな、お前のねーちゃん!」

「……うん、すげーんだ……」

 たった一言口にすると、まるで堰を切ったかのように、沢山の言葉が、感情が、草太の胸に込み上げてくる。

 ──すげーんだよ、うちのねーちゃん。だって、今のオレとたいして年齢の変わらない時には、もうオレ達の面倒見てくれてたんだ。あの時の優花姉、学生だったんだぜ。それなのに勉強しながらオレ達の面倒を見てくれて、新聞配達のバイトもしていて……

「……うっ……うぅっ……うー……」

 視界がにじんで、アンパンに塩の味が混じる。

 ぐずぐずと鼻を啜って目を擦ると、アンパン大使は静かな口調で言った。

「思いだすだけで泣けるほど美味いのか、お前のねーちゃんのアンパン」

 違う。

「オレ、ねーちゃんに迷惑、かけてて」

「うん?」

「ねーちゃんに迷惑かけたくなくて、喧嘩して、家飛び出して……」

 草太の独白に女は特に嫌な顔をするでもなく、かと言って諭すような態度を取るでもなく、変わらぬ調子で言う。

「家飛び出した時点で、迷惑かけてるだろ」

「知ってるよ! でも、どうしていいか分かんないんだよ! どうすれば迷惑かけずにすむのか、分かんなくて……」

「なんでだ?」

 女の口調は子どもが純粋な疑問をぶつけるみたいな何故? という問いにも似ている。

 言葉に詰まる草太の隣に座り、女はエプロンからまた別のアンパンを取り出す。そうしてアンパンを齧りながら、世間話でもするかのように言った。

「かければいいじゃん、迷惑」

 女の言葉を噛み砕いて理解するのに、草太はしばし時間を必要とした。

 女は草太の事情なんて知らないはずだ。家庭の事情も、家を飛び出した理由も。だからこそ「迷惑をかければいい」だなんて無責任なことが言えるのだ──そう思うと、妙に腹が立ってきた。

「……それって、オレがガキだから? ガキは大人に迷惑かけて良いってわけ?」

「私は成人してるけど、周りに迷惑かけてばっかりだってよく言われるぞ! でも、反省はするが後悔はしないな!」

「いや、しろよ」

 ダメな大人にも程がある。

 無責任な大人は嫌いだ。だって父親がそうだった。無責任で行き当たりばったりで、家族のことを省みず、全ての苦労を長姉の優花に押し付けた。

 自分勝手な父を思い出して静かに腹を立てていると、女は食べかけのアンパンを持ち上げて、月にかざした。白くて丸い月に、欠けたアンパンが重なる。

「誰にも迷惑をかけない生き方なんて、できるわけないだろ。そんなのができたら聖人君子か神様だ。あの国民的英雄のアン○ンマンだって、ジャ○おじさんに顔を作ってもらって、バタ○さんに顔を取り換えてもらってるじゃないか!」

「いや、最後の例え、意味わかんねーし」

「誰だって迷惑かけるのが普通なんだから、こっちが迷惑かけた分、相手の迷惑もしょうがないなぁ、って受け止めてやればいいんじゃないか」

 そう言って女は残りのアンパンをモフモフと口に放り込み、立ち上がる。ザァッと風が吹いて、女のエプロンが大きくはためいた。

「それじゃ、私はもう行くな……大丈夫、アンパンを愛する心があるなら、お前は立派なアンパン大使だ。辛くて苦しい時はアンパン食えよ」

 本当にそれだけを言い残して、アンパン大使は無駄に格好良く去っていった。

 ベンチに残された草太は、その後ろ姿を呆然と見送りながら、とりあえずアンパンを一口齧る。

(……なんだったんだ、あの人)

 夜に公園のベンチに座り込んでる高校生に、家に帰れと説教臭いことも言わず、アンパン押し付けて、言いたいことだけ言って去っていった。

 それでも、不思議と嫌な感じはしない。おしつけがましいのに、おせっかいの方向性が微妙にずれているところとか、家に帰れと言わないところとか……あの女は「アンパン食べろ」以外のことを草太に強要しなかったのだ。

 なんだか妙に憎めない人だったなぁ、と思いながら草太は残ったアンパンを口に詰めこみ、温かいお茶で流し込む。

 空腹がほんの少し満たされると、空っぽだった体の中心に少しだけ力が戻って来たような気がした。

「……よし、帰るか」

 合宿のチラシを隠したのは良くなかった。あれはきちんと姉に話すべきだった。本当にどうしようもないほどに家計が苦しいなら、姉だってそう言っただろう。

 何より、サッカー部を辞める発言も良くなかった。草太がサッカーを辞めたら、姉が買ってくれたシューズだって無駄になってしまう。

(……迷惑かけるだろうけど、サッカー続けたいって、ちゃんと言おう)

 時間はもう深夜に近いが、姉は帰っているだろうか? きっと、小学生の若葉はもう寝ているだろうけれど。

 オンボロアパート、山吹荘の一階にある如月家は、まだ明かりが点いていた。誰かが起きているのだ。隣の家に迷惑にならないよう、静かに玄関の扉を開けると、部屋の奥からパジャマ姿の若葉が駆け寄ってきて、草太にしがみつく。

「うわぁぁぁぁん!! 草太兄ぃぃぃぃ!!」

「うぉ、若葉? 起きてたのか? ていうか、もう夜遅いんだから大声だすなよ、近所迷惑だろ」

 姉は帰っていないのだろうか、と足元を見た草太は、玄関に姉の靴が無いことに気がついた。

 おかしい、今日の姉のシフトは二十二時まで。いつもなら、もう帰ってきている時間だ。もしかして、自分を探しに出かけてしまったのだろうか? と青ざめる草太に、若葉はそれ以上に衝撃的なことを告げる。

「優花姉が……優花姉がぁ……い、家を出てくって……」

「──な、んだってぇぇぇ!?」


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